透明な本音
「……それで、どうして私の元から逃亡したのだね?」
冷泉院家から暁美家へと戻ってからすぐさま、ローラは悠人に詰問した。
睨むようなローラの表情とは対照的に、悠人の表情はとても薄弱で。
「……お前は、俺が逃げた理由を知ったら幻滅するか?」
「何を言う。白状することよりも沈黙することの方が恥だろう」
「……」
全てを見透かしているかのような銀灰色の瞳に射貫かれ、悠人は洗いざらいに曝け出さなければならない焦燥感に駆られてしまう。
「実、は……俺にとっての大切な存在が、ローラなのかカナなのか、分からなくなって」
そして、語る。
大切な叶の英雄であることを約束したのにも関わらず、いつしか盟約を結んだローラのことが頭から離れなくなってしまったことを。たった二週間の激動の中で、自分は叶とローラのどちらを優先すべきか分からなくなってしまったことを。
「……本当は、どっちも大切にするべきなんだよな。ローラの想いもカナの想いも、優劣付けずに両方尊重しなきゃいけないんだよな」
「……」
「……なのに、今の俺はどちらかを選ぼうとしてる」
「……」
「……本当に、俺は最低な――」
「――別に、どちらか優劣付けてもいいのではないのかね?」
悠人の本音を黙って聴いていたはずのローラが、我慢の限界が来たのか唐突に口を挟んできた。
「カナエの方がまだ賢いではないか。何せユートが私に専心していることに対して嫉妬し、結果的に今日ユートのことを独占したいなどという我儘を口にしたのだから」
「……何で、そのことを知ってるんだよ。あの時、お前はいなかっただろ」
「カナエから『自分のせいでユートを傷付けた』などといった旨の話を聴かされたのだよ。貴君がレイゼイインの屋敷へと逃亡している間、貴君を捜索している最中でな」
曰く、叶は無愛想な幼馴染に相当の執心をもたらしたローラに嫉妬していたのだとか。
実際悠人も「悠くんの心の中には、もうあたしの存在なんて無いのかな」といった言葉を突き付けられたため、そのことは充分に痛感している。
だが、この件に関し叶は何も悪くない。
悪いのは、自らの想いを曖昧模糊にしていたせいで二人の少女を傷付けてしまった、自分の方。
「……カナが謝る必要なんて、無いじゃねーか。宿敵と共闘の誓いを立ててまでカナのことを護ろうとしていた癖して、いつの間にか宿敵に心惹かれて、どうするべきか分からないからどっちつかずのままでいた俺の方が、責められるべきだっていうのに……」
悠人は苦悶に顔を歪めた。
本来真祖と聖女は敵対し合わなければならない相手。なのに聖女のことを一日中意識してしまった愚かな自分と、本来護るべき存在である大切な幼馴染を傷付けてしまった情けない自分を交互に思い返してしまい、再び痛烈な吐き気に見舞われる。
そんな真祖を静かに見つめながら、ローラは再び呆れたように、
「どっち付かずでいるのが嫌ならば、どちらかを選べばいいだけの話だ。どちらも選べないから両方尊重しようなどというのは、どちらも選択できないから優柔不断のままでいようとするのと同等のことだぞ」
「だけど、それができないんだ。今の俺にとっては、ローラもカナも大事だから……」
「貴君が優先すべきは、間違い無く私ではなくカナエだと思うがね」
今度は彼女は、呆れを一転させ、思いの外優しげな声で語った。
「忘れるな。今は相互不殺にして共闘の盟約を交わしているが、本来真祖とクルースニクは互いに敵対し合う関係。仲を深め合うようなことはあってはならないのだよ」
「……分かってる」
「今日一日私のことを懸念していた時点で、その発言は信用ならなくなっているがね。仮にそのような状態が続けば、いずれ盟約が破棄された際に苦しくなるだけだ。故に、あまり私に執心することは勧められない」
そして、思い出したかのように付け足される言葉。
「あと、『今はローラちゃんに心惹かれているのだとしても、それでもあたしのことをちゃんと思っていてくれてありがとう』――その言葉を貴君に伝達するようにと、カナエは私に依頼をしていた」
「……は? 何で今、そんなこと――」
「つまり貴君は、幼馴染にそう言わせるほど、私に専心しようがカナエのことを護ろうと意識していたのではないのかね? だとすれば、本当に貴君が想いを寄せているのは、私ではなくカナエということになるが」
「……!」
幼馴染を優先するよう促すその言葉と表情。自分が今まで見てきた中で一番温情を感じさせるそれらを受け取った悠人は、自身の心がどくんと弾むような心地を得た。
(……やっと、気付いた)
同時、自分の想いの方向性が固まった瞬間も得る。
(……俺が、俺の心が、本当に望んでいるものは――)
冷静に考えれば、真祖がどのような存在なのかを知る者からすれば、この選択は気が触れているとしか思えないだろう。残虐嗜好が今よりも強かった四百年前の自分ならまず選ばなかったであろう道なのだから。
だが、それでも構わないと思った。他人の目や世界の道理を気にして自分らしくない選択をするよりかは、多少間違っていても自分らしい選択をする方が得策だと考えたから。
否、そもそもがかつて道理に背いて世界を好きなように蹂躙し征服した存在なのだから、今更間違った方法なんて気にする必要なんて無いだろうに……そう考えると、今まで胸に痞えていた黒く重い闇が全部消え去ったような心地を得た。
「……ありがとな、ローラ」
いつしか、ローラに対しまっすぐに礼を口にしている。
もう、自らの闇を見透かされている恐怖を彼女に感じることは無かった。
「俺……自分がどうするべきか分かったよ。だから……俺の想いを、明日カナに打ち明けようと思う」
すっきりとした笑みを口の端に浮かべた悠人を、ローラは変わらず若干の優しさが含まれた眼差しで見ていた。
「……ああ。貴君の想いがカナエに理解してもらえることを、私は祈っている」
彼女はきっと、今後の暁美悠人は宿敵たる自分ではなく幼馴染の少女を優先するのだと、そう思っていることだろう。
だが、悠人が選んだのは――
*****
翌日、いつもの起床時刻よりも早く起きた悠人は、そのまま素早く制服に着替え家を出た。
その目的は、自分の思慮の浅さが原因で仲違いをしてしまった幼馴染に、自分の本当の想いを吐露するためである。
斜向かいにある彼女の家まで赴き、インターホンを押す。
今日は水泳部の朝練がある日だということも相まってか、求めていた存在はすぐに顔を出してくれた。
「あれ、悠くん……? こんな朝早くにどうしたの……?」
「カナ、昨日の帰り道での話の続きをしに来た」
悠人が話を切り出すと、寝惚け眼を擦っていた叶の顔が一気に強張った。
悠人自身は知らないことだが、叶はまだ引きずっているのである。昨日の告白紛いのこと、そしてローラに対し醜い嫉妬をしたことを。
「あ……あのことはもういいんだよ。だって、あれはあたしのせいでぐちゃぐちゃになっちゃったことだし……」
「いや、責任は俺にある。俺がはっきりしていないせいでお前のこともローラのことも傷付けたんだしな」
全ての迷いを捨て去った悠人には、叶を傷付けたことに対する恐れはもう無い。心の中にあるのは「正々堂々と自身の本音を伝える」という強い意志だけであった。
「俺……思ったんだ。自分の気持ちをここではっきりさせよう、って。それで……その想いを、幼馴染のお前にどうしても聞いてもらいたかった」
時々言葉を詰まらせつつも、伝えるべき言葉を目指し語り続ける。伝えた後に取られる反応が怖くてたどたどしい反応になってしまっているが、それでも叶は静かに耳を傾けてくれていた。
「最近ローラのことにかまけていたせいでお前のことをおざなりにしたことは素直に謝る。だけど、それでもお前のことはちゃんと護りたいって思ってる。何があっても『カナを護りたい』っていう想いは、絶対に変わることは無いから」
「うん……そのことはあたしも今は分かってるよ。ローラちゃんからそう聞いたから。悠くんの本当の想いを知らずにあんな浅はかなことを言っちゃって、本当にごめんね……」
目を伏せ、叶が謝罪する。あの時醜い嫉妬をして悠人の気持ちを踏みにじってしまったことを、彼女は気に病んでいたのだ。
だが、本当に謝るべきは悠人の方。叶の気持ちを踏みにじってしまうのもまた、悠人の方。
「でも……」
何故なら、これから彼女に告げようとしていることは――
「カナ、ようやく俺は分かったよ。俺は――」
悠人の告白を、一字一句間違えること無く咀嚼した叶は、
「……そっか、だいたいそうなんじゃないかって思ってたよ」
何処となく哀愁を含んだ笑顔で、そう返答した。
「でもね、悠くんが自分の本当の想いをはっきりと言ってくれて、あたしはすごく嬉しかった。悠くんはいつも人の顔色ばかり気にして、自分の本音を隠す悪い癖があったから。本当の悠くんを知ることができて、本当によかった……」
言いつつ、顔を俯かせる叶。ただしその表情は悲しみよりも何故か嬉しみを含んでいるように見受けられる。
そんな悠人の予測が当たったのだろうか。再び顔を上げた叶の表情は、何かを払拭したかのように清涼としていて。
「だけど、仮に悠くんがそう思っているのだとしても、あたしは諦めた訳じゃないからね。いつか悠くんの気が変わって、あたしのことをただの幼馴染……ううん、護るべき対象以上の存在に想ってくれる日が来るように、あたしも頑張るから!」
そう言ってはにかむ叶は、いつもの明るい笑顔を取り戻している。あどけない顔を破顔でいっぱいにし、甘えるように悠人の両手を握っていた。
やはり彼女には天真爛漫な笑顔の方がよく似合うと、悠人は密かに思う。
そして同時に、新たに自分自身で誓いを立てたのだった。
――たとえローラに心惹かれようと、自分がどんな存在であろうと、叶が自分のことを想ってくれている限り、その笑顔は絶対に曇らせないようにしたいと。
悠人と叶が玄関前で会話をしている様子を、ローラは悠人の部屋の二階から眺めていた。
一体何を語っているのか……それを探るべく、聴覚を神術で研ぎ澄ませつつ。
登校の準備をしつつ、幼馴染関係にある男女の様子に気を掛けるローラ。
そんな中、耳に届いたのは悠人の真摯な一言。
『カナ、ようやく俺は分かったよ。俺は――ローラのことが、好きなんだと思う』
それは、取り留めの無い一言のはずだったのに。ただ悠人が叶に本音を告げただけに過ぎなかったのに。
――ドクン
「……!?」
胸が酷く痛んだ。
悠人が叶に告げた言葉を耳にした瞬間、ローラは胸を荊棘に深く抉られたかのような感覚を覚えた。
その理由は何なのか、暁美悠人に対しての想いが何なのかを未だに知らない今の彼女には、全く分からなかった。
第二章「贖いの業火」 ――fin――
登場人物紹介更新の後、第2章は完結となります。
書き溜めの都合上、第3章の開始は10月上旬となる予定です。第3章開始まで間が空いてしまいますが、今しばらくお待ちいただけると幸いです。




