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運命の転機

 朝からいろいろとストレスを抱えることとなった悠人であったが、それに反し一日は何事も無かったかのように流れていく。

 一限目、二限目……と過ぎていくうちに、いつしか帰りのホームルームが行われる時刻に。


「ではホームルームを始める。連絡事項が多いため、聞き逃しのないように……」


 担任の話を適当に咀嚼する。大抵は課題の提出期限の話だったり校則の順守に関する話だったりと、真面目に学生生活を行っていれば問題無い内容だ。

 しかし最後に告げられた連絡事項だけは、適当にあしらうことができないものであった。


『不審者出現に関するお知らせ』


 そう書かれた藁半紙(わらばんし)のプリントに目を通しながら、悠人は耳を傾ける。


 簡単に言うならば、その連絡はやはり昨夜出現したという殺人犯に関するものであった。

 現時点で分かっていることは「犯行時刻は深夜」ということくらいで、犯人の容姿などは今のところ情報が皆無。だが被害者の遺体の状態から判断するに、犯行手口は大型で斬れ味の鋭い刃物――剣とか刀の類で身体を袈裟斬りにするといったものだったらしい。

 故に学校側としては、刃物を持った不審な人物に警戒することと深夜の外出を避けること、下校は集団で行うことを促しているそうだが。


(剣、か……)


 悠人の脳内に、昨夜見た悪夢の内容が思い起こされる。

 そういえば殺す側の青年は大剣を手に何度も何度も被害者の女性を斬り付けていた。今回の事件のように一閃に斬りかかった訳では無いが、それでも手口は酷似していたように思える。


 だが何度も思っていることだが、今回の事件と夢に見た惨劇を関連付けてしまうのは、きっと自分の考えすぎに違いない。

 そう思いたい……が、


(もしかしたらこの事件、俺のせいで起こっているんじゃないか……?)


 なんて最悪の想像を無意識に巡らせてしまい、




「悠人、大丈夫かい? 顔色悪いよ?」




 そして、突如横から声を掛けられ、暗黒の空想は打ち破られた。


「あ、解……?」


 心配そうな顔をした親友・城崎解しろさきかいが、悠人のことを窺っている。それを認識した瞬間、悠人は悪夢から覚めたような安心感を覚えた。

 

 異様な美貌を誇る悠人と引けを取らないほど容姿端麗であり、成績は学年トップクラスで運動神経も抜群、加えて自らの長所全てを嫌味にしない品位方正さを持つ、まさに人間の理想図を現実に体現したかのような完璧超人。それがこの城崎解という男である。

 容姿以外は中途半端なスペックでしかない悠人には明らかに釣り合わない無欠の人間だが、それでも彼は高校に入学した頃から仲良く付き合っている唯一無二の大切な友人だ。


 尤も、そんな彼にもちゃんと欠点らしきものはあるのだが。


「また俺に構ってもらいに来たのか?」

「暇さえあれば悠人に構うのが親友である僕の務めだからかな。それに今日は、放課後になっても席を離れず、どころか病人みたいに蒼褪めた顔になっている君のことを放っておくことができなかったんだよ」

「相変わらず世話焼きだよな……お前」


 解は悠人に過剰なほど好意的に接触してくる。

 否、ただ好意的ならばまだいい方で、大抵彼はまるで母親ないし召使ないし恋人のように、病的なまでに世話を焼きたがるのである。

 悠人自身、別に親切にされること自体には悪い気はしていないが、あまりに過度にスキンシップを取られると本気でやましい関係を疑われるためほどほどにしてもらいたいところではあった。


「それはさておき、そんなに顔を蒼くしてどうしたんだい? もしかして、この街で起こった殺人事件のことが気がかりだとか?」

「まあ……そうだな」


 悠人は不安げにこちらを窺ってくる親友に対し、事の経緯いきさつを語る。


「昨日起こった事件の内容が、俺が見た悪夢の内容に似ているように思えて……いや、俺の考えすぎかもしれないけど」

「悪夢?」

「ああ。『真祖』って呼ばれているらしい男が人間を何度も何度も斬り付けて嗤っている夢だよ。それだけでも質が悪いっていうのに、その『真祖』って奴は殺した人間の血液なんか啜ってやがるし。()()()かっていう話だよな」

「へえ……それは……」


 傾聴する解は、何故かすうと目を細めた。さらに、悠人にも僅かにしか聞き取れない声で、小さく何かを呟いていた。


「……ついに()が来た、ってことかな……」

「解……?」


 様子のおかしい親友に、悠人は大いに困惑する。おそらく彼は何かを警戒しているか、あるいは何かを望んでいるようだが、それが何であるかはよく分からない。

 だが、悠人が尋ねた途端、解ははっと我に返った。


「……あっ、ごめん。ちょっと個人的なことで考え事をしていただけ。悠人は気にしなくてもいいよ」

「そ、そうなのか……?」

「うん、あまり大したことじゃないし……あ、そうだ悠人。さっき浅浦さんから伝言を頼まれていたんだった」

「カナから?」


 解の口から幼馴染の名前が突如出てきたことに、悠人は目を見開く。


「確かこんな内容だったな……『今日悠くんと一緒に帰りたいから、部活が終わるまでちょっと待っていてほしい』って」

「……本当に心配性だな、アイツ」


 今朝叶は「この街で起こった殺人事件が怖い」という理由で自宅を訪れたが、彼女はまだそのことを引きずっているらしい。

 しかし推定犯行時間は深夜だったのだ。この季節は日が暮れるのは早いとはいえ、まだ子供でも起きている時間に犯人が訪れるのかどうかは甚だ疑問ではある。


「まあ、カナは『今日はミーティングだけ』って言っていたし、それにこのプリントには部活の終了時刻を早く切り上げるって書いてあるし。長く待たされることは無いか……」


 叶曰く、やはり夕方の練習は近辺で発生した凶悪事件の影響を受け、簡単なミーティングだけで活動を終えることになったらしい。


「とにかく、カナが部活を終えるまで校内の何処かで暇でも潰すとするよ」

「それが一番いいと思うよ。何なら、僕も一緒に付き合おうか?」

「いや、いい。お前に余計な手間を掛けさせたくないし」

「僕は手間だなんて思っていないんだけれどなあ……。でも、悠人がそう望むのなら仕方無いかな」


 解は秀麗な美貌で微苦笑した後、悠人の眼前から離れる。


「でも、本当に気を付けてね。この前の殺人事件の犯行時間は深夜だったとはいえ、犯人はいつ襲い掛かってくるか分からないんだから」

「ああ、分かった。じゃあな、解……」


 そう言いつつ親友に別れの挨拶を送ろうとしたのだが、




「……っ、が、は……っ……!?」




 刹那、悠人は何の前触れも無しに多大な痛苦に見舞われた。


 五臓六腑から込み上げる吐き気と、喉に纏わり付く不可解で不快な飢餓。さらに割れんばかりの頭痛と激しい動悸に身を蝕まれ、彼は椅子から床へと崩れ落ちる。


「うぐ、あ……っ……!」

「悠人!?」


 慌てて解が駆け寄ってくる。さらに教室に残っていた数名のクラスメイトたちも、異常を察知し悠人の周囲に集まって来た。


「城崎くん! 暁美くん、どうかしたの!?」

「暁美くん大丈夫!?」

「おい、誰か先生呼んでこい!」


 しかし彼らの不安げで怪訝そうな表情は、焦点のぼやけた視界では上手く捉えることができない。


(一体、何が、どうなって……)


 今まで感じたことも無かった熱と苦痛と渇きの中、悠人の意識は現実から引き離される――。






「目、覚めたのかい?」


 やる気の無さそうな声に導かれ再び目を開ければ、そこは学園内の保健室だった。

 ベッドに寝かされていたらしい悠人は、周囲を取り囲むカーテンを開け、保健室の主に問う。


「俺は、一体……?」

「教室で急に倒れたって、アンタをここまで連れてきた男子生徒が言っていたねェ。……全く、終業間際に面倒な仕事を持ってこられたものだ」


 それに対し、いかにも面倒臭そうに答える保健室の主。


 怠慢際立つこの女性養護教諭の名前は薬研(やげん)エルネ。すらりとした長身とやや無造作な黒髪が特徴的な美女である。それ故に生徒の中には真剣に交際を申し込む輩もいるらしい。

 だが彼女には職務怠慢という深刻な欠点が存在する。「本当はやりたくなかったけど都合上仕方無く」という理由からこの高校の養護教諭になったと言われるほど、己の職に対する責任感は皆無。

 それでも怪我人や病人に対する処置は完璧なのだから、職務怠慢に対し文句を言うことは自然と憚られる。


「とにかくアンタの症状は普通に貧血だろうねェ。朝食か昼食を抜いたりなんかしたのかい?」

「まさか。普通に食べましたって」

「そうかい。まあ、貧血の理由が何であれアタシには関係無いことだ。とりあえず貧血の原因になりそうな行為は慎むことだねェ」

「はあ……」


 相変わらずの怠惰な助言に、悠人は思わず苦笑い。


(そんな曖昧にアドバイスされても……貧血の原因が何なのか俺でも思い当たらないって……)


 のんべんだらりとした養護教諭に思わず内心でツッコミを入れた、その時、


「悠くん! 『教室で倒れた』って聞いたけど、大丈夫!?」


 驚愕の形相を浮かべた叶が突然保健室に姿を現し、悠人の方へと慌てて駆けてきた。


「うるさいねェ。保健室では静かにするものだって、小学生の時に教えてもらわなかったのかい?」


 エルネがだるそうに抗議するが、それを無視し悠人の至近距離で呼びかける。


「ちょうどミーティングが終わった時にあたしのところに城崎くんがやって来て、そうしたら悠くんが苦しそうに呻き声を上げながら倒れたって言い出して……本当に大丈夫なの!? まさかだけど不治の病とかじゃ……!!」

「保健室で簡単に応急処置をしただけで不治の病かどうか分かる訳無いだろ。ただの貧血だってさ」

「そっか、大したこと無くてよかったぁ……いや、健康優良児の悠くんが貧血って結構大したことだけど」


 悠人の命に別状が無いことが分かり安堵したのか、叶は床にへたり込んだ。あどけない童顔には笑みが浮かんでいる。

 だがそれも束の間、ふと脳裏に引っ掛かることが生じたらしい彼女はすくと立ち上がり、急に尋ねてきた。


「あ、でも悠くん。体調悪いのに家まで帰れるの? もし無理ならおばさんのこと呼ぼうか?」

「その心配はねえよ。母さんに迷惑かけたくないし。それに体調の方も小康状態になったから、カナを送ってから家に帰ることくらいどうってことないって」

「……本当に? でも、悠くん本人がそう言っているなら大丈夫なのかもね……」


 叶は釈然としない様子であるが、それでも悠人の発言を受け止めている。そのことに発言した本人は非常に安堵した。

 実は、先ほど言った「小康状態」という言葉は嘘なのである。吐き気も飢餓も頭痛も動悸も、本当はまだ身体にしつこく残っているのだ。

 立つことも儘なるかどうか……というくらいには不調であったが、それでも叶に要らぬ不安を掛けたくないという想いから、思わず嘘を吐いてしまった。


 精神的に幼いといえ幼馴染の無茶な行動には敏感な彼女にはすぐ看破されると思っていたが、幸いなことにその心配は無用だったらしい。言い換えれば、それだけ叶が幼稚ということになってしまうのだが。


「……うん。あたし、悠くんの言葉を信じることにするよ。これ以上ここで言い争っていたら、帰る時間が遅くなって家族に心配をかけることになっちゃうだろうし」

「まあ、そうだな。それに帰宅時間が遅い分、殺人犯に狙われるリスクも上がるだろうから」


 叶の言い分に同意しつつ、悠人は保健室のベッドから降りる。

 それから傍らに置かれていたローファーを履き、意識を失って以降ずっと面倒を見てくれていたのであろうエルネに一礼した。


「先生、応急処置ありがとうございました」

「礼を言われるほどのことはしていないんだがねェ。アタシはただ養護教諭として当然の行いをしたまでさ。……ひどく面倒ではあったがねェ」

「はは……相変わらずですね……」


 怠慢な彼女らしい返答に、思わず苦笑せざるを得ない。

 だがそれも束の間、エルネの気怠げな表情は鳴りを潜め、その代わりとして常の彼女に似つかわしくない、青天霹靂せいてんへきれきを目前にした際のような表情を見せる。


「だが暁美、この先は充分覚悟をしておくべきだ。アンタの運命の転機はすぐそこまで迫っているんだからねェ」


 意味深長すぎる言葉を真に受け、悠人は思わず戸惑う。


「あの、俺の運命の転機って……」


 すかさず問いただそうとするのだが、その時にはすでにエルネはいつもの調子に戻っていて。


「ま、アタシには関係の無いことさ。強く生きな」


 突き放すような物言いに加え、片手で追い払うような仕草を見せる。どうやら「さっさと帰れ」と言いたいらしい。

 妙に強制力を孕んでいるその言葉に逆らうことができず、悠人も叶も半ば追い出される形で保健室を脱する。


「……よく分からねえな、あの人は……」

「……うん、そうだね……」


 保健室を出た彼らは、互いに顔を引き()らせながら語り合う。


 だが何も知らない叶とは違い、悠人は先ほどの常ではないエルネの態度に妙な引っ掛かりを感じていた。


(運命の転機、か……何か嫌な予感がするんだが……)






 ――しかしそれ以上に、悠人も叶も気付いていないことが存在する。



「……さて、ようやくお目覚めという訳か……アタシらにとっての最頂点の存在が……」


 鋭く目を細めたエルネが、保健室を出て行く悠人の背を値踏みするように見つめていたことは、本人以外は誰も知らない。



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