幕間 四使徒
夜戸市は北部と南部で発展度合いに差がある。
市唯一の駅が位置している北部は遊園地「夜戸メルヘンエンパイア」を中心に商業施設や住宅街が集中しているが、反対に南部は中途半端に農地の広がる完全な田舎だった。
一応大規模な工業団地が多く密集してはいるものの、それでも住民の数は北部と比較すると圧倒的に少ない。
そんな夜戸市の南部に、モーテル「リプルパレス」はあった。
が、このモーテルはすでに潰れ廃墟となっている。インフラ産業が絶頂を迎えたバブル期に建設されたこの建物は、バブルが弾けるに伴って設備を維持することが困難になり、そしてひっそりと宿泊施設としての役目を終えた。
にも関わらず、この建物はまだ夜戸市に居座っている。再利用されることも無く、かといって解体されることも無く、人々に存在を忘れ去られたモーテルは未だひっそりと片田舎に佇んでいるのだ。
しかしこの日、潰れたはずのモーテルに何故か客人が訪れた。
しかも自動車ではなく、ヘリコプターでの来訪で。
モーテル内の狭い路上に器用に着陸するヘリコプター。その中から降りてきたのは二人の少女。
一人は十代後半ほどの娘。側頭部で結われたピンクブロンドの巻き髪に薔薇の髪飾りを差している。唇に薄くルージュを引きロココ調の赤いドレスを纏うその様相は、フランス人形のように美しく整っていた。
もう一人は十歳を超えたばかりと思わしき幼女。道化師のようにチグハグで派手な衣装に身を包んでいる。星型の装飾やらリボンやらがやたらと盛られたシルクハットを目深に被っているが、その下から覗く顔はとても均整が取れていた。
そんな二人の少女の共通点。それはどちらも現代日本では明らかに浮く恰好をしていること、そして妖しく輝く深紅の瞳を有していること。
「……何なんですの? このいかにも寂れたような建物は」
赤いドレスの少女が、艶めかしい唇を心底嫌そうに歪めた。
「突然この辺境の島国に招集したことは大目に見て差し上げますわ。でもアタクシたちの活動拠点をこんなボロ屋敷にしてほしいなどと頼んだ覚えは無くてよ?」
「まあまあ、そこは許してあげようよ。どうせフォルたちが目的を遂行したら用済みになる場所なんだしさ」
シルクハットの少女が宥める。しかしその口振りは何処か嘲笑っているようでもある。
「それに、しばらく滞在してれば案外気に入るかもだよ? 『住めば都』っていう、この国の諺みたいにさ」
「……その発言は信用できませんわ」
「とにかく、早く行くよ。こわーい四使徒筆頭サマを怒らせたらいろいろ面倒だからね」
陽気に笑いながら、シルクハットの少女が一足先に駆ける。
スキップを踏んでいるその足取りはとても軽い。まるでこの今を――そしてこれから下されるであろう任務を、非常に楽しみにしているかのようだ。
一方それとは対照的に、赤いドレスの少女の足取りは非常に重い。
「ただでさえ彼の顔など見たくもないというのに、それに加えてこのような古びた活動拠点で我慢しろというのはあんまりですわ……」
「我慢しない子はユークリッド様に嫌われるよ」
「……ちっ」
シルクハットの少女に窘められ、赤いドレスの少女が舌打ちする。
あからさまに苦虫を噛み潰したような顔を浮かべているが、その舌打ちは苛立ちからではなく妥協から発せられたものなのかもしれない。
「全く……『ユークリッド様のご寵愛を受けられない』という内容は冗談でもするなと何回言えば分かるんですの? アタクシにとってそのような発言は地雷だというのに」
「はいはいごめんごめん。君はユークリッド様大好きだもんねー」
「……あなたの発言からは本当に誠意というものが感じられませんわね」
「君みたいなキチガイ娘に誠意なんか払いたくないし」
「何ですって?」
言い争いつつも、二人はあらかじめ指定されていた一室へと向かう。
ふと、彼女たちが割れた窓ガラスの前を素通りした。
ガラスの鏡面に、彼女たちの姿は影さえも全く映っていなかった。
*****
「やあ。ルーマニアから……あ、君たちの観念からするとワラキアって言った方がいいか。とにかく、遥々と遠い所から来てくれて感謝するよ、ラリッサにフォルトゥナ」
モーテルの部屋の一つに立ち入った少女たちを出迎えたのは、一人の少年。
その姿をそれぞれ視界に捉えた時、赤いドレスの少女・ラリッサは露骨な嫌悪を露わにし、シルクハットの少女・フォルトゥナは驚いたように目を見開いた。
「あれ? 君ってそんな顔だったっけ?」
二人を出迎えた少年の顔は、最後に目にした時よりも幾分か彫りが浅い。東洋人の顔付きと言っても差し支えないだろう。
「すまない。今はこちらの仕事の都合上、日本の学生に姿を窶していてね」
「ふーん」
少年の様変わりに、フォルトゥナはこれ以上言及しない。彼女自身にとってさりとて興味も無い事柄だったし、それにこの変貌も訳ありのものだと分かっていたから。
分かり切っていた既成事実などこれ以上聞く必要も無いと、フォルトゥナは話題を即座に切り替える。
「ところで、ゼヘルもいるの?」
「あそこにいるよ。でも今は放心……に近い状態だから、そっとしておいた方がいいかも」
「あの戦闘のことしか考えてないゼヘルが?」
「ちょっといろいろあったんだよ」
部屋の隅に据えられたベッドを睥睨しつつ、少年は苦笑。
ベッドの上には、感情の欠けた顔を俯かせたゼヘルが座り込んでいる。普段から寡黙な彼だが、今宵は特に沈黙が著しい。
「あっ、もしかしてユークリッド様関係で何かあったんだ?」
「それは今から言おうとしたことなんだけどな……。でもゼヘルがあんな状態なのは、確かに先ほどユークリッド様にされた折檻で心が折れたからだろうけどね」
会合に必要な人員が全て揃ったところで、主催の少年が改めて話を切り出す。
「さて、今宵君たちに集まってもらったのは他でもなく、ユークリッド様を取り巻いている現状について伝えるためだ」
ユークリッド。その名前が口にされた瞬間、残り三人の表情がそれぞれ真剣なものになる。
今まで嫌悪の感情しか浮かべていなかったラリッサにおいては、特に表情の変化が顕著だった。
「……現状どうなっているのか、簡潔に説明してくださる?」
「ああ。はっきり言わせてもらうけど――」
言われた通り、少年は簡潔に説明した。
「――最悪だよ」
少年は語る。
彼らの望み通り、ユークリッドは過去の記憶と真祖としての力を取り戻した。しかし転生した後に培った人間としての一面は再覚醒しても消失することは無く、人間社会を捨て去ることができずにいた彼は、吸血鬼社会に戻ることを拒んだ。
だが、語り部の少年にとってそれ以上に最悪だったのは……
「ユークリッド様と今代のクルースニクが互いに共闘の盟約を結んだ。『真祖の人間としての一面が生きている限り、クルースニクは真祖を断じて殺さない』『だがもし真祖が本当に世界を敵に回した時は、クルースニクが容赦無く真祖を殺す』っていう条件付きの盟約をね」
「それは真実ですの?」
黙って傾聴していたラリッサの顔付きが変わった。
先ほどまで浮かべていた嫌悪の表情とは明らかに毛色が違う。柳眉と深紅の瞳を吊り上げたそれは、明確な憤怒の表情。
「ユークリッド様がそこらの蛆虫のごとき女と……しかもその女がクルースニクだなんて……! 許せない、絶対に許せませんわ……!!」
「うわっ、出た。ラリッサの狂愛っぷり」
隣でフォルトゥナがぼやいたが、怒り狂ったラリッサの耳には全く届いていない。
彼女はもの凄い剣幕で、少年のことをまくし立てる。
「貴方!! ユークリッド様とクルースニクの女のとで交わされた盟約を知っておきながらどうして不干渉を貫いたのです!? 四使徒ならば意地でも食い止めるのが道理ではなくて!?」
「ユークリッド様自身が盟約を承認されたのだから、僕たちには止めようがないじゃないか。ユークリッド様が望まれたことはなるべく叶えてあげるのが僕たちの役目だろう?」
「その見返りにアタクシたちが不利益を被ることになっても構わないと言うんですの!?」
「僕たちの不利益? そんなこと、一言も言ってないけど?」
少年が放った一言で、ラリッサははたと気付く。
真祖とクルースニクの共闘は吸血鬼にとっては耳が痛い話であるのにも関わらず、その問題に対し彼は非常に余裕綽々と構えている。
「僕には一つ、確信がある。だから僕はこの問題をあまり大事には考えてないんだ」
それまでは薄く含み笑っているだけだった少年の顔が唐突に喜悦満面となる。
否、喜悦満面という言葉では言い足りない。頬を紅潮させ瞳に絶頂を宿したその表情は、むしろ狂喜乱舞というものに近い。
そして浮かべている表情に違わず、同胞に向かって発した言葉もまた狂喜と狂気に満ちていて。
「何故なら近い将来、絶対にユークリッド様は御自ら人間を見限られるから」
その予測に「だろう」は付いていない。自身が思い描く未来図を、この少年は確実に起こり得るものとして信じ切っている。
「僕はユークリッド様の絶対の肯定者として、その時を待つつもりでいる。四百年という空位の時期を乗り越えてきた僕にとって、それくらい待つのは余裕のことさ」
では我々はただ待っていろというのか。
そんな疑問を抱く暇さえも、狂喜の少年は許さない。
「もちろんただ待っていても望む結果は手に入らない。ユークリッド様のご意思を尊重しつつ、ユークリッド様が吸血鬼の王として再び君臨する決意をなさる瞬間をなるべく迅速に創り出す。僕らはユークリッド様を最善の形で玉座にお迎えするための舞台装置なのだからね」
他の吸血鬼の遥か上を行く狡猾さと聡明さと気概と自信、そしてユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルムという至高の君主のために全て捧ぐ絶対的な忠誠心。それらがこの少年――四使徒筆頭の称号を背負う男を構成するものだ。
彼は真祖のためならば何だってする。残忍な殺人、無慈悲な拷問、非道な潜入、卑劣な洗脳、悪辣な略奪、その他エトセトラ。彼はそれらを一点の瑕疵無くやり遂げようとするし、実際やり遂げてきた。
「全てはユークリッド様のために」――それが、この少年を突き動かしている全てなのだから。
「今の僕らがすべきことは、最高のハッピーエンドを演出するために水面下から舞台を整えることだけだよ。見えないところからじっくりと攻めて、クルースニクと真祖様の関係を引き裂くんだ」
四使徒筆頭らしく、鶴声に等しい彼の宣言は他の三人の耳にしっかり打ち付けられた。
ゼヘルは憔悴を、フォルトゥナは興味を、ラリッサは唾棄をそれぞれ顔に浮かべているものの、本質的には皆真剣な様子で少年の発言を傾聴している。各々の抱える思考は異なれど、真祖を奪還するために自分たちが必要なことは、この中の誰もが理解していた。
最悪の状況が発生した中で四使徒が為すべきことをそれぞれが自覚したのを確認し、少年は満足げに笑う。
それから彼は、たった今思い出したかのようにこう付け足したのだった。
「そうそう、言い忘れてたけど、なるべくこの国では僕のことを真名で呼ばないでくれると助かるかな。真名を知られるとちょっとした支障が出るんだ」
「えっ、何で?」
フォルトゥナがきょとんとした表情で訊くと、彼は深紅色ではない瞳に狂気と陰謀を宿したまま、緩く含み笑った。
「――今はまだ、ユークリッド様の親友を演じていたいからね」




