罪を裁くのは私ではない
「……どういうつもりですか?」
突然自身の得物を放棄したクルースニクに、半吸血鬼だった吸血鬼は大いに困惑していた。
当然だろう。戦士が武器をわざと落とす行為というのは、それだけで戦意を失くしたことを伝えるのに充分すぎることだから。
「どういうつもりも何も……私にはユートを殺す気は無い。そう伝えたいのだがね」
ローラは薄く笑う。それは諦観から生じた笑みでは無く、嘲りから生じた嗤いであった。
「単刀直入に思ったのだよ。確かに私の使命は真祖を殺すことであり、貴様の目的は自らの死――すなわち貴様の持ち掛けた交渉はある意味では理に適っている。が、逆に貴様はそれで生じる第三者の被害というものを考慮したことがあるのかね?」
「……何が、言いたいん、ですか」
暮土が発した言葉は不自然に途切れ途切れになっている。理解していないふりをしておきつつも本当は薄々察しているのだということが見え透いている――そんな発言だ。
そんな彼に対し、ローラは反撃と言わんばかりに糾弾した。
「単純な話だよ。貴様が死ぬことで誰かが癒えぬ傷を負うという被害だ」
言いつつローラは、数十分前に伝言越しに大切なことを教えてくれた友人に感謝する。
彼女が悠人のことを大切に思っていることを示唆する発言をしてくれなければ、自分は敵の精神に決定打を与えることができなかった。
「ユート……吸血鬼の真祖であれ、現在は護るべき大切な存在がいる。彼のことを誰よりも案じてくれている尊き存在がいる。彼女のためを思えば、私は真祖を殺すことが今はできぬのだよ。無論、それは貴様であれど同じこと」
「……」
「貴様は妻や子を置いて先に逝くことを覚悟しているのかもしれん。が、逆に貴様に置いていかれる妻や子が何と思うかを考えたことはあるのかね? 彼らは貴様にとっての護りたい存在であり、また彼ら自身も貴様のことを大切に思ってくれているはずだろう?」
「……」
「そこにいる息子はまだいい。問題は貴様の妻だ。妻に見つからぬうちに事を済ませて死ぬつもりなのだろうが、それは彼女が知らぬうちに最愛の人物を失うことと同義である。夫の死を止められなかった後悔と絶望を、貴様は彼女に与える気かね?」
「……黙ってください」
立て続けに繰り出されるローラの詰問に対し、とうとう暮土が制止の声を発した。
「確かにボクがやろうとしていることは、ひかりを悲しませるかもしれないし絶望させるかもしれない。でもそれ以上に、ボク自身の問題にひかりたちを巻き込ませることの方が怖いんです。ボクが死んでも、大切な人のために死んだとなればきっと、彼女ならすぐに立ち直れるはずだから――」
「妻の本心も知らずによく言えたものだな」
ローラは一歩も退かない。
「貴様の妻はこう言っていた――『出生のせいでつらい人生を歩んできた夫を理解し支えられるのは、彼に付き従うことを決めた私だけだ』と。つまり彼女には、自分自身がどのような目に遭おうと一生貴様について行く覚悟があるということ。それを知らずによく世迷言が言えたものだ」
そして彼女は、愛する者がいたが故に道を間違えてしまった悲しき罪人に向け、憐憫のような言葉を掛けた。
「よって、貴様の要求は破棄させてもらう。同時に、このような無駄な策略はやめろと忠告しよう。貴様の策はかえって妻や子を悲しみに陥れるだけだ」
彼女の思いのほか優しげな宣告に対し、しばし口を閉ざしていた暮土は、
「――黙れ」
刹那、今まで以上に燃え上がる業火。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!」
思い通りの展開にならないばかりか自身の想いまでもが「過ち」だと否定された暮土は喚く。まるで欲求不満の赤子のように。
「――父さんっ……!!」
ここに来てようやく、今まで二枚貝のように口を閉ざしていた霧江が開口した。今まで父の想いと自身の想いとの間で天秤を揺らしていた彼は、ついに自身が間違った計画に加担していたことに気付いたようだった。
暴走を始めた父を止めるべく駆け出そうとする霧江。だが暮土が今放出しようとしている凄絶な炎は、何者よりも速度が勝っていた。
「っああああああああああああああああぁぁぁっっっ!!」
獣のような咆哮と共に一斉に射出された紅蓮は、一瞬のうちに密閉された空間を緋色に染め上げる。
咄嗟に動けば全員避難させることはできた。神術を発動すれば一瞬で炎を消し去ることもできた。
しかしやはりローラは一歩も退かず、どころか何をする気配も見せなかった。
(これで、私にできることは最後だ――)
静かに目を閉じる。その様子はまるで、全てを投げ出し命を捨てているかのように見えた。
だがローラは自ら死を受け入れた訳ではない。炎が迫る間際、咄嗟に目を開いて叫んだ。
「――後は貴君に任せる!! ユークリッド!!」
刹那、
「愚かなる我が同胞共よ、異能の発動を止めよ」
意識を失っているはずの悠人の声が浸透する。
同時に、空間を侵食していた炎が、嘘のように一斉に消え去った。
「何、故……!!」
攻撃が無効化されたことに狼狽する暮土の前には、いつの間にか五体満足を取り戻した悠人が立っていて。
「余の絶対命令権を用いて貴様らの異能を全て消去した――ただそれだけのことよ」
真祖としての古風な口調で、悠人は嘆息しつつ答えた。
「それにしても、貴様がそこまで大層な自殺願望を持っていたとは思わなんだ。よもやこの余を贄として吸血鬼ごと自ら滅びようとするとは……浅ましすぎて反吐が出そうだ」
ゼヘル・エデルに害された時とは異なり、彼の表情に怒りの感情は見られない。「暁美悠人としての自身が暮土のことを理事長として信用していたから」という情けもあるだろうが、それ以上に「あまりにも真祖を狙う理由が陳腐だから」という呆れの方が強く窺える。
そしてそれを裏付けるかのように、襲撃者に対し三本の指を立てる悠人の顔は非常に冷めていた。
「冷泉院暮土、貴様は三つほど誤った。第一に、貴様は余が吸血鬼を言葉だけで強制的に服従させることが可能だと忘れていた。次に、貴様はクルースニクに気を取られるあまり余が再生したことに気付かなかった。そして最後に――」
「――聖女と真祖が互いに信頼し合っているということを貴様が知らなかったということだ」
最後はローラの口から言わせてもらった。
彼に言わせっ放しにさせるということが釈然としなかったというのももちろんある。だがこの言葉は、暁美悠人は倒す者だという固定観念に囚われていた自身が言わねばならない気がしたのだ。
快く発言の権利を譲ってくれた悠人に内心で感謝しつつ、ローラは言葉を解き放つ。
「私がユートに敵意以外の感情を抱いていたことを貴様が見抜いていたということは認めよう。そうでなくば、私が貴様らに押されるほどに弱体化しているなど分からんだろうからな」
「……そして、今現在も真祖に対し敵意以外の感情を抱いているから、貴女はボクの命令に逆らい銃を捨てた訳ですか」
「それもある。が、それ以上に私がユートを仕留めなかったのは、貴様の愚行を止められるのがユートとあと一人しかしなかったからだよ。故に私はユートがこの場を治めてくれることを信じ、迎撃体勢を放棄したという訳だ」
「……でもそれは、貴女が真祖に対し慈愛に等しい感情を抱いたということを認めたということになりませんか?」
「私は彼に恋愛感情を抱いている訳ではない。ただ、一人の信頼できる仲間として、『私一人でもどうにかできる』と頑なだった我が心を開いただけだ」
そしてローラは、歯噛みする暮土に対し、突き付けるように言った。
「真祖と相互不殺の盟約を交わした以上、私一人では弱い。だが真祖と二人ならば、その弱さも強さに昇華できる気がするのだよ。それに気付かなかったのは愚かだったな――貴様も、私自身も」
さらに今度は悠人までもが、先の発言者と代わるような形で言葉を発する。
「大人しく降参するがいい。吸血鬼を統率する権限を有した余が再び戦線に舞い戻り、なおかつ吸血鬼狩りのクルースニクも倒れ伏しておらぬ中、脆弱な貴様に勝機は無い。そしておそらく、協力者であった貴様の倅も――」
「……っ、全てはボクの計画の甘さが招いた失敗ということですね……。いいでしょう、後は貴方たちで好きに裁いてください。貴方たちにも、家族にも多大な迷惑を掛けたこの罪深きボクを、貴方たちの手で処断してください」
「何を言っておるのだ」
悠人は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐさま口の端を釣り上げた不敵な笑みを形成し、
「真に貴様のことを断罪するのは、この余でもそこのクルースニクでも無い」
刹那、炎の消えた酒蔵に誰かが立ち入る音が入り込んできた。
「暮土さん!!」
立ち入ってきた人物を見た瞬間、暮土は深紅の瞳を驚愕に剥いた。
「……ひかり」
その時の彼の顔が、今まで以上に恐怖に歪んでいたのは言うまでもない。




