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閑話 生きし者に希望を託す

*****





「ここは……」


 気付けば、アリス・ギャロウェイは辺り一面に無だけが広がる空間にいた。

 はて、これは一体どういうことなのか。先ほどまでは深夜の屋敷の外で、()()()()()()()()を理由として、クルースニクたちと対峙していたはずなのだが……


「……ああ、そうね。あたし、死んだんだった」


 忘れていた少し前の出来事を思い出し、アリスは自嘲と諦観の笑い声を零す。


 結局、自分には大切な弟弟子(おとうとでし)を救うことはできなかった。

 戦闘をあまり得手としていない自分に、大天使の力を使用する特権を持ったグレイのことを救えるだけの実力は伴っていなかった。

 とは分かっていたものの、知恵と気概があれば少しでも救う手立てを得られるのではないか――そう信じていたが、それも甘い期待でしか無かった。神や天使の力は、一介の聖騎士の知恵と気概でどうこうできるものでは無かったのだった。


 否、それ以前に、この自分には大切な者を作り、大切な者を護る資格だなんて、端から無かったのかもしれない。


(……こんなあたしに…他人を救うことに無頓着だった家に生まれたあたしに、自己犠牲でなりふり構わず誰かを救うことなんて、端からできる話じゃなかったのよね)


 系譜を辿るようにしてさらに思い出されたのは、意識して思い出さないようにしていた、忌まわしき己の過去であって――――――





 元々アリスは、出生自体はとても裕福だった。代々由緒ある英国貴族の家系であり、現代でもそれなりに影響を持っている一族の直系として生まれたため、これまで生きる上で何も苦労はしたことは無かった。

 しかしアリスは、そんな自分の生家が嫌いだった。家族や親戚は皆、自分のために生きることしか考えていない。自分たちよりも劣る一般層の人々を見下し、蔑み、憐れむ、そんな一族の者たちが見るに堪えない汚物のように感じられ、時に吐き気さえも覚えた。


 それがより顕著となったのが十年ほど前の話。親戚一同が集ったパーティーの最中、突如乱入してきた吸血鬼たちの手によって使用人の何名かが襲われ、そのまま命を失くした時のことだった。

 当時はまだ吸血鬼と戦う(すべ)は持っていなかったが、それでも彼らに襲われた者たちのことを救おうとした。吸血鬼を殺す力も勇気も無いけれど、せめて吸血鬼の餌とされてしまった使用人たちの手当てをしなければと、恐怖で足を竦ませながらも必死に考えていた。


 のだが、


『どうしてわざわざ気に掛けようとするの? 所詮使用人なんで代わりはいくらでもいるでしょう?』

『助けに行った結果、お前の命までもが喪われたらどう責任を取るというのだ。お前には優秀な遺伝子を持つ者と婚姻し、我が一族の血を後世にまで受け継がせる役割を担ってもらう予定だというのに』

『そもそも、お前の『救いたい』という考えも、結局は自分がこの一族の中でも特異だってことを示すための偽善だろう?』


 こちらの「助けなければ」という思考を見越していたらしい家族たちから次々と浴びせられた冷たい言葉に、まだ青かったアリスは大いにショックを受けた。

 根本から自分の一族は狂っていると、心底から悟ってしまったから。他人を救うことに理解を示さない、自分本位で傲慢な者しかいなかったと、改めて気付かされたから。今までこんな一族のために自由に生きる道を費やし、一族繁栄のためにあらかじめ敷かれていたレールを歩むことを受け入れていた自分自身が、急に醜い存在に思えたから。

 何よりも、それ以上に特に一番堪えたのが、一番最後に浴びせられた言葉。生命の危機に瀕している人間を救わんとすることは人間にとって普遍的な感情なはず。なのに何故、それを「偽善」と蔑まれなければならないのか。それも、実の家族に。


(あたしは……こんな馬鹿げた一族に自由を奪われていたというの? 自分の一族を末代まで繁栄させるためなら、その他の人間は犠牲になってもいいっていうのが、彼らにとって当たり前の考えだったというの?)


 自分を縛っていたのがこんな独善的な者たちしかいない家だったと知るや否や、怒りしか湧いてこなかった。これまでは血筋に縛られつつ生きていることは仕方無いと諦観して受け入れていたが、こんな様を見せつけられて「仕方の無いことだから」と我慢することなど出来やしなかった。

 故に、永遠にこんな狂った家に縛られるのが嫌で堪らなくて、アリス・ギャロウェイは反対を押し切ってでも生家を見限ることを決意したのだった。


 決意してからの行動は、信じられないくらい迅速だった気がする。気付けば何も言わずに家族の元から離れ、ちょうど吸血鬼の討滅のために訪れていた、堅気の人間とは思えないくらい人相の悪い聖騎士――後に相棒となるミロスラーフ・ゼーリンへ、気付けば「貴方の元へと共に行かせて」と頼み込んでいたくらいだったのだから。

 

『……付いて来い。ただ、テメエが考えているほど甘くはねえぞ』


 当時も絶対に断られるだろうと思っていたし、彼の素性をよく知るようになった現在では尚更信じがたいことに思えるが、意外にも彼はそう言ってあっさりと了承したのを覚えている。

 後ほど彼自身が語っていたが、普段ミロスラーフは教団への志願は跳ね除けているらしい。にもかかわらず、この時彼がアリスの志願を許可したのは、狂った者たちによって自由を奪われていた女に、まるで今のこちらをを見ているような親近感を覚えたからなのだとか。


 さて、様々な偶然と奇跡が重なった結果、こうしてアリス・ギャロウェイは狂った生家を抜け出すことができ、晴れてマリーエンキント教団の聖騎士の一人となることができた。

 戦闘力には乏しかった。が、「何があってもいいように」と実の家族の目を盗んでこっそり勉強していた裏工作の知識を生かし、聖騎士たちの援護に積極的に加担することで、それなりの地位を確立できるようになった。

 そして「今まではできなかった分、大切な者を護ることができたら」という想いを胸に、相棒と共に戦場を巡る日々を送る中、教団へと加入してから数年余には「節制(テンペランツィア)」という称号を冠するようになっていた。このことは、教団内において何よりも大きな転機であっただろう。


 ちょうどその頃、相棒兼恋人によって弟子として迎え入れられたグレゴリー・ウィンターズと出逢うことになる。

 一人の少女の自由を取り戻すために人外の力を受け入れ、その結果徐々に人間を逸脱していく青年――そんな彼のことを初めて本気で護りたいと思ったのはきっと、「誰かを自由にするために自分の身を犠牲にする」という彼の姿勢が、誰かを護ることで自身の自由を実感していた自分とは真逆で眩しかったからなのかもしれない。

 何よりも、自分よりも誰かを護ることを優先する、そんな彼のように生きてみたかったからなのかもしれない。


 この時からであった。アリス・ギャロウェイがグレゴリー・ウィンターズに庇護欲を抱くようになったのは。

 偽善だと嘲られてもいい。かつて心の底から望んでいた自由を捨てても構わない。自分が護らなくても充分に強い彼氏をおざなりにしていることは承知の上だ。それでも何者よりも危うい弟弟子を護りたいと、二十年余生きてきた中でこれまでに無いくらい強く思ったのだから。

 だからもし、彼を護るとしたら、自身を犠牲にすることも厭わず、自身が罪を被ることになっても構わないと覚悟していたのだが――――





(――その結果、得たのはあたしの犠牲と、あたしに科せられた罪、それだけ。肝心なグレイのことは、何一つ護れずに終わったってこと。本当に、虚しい結末でしか無かったってことね……)


 思い出したくも無かった過去の回想を経て、アリスは再び己の罪によって引き起こされた最期と向き合う。


 グレイを救えずに終わってしまったのは、自分の弱さと甘さが全ての原因。故に、今更醜く足掻こうとはしない。

 自分が天使の力と打ち合えるだけの力を持っていれば、もっと自分が強ければ、第三者の言葉に惑わされることも無かったし、聖騎士としてしてはならない罪を犯すことも無かった。

 もちろん、大切な存在を救えないまま死んでしまうことも無かったのだろう。


(あれだけ『自分がどうなってもいい』って決めておきながら、結局犠牲になったのは何も関係の無い人たちだった。グレイのことを護りたいって思いながら、実際は誰かのことを護れているあたし自身に寄っているだけだった。結局、あたしの家族と同じ身勝手な人間だったってことじゃない……)


 何処から何処までも自分勝手で偽善者だった自分自身を、この身が生まれた独善的な一族以上に呪いながら、アリスは己を責め立てる。身勝手な自分が大切な存在を救えず死んだのは当然の報いだと、アリスは己を(なじ)り倒す。


 ただ、せめて死ぬ前にグレイが身の内に抱える天使から解き放たれて、心から自由を得たところを見たかった。偽善と罵られようと、グレイが命を消耗してまで戦うしかない未来を回避させてあげたかった。そんな未練はあったけれども。

 そして願わくば、自分とミロスラーフとグレイとで、吸血鬼との戦いから解放されて幸せに過ごす未来を掴みたかった。そんな叶わない夢想はあったけれども。


「……ごめんなさい。結局、最後まで生きてグレイを救うことはできなかった。『自分がどうなっても構わない』って誓いながら、唆されて無関係な猊下を殺そうとしたのだから、当然の報いだろうけども……」


 「生きてるだけで丸儲け」。弟弟子への庇護欲がより一層強まった契機でもある少し前の出来事にて、ミロスラーフが言っていた言葉。

 しかし死んでしまった今では、その言葉も意味が無い。儲けを得られずこちらは死に、グレイはこのまま命尽きて死ぬ。自分がもっと強ければ、あの甘い言葉に惑わされなければ、こんな呆気無い結末は避けられたというのに。


「……本当にごめんなさい、ミロスラーフ。貴方との約束を護れなくて、グレイのことを救ってあげることができなくて。そして、こんな醜いあたしで……」


 懺悔の言葉を零し、抱えた後悔を呑み込み。従容と己の死を受け入れんとした、そんな中で。




「何諦めたような顔してんだよ、アリス」




 その声の主には、心当たりしか無い。アリスは顔を上げ、思わず目を見開いた。


「ミロスラーフ……!? どうしてここに……!?」

「ここが死後の世界だからに決まってんだろ? オレ様もとっくに死んでるしな」


 想像通り、目の前にいたのは自分の相棒にして恋人。聖騎士として破格の力を持っていながらも信仰心に欠けた「信仰無き聖人(イスカリオテ)」。生家を見限ったこちらを教団へと勧誘してくれた恩人であり、互いに自由を求めていた同志でもあるチンピラめいた男。

 そんな彼――ミロスラーフ・ゼーリンは、生前とまるで変わりない様子で歩み寄り、悲嘆に暮れるアリスの顔を覗き込みつつ言った。


「テメエが今何を考えてるのかは分かるぜ。オレ様がお前に託したことを果たせず死んだことを悔やんでるんだろ?」

「……」


 何も反論することができない。実際に彼が目の前に現れるまで、ずっとそのことでぐるぐる頭を悩ませ、嘆き悲しみ、己自身を蔑んでいたのだから。

 痛い図星を突かれ返す言葉を失ってしまっているそんなアリスに対し、ミロスラーフはやれやれと肩を竦めている。きっと失望されただろう、とアリスは項垂れながら思っていた。


「やっぱりそうか。昔のことが関係してるのかは分かんねえが、そういうのをズルズルと引きずるのが前からのアリスの悪い癖だよな。それがグレ坊絡みのことだったら尚更だ」


 しかし、呆れたような表情だったのは、その一瞬だけ。すぐに彼は、こちらを気遣っているかのような真剣めいた表情となる。

 あるいは、後ろ向きになっているこちらを叱るような表情でもあった。


「でもな、オレ様と交わした約束が果たせなくて悔恨するのは理解できなくもねえが、何もオレ様は一人で何でもしろとは言ってねえ。それに、確かにグレ坊のことは結局解放できてねえが、まだ全て終わった訳じゃねえだろ?」

「……でも、あたしもミロスラーフも死んでいるじゃない。こんな状況で、一体誰がグレイを救えるというの?」

「馬鹿か。もう一人、グレイのことを救いたいって思ってる奴がいただろうに。テメエほどじゃねえだろうけどな」

「……あ」


 叱咤のようなミロスラーフの指摘により、何もかもに匙を投げていたアリスの頭に浮かんだのは、高潔で正義感の強いクルースニクの娘の姿。

 グレイに対し恩を抱いていた彼女ならばきっと、彼のことを必ず救ってくれるのではないかとは思うのだが……


「オレ様たちがグレ坊を元に戻せなかったとしても、お嬢が代わりにグレ坊を戻すだろうって、不本意だが何となく思うんだよ。お嬢はオレ様たちなんかよりも、圧倒的に非人道的な行為を見過ごしちゃおけねえ奴だし」

「でも、人間からどんどん離れていく今のグレイの扱う力は……」

「知ってる。()()にはお嬢にもだいぶ手こずってるみてえだが、幸いにもお嬢には心強い味方が大勢いる。心配ねえだろ。……それに、」


 不意に言葉を止めたミロスラーフ。何かの予兆を第六感で察知したのか、四白眼を僅かに見開いて天を仰ぎながら、彼は言葉を続ける。


「現に今、ようやくあのクソ野郎が()()()()()()()完全に目を覚ましたみてえだしな。とことん運のいい奴だよ、マリーエンキント教団のクルースニク様は」

「貴方が言う『クソ野郎』って、まさかそれ……」

「教団の最高指導者なだけあって戦闘力は申し分ねえし、正気に戻ったアイツなら、お嬢の助太刀として申し分ねえ働きはしてくれるんじゃねえの? ま、肝心のお嬢が何を想うかまでは知ったこっちゃねえが」


 そしてミロスラーフは、憑き物が落ちたような笑みを浮かべつつ、未だ後悔と悲嘆故に萎縮(いしゅく)するアリスの肩をそっと叩いたのだった。

 たとえ約束を果たせなくても必ず誰かがその意志を受け継ぐだろうという考えを、慰めつつも理解させるがごとく。


「だから、後は生き残った奴らに任せようや。他力本願になるけどな」





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