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攻防一体

 一方その頃、ローラは大浴場近くに設けられていた休憩所で、瓶入りのコーヒー牛乳をちびちびと飲んでいた。


「何だね、この甘すぎる飲み物は……。本当にこれはコーヒーなのかね……?」


 ぶつぶつと文句を言いながらコーヒー牛乳を飲み続けているが、正直なところあまり味を感じることはできていない。

 頭の中では、今日やけに様子のおかしかった悠人に対しての懸念が棚引く霞のように広がっていたから。そのせいで味覚がどうも曖昧になっているのだ。


「ユートの奴……」


 ルチアとの邂逅を経て以降彼の精神面が危ういと、ローラは察知していた。


 修学旅行中ぼんやりとしていることが多いとは薄々感じていたが、嵐山でルチアに眼を付けられてからは、それがさらに加速しているように見えた。

 そして、何よりも気掛かりだったのが、時々秀麗な顔から覗いていた昏い表情。特に地主神社の帰り道――自分が襲撃者の正体を打ち明けた直後、その兆候がより顕著だった。


(……はっきり言えば、今の彼はまるで何かの妄念に憑かれているように見受けられる。吸血鬼の真祖としての暗黒面に呑まれていなければいいのだが……)


 そしてもう一つ、悠人の精神を不安定な状態にした原因とも言えるルチアの存在も、ローラにとっては懸念の種であった。


(……ルチアには、断言したつもりだったのだがな)


 なのに、全く退いていなかった。むしろこちらが不利だということを分かっているのかいないのか、果敢に悠人を襲撃さえしていた。

 説得したものの全く諦める様子が無い彼女を駆り立てるものは一体何なのだろう。敵愾心(てきがいしん)か信仰心か、あるいはそれ以上の何かか。考えても見当が付かず。


 だが、ローラはその事を思考することを止めた。

 ルチアに関しての疑念はあと一つ、一大事として残されている。


(ユートのことをたびたび襲ったのがルチアであることに間違いはあるまい。だが、だとしたらあの暴風は……)


 地主神社を訪れた際に突如吹いた突風。

 あれは間違いなくルチアが起こしたものでは無い。


 風を起こす神術は存在するが、神術の技巧がまだ未熟なルチアに、一箇所に暴風を集中させるといった高度な芸当ができるとは思えない。歴戦の猛者か幹部クラスの天才ならばできるのかもしれないが、まだ戦歴の浅い彼女は確実にそのレベルに達してない。

 となると、彼女の計画の裏には、自分と同じくらい神術の扱いに長けた聖騎士が控えているのだろうか。


 あるいは、考えたくはないが……


(……否、()()()()()()()()()()()()、そのようなことをする訳があるまい)


 自分は少々気にしすぎているのだろうか。

 思考回路を働かせている最中、結局そう思い至る。


 溜め息を吐きつつ、すっかり空になったコーヒー牛乳の瓶を、近くに置いてあった回収箱の中に入れる。

 その直後、ふとこちらに用有りげにやってきた人物が視界の端に映った。


「こんなところにいたのかい、フォーマルハウト」


 普段は養護教諭として学園に溶け込んでいる吸血鬼は、普段よりも遥かに神妙な様子だった。

 普段はぐうたらしている彼女が真剣になることなど、緊急事態以外には考えられない。重なる懸念に曇っていたローラの顔は、自然と戦士に相応しく締まったものとなっていた。


「何かあったのかね?」

「ああ、すごく厄介なことがあった」


 その吸血鬼は――薬研エルネは、やはり神妙さを崩さず。

 そして、刃のように鋭い一言を端的に告げた。


「先ほど、暁美がダインスレイヴ=アルスノヴァに何かしらを吹き込まれ、そして急いで宿を出ていったようだ」


 案件に未だ敵か味方か判別できていない吸血鬼が絡んでいると知り、クルースニクの銀灰色の瞳はますます鋭く研がれた。


「その吹き込まれたらしい話題については分かったかね?」

「すまないが、それは分からなかった。だが、()()()()()()ダインスレイヴのことだ。確実に良きものではないだろう」


 エルネは眉間に皺を寄せながら嘆息。

 まるで件の人物の特徴を悪い意味でよく知っているかのような反応だった。おそらく、彼とはかつて何処かで関係を持っていたのかもしれない。


 だが、その反応は一瞬のこと。すぐさまエルネは先ほど同様の真剣さを見せる。


「……ま、それは置いといて、だ。フォーマルハウト、今すぐにでも暁美を追った方がいい。アタシの直感だが、アイツをあのまま放っておけば最悪の展開が起こり得ない」


 「仮にもアイツは残虐非道な真祖様だからねェ」とさらに付け足したエルネに、ローラは無言で頷く。


 クルースニクとして生かされていた身として、真祖の危険性については今まで散々学ばされてきた。そして彼と出逢い、彼の冷酷な真祖としての一面を間近で見てきた。

 故に、真祖を野放しておくことがどれだけ危険かは分かっている。今の彼がかつての人格を封じ込め転換しようとしていることも分かっているが、それでも不意なことで過去の狂気は蘇りかねないのだ。


「その表情……了承はしてくれたようだねェ」


 女子高生の表情から戦士の表情へと様変わりさせたローラの表情を見回し、エルネは真剣さを崩してはいないものの納得したように首肯する。


 さらに彼女は片手を頭上に上げ、ローラを手助けするべく自身の異能を発動させた。

 頭上で指が鳴らされると同時、休憩所で談笑していた生徒たちや微かに稼働音を鳴らしていた自動販売機が、一斉に音や動きを停止させる。今ホテル内で動いているのは、発動主であるエルネ、そして吸血鬼の能力に耐性があるローラのみだろう。


「上手いこと後を追うことができるよう、宿全域の時間を停止させておいた。こうすれば、アタシ以外の教師に無断外出がバレることは無いだろう。安心して屋外に抜け出すがいいさ」

「無断外出か……。規則を犯すことには聖女としての名が廃るような心地を覚えるが、今は緊急事態であるが故に致し方無いか」

「吸血鬼の真祖と仲良さげに交流を持っているアンタがよく言うよ。『規則を犯せば聖女としての名が廃る』だなんてねェ」

「……」


 さりげなく発せられた皮肉の言葉に、ローラは危機的状況が迫っていると知りながらも、思わずムッと顔を引き攣らせたのだった。





 エルネが時間を停止させてくれたこともあり、ローラは他の教師や生徒に見つかることなく易々とホテルを抜け出ることに成功した。


 だが抜け出たものの、肝心の悠人が何処にいるかは分からない。エルネから耳にしたのはあくまでも「悠人が外に出て行った」という情報だけ。彼の行き先が何処かは、情報提供者のエルネでさえも知らないようだった。

 携帯電話で彼の連絡先に繋げれば即座に行き先は分かるのだろうが、不運にもローラは携帯電話を宿の中に置いてきてしまった。それにそもそもの話、切羽詰まった状況の悠人が素直に電話に応じるとは到底思えない。


 故にローラは、京の街に不慣れな悠人ならばそこまで遠くまで行かないだろうと信じ、ホテル周辺の路地を捜索することとする。

 曲がりなりにも都会ということもあってか、街中は夜でも人が多い。瞳の色さえ見れば一発で見分けられるのだが、こんなに人が多くてはそればかりに注目することも出来やしない。おまけに年若き外国人の少女という理由だけでこちらに絡んでくる者たちが多いのも困り物だ。

 だから現状は、探知の神術を駆使し、できるだけ人並みを避けながら悠人らしき人物を追って探すことで精一杯。ホテル周辺に反応が無いと分かると捜索範囲をより拡大し、さらに捜索……ということをひたすら繰り返した。


 だが――



「行かせないよん、クルースニクちゃん」



 ――妨害は、常に予想だにしないタイミングで訪れるものだ。


 溢れる観光客や地元住民の波から逃れるため人気の少ない路地裏に入った直後、ローラの頭上から掛かった底抜けに明るい声。

 その声は、昨日うんざりするほど聞いた吸血鬼のものと完全一致していて。


「よもや、ダインスレイヴ=アルスノヴァ……!」

その通り(ザッツライト)! 困った時にはいつでも何処でも駆け付けるフリーランス吸血鬼ダインスレイヴちゃん、君の目の前にただいま参上、っと!」


 こちらの敵意にまるで気付いていないかのような明るい声でダインスレイヴは応答。そのままこちらの目の前に飛び降りてくる。

 彼の装いは、観光に同行していた際に纏っていたカジュアルなものではない。前髪の上に古めかしいデザインのゴーグルと薄汚れたカッターシャツとベスト、擦り切れた黒い外套――吸血鬼としてのダインスレイヴ=アルスノヴァとしての正式な装束で、彼は眼前に参上していた。


 だが吸血鬼としての装いでこちらにやって来たとはいえ、悠人失踪の件に関与している者が直接コンタクトを取りに来たのならば話は早い。いつでも突撃できるよう一定の間合いを空けた後、ローラはダインスレイヴに詰問した。


「貴様、何の用だね? 私にはユートの捜索という急務がある。故に、貴様にはかまけている暇など無いのだよ」

「――その急務を邪魔するために、僕は君の元に来たんだけどねえ?」


 悪辣な吸血鬼に似つかわしい、歪められた陰湿な笑みをダインスレイヴは浮かべた。


「一応答えを言っちゃうけど、真祖様なら金髪の聖騎士の女の子のことを追って清水(キヨミズ)ってところへと向かわれたよん。何でも、君のことを強制的にでも教団本部に連れ戻そうとしているあの子を止める気らしいね」

「それはルチアのことであるな。何故貴様がルチアの動向について既知であるかは分からんが」

「既知も何も……僕はあの子に頼まれたんだよ、『お姉様を取り戻すために協力しろ』って。ちょうど僕たち吸血鬼も真祖様のことを奪還する必要があったし、互いに利害は一致していたんだよね」

「……! 貴様、ルチアと手を組んだか……!」


 全てが符合した。

 「クルースニクを真祖の手から奪い返す」――ただそのためだけに、聖騎士でありながらもルチアはダインスレイヴと手を組んだのだ。


(道理で今日ダインスレイヴは私たちの元にいなかった訳だ。彼はルチアと結託し、こちらを執拗に襲っていたのだから)


 敵側の浅ましさを疎ましく思うローラの目の前で、ダインスレイヴは嬉々と笑う。


「あはは、そうさ! 僕はあの子と手を組んだ! でも僕はあの子に協力する気なんてさらさら無いよ! ()()()()()()()()のお願いを叶えるために、あの子のことを利用しているだけだからさ!」


 答え終えた彼は、片手で頭上のゴーグルを弾き、それを目元に装着させる。

 さらに「用は済んだ」と言わんばかりに、背負っている大鎌を素早く引き抜き、それを大きく振るった。


 吸血鬼を狩る者として、ローラは彼の一連の行為が何を示しているか理解していた。

 あれは、彼が臨戦態勢に移行したという合図だ。


「さあ踊れ回れ、僕の風巻(しまき)が奏でる円舞曲で――『颱風凄風(ヴィントシュトゥルム)順風微風(ヴィントシュティレ)』!!」


 その刹那、とてつもない威力の暴風が、彼を中心にして巻き起こった。


 さらに、巻き起こった暴風はそのまま巨大な圧力の塊として、ローラ目掛けて射出される。


『――っ、Deus,in adjutorium meum intende.Domine,ad adjuvandum me festina(神よ、私の救いに御心を向け給え。主よ、直ちに私を救い給え)!!』


 ローラは速急に神術を唱え、防御壁を展開させる。

 夜間で威力の増した吸血鬼の異能を咄嗟に貼った防御壁で防げるかは些か不安だったが、運良くそれは杞憂に終わった。暴風はローラに一切当たることなく、四方へと相殺される。風力に当てられ崩れ落ちた瓦礫すらも、無事に防ぎ切ることに成功。


 吸血鬼が明確な敵意を以て攻撃したのならば、こちらも容赦する必要は皆無。早急に身構えた。

 さらに、携帯電話は宿に忘れてもこれだけは絶対に忘れることはしなかった自分の主力武器を懐から素早く抜き、その銃口を即座にダインスレイヴに向けた。


『Agnus Dei,qui tollis peccata mundi,dona eis requiem sempiternam(神の小羊、世の罪を祓われし御方よ、彼らに永遠の安息を与え給え)――』


 そして詠唱。銃口からは銀の光を瞬かせる一発の弾が放たれる。


『――Amen(然り、そう在らんことを)!』


 さらに詠唱。射出された銃弾は急加速し独りでに標的へと向かう。


 だがダインスレイヴ=アルスノヴァは四使徒に匹敵するほどの高い戦闘力の持ち主。簡単に攻撃を喰らってしまうほど柔ではなかった。


「はい、ざんねーん! クルースニクちゃんの攻撃は見事防がれちゃったのでした、っと!」


 フィギュアスケートのスピンのようにくるりと身体を回転させつつ彼が鎌を振るえば、その剣戟は渦巻く竜巻となった。そしてそのままローラを巻き込むべく進撃を開始する。


『Deus,in adjutorium meum intende.Domine,ad adjuvandum me festina(神よ、私の救いに御心を向け給え。主よ、直ちに私を救い給え)!』


 再び防御壁を展開させるローラ。こちらも無事に相殺することができた。


 現状、互いに実力は五分五分といったところだ。ローラの攻撃もダインスレイヴの攻撃も、強力な一撃でありながらどちらも相手に完封されている。そんな状況が続いていた。

 だが、これだけでは足りない。今ここでダインスレイヴを撃破しなければ、悠人の元に追い付くことすらできないのだ。

 だからローラにはより強力な一撃が求められているのだが、それを繰り出そうとすればするほど、相手もオウム返しのようにより強力な攻撃を放ってくるのだ。これではキリが無い。


(……早く、撃破しなくては。さもなくば、ユートが……)


 急がねばならない状況下であるのにも関わらず長期戦を強いられ……そんな状況に、真祖を求めるクルースニクは内心で焦燥感を募らせる。

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