プロローグ 薔薇は密かに狂い咲く
お待たせしました。第3章の開幕です。
第3章からはダーク成分が増していく予定なのでよろしくお願いします。
夜戸市の南部に位置する廃墟のモーテル「リプルパレス」。
現在そこは人間を超越した怪物たちの巣窟となっているのだが、今宵その地に新たな怪物が足を踏み入れた。
「Freut euch des Lebens(人生を楽しみたまえ)……weil noch das Lämpchen glüht(ランプがまだ燃えているうちに)……♪」
古い童謡を小さく口ずさみながら敷地内へと立ち入ったのは、西洋人と見受けられる長身痩躯の青年。
ただしその恰好はひどく時代錯誤。襤褸切れのような外套とヨレヨレなベスト、薄汚れたカッターシャツと前髪の上の古めかしいデザインのゴーグル……その様相は、まるでゴールドラッシュの時代の金鉱夫のようだ。
いかにも鶴嘴を持っていそうな見た目をしたその青年は、実際背に巨大な土木用具を背負っている。
ただしそれは、見た目こそは鶴嘴に似ているが用途は全く違う用具――大人の背丈ほどもある巨大な鎌であった。
「Pflücket die Rose(薔薇を摘みたまえ)……eh’ sie verblüht(花がしぼまないうちに)……♪ ……っと、来るように言われた部屋は確かここだったよね」
青年が足を止めたのは、モーテルの入り口からかなり離れた場所にある一室だった。
部屋に通ずるドアの前に立つ青年。就職活動の面接であればドアを三回ノックしてから入るのがマナーだが、そんなものなど気にしたことの無い彼はノックなど一切せず出し抜けにドアを開け入室。
「チャオチャオ! みんなの人気者ダインスレイヴ=アルスノヴァちゃん、ただいま推参ですよ、っと!」
底抜けに明るい笑顔で元気に挨拶をするが、そんな態度の青年を見た部屋の主の表情は決して良いものではない。
むしろ、あからさまな嫌悪を見せていた。
「……その無駄に陽気な振る舞いは、アタクシからすれば単なる馬鹿にしか見えませんわ」
苛立たしそうに顔を歪めたのは、一人の美少女。
側頭部で結われたピンクブロンドの巻き髪に赤い薔薇の髪飾りを差し、唇に薄くルージュを引きロココ調の赤いドレスを纏ったその様相もまた時代錯誤。現代の名家の令嬢だってこのような貴族のような服は纏わないだろう。
どう見ても機嫌が悪いようにしか見えない美少女を目の前にしても、青年は――ダインスレイヴは臆しない。
「うわあ怖い。でもまあ、馬鹿って言われるのはいつものことだから今さら気にするようなことでもねーですけどね、真祖様に選ばれし四使徒のキチガイ……じゃなくてその一人・ラリッサ様」
「……その口の悪さ、流石フォルトゥナの元配下だっただけのことはありますわね」
飄々とした態度に美少女――ラリッサは嘆息。
咎めることに疲れたのか、これ以上ダインスレイヴを詰ることは無かった。話を切り替え、本題に入る。
「それで……どうして今回アタクシが貴方のことをここへ呼んだのか、お分かりでして?」
「知ってますとも。この『困った時にはいつでも何処でも駆け付けるフリーランス吸血鬼』に仕事の依頼をしたいんでしょう?」
へらへらとしつつも悪辣な陰を宿した表情を浮かべ、ダインスレイヴは返答する。そんな彼にラリッサは更なる苛立ちを募らせるが、やはり責めることはしない。
何故ならば、彼女は分かっていたから。
常に軽薄な態度で振る舞うこの吸血鬼は、四使徒でさえまともに戦えば無事では済まないだろうほどの絶大な戦闘力を有していることを。
普段は誰の元にも付かず風の吹くままに行動する強力なはぐれの吸血鬼を、運良く密かに独自で立てている計画の協力者として雇うことができたのだから、彼の態度に文句を言う権利など自分には無い。横暴で傲慢なラリッサでもそこは理解していた。
「ええ、話が早くて何より。とても簡単な仕事ですわ。あの憎きクルースニクを滅ぼし、愛しのユークリッド様を再びこの手に取り戻すだけの……ね」
「でもでも、それって自分勝手にやっていいことなんですかね? ユークリッド様の奪還絡みの案件って、四使徒筆頭様に黙ってちゃいけねーんじゃねーですか?」
「お黙りなさい! カインに黙っているからこそ、この計画は意味があるのですわ!」
蒸し返すダインスレイヴを一喝するラリッサ。
「アタクシは許せないのですわ! ただでさえ四人も眷属がいてはユークリッド様にお近づきになることも能わないというのに!! あの男は四使徒筆頭という権力を振りかざしユークリッド様のご寵愛を独占しているだなんて!! そんな不届きなこと、絶対に看過する訳にはいきませんわ!!」
「うわあ怖い。普通、一人の男のためにそこまで基地外みたいに叫びます?」
呆れたように、あるいは馬鹿にするように、ダインスレイヴは苦笑する。彼女は本気なのだろうが、その愛は傍から見たら狂気にしか思えない。
ダインスレイヴの反応によって熱が冷めたのか、ラリッサは急速に冷静さを取り戻す。コホンと軽く咳払いをした後、脱線してしまった話を元に戻した。
「……さて、それでは貴方へ依頼したい仕事の内容について説明致しますわ」
「あまり苦にならない仕事だといいんですけどねー」
「その点に関してはご安心を。ただ単に、貴方はとある場所にてユークリッド様とクルースニクの仲を引き裂けばよいのですわ。都合のいいことに、そちらにはアタクシたちのいい鴨になりそうな人間がいるようですし」
「ふーん。んで、とある場所って?」
首を傾げるダインスレイヴに向け、自信ありげにラリッサは笑む。
「京都ですわ」
――だが、二人の密談が四使徒筆頭を務める男の耳に届いていない訳が無く。
「……なるほどね」
ラリッサとダインスレイヴの会話を物陰からそっと聞いていた男――四使徒筆頭カイン・シュローセンは、彼らに気付かれぬよう静かに退室する。
そんな彼を外で待ち受けていたのは、漆黒の鎧を纏う偉丈夫で。
「――何か分かったのか?」
率直に尋ねてきた偉丈夫に対したカインは苦笑で返す。
「うん。まさか彼女が自分の欲望のために独自で動こうとしているだなんてね……。しかもそのためだけにダインのことも雇うだなんて本当に油断ならないよ、あの女狐は」
「ダイン……ダインスレイヴ=アルスノヴァのことか。彼は敵に回せば厄介でしかないが、その分味方に回った時は強力だからな。だが何故、わざわざラリッサ殿が彼のことを雇う必要があったのかは分からぬが」
「単に強い傭兵が欲しかったんだと思うよ。それにダインは敵意とか悪意を隠すのが上手いし、現在のユークリッド様に何も怪しまれること無く接触するためには最適な人材だと思う」
だが、いくらラリッサが強力な助っ人を得た上で万端の準備をしていたとしても、真祖のためならばあらゆる手を尽くす四使徒筆頭を欺くことは出来やしない。
「でも、彼女がやろうとしていることを見過ごすことは、僕としては絶対にできないな。『現状は観察処分』という処置を僕が取ったとしてもなおユークリッド様を奪還したいという想いには賛同するけれど、いくら何でもユークリッド様のことを自分だけで独り占めしようだなんていうのは……ね」
「……む、それは真なのか? 仮に真実なのだとしたら、この自分でも黙っていることは出来ぬが」
「あのラリッサの性格を考えたら、いつかは踏み込むだろうとは思っていたけどね」
困ったように嘆息するカインだったが、即座にその顔はいつも通りの余裕ある笑みとなる。
自分たちにとって不利益となることが起ころうものならば、起こる前にそれを潰してしまえ――そう言いたげな笑みを彼は浮かべ。
「だから、君にお願いをしようと思ったのさ。ラリッサの計画の動向を監視して、もしそれが僕たちにとってもユークリッド様にとっても害になるようだったら即座に処断する――というお願いをね」
「……だが、」
フランクな語り口で請うカインに、偉丈夫は戸惑いの表情を見せる。
「自分は一度任務に失敗している。そのような自分にそういった依頼をするのは……」
「あれは思慮の浅い君が考えた独断専行だろう? だけど今回は僕が全てやるべきことを指示するから安心してほしい。僕の読み通りに行けば、絶対に成功するはずだから」
「む……」
偉丈夫は再び困惑。しかし戸惑ってはいるものの、特段に嫌がっている節は無いように見受けられる。
やはり彼は、他者からの口出しを嫌うもう一人よりも適任であったようだ――と、腕を組みながら嘆息する彼を見て、カインは改めて確信を得た。
「とにかく、よろしく頼むよ。僕はユークリッド様の観察という別の任務があるからあまり手は貸せないかもしれないけれど、それでもできる限り援助するからさ」
「……その点は了承した……のだが、一つだけ伺っても良いだろうか?」
了解はしているものの、偉丈夫には気になることがあるようで。
「何だい?」
「貴下が今手にしているものは、本案件に関し必要なものなのか?」
問われたカインの腕の中には、二つの冊子が収まっている。
一つは表紙に大きなゴシック体文字で『京都』と書いてある旅行雑誌、もう一つは表紙に掠れた明朝体文字で『修学旅行のしおり』と書いてある小さな小冊子であった。
カインはそれらをパタパタと扇ぐように振りながら、未だこの思惑に気付いていない偉丈夫に対し、説くように語る。
「君にとってはね。何せラリッサたちが計画を実行しようとしている場所、君は一度も訪れたことが無いだろう?」
「……それは貴下も同じだろうに」
戦にしか興味を持たないこの偉丈夫にとって渡航は範疇外。戦をする訳でも無いのに何故隣国へと渡る必要があるのか――そんな狭窄的な思考を、自他共に認める戦闘狂の彼は持っているのだから。
無論言われっ放しなのは癪に障るのか、こちらに対し反論をしたりもしている。が、それが図星であることを隠そうと必死に取り繕っているが故であるからだというのは筒抜けだ。
「まあ、僕自身も京都はあまり行ったことの無い場所なんだけどね。でも僕の場合は、高校の授業で事前に学習もしているし、特に心配は不要かな。もし分からない場合は仮初の友人たちに尋ねればそれで済むし」
「つまりこれは、都市の地理には疎い自分のためにわざわざ用意されたもの、ということか……」
「そういうこと。ついでに言えば、修学旅行のしおりに挟まっている日程表を見ればユークリッド様の現在の居場所とか動向が分かるようになっているはず。だから君にとってはすごく有益な道具になると思うよ」
「……そうか」
概ね理解できたらしい偉丈夫は改めて了承の意志を表示する。
尤も、本来は戦闘と戦争のみを専門としているためか、観光地での監視という己らしくない任務にひどく困り果てている様子ではあったが。
だが、とりあえず協力を得られたことには変わりない。無理強いをしたのにも関わらず受け入れてくれた偉丈夫に対し、カインは心よりの感謝を示す。
「本当に協力に感謝するよ、ゼヘル。くれぐれも前回みたいな粗相だけは絶対にしないでくれよ」
さらにカインは「まあ、観光のつもりで挑んでくれればいいんだけどね」と、半ば冗談交じりの一言を付け足す。
無論この一言に、戦闘以外のことが頭に無い偉丈夫が――ゼヘル・エデルがますます困惑を強めたのは当然であったが。
作中でダインスレイヴが歌っている歌は、18世紀後半に作曲された『Freut euch des Lebens(人生を楽しみたまえ)』というドイツの歌曲です。
日本では「あの雲のように」という歌として知られているみたいです。




