聖を騙る罪
「おらおらあッ!! その程度かあ!?」
ミロスラーフの縦横無尽たる攻撃は止まらない。
むしろ、さらに彼の戦意に火を点けてしまった現在、一撃一撃がより苛烈さを増していた。
『Magnificat anima mea Dominus, et exultavit spiritus meus in Deo saltari meo(我が魂は主を崇め、我が霊は救世主たる神を喜び讃えん)!!』
ミロスラーフの蛮声が詠唱を紡ぐ。
そういえば、これまで彼は神術の類を一切使用していない。にもかかわらず、戦闘力は真祖である悠人と並び立つほどだった。
つまり彼が神術を使用すれば、余計に戦闘力が悠人よりも上回ることになるのではないか――
「くはは!! 余所見してる暇なんかある訳ねえだろうが!!」
「うぐっ!」
しかし、そう思考を巡らせている暇は無かった。
肉体強化の神術が付与されたことでさらに殺傷力が増した一撃が容赦無く、目で追う隙すらも与えず、掠っただけの悠人の腕の肉を簡単に抉り取る。
「小癪な……!」
肉を少し抉られたところでどうということは無い。悠人は腕に走った痛みを無視し、そのまま敵への刺突に持ち込んだ。
「死ね、えっ!」
「おっと、危ねぇ」
やはり、神術によって身体能力がより増幅したミロスラーフに傷を負わせることは容易では無かった。刃先が触れようとした寸でのところで簡単に躱される。
だが刃が彼の毛先を掠め、色素の薄い髪が数束斬り飛ばされたところを見るに、手応えは確実にあった。勝機はまだ潰えていないと、悠人は再び意気込んで進撃する。
それに、今の自分は一人で戦っている訳じゃない。
その事実がとても心強かった。
「貴君の相手はユートだけでは無い。忘れるな!」
悠人とは逆の方向からローラが回り込み、ミロスラーフのギリギリ急所から外れたところに銃口を向ける。
そして、詠唱。
『――Gloria in excelsis Deo(いと高きところには神に栄光)!』
「かはっ、これ見よがしにお嬢も攻撃してきやがったか! 受けて立つぜ!」
ローラは完全に死角から銃撃を仕掛けてきたが、身体能力が規格外をさらに超える規格外まで上昇したミロスラーフには察知されていた。瞬間移動かと見紛うかの動きで、彼は流星のごとき銃弾を軽やかに躱す。
それでもやはり、攻撃が完全に当たっていない訳では無い。肩に乱雑に羽織っていた上着が銃撃によって僅かに裂けたところを見れば、このまま攻撃を続けていればいずれ当たると確信が持てる。
「彼奴の正面攻撃は全て余が受け止める! 貴様は背後を狙え!」
「無論、分かっているのだよ!」
短く応酬した後、それぞれの攻撃に再び専念。悠人は正面から激烈な攻撃に挑み、その隙を掻い潜ってローラが狙撃する。
今のところはどちらの攻撃も上手いこといなしているミロスラーフだが、時が経ち体力がガリガリと削られるうち、どちらかについての対処は遅れるに違いない。その時までしぶとく粘っていれば勝ち目はある……と信じたい。
「ーーっ!」
「おー、そっから撃ってくるとはいいセンスしてんな、お嬢。だがな、今のオレ様がそこからの銃撃に気付かねえ訳ねえよな?」
ミロスラーフが認知できないであろう範囲へと後退し、一撃で無力化することを狙ったローラ。
だが第六感までもが強化されている今のミロスラーフには案の定お見通し。彼は神術で構成された弾丸が届く寸前に咄嗟に横に跳躍し、そのついでとして弾丸を真っ二つに叩き割る。
しかし、ミロスラーフがローラに意識を向けたということは、今度は悠人が音も無く彼に奇襲を仕掛ける絶好の機会を得たということで。
「そこ、だあああっっ!!」
「うぐっ!!」
先ほどとは異なり、今回は確かに斬った手応えを感じた。肉をスパッと断ち切った感覚も、斬れば溢れ出る血液の香りも、自身の手や鼻腔から如実に伝わってくる。
真祖に傷付けられたということは、すなわちその者は生命を掌握されてしまったということ。死んでない以上負わせた傷を完治させることも可能だが、恋人を付け狙う敵に対しそんなことしようと思う訳が無い。
(奴に、死を――)
念じる。
かすり傷だけでも簡単に絶命させることができる自身の呪いを発動するために、悠人は今さっき斬った聖騎士の死を脳裏に強く思い浮かべた。
だが、
「おいおい、なーに的外れな攻撃してんだ? オレ様には全く掠ってもねえってのによ?」
背後から、先ほど確かに斬ったはずのミロスラーフの声がした。
普通ならば、骸と化して地に伏せているはずなのに。
「貴様、何をのたまって――」
と、本来ならば彼が倒れているはずの場所に目を遣って初めて、悠人は自身のとんでもない誤算に気付いた。
「幻術……そのような類もできたとはな」
悔恨のあまり、歯噛みと共に言葉を漏らす悠人。
目の前に倒れているミロスラーフだと思い込んでいた人物を――首にロザリオを下げた全く別の聖騎士の亡骸を、強く見据えながら。
「貴様、いつこの雑兵と入れ替わった?」
「お嬢が銃撃してオレ様が避けた時だな。たまたまほっつき歩いてる部下の聖騎士がいたから、幻影の神術をちょっとばかし使ってオレ様の身代わりになってもらったっつーこった。オレ様を生かすために役に立ってくれた訳だし、無駄な死じゃねえだろ」
「ミロスラーフ……貴君は……!」
耐え切れない。とでも言うかのように、ローラが銀灰色の瞳を尖らせミロスラーフを睨み付けた。
いい思い出が無いとはいえ、教団はローラにとってはやはり特別な居場所。そこで活動する聖騎士も、彼らに自由を制限されていたとはいえ、ローラにとっては同じ志を持った同胞であった。教団に、聖騎士に、完全に彼女が敵対できなかったのはそれが理由だ。
なのにミロスラーフという男は、私利のために平気で仲間の命を捨てた。今は吸血鬼の真祖に加担している教団の聖女でさえ、教団に愛想を尽かしながらも聖騎士の命までは取ろうとはしなかったのに。
彼は教団に今でも身を寄せているのに、あまつさえ他の聖騎士たちの指標となる幹部の立場なのに、自分自身のために部下の聖騎士のことを無碍にしたのだ。
「以前より貴君の行動は目に余っていたが……今の行為は流石に黙っている訳にはいかん。聖騎士による独善的な同胞殺しなど、あっていいはずが無い……!」
「……」
清廉な聖女として、正義の心から激怒するローラ。
だが恋人たる悠人は、彼女の感情をすんなりと受け入れることができずにいた。
(……かつての、余は、)
四百年前、自分はミロスラーフと全く同じことをしていた。私利のために仲間を駒にし、私欲のために同胞の命を捨てた。残虐非道な真祖として、自分さえよければ後は野となれ山となれとでも言うかのように、自由奔放に生きていたのだ。
そんな自分が、同胞殺しを激しく糾弾するローラに共感することなどできようか。仲間を切り捨てたミロスラーフに正義の怒りをぶつけることなどできようか。
「オレ様に銃を向けてきた癖に仲間殺しを弾劾しようとする意味不明なお嬢のことはひとまず置いとくとして、流石に真祖はオレ様を非難することはできねえみてえだな? 今は正義の英雄ぶってるけど昔はオレ様と同じように仲間殺してたんだもんな?」
「……黙れ」
「その反応からするに図星なんだろ? ま、面白えからいいけどよ」
ニヤニヤと下卑な笑顔を浮かべながら反応するミロスラーフは、悠人たちの背後でサバイバルナイフの刃をちらつかせながら話題を切り替えた。
「さて、と。オレ様のさっきの行動が非人道的で赦せねえって言うんだったらいくらでも掛かってこいよ。だがその分、オレ様の身代わりとして何人もの部下が死ぬことになるけどな? 真祖が優勢になる夕方までに、一体何人の聖騎士が無碍に殉死することになるんだろうなあ?」
「……っ……!」
今が何時なのかはまだ分からないが、まだまだ青さの残る空を見るに、日の入りに達するまで相当の時間が残っているはず。冬の昼は短いとしても、悠人自身が吸血鬼本来の身体能力を発揮できるようになるまで時間いっぱいミロスラーフを食い止めることが可能なのかどうかは分からない。
せめて彼が身代わりとする聖騎士が早々に尽きて本体だけ残ってくれればいいのだが、そのような人道に反する結末はローラが赦さないだろう。恋人が望まない方向に事を進めることだけは、何があっても絶対に避けたかった。
かといって、このまま何もしなければローラは教団へと連れ戻されることとなってしまう。
どちらにしても彼女が望まない方向に転がってしまうどん詰まりの状況下、悠人は頭の中で糸を縺れさせながらも打開策を必死に考えあぐねた。
(こちらの体力が尽きる方が先か、あるいは彼奴の体力が尽きる方が先か……)
しかし現実は無情。ミロスラーフはお構いなしに攻撃を仕向けてくる。
「ま、細けえことを考えるのは今は無しだ。とにかく結果がどう転がろうと、仲間がいくら死ぬことになろうと、オレ様は真祖をぶっ殺せればそれで――」
そうして彼が足を一歩踏み出した瞬間、
「――最高指導者として、流石に同胞殺しは看過できぬな、ミロスラーフ」
事態は急速に転換を迎える。
「確かに私は真祖に与する不届きな輩を――具体的には真祖の現在の血縁者や交友関係の深い者を残らず粛清せよとは口にした。……が、同胞たる聖騎士たちを無闇やたらと贄にしろとは言っていない。ましてや、お前に殺せるはずも無い真祖を殺すため彼奴らを犠牲にするとは何と浅ましい……」
長々と説教めいたことを口にしつつ抗争の中に割り入ったのは、神父服を纏った痩躯の中年男性だった。
黒いカソックとは対照的な白の手袋と堅気の神父には相応しくない凶剣が彼に異様な雰囲気を与えているが、それ以前に真っ先に目に入ったのは首元に提げられた銀のロザリオ。つまり彼はマリーエンキント教団の聖騎士ということになる。
男自身が口にした「最高指導者として」という一言を踏まえれば、彼が名乗らずともその正体は自ずと看破できた。
「……成程。彼が……」
マリーエンキント教団の「信仰」。名をロベルト・ヴァレンシュタイン。
恋人に過酷な運命を強いた全ての元凶が、今目の前に立っている男なのだ。




