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悄然と傷心の帰路

お待たせしました。第4章の開幕です。

ここから恋愛色とバトル成分が増していきますので、何卒よろしくお願いします!


 ――どうして、このような結末になってしまったのだろうか。



 修学旅行最後の夜以降の記憶を、悠人は曖昧にしか覚えていなかった。

 気付いたらエルネが入れ違いにやって来て、気付いたら死体と血が綺麗に片付けられて、気付いたらホテルのベッドの中で朝を迎え、そして気付いた頃には京都府から夜戸市へと戻ってきていたのだった。


「えー、ここで各自流れ解散とする。寄り道をすること無く、気を付けて帰宅するように――……」


 夜戸市内の駅の改札前のコンコースで注意事項を淡々と述べる学年主任の声も、各々修学旅行での思い出話に花を咲かせる生徒たちの声も、全く耳に入らない。

 頭の中に残響として留まっている一言が、周囲の様子を認識することを断固として拒んでいたから。



『……盟約は決裂だ。ユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルム』



『貴様を信用した私が馬鹿だった』



 このような言葉を言わせたのは全て自分であるとはいえ、思い出せば思い出すほど泣きたい気持ちに駆られる。


 ――あの時、ダインスレイヴの教唆煽動に乗らなければ。


 ――あの時、ルチアの話を真に受けなければ。


 そうしていれば、こんなことにはならなくて済んだのかもしれなかったのに。


 だが、願っても、もう起こってしまったことを取り消すことはできない。時計の針は戻らない。


 気付けば学年主任の話は終わり、生徒たちがそれぞれ帰宅の道を辿ろうとしている。

 そんな中、友人同士で一緒に帰るべく集うクラスメイトたちの輪をすり抜け、一人そそくさと駅の出口へと去って行く少女が一人。


「あ……」


 反射的に、悠人は少女の姿を目で追ってしまう。


 腰まで届く白い髪、象牙のような白磁の肌、水晶のように澄み切った銀灰色の瞳……雑踏の中に紛れても自然と目が惹き付けられてしまう美少女。

 彼女はこちらのことを一切振り返らず、足早に駅のコンコースから離れていく。


「おい、ローラ……」


 彼女に軽蔑されている現在、呼び止めても無視されるだけだとは分かっていたのに、無意識に悠人は立ち上がり、彼女のことを追いかけようとしてしまう。


「待てよ、ローラ……! 帰るなら、俺も……」

「……」


 ローラは悠人の呼び掛けに答えず、どころか悠人の顔を見ようとすらもしない。こちらが呼び掛けた瞬間、先ほどよりも歩く速度を速め、まるで逃げるかのようにいなくなってしまった。

 そして独り、コンコースのど真ん中に取り残される。


「……ローラ……」


 想いを寄せていた少女のためを尽くした結果、逆に嫌われてしまった自分はひどく惨めだった。

 だが彼女のためを想って取った行動は、以前彼女と結んだ盟約に違反するものだったのだから、軽蔑されるのは当然の報いだった。



 ――吸血鬼の真祖としての残虐な欲望に身を任せ、ローラの仲間だった教団員の少女ことを無残な姿になるまで殺し、挙句の果てに彼女の血を嬉々として吸い尽くしたのだから。



 ローラの目の前で「絶対にしない」と誓ったのにも関わらず快楽のまま殺人に踏み込んだ、そんな簡単なことすらもできなかった宿敵に謹厳実直な聖女が幻滅するのは、そうあって然るべきことだったのだ。


「……」

「あれ……? 悠くん、どうしたの? 帰らないの?」


 立ち尽くす悠人のことを訝しんだらしい幼馴染の叶が、こちらに駆け寄り様子を窺ってくる。


「……カナか」


 幼馴染のことならば何でも理解している叶に相談すれば、きっと気が楽になったことだろう。

 だが彼女は、今の悠人に絡む事情を何も知らない。悠人が人を殺めたことも、人の血を喜んで吸ったことも、それが原因でローラと仲違いしたことも。

 そもそも、悠人が本当は吸血鬼の王であることも、ローラが吸血鬼を狩るために生まれた聖女であることも、彼女は知らないのだ。


 そんな叶に――吸血鬼や血や殺人にトラウマを持っている叶に、果たして今の現状を相談することはできるのだろうか。

 否、できる訳が無い。叶のみならず、親友の解や両親にも、このような相談をできる訳が無かった。

 昨夜の出来事を打ち明けるということは、自身の正体を打ち明けることでもあるのだから。


 だから、悠人は今抱えている悲しみと後悔の感情を誤魔化した。


「……大丈夫だ、問題無い。ちょっと考え事してただけだから」

「そ、そうなの……? でも、あたしにはそう見えなかったな……なんか、ローラちゃんと何かあったかのように見えたけれど――」

「い、いや、本当に大丈夫だから……! な……?」

「ふ、ふーん……?」


 叶は首を傾げている。こちらの事情を察知したような様子は幸いにも無い。

 だが悠人には、事情を何も知らないという彼女の純粋さが、目も開けていられないほど眩しく感じられた。


(……今の俺は、カナにはあまりにも不釣り合いすぎる)


 快楽殺人に踏み込んだ自分は、酷く穢れている。そのような自分が純真無垢な幼馴染の隣に寄り添うことなど、できるはずが無い。

 叶の傍に在ればいつしか彼女にまで自分の穢れを移してしまうような気がして、悠人は激しく恐怖した。


 それに一度己の狂気を赦してしまった以上、再び狂気に呑まれ叶たちに襲い掛からないとは限らない。

 だから今は、こちらを心配してくれている叶のことを遠ざけることが、これ以上自身が、そして自身の大切な者たちが傷付かなくて済む最善の防衛策なのだろう。


「あっ……ごめん、カナ。俺、ちょっと用事思い出したから先に帰るな。お前は解とかと一緒に帰ってくれ」

「えっ、でも城崎くんの家はあたしの家から遠いし、一緒に帰るならお隣さんの悠くんの方が――って、悠くん!! 待って!!」


 こちらを追いかけようとする叶を振り切り、悠人は自宅がある方向とは反対の方角へと疾駆する。

 気遣おうとする幼馴染さえ拒絶し逃走する自分はとても惨めな敗走兵同然であったが、どうしようもないくらいに狂ってしまった汚らわしい身にはとてもお似合いな姿だなと思った。





*****





 叶を跳ね除け一目散に走り続け、気付けば悠人は駅付近の繁華街へと辿り着く。

 現在の時刻は午後三時くらい。まだ吸血鬼としての身体能力は発揮されていない。走り続けた代償が莫大な疲労感として圧し掛かっていた。


「は、あっ……」


 電柱に手を付き、ひとまず息を整える。

 近くに叶らしき少女の姿は無い。振り切ることには成功したようだ。


 だが叶から差し伸べられた救いを拒絶してしまった今、自分はこれから何処へ向かえばいいのだろうか。

 自宅には居候人であるローラがいる。いくら自分の家であるとはいえ、仲違いをした張本人にしてこちらが傷付けてしまった少女と再び顔を合わせようという気にはとてもなれない。

 そして、再び狂気に呑まれ大切な者を害することを危惧する感情がある今、叶の元へと戻ったり解の元へと行き着いたり、冷泉院家に救いを求めることも憚られる。そうなると、いよいよ悠人には帰る場所が無かった。


「……ははっ」


 自然と、諦観の笑みが零れてくる。

 この世界に独りぼっち。四百年前に飽きるほど罪を重ね、さらに蘇ってからも罪を上掛けした自分には、このような情けない処遇が与えられて然るべきなのだろう……そう考えると、つい思わず笑ってしまった。


「普通に考えれば、これが当たり前だったんだよな……。吸血鬼の真祖は、何百年間も罪を重ねた男は、普通の家庭や学園に溶け込まず、たった独りで罪を自覚しながら生きていくのが妥当だったんだよな……」


 吸血鬼は――その中でも頂点に立っている真祖は、何の変哲も無い日常の中で生きるべきではなかったのだ。吸血鬼の王として、殺伐とした世界の中で生きるべきだったのだ。

 今さらのように当たり前のことに気付いてしまった自分がとても滑稽で仕方ならず、人通りが多くなり始めた繁華街の道の真ん中で失笑。道行く人々が気味悪がるような視線を送ってきたが、そんなことなど気になることもなく、悠人はただ笑う。


 いっそのことここで吸血鬼か誰かが自分のことを迎えにさえ来てくれれば、孤独に飢えること無く人間社会から逃げることができるのに……。

 ふと邪念を抱いた瞬間、まるでその願いが叶えられたかのように、悠人の前に数人の男が現れる。


「おーおー、こんなところにちょうどいいカモがいるじゃねーか」

「マジじゃん。冷泉学園高校の生徒ってことは、それなりに金は持ってそうだし」

「オレらよりも顔がいいのがムカつくから、いつもより多めにタカってやろーぜ」

「いいね、賛成!」


 だが不幸なことに、眼前に出現した彼らは吸血鬼では無かった。


 髪をまばらに金や茶に染め、ピアスやチェーンなどのアクセサリーをジャラジャラと身に付けた、いかにも「不良」という単語が似合うガラの悪そうな若い男たち。普通の日本人にありがちな黒い瞳、そして側方にあったショーウィンドウに姿が鮮明に映っているところを見れば、彼らが吸血鬼では無くただの人間であることは明確である。

 しかも、吸血鬼殺しの武器を持っていたり、古めかしいロザリオを多量のアクセサリーの中に忍ばせている様子も無い。それはつまり、彼らはマリーエンキント教団の団員でも無いということ。


 つまり彼らは真の意味で、ただの人間だった。


「……何だテメエ、その辛気臭い面は」


 絶望にひしがれている中、期待外れな人物に絡まれたことに失望する悠人に、不良グループのリーダーらしき男が舌打ちをする。

 そして悠人の胸倉を掴み、どすを利かせた声で怒りを示した。


「ガキの分際で調子乗ってるんじゃねーよ。オレらの機嫌を損ねた罰として、財布丸ごと持って行っても文句は言えねえだろうなあ、アアン?」


 そういえば最近この辺りにタカリの集団が出没していると、学校側から注意喚起が出ていたような。

 場違いなことを、現実逃避のように悠人は考えた。


 しかしそう思い至ったのは、一度狂気に呑まれたとしてもなお健全な男子高校生を演じるしかない悠人独りの力ではどうにもできないところまで事が進んだ時だった。


「オラ、とにかくさっさと裏に来いや」


 悠人の胸倉を掴んだまま、不良たちのリーダーが薄暗く狭い路地裏へと赴かんとする。彼の取り巻きたちもまた、囃し立てながら意気揚々と後を付いていく。

 巻き込まれることを恐れているのか、通行人たちが救いの手を差し伸べることは無い。ある者は憐憫の目で、またある者は萎縮(いしゅく)の目で、遠巻きにこちらの様子を窺っていた。


 ――我ながら、情けない姿だな。


 心中で、悠人は自嘲した。


 金目当てなのだから、不良たちがこちらを本気で殺すことは無いだろう。が、仮にも吸血鬼を従える王としての一面を持つ自分が、こんな不良たちに手も足も出ないのは非常に屈辱である。

 だが、むしろこれでいいのかもしれない。昨夜のように真祖としての本性を剥き出してまた快楽殺人を犯すよりかは、従容として周囲に醜態を晒す方が何倍もマシというものだろう。


 そういう訳で、長い物に巻かれんとするかのように、大人しく悠人は不良たちのされるがままとなる。

 今まで罪を重ねてきた自分に与えられる罰が金を奪われることだというのなら、それはたいそうな恩赦だ。本来ならば自身の罪は、金銭ではなく生命を対価に支払わなければ償うことができないのだから。


 しかしやはり、人生は常に自分の思い通りではない方向に動くものであった。


「――っごはあっ!?」


 不意に、悠人の胸倉を掴んでいた不良のリーダーが側方へと吹き飛び、路上に大きく転倒した。

 あまりにも突然の事態に、不良のリーダーもその仲間たちも、解放された悠人も、遠巻きに見ていた通行人たちも唖然としてしまう。


「な、何だあ!?」

「俺の学園の生徒が危害に遭っているのを、()()()()として放っておくことができなかった、ただそれだけのことだよ」


 混乱するリーダーの男が上げた呆けた声に答えたのは、聞き覚えのある冷然とした少年の声であった。


 七三分けに分けられた黒髪、着崩しすることなく身に付けられた冷泉学園高校の制服、銀縁眼鏡の下の鋭い藤色の瞳。只者では無い雰囲気を纏わせた、いかにも真面目一直線といった印象の少年。

 間違い無く、彼は――


「さて、俺たちの一族が権力を握る街で粗暴な振る舞いをした落とし前、きっちりと付けてもらおうか」


 ――冷泉学園高校生徒会長・冷泉院霧江その人であった。


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