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悪夢のち日常

 切り取られたその光景を例えるならば、屠殺場という一言に尽きた。


「きゃああああっ!! 痛っ、やめ、やめてえ!!」

「クハハ!! 真に無様な命乞いよのう!! そうだ、そのまま余を楽しませるがいい!! 余は大層退屈していたのでな!!」


 両手両足を縄で拘束された年若き娘を、異様な美貌を持つ青年が大剣で執拗に斬り付ける――そんな凄惨な場面が、この中世の城の広間のような豪奢な空間で展開されていた。


「いやっ、やめて、痛い、殺さないで!! ごめんなさい、貴方を信じた私がっ、悪いから!! だから、殺すのだけは、いやあああああああっ!!」

「ハハッ、今さら『殺すな』と喚くか!! だがその懇願は無駄な足掻きに過ぎぬ!! 何故なら余は生殺与奪を司る者、故に貴様の生死はすでにこの余が掌握したのだからな!!」

「え、嘘……そんなの、嘘よ!! いや、死にたくない、だから、殺、殺さないで、やめっ、あああああっ!?」

「止める訳が無かろう!! 心臓や頸動脈を未だ切断しておらぬことをせいぜい有り難く思うことだな、下等生物!!」


 上がる悲鳴を伴奏に、返り血を浴びながら女性の豊満な肢体を連続で斬り刻み嗤う青年の精神を「異常」以外の単語で言い表すことができようか。


「お、お願いです、赦してください……! 何でも、貴方の望むことなら何でもしますから、早くお父様たちのところに帰し……いやあああああっ!!」

「何でもすると申したな? ならばその細い腕の一本でも余に差し出せ、下等生物の牝よ!!」


 「差し出せ」という前に女性の腕を容赦なく切断したところに、他者の生命の損失を何とも思わないこの青年の嗜虐性が在った。


「これだから泣き叫ぶことしかできぬ下等生物というのは……これではこの者の生命を弄んでやる気にもなれぬ。せめて味くらいは当たりであってほしいのだが」


 侮蔑の言葉を吐きつつ、青年は転げ落ちた女性の腕を拾い上げ、紅い血が滴る傷口をぺろりと一舐めした。


「あ……いや……!」

「……ほう、なかなか美味ではないか」


 女性が漏らした悲鳴には聞く耳持たず、満面の笑みを浮かべる青年。そのまま二舐め、三舐めと傷口に滲む血を舌に乗せ、口腔に含み、嚥下していく。

 血液に含まれている催吐性はまるで効いていない。飴を舐めるような所作で斬り取った腕の傷口から血を味わう彼は、まるで酒に酔い痴れたかのように恍惚の表情を浮かべていた。


「生娘の血にしては少々生臭い気もするが、ここ最近は異国の薄汚い兵士の不味い血しか飲めなかったからか、久方ぶりの欧州貴族の令嬢の血は格別の美味さに感じられるのう……!」


 秀麗な顔を淫靡な恍惚で歪ませ嗤う青年は、ふと首を背後に回し、惨劇の冒頭から傍らに控えていた側仕えの男に冗談半分で尋ねる。


「さて、貴様も余の児戯の見物ばかりでは退屈であろう。少しばかり味わうか?」


 主君同様目の前の惨劇に怖気付く様子を見せない側仕えの男は、からかうような問いに対し困ったように笑った。


「お戯れを。彼女が流した血は皆、我らが真祖様へと捧げる供物にございます。僕のような一介の吸血鬼が口に含むことは断じて許されないでしょう」

「クク、余の眷属でありながら随分と謙虚なことよの。それが貴様を好ましく思う所以でもあるが」

「何という恐れ多いお言葉……大変光栄に存じます」


 君主が鷹揚な態度で信頼の意を口にし、それを受けた配下が感極まり跪く……此処が血塗られた屠殺場で無ければ、何とも微笑ましい主従関係に見えたであろう。

 しかし当人たちにしか分からない和やかな会合は、突如押し寄せた緊迫の空気によって打ち消される。


「失礼致します、真祖様」


 青年たちがいる位置の後方にある大扉が開き、広間に一人の武装した偉丈夫が立ち入る。

 青年は余裕げな態度のままだが、何らかの異常事態が発生したことは理解しているらしい。


「何用だ、ゼヘル・エデル。申し出てみるがいい」


 いかにもフランクな語り口だが、冷たく黒々とした気が低い声に僅かながら乗せられている。まるでこの後語られる展開を楽しみにしているかのように、その展開を滅茶苦茶に踏みにじることを企んでいるかのように。

 ずっと青年の傍らにいた側仕えの男は主が放つ昏い気配に戦慄と陶酔の表情を浮かべている。それとは対照的に、たった今立ち入ってきた偉丈夫は何事もないように主の前に赴き、そのまま跪いて陳述する。


「は。先ほど西部の辺境兵より伝達がありましたが、ドナウ川西部より人間の一軍が我らが領土に侵攻している模様。すでにグラーツが陥落しハンガリー地帯へと攻め入っているとのことです。この速度で主要拠点が立て続けに攻め落とされるようであれば、我らが本丸が攻略されるのも時間の問題でしょう」

「そうか……クク、ククク……」


 芳しくない状況を告げられたのにも関わらず、青年は笑っている。

 だが、今まで手慰むように殺戮に興じていた彼は玩具を捨てる子供のように女性の胸に剣を突き入れ、そのまま配下の陳述を聴く体勢に入っていた。

 女性は断末魔を上げ絶命したが、人情など欠片も持ち合わせていないこの青年が気に病む様子を見せることは一切無い。


「ちなみにその一軍とやらは現在何処にいる?」

「神聖ローマとハンガリーの国境沿いを東部に進んでいると推測されます。……が、我々に侵攻経路を簡単に看破されるほど奴らは愚かではないでしょう。何せ奴らは我々を討ち滅ぼすための、神の洗礼を受けた騎士団なのですから」

「そうか……ならば何よりだ」


 陰鬱に含み嗤いながら、彼は大剣にこびり付いた血糊を振り払い扉の方へ。


「真祖様……よもや彼の騎士団とやらを殲滅なさるおつもりですか?」


 側仕えの男が伺うと、彼の王は陰湿な嗤い声をより大きく喉から鳴らしつつ返答する。


「殲滅というのは大言であるな。ただ余はワラキアを統べる王として、領地を侵犯せんとする不埒者に軽く挨拶を交わしに行くだけだ。そうだな、奴らにはこう言ってやろう……」


 そして配下に向けゆっくりと首を回し、凄絶な悪意に歪んだ破顔を見せた。



「『初対面の者の土壌を平気で荒らす貴様らの度胸には大変感心した。その報いとして死ね』とな……クク、ッ……クハハハハハハハハハハハハ……!!」



 黒天の遥か先、欧州一帯を殃禍おうかに震わせるほどの呵々大笑を上げる青年の姿は、まるで――

 




*****







 ――ジリリリリリリリリリリリリリッ!!



 やけに鮮明な夢が徐々に暗転していくと共に鳴り響く目覚ましアラームの音。それによって少年は目を覚ます。

 目が覚めてもやはり筆舌に尽くしがたい悪夢の中のグロテスクな光景を思い起こし、少年はベッドの上で顔に陰を落とす。


「本当に何なんだよ、あの悪夢……」


 重々しい溜め息を吐く。

 この悪夢を見たのは今日が初めてでは無い。ここ一ヶ月の間、毎晩同じ悪夢を繰り返し再生していた。


「それにしても……どうしてあの光景を『知っている』って感じているんだろうな、俺」


 執拗に味わわされる斬撃に悲鳴を上げていた人間と、何度も斬り付け挙句の果てに血を美味しそうに飲んでいた『真祖』と呼ばれる男。

 どれも知らないはずなのに、何故かそれに既視感を感じている自分がいることに、少年は薄々気づいていた。

 ただでさえ現代日本で起こったこととは考えられないあの場面を、一体何処で目にしたのかは分からないが……。


「……まあ、たかが夢ごときでそんなに悩んでても意味ないよな」


 悪い夢を無理やり振り切り、少年は青いシーツが敷かれたシングルベッドから降りる。

 目覚まし時計が指し示す現在の時刻は午前六時半。この時間ならまだ遅刻する心配は無い。が、あんな胸糞悪い夢を見た後に二度寝をする気力などある訳も無い。


「……まだ早いけど、起きるか」


 再び溜め息を吐きつつ、少年はいつものように手早く学校指定のブレザーに着替え階下へと降りていった。





 この少年――暁美悠人あけみゆうとは、二十一世紀の日本に暮らす、中流家庭出身の平凡な高校二年生である。

 家族は地方警察官の父と専業主婦の母の二人で、兄弟姉妹はいない。普段より通っている冷泉れいぜい学園高校から徒歩十五分圏内にある一軒家で、家族一同それなりに仲睦まじく暮らしている。

 

(とはいっても今日は父さんは当番な訳だし、朝飯は母さんと摂ることになるんだろうけどさ)


 なんてしがないことを考えつつ、朝食を摂るべくリビングダイニングへと通じるドアを開け――


「あ、悠くんおはよー」

「……何当たり前のように俺の家で飯を食っているんだ、カナ」


 まるでそこにいるのが当たり前であるかのように他人様の家で朝食をご馳走になっている少女の姿を目にし、悠人は本日三度目の溜め息を吐いた。


 彼女――浅浦叶あさうらかなえは、悠人とは兄妹同然の関係にある幼馴染である。

 同じ高校に通っている女子高校生ではあるが、言動は存外に幼い。十六歳の平均よりやや低い身長と童顔が、その子供っぽい性格をさらに強めて見せている。

 一部界隈では「庇護欲を掻き立てられる」という評判があるが、実際に幼い頃より叶と仲良くしていた者からすれば、彼女のおてんばかつ甘えん坊な性格はやや面倒に思うところがある。


 そんな精神的にお子様な幼馴染に対し若干の苛立ちと呆れを募らせる悠人であったが、当の本人は悪びれる様子を見せること無くしれっと答えた。


「だって悠くんのお母さんのご飯、とても美味しいんだもん」

「そうそう。カナちゃん、私のご飯をとても美味しそうに食べてくれるんだもの。私も嬉しくなっちゃうわ」


 もごもごと口を動かしながら答える叶に、悠人のための味噌汁をよそっていた母・頼子よりこが賛同する。女同士だからのせいか、叶は悠人の母とかなり仲がいいのだ。


「確かに母さんの飯は美味いけどさ……。いくら何でもうちに来るの早すぎじゃないか? まだ六時半過ぎだぞ?」

「朝練のついでに立ち寄ろうと思って。あたしのお父さんもお母さんも仕事で早く家を出ちゃっているし、練習始まる時間まで家で一人だらだらするのもあれだからね」

「カナって水泳部だよな? いくらうちの高校のプールが屋内だからとはいえ、シーズン外なのにまだ泳ぐのか?」

「オフシーズンでも泳がないと身体鈍っちゃうし。来年もいい成績を残すためには今のうちから練習しないと……とはいっても、今日は朝夕ミーティングだけなんだけど」

「ミーティングだけならここまで朝早く来なくてもいいだろうに」


 だが、叶が悠人の家を訪れたのには、部活上の都合とはまた別の理由があるようで。


「……実を言うとね、昨日怖い事件が起こったみたいなんだ。だから一人でいるのが怖くて、それで悠くんと一緒に登校したいな、って……」


 曇った顔で叶がポツリと言った直後、付けっ放しのニュース番組からある一報が流れてくる。


『……昨夜未明、○○県夜戸(やと)市の路上で若い男性が倒れているとの目撃情報がありました。男性は二十代前半ほどで、病院に運ばれましたが間もなく死亡したとのことです。男性の身体には何らかの刃物で斬られた痕があり、警察は身元確認を急ぐと共に殺人事件とみて捜査を――』


 用意された白米と味噌汁をかき込みながら、悠人は不穏な光景が映し出されているテレビの画面を眺める。


「この事件が起こったの……俺らが住んでる街だよな」


 同時に、何故叶が不安を顕にしていたのかを理解した。

 自分が平穏に暮らしている街でこんな凄惨な事件が起きたのだ。怖がりな彼女が巻き込まれることを恐れ幼馴染に縋ろうとしたことは分かった……のだが、


(……何故だろう。何故か、胸騒ぎがする……)


 夢で斬り裂かれた人体と剣を携えた人物を目にしたからなのだろうか。『刃物で斬られた』という言葉に過剰反応している自分がいた。

 しかしあの夢はこれまでに何度も見ているのだ。今さらになって気にするようなことではない。自分の夢の中の惨劇が平穏な日常にまで進出してくることは無い……無い、はずだ。


「あれ? もしかして悠くんも怖い?」

「……は?」


 考え込んでいた時、叶がふと訪ねてきた。

 唐突に訊かれたせいで思わず呆けた声が出てしまうが、そんな悠人を見た途端叶は曇った表情を払拭させニヤニヤとした笑みを浮かべてきた。


「平気なふりして実はけっこう強がってたんだね。もしこの事件の犯人に逢っちゃったら()()悠くんが護ってくれるって信じてたけど、悠くんも怖いんじゃ流石に無理だよね……」

「ば、馬鹿! 事件についてちょっと考えていただけだ!」

「誤魔化さなくてもいいんだよ、悠くん。だってあたし、薄々思っていたから。悠くんはそのイケメンさに反して本当はチキンなんじゃないか、って」

「うるせぇ! 殺人とか血とか苦手なのはお前の方だろ!? 俺はお前よりも耐性あるっつーの!」

「えー、つまんないなあ。たとえ悠くんがヘタレイケメン幼馴染だったとしても、それはそれで可愛いからいいやって思っていたのに。いっその事、事件に巻き込まれたら二人で叫びながら警察に助けを――」

「だから!! 冗談も大概にしろ!!」


 すっかり元の調子を取り戻した叶は、悠人に怒られてもなんのその。周囲をうろつき、食事中の彼に茶々を入れて愉快に笑っていた。


 なお余談であるが、悠人は平凡な家庭で育ち平凡なスペックしか持っていないのにもかかわらず、容姿は数多の女性の視線を釘付けにするほど異様に恵まれている。

 黒く艶やかな髪にやや目付きの悪い射干玉の瞳……近寄り難い雰囲気を漂わせているものの、それすらも女性の心を射止める要素と化していた。

 尤も、容姿の良さを悠人は長所と捉えていない。内面と釣り合わない容姿に惹かれた女子に言い寄られたせいでクラス中の男子からやっかまれるなど、今まで容姿関連で(ろく)な目に遭ったことが無いからだ。


「ほら悠くん! 早くしないと朝練に遅刻しちゃう! あたしが!」


 すでに朝食を摂り終えているらしい叶が、やおら自分の通学鞄を引っ手繰り、まだ味噌汁を啜っている途中の悠人を催促する。


「おい待てカナ。俺は健全な帰宅部員だ。お前の朝練には全く関係が無いぞ」

「え? あたし、言わなかったっけ? 怖い事件が起こっているから一緒に登校した方が安全って」

「ああ、言ってたな。でもまだ俺は飯を食っている途中なんだが?」

「喋りながら食べていた悠くんが悪い」

「俺のせいなのかよ!!」


 悠人の抗議も虚しく、彼は強引な幼馴染の手によって強制的に自宅から退出させられた。


「あらあら、あんなにいちゃいちゃしちゃって……思春期って素敵ねえ」


 ようやく自分の朝食を摂り始めた母は、バタバタと家を出て行く息子とその幼馴染を微笑ましく見つめていた。




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