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乞い願う

*****




 ごめんなさい。赦してください。


 これが人としていけないことだということは分かっているのです。

 これが大切な仲間を裏切ることに繋がるということも分かっているのです。


 でも、こうでもしなければ、あたしの大切なものは戻ってこないのです。

 大切なものを再び取り戻すには、こうして罪を犯すしか無かったのです。



 だから、どうか赦してください。赦してください――――






 ――――助けてください。どうか。()を。






*****





「……どうぞ」

「……」


 カタン、とアリスの目の前にティーカップが置かれる。澄んだ琥珀色をした茶が、憂う彼女の表情を鮮明に映し出していた。


「敵か味方かは分からないですが……客人である以上、最低限はもてなさないとですし……」


 というのが、茶を提供した海紗の談。こういう一面に、彼女の優しさというかお人好しさが垣間見える気がする。

 ……彼女が茶を淹れている際、脇でハイドがこっそりカップに異物を仕込んでいるような所作を見せていたため、ひょっとしたら優しさ云々では無く何らかの策なのかもしれないが。


 さて、現在この場にいるのはローラと冷泉院の双子、アルヴスとハイド、そして客人であるアリス。それ以外の面々――ヴァレンシュタインの介添をしている黒花と、爆睡を決め込んでいるナターシャは不在だ。

 そんな状況下、ローラは銀灰色の瞳を鋭く細め、目の前の客に向かって端的に訊く。


「改めて問うが……貴君、今まで何処にいたのだね?」

「……」


 アリスは無言のまま。整った相貌を露骨に俯かせ、意味ありげに口を閉ざしている。


 その反応を見れば、何かのっぴきならない事情があったことなど明白。

 おそらく彼女が思い詰めている理由は、こちらでも頭を抱えている事案と同じなのではないかと見たローラは、すかさず鎌を掛けてみることにした。


「よもや、グレイ絡みで何かあったのかね」

「……っ」


 一瞬、彼女の肩が震えた。

 その様子から図星だと判断し、さらに問い詰める。


「グレイを助けたいという想いは私も同じだ。気兼ねなく続けたまえ」

「……い」


 こちらが寄り添う姿勢を見せたところでようやく、アリスがまともに口を開いた。


「……お願い。グレイを助けてほしい」


 今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しく震えた声で紡がれた請願。何が何でも大切な存在を助けたいのだという想いが、その真摯な悲言(ひげん)から伝わってくる。

 無論、こちらだってグレイのことを助けたいと思っている。同じ彼の身を案じる者として、アリスの想いについ共感してしまったローラは、つい発するべき声を失ってしまった。


 そうして続く沈黙の数分間。ローラのみならず、誰もが空気を読んで何も言わない中、ややあってこの暗い空気を破ったのは、中立的な組織の長として誰よりも公平な目線を持つハイド・ガルシアだった。


「ちょっと待ってくれないか」


 制止を掛けた彼の表情には、明白な困惑の感情が浮かんでいる。アリス・ギャロウェイという女の背景を知らなければ、その懇願に戸惑うのも無理は無いだろうなと、傍らで見ていてローラは思った。


「君とグレゴリー・ウィンターズに何の関係が? まさかとは思うが、君の名目を保つため偽善で助けようとしている訳じゃないよね?」

「否、彼女とグレイは共にミロスラーフと師弟関係だったと聞いている。姉弟子が弟のように可愛がっていた存在を助ける義理は充分にあるだろう。だが……」


 疑義を強めるハイドに対し補足を入れたのは、同じ教団の仲間としてアリスを取り巻く人間関係をそれとなく存じていたローラ。


 しかしそれでも――アリスとグレイの交友関係を知るこちらでも、まるで理解できないことがある。

 先程からアリスは、弟弟子(おとうとでし)と同等以上に大切な存在のはずの、自身の恋人の話題を全く出していないのだ。


「恋人であったはずのミロスラーフへの愛を差し置いて、今度はグレイに対し師弟愛以上の情愛を寄せていることは理解に苦しむ。まるで浮気ではないか」

「……それが、彼との約束だったから」


 哀しみを堪えるかのように顔を俯かせながら、アリスは答える。

 様子を見るに、恋人が亡くなったという事実は彼女も知っていたようだ。何処で知ったのかはこちらの知る由も無いことだったが。


「元々ミロスラーフには『教団にこのままこき使われるくらいだったら死んだ方がマシ』って考えている節があった。だから聖騎士として活動している時に、教団のために自分の命を護ろうだなんて考えていなかったのよ。そんな彼のことをあえて護る必要が、果たしてあるのかしら」

「……そうか?」


 数ヶ月前に夜戸市で起こった大規模侵攻の際、ミロスラーフと交戦したのだが、どうも彼が死にたがっているようには見えなかった。むしろ、元軍人としての知恵と経験を生かし、徹底的に死なないように立ち回っていたようにさえ思える。


「少し言葉が足りなかったわね。貴女の指摘通り、確かに彼は死に急ぐ人間では無かったわ。

……だけどそれは、あくまでも自分が大好きな『戦争』を少しでも長く続けたいっていう、ただそれだけの理由によるもの。逆に、生きる理由がそれしか思い浮かばないくらい、彼は教団に人生を左右されている自分自身を嫌悪していたの」


 アリスの補足を元に、彼の言動を思い起こしてみる。

 そういえばミロスラーフは、事ある毎に教団最高指導者のヴァレンシュタインのことを「クソ野郎」だのといって口汚く罵っていたような。

 そもそも『信仰無き聖人(イスカリオテ)』という異名が付けられてしまうほど信仰心に乏しかった彼がどうしてマリーエンキント教団に加入したのか。すでに彼亡き現在、詳細は定かでは無いが、最高指導者に対し執拗に罵倒しているのだから、さぞかし理不尽な形で組織に入れられ、長いこと教団に縛られていた自分と同様、マリーエンキント教団に自身の自由を阻害され続けていたのではないだろうか。


「あたしもそんな彼の意向を知っていたから、彼のことを戦いの中で護ることはあえてしなかった。こっちが護らなくても強いっていうのもあるけれど、束縛されることを嫌う彼のことを解放する最善の方法に少しでも近付ける方が優先だと考えたのよ」

「最善の方法……それが『奴が何よりも好む戦争の中で死なせる』ということか」

()()()()()()()を受けた以上、どう足掻いても契約主には逆らえないだろうし、自発的に死ぬことも許されないだろうとは、あたし自身思っていたから」


 「あの契約」が何を指しているのか、ローラには皆目検討が付かない。ただ、常日頃からのミロスラーフの発言から察するに、契約主というのがヴァレンシュタインだということは確実なため、今は昏倒している彼が関与していることは間違いないはず。

 やはり、ヴァレンシュタインの目が覚めた暁にはいろいろ詮索せねば――今後のことをローラが方針付けた傍ら、構わずアリスは語り続ける。


「それに、教団最高指導者に飼われる形で所属させられていた関係なのか、ミロスラーフは教団の暗部を知っていた。尤も、自分からそれを仄めかすようなことはしなかったけれど」

「……? ならば、グレイが受けた人体実験のことも……?」

「ええ、もちろん。彼自身はグレイが『天使の力』という強大な戦闘力を得ることには賛成派だったわ。だからあえて、こちらには何も言わなかったのかもね。でも……」


 翠緑の瞳を伏せ、震える唇を噛み締め。あからさまな逡巡(しゅんじゅん)の仕草を見せるアリス。

 「天使の力」なる話題からそのいかにも苦悶めいた様相に移行する理由など、ローラには一つしか思い浮かばない。


「……天使の力を得た者は代償として徐々に魂を侵食され、やがて命尽きる。そのことも奴は知っていたのか?」

「……ええ」


 頷くアリス。静謐ながらも哀絶を感じさせたその肯定を目にし、密かにこの場の誰かが息を呑んだような気配がした。


「ミロスラーフがそれを知ったのは、ヤト市でグレイが真祖を半殺しにした時だったみたい。そこで初めて、天使融合(セラフ・パクト)の危険性を察知した彼は、グレイがこれ以上酷使されて死なないように……せめて死ぬとしても願いを叶えてから()()()()死ねるように、あたしに頼み込んできたの」


 それから「……こういう風にね」と前置きがされた後、アリスは自身の恋人の生前の言葉を、口調をなぞる形でそのまま口にした。



 ――――酷なことを言うが、オレ様は別に死んでも構わねえ。だが、グレ坊のことは最後まで護ってやれ、アリス。


 ――アイツはお嬢のことを救うことを望んでいる。だから師匠として、せめてグレ坊の願いは叶えてやりてえんだよ。


 ――「天使」なんざ訳分かんねぇ存在を身に宿したばかりに、何も成せずに死ぬなんてあまりにも惨いじゃねぇか。



「あんな風でも、ミロスラーフはグレイのことを弟子として可愛がっていたし、あたしだってそうだった。だから、最大限彼の遺言を守ってあげたいのよ。たとえ本当の恋人を差し置くことになったとしても」

「あの自分本位なミロスラーフがそのようなことを言うとは到底思えんが」

「戦争狂の彼しか見てなければそう思うでしょうね。……とはいえ、人間臭い側面を覗かせることに抵抗があったのか、あたしとグレイ以外には戦争狂の一面しか見せなかったけれど」


 鬱々としながらも毅然と発言する彼女からは、嘘らしき様子は見えない。

 言葉の端々から匂う違和感は拭えないが、教団幹部の中では感性がまともなアリスが、こういう局面で騙そうとするとは考えにくかった。


 ……その反面、「騙してやろう」という本音を胸中に隠している可能性までもは、否定することができなかったが。


「で、アンタの惚気話から話題を変えるが、助けてって言ってもどうすりゃいいんだよ」


 どうも納得することができない最中、新たに問いただしたのは、これまではハイドに質疑を任せ事態を静観していたアルヴス。

 アリス・ギャロウェイに対しての不信感から沈黙を貫き睨んでいる所長に代わり、訊くべきことを訊こうとしているようだ。


「まさか、そっちから頼み込んでおいて、相手方がこれから何を仕出かすかも分からねえくらい無策って訳じゃねえよな?」

「その点に関しては大丈夫。グレイの身体を乗っ取った天使の動向については聞かされていたから」

「聞かされていた? 誰に?」

「……それは言えない」


 何故か突然言葉を濁したアリスの挙措を、訊ねたアルヴスのみならず、脇で聞いていたローラたちも怪訝に捉える。むしろ、先ほどまで微妙に匂っていた違和感が、より一層強まった気配さえ感じた。

 しかし、こちら側に追及の余地も与えぬまま、彼女は淡々と、そして鬱々と言葉を続けた。


「グレイを乗っ取った天使は、これからワラキア=ドラクリヤ帝国領へと向かって、ユークリッドのことを捕縛しに行くそうよ」

「……何?」


 耳を疑う。

 確かに、最終的に天使たちの目的を果たすためには、こちらにユークリッドを殺してもらう必要性があるため、彼の拉致もいずれ実行するだろうとは頭の隅で考えていた。


 ――だが、こちらが逃亡する前にはヴァレンシュタインの抹殺を何よりも最優先としていたのだから、ユークリッドよりもこちらの陣営を先に狙った方がいいのでは?


「……彼女のことを、あまり信用しない方がいいかもしれない」


 と、ここで不意に、最初の詰問以来ずっと黙りこくっていたハイドが、ローラにそっと耳打ちをしてきた。


「念のため紅茶の中に自白剤をこっそり仕込んだんだが、明らかに警戒して飲もうとしていない。こちらを信用する素振りを見せてはいるものの、裏ではこちらの動向を探っているということだろう」


 先程ハイドがこっそり紅茶の中に仕込んでいたのは自白剤だったらしい。

 その割に当のアリスが肝心なことを仄めかして話を進めているのだから、彼女がうっかり真実を吐露してしまうことを恐れ手を付けていないのは彼の推測通りの事態。


「では、彼女の発言も……」

「本当のことを隠している可能性は充分にあるだろうね」


 ハイドは眼鏡の奥の紫色の瞳を鋭く細め、アリスの姿を峻厳(しゅんげん)に目に焼き付けていた。


「彼女の目的は何なのかは私でも予知できないが……少なくともこちらが不利になるような行為に踏み入る可能性は考えた方がいいだろう」

「……」


 もう一度、ローラもアリスの方を見る。

 彼女の顔には切なげな感情が見え隠れしていたが、それが本当に本心なのかどうかは分からない。



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