彼女にとっての英雄
「悠人!」
第三者の声が真夜中の修羅場に割り込む。
数分ぶりに聴いた声ながらこの上なく信頼できる者の声――それに悠人は、この上なく救われたような心地を得た。
「……ちっ」
ローラが軽く舌打ち。声が聴こえた瞬間咄嗟にしまったのか、手元にはすでに銃剣は収まっていなかった。
だが武器は収めていても敵意と殺意は隠し切っていない。「よくも邪魔してくれたな」とでも言いたげな恨めしい視線でこちらを睨んでいる。悠人当人は一切何もしていないのだが。
殺気立った気配が冷めやらぬ中、悠人にとっては大きな味方でありローラにとっては予想外の邪魔者である、一人の人物が病院内ラウンジへとやって来る。
癖の無い黒髪と釣り目気味の黒い瞳を有する、息子によく似た面影を持つ痩躯の中年男性――紛れもなく悠人の父親だ。
どうやら、瞳の色が深紅に染まったことに動転し病室を飛び出した息子のことを探していたらしい。
「よかった。急に慌てたように病室を出ていったからどうしようかと思って……っと、そちらのお嬢さんは?」
悠人の姿を捉え安堵の溜め息を吐いた父親が、ローラに視線を遣る。
「いや、彼女は、その……」
実は彼女は俺の命を狙う殺人犯なんだ、と白状する気には何故かなれず、悠人はしどろもどろする。
だが父親の職業は、この街の治安維持のために日夜尽くす警官。異様な気配を読むことに関しては人並み以上に優れていた。
「……なるほどな」
まだ誰も何も言っていないのにも関わらず、動揺した様子の息子と僅かに冷え冷えとした雰囲気を漂わせる少女から修羅場を察知したらしい父親は、何処か納得したように頷いた。
かと思いきや、彼はローラの元に歩み寄り、剣呑な声音で言ったのであった。
「ごめんな、お嬢さん。少し付き合ってもらうよ」
「なっ……!」
ローラが目を見開く。
それもそのはず、彼女の手はまるで連行される罪人のように、いきなり目の前の中年男性に取られていたのだから。
彼の突飛な行動に驚いたのはローラだけではない。
「父さん!?」
「悠人、これは別にお前が気にすることじゃない。ちょっと気になることがあったから、このお嬢さんに尋ねてみようと思っただけだ」
「まさか、叶と俺を襲った犯人だって疑ってるのか……!?」
「いや、夕方の事件とは無関係だ。安心してほしい」
そう微笑みかけ、ローラを連れてラウンジを離れていく父親。
ゆっくりと遠のく二人の背中に、悠人はほっと安心する。しかし、その理由は何故だか分からない。ローラは自分の命を狙おうとした敵だったはずなのに。
だが、悠人が意味不明な安心感に浸かっていた時、父親がふとこちらを振り向く。
そして、ローラに対する謎の感情が吹き飛ぶほど大きな事実を告げたのだった。
「あ、そうだ。さっきご両親から聴いたんだが、叶ちゃんが目を覚ましたそうだよ」
父親とローラのことを差し置き、悠人は一直線に叶の病室へと向かう。
「カナ! 無事なのか!?」
「……悠、くん?」
一人用の病室のスライドドアを開け飛び込むと、自身の両親と話していた幼馴染の少女は呆然とした様子でこちらを向いた。
ゼヘルに斬られた直後に見られた蒼白の顔色は窺えず、元の生気溢れる血色を取り戻している。それが彼女の無事を語らずとも伝えていた。
「あらあら……ここは私たちは退いて、子供たちに任せるとしましょうか」
「ああ。俺たちがいない方が、悠人くんも叶と話がしやすいだろうからな」
病室に足を踏み入れるとほぼ同時、叶の両親はそう言いつつ病室を後にした。思春期の少年たちの会話に我々大人は交わるべきではない、という一歩引いた意向からの行動なのだろう。
悠人は彼らに会釈で感謝を伝え、そのままベッドの上で上体を起こしている叶の元へ。
「怪我の方は大丈夫なのか? まだ斬られた場所が痛むとかは……」
「うん、大丈夫」
息を切らしつつもこちらに歩み寄ってくる悠人を目を丸くして見つめていた叶だったが、安否を心配していることを察したのか、優しくはにかんで答えてくる。
「いきなり斬られちゃったからびっくりしたけど、もう怪我の痕も無いし何処も痛くないよ。お医者さんか誰かが治してくれたみたいだし……って、悠くん?」
いつも通りのあどけない笑顔で平癒を示してくる叶を、悠人は無意識に抱き締めていた。
「……カナ、ごめん。俺、お前のことを護れなかった。お前が襲われても、何もできなかった……」
彼女の胸に顔を埋め、小さく懺悔の声を零す。
「……俺が倒れなければ、こんなことにはならなかった。俺のせいで、お前は……」
「……悠くんは何も悪くないよ。あの時は悠くんも体調崩していたし、助けるために動けないのも無理ないもん」
逃げないようにと強く身体を抱き締める悠人の頭を撫でる叶の手付きはとても温かく、さらに優しくて。
「悠くんが優しすぎるのは昔からだよね。小学生の頃あたしがうっかりよその家の窓ガラスを割っちゃった時も何も悪くない悠くんは『自分のせいだ』って言って弁償していたし、それにあの事件が起こった日だって……罪の無い悠くんは必死に自分を責めていた」
暁美悠人は優しすぎる少年だ。と、目の前の少女は知っている。
昔から幼馴染の罪を肩代わりし続けた少年は、今回も幼馴染が襲われたことを護れなかった己の罪へと転換しようとしている。そう、目の前の少女は信じ込んでいる。
「悠くんは昔からあたしのことを思ってくれている……その事は知ってるよ。でも、何も悪くないことにまで責任を負う必要はないと思う。優しすぎることはいつか自分の身を追い詰めちゃうだろうから」
しかし、彼女は知らない。幼馴染の少年が自身を害した男と同種の存在であり、どころか少年自身も加虐していたのだということを。
叶の目に見えている優しすぎる性格は、吸血鬼の真祖ユークリッドが装着している『暁美悠人という名のごく普通の人間』としての仮面でしかない。
その仮面の下に隠された冷酷で残虐な本性に気付いていないから、彼女はまだ悠人のことを心優しき人間と捉えることが出来ているのだろう。
「ね? だから、あまり自分を責めすぎないでよ。悠くんがあたしのことを護れなかったことを後悔しているんだとしても、あたしにとっての悠くんは――」
幼馴染が実は人類の敵であることなどつゆ知らない叶は、まるで天使のように柔和であどけない笑みを浮かべ、信頼性を確信させる一言を口にする。
「――世界で一番の、あたしの英雄なんだから」
「……はは」
そのまっすぐな言葉に心を穿たれた悠人は、小さく自嘲しつつ、叶の身体からそっと離れる。
「英雄、か……。あの日からずっとお前のことを護るって決めていたのに、結局お前のことを傷つけさせてしまった俺のことを、果たしてそう呼ぶことができるっていうのかよ」
「誰かを救ったり護ったりする人だけが英雄じゃないと思うな」
否定をしても、叶は一歩も引かなかった。
「辛いことや悲しいことがいろいろ降りかかって来たせいで精神がボロボロになった時、『大丈夫だよ』って言って手を差し伸べてくれて、そしてそっと隣に寄り添ってくれる……そんな人だって充分英雄なんじゃないかって、あたしは想う。そしてあたしにとっての悠くんは、まさにそんな英雄像を持った人だったんだよ」
「……」
「あたしのことを護ることができなかったんだとしても、あたしの傍にいてくれる限り悠くんはあたしにとっての英雄。そのことを忘れないでほしい」
良心の呵責に苛まれる中与えられた、大切な存在からの赦しの言葉。それを受けた悠人は、すっかり深紅に染まってしまった瞳から、透明で熱い一雫を無意識に零す。
「……カナ」
「どうしたの?」
紅い両目から涙を流しながら、悠人は改めて懺悔の言葉を紡いだ。
「本当に……ごめんな」
「……いいよ。ただ、悠くんが傍にいてくれれば、あたしは幸せなんだから」
寛厚な態度で深謝を受け入れると、叶は歔欷しつつ震える悠人のことを、今度は自分からそっと抱き締めたのだった。




