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月極くんの素晴らしき日々

素晴らしいの定義を知っているだろうか?

美味しい物を食べた時。美しい絵画を見た時、出来の良いアニメを見た時

または、それらの全て。このように定義どころか定まった答えさえ大衆の人間が答えられる筈もない。

何故なら、素晴らしい事に定義も形も何も無いからだ。

全ては俺達の価値観、すなわち私が決めるものなのだ。


月極(げっきょく)くんの素晴らしき日々】


窓から差し込む日光と鳥のさえずり、花瓶に刺さった黄色い百合の花の匂いで目が覚めた。

起きるたびに、花瓶に刺さった花の花言葉はなんだったのか考える。


ああそうだ。天にも昇る気持ちだ。


俺が一番大好きな言葉だ。今日は新しい日。新しい学校。新しい地。

綺麗な部屋、冷蔵庫には豊富な食材、そして通帳の金。離れ離れの両親、そのついででうざい妹との隔離


一高校生の日常としては最高そのものの環境だ。後はこの状況が遅刻まで後数分といった所でなければもっと最高だった。


「…まぁいっか!」


転校初日から遅刻。普通の学園生活を送るのはもう諦める事にした。

前の学校でも、いろいろとやらかしての転校だったので普通の学園生活なんぞ元から望んでいない。

俺は俺が楽しい学園生活さえ送れればそれで良いのだ。

しかし、俺が今住んでいるコーポは親が遅刻しないようにと俺の意志を無視して決めた場所で、坂の上に設けられた場所なのだ。

更に学校は坂の下、自転車で漕げば10分もかからない。

しかし、HRまでは後三分しかない。


「……まぁいっか!」


だからこそ、諦める事にしたのだ。

それでも、まだもしかしたら…いや、まだ何か…と脳の奥で諦めていない俺がいるが、どうせ時間が来ればその俺も自然消滅する事だろう。

しかし、そいつはまだ諦めが悪かったようだ。俺の部屋の隅、まだダンボールの開封作業が終了していない部屋でそいつはそれを見つけてしまった。

冷蔵庫を運ぶ際に部屋に残したままにした、台車を。



坂の角度は45度、俺の計算では風向きを無視すればHRの二秒前までには学校にたどり着ける事だろう。

もちろん計算は適当だ。

しかし、台車の上に乗って坂を下り登校というのは、なかなか…


速い


「うぇっへぇええい!!」


俺は思わず奇声をあげてみる、なんと、すごく…凄い。なんと、とても、楽しいのだ。

電柱にぶつかるかもしれないスリリングと、石につまずきぶっ飛ぶかもしれない恐怖が俺の脳を震わす。

風を切る音と共に、女性の悲鳴と男性の甲高い声が過ぎるが、俺自信が風と一体化しているので全く気にならないどころか、この状況のスパイスとなり余計に盛り上がる。


「えっへへぇえい!うぇへ…ヴォゴッ!?」


台車が急に大きな振動を発生させた。後ろの方へと軽い音が遠ざかる。

振り返ると、台車の車輪が二つ程吹っ飛んでいた。


「ぁぁああああああああ!!!!」


最悪な事に、右側の車輪が外れてしまったようで、右側に傾くどころか地面を擦る嫌な音が響く。

擦る高い音と、俺の高い声の絶叫が重なり、俺が今聞こえているのが擦る音か俺の声か区別がつかなくなる。


でも、何故だろう。何故だか…まだ俺はこの状況が楽しくて仕方が無かった。

瞬間、巨大な衝撃が台車に響くと共に俺は宙に浮いた。

気づけば、台車は歩車道境界ブロックにぶつかり、その衝撃で俺は宙を飛んでいたらしい。

しかし、俺は悪運が強いのか目の前には俺がこれから通う学校の校門が見えた。


「うぉおっ!?」


そろそろ校門を閉めようとしていた生徒指導の教師らしき人物が吹っ飛びながら登校してきた俺の姿を見て回転しながら腰を落とした。

通り過ぎた後、そう言えば挨拶をしていなかったと後悔したが、今はそれどころでは無い。


「よっし!ギリギリセーフだセーフ!これで登校初日から遅刻は免れ――」


風の向きが変わったのか、俺の身体は玄関へと向かわず中庭に続く裏道へと向かっている。


「あっあれ!?どこに向かってるのかな俺の身体!!」


突然訪れた不幸に、俺の頭はパニック状態に陥る。そんな事に比べたら、これから過ごしていくであろう学業の仲間達に引かれ、畏怖する顔を向けられているなんて事は些細な問題に過ぎなかった。


「キュウッ!」


途中で女子生徒にぶつかり、俺の身体は回転を加えた。

ぶつかった瞬間、その女子生徒は手に持っていたゴミ袋と一緒にゴミ捨て場のゴミ山に突っ込んでいった。

だれか、だれか俺の身体を止めてくれ!

このまま俺は宙に浮いたまま生涯を終えてしまうのだろうか。と思うくらいに回転が収まらない。それどころか遠心力で更に宙に浮いている気がする。

しかし、神は俺を見捨てなかったようだ。


「ん?あ!?」

「なっなんだこいつは!!?」


回転を加えて飛んでいる先には、何故か複数の不良が屯って固まっていたのだ。

あれだ

あれに突っ込めば俺の身体の勢いは死に、見事に遅刻が免れるというわけだ。


「ありがとう神様ぁ!!!」


俺は遠慮なく、その不良の集まりに突っ込んだ。


「ああああああああ!!」

「ぎゃぁああ!!」

「ぶぼるぅおあ!!」


俺の遠心力と勢いにぶつかり散っていく不良達。

俺の頭にまともにぶつかったリーゼント君は遠心力で服がビリビリに破け散っていった。

リーゼント君以外は辺りに飛び散り、死屍累々となる。

死んでいない筈だが、大変申し訳ない事をした。


特にリーゼント君。君を全裸にし、これから起こるであろう社会的痴態行為と学園カーストの暴落は気の毒と言わざるを得ない。

彼らの犠牲により、俺の勢いを殺せたおかげで俺は仰向けとなり空を眺められる。

遅刻しなかった。という達成感と共に空を見るというのは何て贅沢な光景なのだろう。

その筈だが、俺が見えた光景は空ではなく白くて細い足と純白なパンツと

風によりスカートが足にまとわりつき、パンツが見えなくなったと同時に白い足の持ち主が見えた。

とても、美しい顔だった。

僕の身体に、大きな雷に打たれたような衝撃を受けた。

そんな衝撃的な出会いをした僕達。彼女の顔は、今までで見たどの女性の顔よりも美しく、可憐で良い匂いがしそうだった。

彼女の顔と脚を見た瞬間、僕は確信した。僕はこいつに、一目ぼれをしたのだ――

学園のチャイムが鳴り響いた。その音が僕達のこの出会いを祝福し運命を指示しているように聞こえる。

彼女の足と顔を見たからか、それとも先ほどの衝撃のせいか、俺の鼻には一輪の薔薇のような鼻血が流れた。

彼女は、泣きそうな顔をして俺を睨んだ。

何故泣きそうな顔をしているのだろう。ああ、そうか


「遅刻してしまったね。お嬢さん」


俺は頭の中で出来るだけ紳士的に言葉を選び、紳士的にエスコートしようと決めた。

が、彼女の反応はただ一つ

俺の顔に強烈な踏みつけ。だった。



「…大丈夫?その顔で自己紹介できる?」


クラスを受け持つ初老の男性が俺の顔を見て心配そうな声を出した。

今の俺の顔には、先ほどの絶世な美少女の足跡が付着しているから、当然の事だろう。


だがしかし

「大丈夫です。このまま行かせてください」


この足跡は俺の誇りであり、今後一生顔を洗わないと決めていた。

運命の相手、なんて言葉では片づけられない言葉での衝撃な出会いの記しをたかが水で洗い流すわけにはいかないからだ。


「そこまで言うならこれ以上は何も言わないけど…」


教師はそう言って、これから俺が過ごすであろうクラスの扉を開けた。

この日から、俺の新しい一日が始まる。

教師が入室してからも、このクラスは騒がしく団欒している。


「はい!皆さん着席!」


教師がそう言っても、全員は黙るつもりは無い。

だが、一人二人が俺の顔を見た瞬間黙り、次第に俺の顔を見る奴が増えるたびにクラスは徐々に静寂に包まれる。


みんながみんな、俺の顔を見て黙っている。そんないっせいに俺の顔を見られては少し照れてしまうじゃないか。


「今日から皆の仲間になる、月極くんだ」

「月極です。皆よろしぶふぉえ」


自己紹介をしようと思ったら、若干の緊張から口と鼻から血だまりが吹き出てしまった。

その瞬間、クラスの半数の女子が悲鳴をあげ、男子も無言で俺から一斉に離れていく。


「ちょっと彼、今日は血まみれですけど仲良くするように」


教師はそう言って、俺が座る席を指さす。


「月極くん。今日は丁度先週から空いているあの席に座ってくれるね?」

「はい。喜んで」


しまったな、鼻血が全然止まらないぞ。

ボタボタと血が教室の床に垂れてしまう。初日早々学び屋の床を汚してしまえば世話が無い。

それに、俺の勘違いじゃなければクラスのほぼ全員が俺に恐れ慄いているような気がする。

参ったな。まるで転校前の学校の扱いのようじゃないか。やはりあの時でも悪いのは俺の雰囲気だったのか。

全く、人を見た目で判断するなんて酷い奴らだ。ただちょっと顔が血まみれなだけではないか。

席に座り、教卓の方へと視界を戻すと足元に誰かの足が見えた。

足をたどると、誰かが仰向けとなり床に寝ころんでいた。

丁度女子生徒が立ちあがるとスカートが見える位置にだ。寝ころんでいる男子生徒は物凄いギョロ目で涎を垂らしながら息を荒くしていた。


「おい」


俺が小声で声をかけてみる。だが、反応は無い。


「おい、お前だお前」

もう一度声をかけてみる。だが、反応は薄い。


「お前だよ、スカート覗いてるお前」

前かがみになり、そいつの足を掴み引きずり出す。引きずり出された男子生徒はそのギョロ目を次に俺に向けていた。


「何してんだこんな所で」

「え?あっ…えっ!?」


良く見たらこいつはハゲだった。髪の毛が一本たりとも存在していない。

エロガッパとあだ名をつけようにも、そのスキンヘッドには似つかわしくない。


「お前…俺の事が見えるのか…!?」

「お前…言い逃れをしようとしてるな?」


この言い逃れしようとしているハゲにハッキリ言ってやろうと口を開く前に、そいつは華麗に立ちあがり急に恰好つけてきた。


「ふっ…俺の存在に気付く奴が居るなんて…先週ぶりだぜ」

意外と大したことない文句を俺に告げると、窓側まで歩き光がそいつの頭に直撃し、光の反射で俺の目がやられそうになる。

HRの時間に一人、堂々と立っているのに周りの人間は極力こっちを見ないようにしてるし、教師でさえ何事も無かったかのようにHRを始めている。


「先生ー!このハゲが眩しくて聞こえませーん!!」

「無駄だ。その教師には俺の姿は見えん」


教師と他の生徒が一度俺の方を見ると、何の反応もせずに再び生徒達は教卓を見て、教師はHRを始める。


「どういう…事だ?このハゲが立ってるんだぞ…!?足を組んで眉間に人差し指まで乗せてるんだぞ…!?」

「だから言っただろう?ここに居る皆は俺の姿が見えないのさ」

このハゲの言う事が信じられなくて、もう一度ハゲの顔を窺う。

「ウッ」


また、光の反射で目がやられた。


「俺は先週…女子更衣室でみんなの体操着に包まれてパーリィをしている時に不思議な箱を見つけたんだ」


ハゲの姿が逆光で見えない。だが、何か語りだしているのは分かる。


「その箱を開けた瞬間…俺の頭に強烈な衝撃を受けて…その日から、俺は透明人間になったのさ」

「…透明人間?」

「そう、原理は分からないが気づけば誰も俺の姿を認識できなくなっていたんだ」


ハゲはそう言って、服を脱ぎ始めた。


「神様が俺に力をくれたのか、俺の潜在的な能力が目覚めたのか…とにかく誰も俺の姿を認識しなくなった。だから!だから俺は…!」


ハゲは気づけば全裸になっていた。


「この奇跡の力が消えてしまう前に、レッツエンジョイする事に決めたんだ…!」


全裸のハゲ…いや、全身ハゲのハゲは、俺の肩に手を置いた。


「見たまえ、俺が全裸になっているというのに誰も俺の姿を認識しない」

「教室に全裸の男が居たら、俺だって見たくはないぞ?」

「これはそういう事じゃない。俺の持つ力が覚醒した事による効果なんだ」

ハゲがそう言うと、俺に憐れみを込めた笑顔を見せた。何故だか凄く殺意が湧く。

「君、名前は?」

「…さっき自己紹介したぞ?俺の名前は月極だ」

「月極…俺の名前は井沢竜太郎だ」


ハゲは俺の肩を二回叩いた。同時に目の前のブラブラが二回揺れた。

このブラブラを握りつぶしたらこいつは、どんな顔をするのだろうか。


「また、お話できると良いな」


そう言って、全裸のハゲは満面の笑みで女子の目の前までわざわざ移動しながら教室を動きまわる。


「はい。それでは次の時間は数学です。皆さん遅れないように」


教師がそう言うと、周りの人間は一斉に教科書と筆箱を用意し速足で退室していった。

ああやはりハゲの存在には気づいていて、このハゲは邪見されているのだなと思っていたが、どうやら違うようだ。

良く見ると、ほぼ全員が俺を見ないように離れていく。離れていく集団の中にあの全裸のハゲが俺の方を見てサムズアップしていた。

気づけば教室内で孤立している俺。そして気づけば入学初日での初めての友人がハゲ…

ハゲが友達?


「いや…初めての会話はあの美少女だから違うな…」


だが、あのハゲがこれからも友達なのは間違いないだろう。そう考えるとちょっとだけ嬉しかった。

後は、登校時に見たあの美少女と友達になれればもっと嬉しいのだが。




午前の授業が終わり、昼休みの時間になった。

あのハゲは結局、午前中には一度も出会わなかった。

顔に付着した血は乾き、手で擦れば剥がれる程になったため、折角なので水で洗わずとも擦れば血の跡は無くなるのではないかと思いお手洗いで挑戦してみる。

血の跡は無くなったが、変わりに顔が真っ赤になった。

まぁ、次第に元の色の戻るだろう。

それよりも昼飯だ。今日は遅刻ギリギリだったので弁当が作れなかった。だから購買に行く必要がある。

幸い金はある。デビッドカードが使えれば俺は天下をとれるのだ。

だが、現実は辛辣だった。


「デビッドカードが使えない…だと…!?」


その日、俺の頭の中にあったあんぱんかれーぱん焼きそばパン計画は見事に破綻した。

俺の大好物のパンを三つ同時に食べるとこの世の天国を体験できるのではないかという計画だ。

だが、俺のデビッドが使えないとしたら終わりだ。破綻だ。この世の終わりだ。

今日の昼食は食えず、俺は餓死する運命なのだ。

気づけば俺は、屋上に居た。

そして柵の前に居た。このまま俺が柵を登れば自殺が成立する。

だが俺は、死ぬつもりは毛頭ない。世界を呪う事にしたのだ。

俺のデビッドが使えないこの学園に呪いを課せるように、屋上の床にペンで呪術の陣を描く。成功すればこの学園は悪魔に支配される事だろう。


「…月極くん?」


後ろで、声が聞こえた。なんだかとても懐かしい声だ。

いつだろう。ずっと昔に聞いた事のあるような――



頭の中で昔居た光景が広がる。緑に囲まれた田舎で、俺がまだ小学生の時に今の俺と同じくらいの年のお兄さんが居た。


『月極くん。今日は何して遊ぼうか?』


とても優しい声。その声に負けないほどに優しかった親戚のお兄さん。

いつ、どんな時も優しい笑顔を絶やさず、何をしたらその笑顔が絶えるのか興味を持って2メートルの落とし穴を作って中に大量の子ガニを入れた思い出

それでも怒らず『元気だなー月極くんは』と笑ってくれたお兄さん――



「…その声は、森嶋兄さん…!?」


振り返ると、その時と変わらない背恰好をした…ちょっと大人びて身長が伸びた森嶋兄さんが居た。


「森嶋兄さん…やっぱり森嶋兄さんじゃないか!!」

「…やっぱり、月極くん?…なんで…この学園に…」


森嶋兄さんの顔は青ざめていた。いつもの優しい笑顔ではなく初めて俺に見せる顔だった。


「森嶋兄さん…?なんだその顔は…!初めて見せるじゃないか!」


そんな初めて見せる顔に俺のテンションは上がり、空腹を忘れて森嶋兄さんの周りをグルグル回り始めた。


「良かった!森嶋兄さんはお面じゃなかったんだね!えっへへぇーい!イエーイ!!」


初めて見せる表情を見て、俺はなぜだか嬉しくて嬉しくて仕方なかった。


「まさか…転校生って…君の事だったのか…」


森嶋兄さんが何を言っているのか分からなかったが、久しぶりに兄さんに会えてうれしくて俺は奇声をあげながら兄さんの周りをグルグル回っていた。


「月極!」


さらに後方から声が響く。女の声だった。

振り返ると、長髪の女性教師であろう女が仁王立ちしていた。


「お前…転校早々問題を起こしたそうじゃないか!」

「…え?誰?」

「転校早々、森嶋を困らせるな!この馬鹿者!」


長髪の女教師は何故か俺の名前を知っていて、森嶋兄さんの事も知っている。


「まぁまぁ榊先生。僕そこまで困ってるわけじゃ…」

「森嶋もだ!そう言って月極を甘やかせば、また大きな問題を起こしてくるぞ!」


そして、ちょっと不機嫌そうにそっぽを向き、小声で呟く。


「…あと、幼馴染なんだから先生をつけるな」


その小さな声が、なんだか懐かしい声に聞こえた。

いつだろう、ずっと昔に聞いた事があるような――



頭の中で昔居た光景が広がる。緑に囲まれた居中で、俺がまだ小学生の時に今の俺と同じくらいの年のお兄さんが居た。

そのお兄さんの後ろから、一匹の豚が近づいてきた。


『あっピギー!』


森嶋兄さんと僕は、ずっとピギーと一緒だった。


『駄目じゃないか。また脱走したのかい?』


兄さんはしょうがなしに困った笑顔を見せて、ピギーの頭をなでる。ピギーは兄さんの手がお気に入りだった。


『しょうがないなぁ』


その言葉の後には、いつも楽しい遊びが待っていた。

一緒に泥遊びしたり川辺で三人で追いかけっこしたり、ピギーの足が意外と早くてビビったり…

しかし、ある日ピギーとお別れの日が来た。


『ほら!早く乗りなさい!』


暴れるピギーを抑えつけ、叔父さんはトラックに無理やり乗せようとしていた。


『森嶋兄さん。ピギーはどうなるの?』

『ピギーはね…素敵な国に連れてかれるんだよ』


ピギーがトラックに入ると、扉は閉められてそのまま車が発進した。

トラックが小さくなると、森嶋兄さんは泣きだした。

ピギーは素敵な国に連れて行かれるっていうのに、泣くなんて変だなぁと思った。

その日の翌日、物凄い量の豚肉が家に届いて皆でバーベキューをしたのを覚えている。ピギーはソーセージが好きだった。


『ピギーにも食べさせたかったなぁ』


と、僕が小さくつぶやくと兄さんは『そうだね』と精一杯の笑顔で答えた。

いつか、ピギーが素敵な国から帰ってくるのかな。と信じて――




「ピギー…!人間に…なれたんだね…!」


僕は、その長髪の女がピギーが素敵な国で人間になれたのだと嬉しくて涙が出た。


「は?」

「良かった…!素敵な国に行くって言うものだから…!もう戻ってこれないと思ってたけど…!また会えてうれしいよ…!」


涙が、止まらなかった。


「あの、月極くん?この人は榊さんだよ。覚えてないかな?」

「そっか…ピギーのままだと変だもんね。榊さんに…改名したんだねっ!」

「おい、何を言っているのか分からないが、私を昔のペットの何かと勘違いしているな!?」


人間になったピギーは、俺を忘れたのか怒りの顔で僕の襟首を掴み威嚇していた。


「お前が忘れてても私は覚えてるぞ…!よくも私を落とし穴に落としたり更に子ガニを大量に落としてくれたな!」

「え?」


ピギーにそんな事をした覚えは無かった。僕と森嶋兄さんともう一人と三人で仲良く遊んでいた筈だ。


「お前は…誰だ!」

「榊だ!お前と森嶋と三人で遊んでいただろう!」


榊…榊だと?

確か、俺と森嶋兄さんともう一人…三人でピギーと遊んでいた記憶が…

三人…三人?もう一人は…確か

……………?


「お前は……誰だぁ!」

「忘れてるなぁ!もう、完全に忘れてるなぁ!?」


襟首を掴む握力が更に増した気がした。


「はは…榊先生とはあんまり一緒に居なかったからね。あの時…」


森嶋兄さんは、榊先生の手首を握り、俺の襟首から優しく離してくれた。


「…ふん」


榊先生はそのまま俺達に背を向け、そのまま去っていった。


「…やっと、森嶋と二人きりになれたと思ったのに…なんでまたこいつが出てくるんだ…」


去り際に何かブツブツ話していたような気がする。が、小さすぎて何か聞き取れなかった。

だが、その聞き取れない声がより一層俺の記憶の底を洗いざらい漁り始める。

そう言えば…居たなぁ。小さな声でブツブツ恨みごとを言ったと思えば怒りだす女が一人

俺はその女が苦手だった事も思い出した。だが、やはり名前と顔が思い出せない。


「月極くん。あんまり榊先生をいじめたら駄目だよ」


森嶋兄さんがそう言うと、なんだか少しだけ申し訳ない気持ちになる。

だが、やはり榊先生の事は微妙に思い出せそうになかった。

だけどやっぱり申し訳ないので、必死に思い出そうとするとお腹の虫が鳴り始める。


「あっ…」


そういえば、デビッドが使えなくて昼飯抜いてるんだった。

森嶋兄さんは、その音を聞いてクスリと笑い、カバンからお弁当を取りだす。


「良かったら、僕のお弁当食べる?」

「えっ…?」


でも、そんな事したら森嶋兄さんの昼食が…


「さっき、榊先生から貰った弁当があるから、僕の作った弁当が無駄になっちゃったんだ。良かったらどうぞ」

「喜んでいただきます!」


僕は、森嶋兄さんお手製の弁当をいただき、風呂敷を広げる。

蓋を開けると、彩色豊かな綺麗な弁当がそこにはあった。

まるで、遊園地のような色遣いと食材の配置…見るだけで食欲が湧くのはさすが森嶋兄さんお手製と言ったところだ。

それをペロリと平らげると、森嶋兄さんは嬉しそうに俺の顔を窺っていた。


「美味しそうに食べるね」


そう言って、森嶋兄さんが手に持っていたのは全ての食材が灰色に染まったコンクリートのような弁当だった。


「そりゃぁ森嶋先生の弁当は天下一品…うわぁ榊先生料理下手!!」

「…あはは。あまりそう言う事も大声で言わないようにね」


森嶋先生はそう言って黙々と灰色のドロドロした何かを食べ始める。一口食べるたびに顔色が悪くなっていく。

そこで兄さんの弁当を全て食べてしまったのを少し後悔した。

だが完全には後悔しない。

あのコンクリート弁当を一口でも食べるくらいならそこらへんの生ごみを食べたほうがマシだからだ。

そう、あの裏庭にあるゴミ捨て場の…

裏庭の……


「…ああっ!」


あそこに居るのは…登校時に運命的な出会いをした絶世の美少女!


「森嶋兄さん!お弁当ありがとうおかげで元気100倍バイアグランだよ!バイバイ!」

「え?ちょっとそこは出口じゃな――」


俺は居ても立ってもいられず、フェンスを乗り越えて裏庭で悲しそうな顔をした美少女までウェアウィー・ゴー


「月極くん!?」

森嶋先生の忠告を無視し、俺は排水管を掴みそのまま滑るように下まで降りていく。

なんてことだ、一日に二回も出会うなんて――やっぱり運命ではないか!

この運命を信じていけば、いずれは俺は人生のメインヒロインである彼女に告白してハッピーエンドを迎える事だろう。

更に見間違いでなければ彼女の周りには不良が集まっていた。つまり、迷惑な奴らにナンパされているに違いない。


「そんな事は…許さないーんだ!」


滑り落ちる勢いが増し、着地した瞬間に大きな物音がなる。


「うぉお!?」


辺りから不良達が驚き慄く声が響く。

当然だ。着地した場所には巨大な木箱があったのだ。

しかも、その中には鉄が――


「…何?え?なんだ今の?」

「誰か…落ちてきたよな?」


不良達の声が聞こえる。こちらに近づいてくる足音が耳で感じ取れる。


「お…おい、大丈夫か?生きてるか?」


不良の一人が心配そうな声で俺の背中をさする。俺は、容赦せずその腕を掴んだ。


「ひぃ!?」

「ククク…ヒーロー……惨状…!!」


正しくはヒーロー参上だ。何故か俺の顔面の血の量を指示す漢字となってしまった。


「あのっあの!?大丈夫ですか!?本当に大丈夫ですか!?」

「貴様らに心配される程に俺は落ちぶれちゃいねぇのさ…!」


俺は横に立っていた美少女を横目に見て、軽く微笑みかける。

美少女は俺の顔を見て何が起こったのか分からないように固まっている。

…あれ?なんで美少女はもうスカートじゃなくズボンを履いているんだ?

…そうか。分かったぞ!こいつら…この美少女のスカートまで盗んだというのか…!


「貴様ら…許さん…!!」

「ええっ!?ちょっちょっと!落ち着いてくださいよ!」

「落ちつけるものか…!貴様ら…こいつのスカートを盗み…ズボンを履かせているのだろう…?許さん…!」

「は!?スカートを盗…は!?何言ってるんですかあんた!?」

「あー!こいつあれですよ!島崎先輩を一撃で全裸にした男っす!」


一人の取り巻きの声で、周りの不良達は一斉に一歩退いた。


「なんだって…!だから今日の島崎先輩、全身ジャージだったのか!」

「まさか…あのジャージの下は全裸だと言うのか!?」


全裸…?一瞬頭の中であのハゲの顔を思い出した。


「おい…お前ら落ちつけ。今から野村さんが来る筈なんだ。そいつならそのイカレ野郎もコテンパンにしてくれる」


野村…?


どこかで、聞いた事がある名だ。


「おい高島ぁ!お前、そいつは俺達への隠し玉だってのか!?」

「え?ちっ違っ…」


美少女がうろたえている。そうか、高島さんって言うのか。

下の名前はなんと言うのだろう。言ってくれないかな。


「てめぇ調子こうてんじゃねぇぞ!そんなイカレ野郎で俺達をなんとか出来ると思ってんのか?ああ!?」

「しっ知らない…僕…この人の事知らな…」

「うるせぇんだよ!あーあ!もうこれ高島くん終わったな!二人揃って野村さんに殺されちゃうなー!」


どうやら、高島さんがこの不良達に苛められているのは間違いないようだ。


「許さん…許さんぞ虫けら共…!よくも俺の運命の人に…!木端微塵にしてくれる…!」


俺は掴んでいた不良の内の一人の腕を離すと、そいつはそくささと俺から離れて行った。

その野村という奴がどういう奴かは知らないが、俺の運命の人をここまで侮辱するつもりなら、容赦はしない。全力で喧嘩、させてもらう。


「おいおいなんだなんだ?まだ苛め終わって無かったのかよ」


遠くで野村と思わしき奴の声が聞こえた。

あれ?やはり…どこかで聞いた事のある声だ。


「あっ野村さんちわっす!ちょっと生意気な奴が居るんすよー!」


不良が歩き、野村の為に道を作ると、野村は姿を現した。


「……あっ!」

「なんだ?調子乗ってる奴ってのは……はっ!?」


野村の顔を見た瞬間、俺達の身体には電が落とされたように衝撃を感じた。

そいつは――俺が小学生の頃の親友だった、野村幸樹君本人だった――


俺達はいつでも一緒に居た。犬糞を美味しく調理できるか実験したり、滝壺へとダイビングしたり、牛のお尻を叩いて一勢の鬼ごっこをしたり――

その鬼ごっこは小学校中を巻き込んだ大ごとになって、何人もの同級生が宙へ飛んだ。

楽しかった。

そんな青春の中、野村くんとは一番の親友だった。中学に卒業すると野村くんは何も言わずに遠くの学校へと行ってしまった…

連絡もこちらからしても一切してこなかった…とても寂しかった。

でも…今、この瞬間僕達は出会った。涙が、流れそうなほどに俺は感激していた。

野村君も嬉しいのか、目をギョロつかせて唇を震わせ腰が引けていた。


「野村くん…!」

「おい…嘘だろ…お前っ…月極っ……!!」


俺が近づくたび、野村くんは一歩一歩と退がる。


「やっと…会えたね」


俺が涙を流すほどの感激を精一杯表し、満面の笑みになると野村くんは限界まで瞼と口を開き、絶叫しながら逃げていった。


「逃げろぉ!!月極だぁ!こいつとは関わるなぁあああ!!」

「のっ野村さぁん!?どういう事っすかぁ!?」

「畜生!月極と一緒の学校にならないように選んでたのに何故居るんだぁああ!!」


野村くんの声が遠くなる。と同時に高島さんを囲んでいた不良達も遠くなっていく。


「全く…シャイな所は変わってないんだから」


いつもそうだ。いつも野村くんは俺を見かけるたびに全速力で逃げだす。

彼は図体はでかいが、シャイなのか大親友の俺を見かけるとすぐに逃げ出す。

本当にもう…ツンデレなんだから。


「……ねぇ」


高島さんから、俺をかけてきた。

これはまさか…もしかして、高島さんは俺に気があるのか!?

ははっしょうがないなぁ。まぁ、出会った時から運命的なものを感じていたから当然の結果とも言えるな。


「君…野村と知りあいなの?」


ははは。高島さんは僕の事について何でも知りたくて知りたくてしょうがないんだね?全く、知りたがりさんめ。


「もちろんさぁ!野村くんとは小学生の頃からの大親友なんだぜ!」


俺がそう言うと、高島さんは冷たい目で俺を睨みつけ始めた。それはまるでゴミを見るような目だった。


「…あっそ」


高島さんはそう言うと、そのまま校舎の中へと戻っていった。

…あれ?何故だ?さっきの目はなんだ?何故、俺はあんな目を向けられたんだ?


「友よ」


後ろの方で声と光の反射が俺の耳に入った。あのハゲの声だ。


「高島卓冶を不良から助けたね?」

「卓冶さん…っていうのか。男の子みたいな名前だな」

「そりゃぁ、男だからな」


と、ハゲは頭に太陽の光を反射させながら、さも当然のように答え…うん?いやちょっと待て?今このハゲ何て言った?


「残酷だよな。顔も身体付きも女なのに…股にはあのブラブラがついてるんだぜ」


振り返ると、ハゲは涙を流していた。

と思えば、壁に拳を叩きつけて悔しそうに泣いていた。


「クソが!ブラブラが…ブラブラが無ければ完璧なのに…!何て…何て神様は残酷なんだ!!」


そのままハゲは落ちるように四つん這いになり、絶叫とも取れる大声で泣き出した。


「あああああああっ―――!!!」


全力で悔しがるその姿勢を見て、高島さんが男性である事をじょじょに理解していく頭があった。

普通は、男だと言う事を認めたくなく、このハゲのように悲観的になるのだろう。

だが、不思議な事に俺は―――

――――全く、悲観的になる事は無く、平常心が俺の中に存在していた。



放課後になり、講義が全て終了した合図が学園中になり出す。

帰宅の支度をするとき、今日一日を振り返ってみる。

―――最高の一日だった。

この学園には森嶋兄さんが居て、かつての大親友が居て、ハゲだけど友達が出来て

そして何より……好きな人が出来た。

いや、男だから本当に好きな人かどうかは分からないのだけど、何故だか気持ちが気持ち悪い程に整理できていた。

正直、あまり戸惑っていない事に戸惑っているというか…


「月極くん」


教室の外で、森嶋兄さんが俺を呼んでいた。


「森嶋兄さん!」

「良かったら、一緒に帰らないか?」

「うん!」


俺は今までの報告をかねて森嶋兄さんの元へと駆け寄る。

そして帰り道、俺はとんでもない事に気づいてしまう。


「急な坂道の上に…家がある…だと…!?」


この通学路、登校する時には最高なのだが、帰宅する時には最悪の関門と化すのだ。

もしこれが自転車で通学していたと考えたら…恐怖で身が震える。


「ははは。とんでもない所に家を構えてしまったね」

「笑い事じゃねぇよ!」

「でも、登校する分には良いんじゃないかな?」


それはそうだけど…と言いかける前に森嶋兄さんは前へと歩き出す。

どうやら森嶋兄さんも坂の上に家があるようだ。


「お互い、帰宅には苦労しそうだけどね」

「どっちも坂上に家があるのか…」


お互いに帰宅に苦労する家路につき、足が疲れる坂を登り始める。


「…今日の学校は、どうだった?」

「いやぁもう、最高に最高だったですよ兄さん」


友達が出来て、好きな人が出来てかつての親友に出会えて

そして何より――森嶋兄さんに再び会えた。

更にこれから先も一緒に学び屋の下で過ごす事になるのだ。


「それは…良かった」


また、森嶋兄さんは顔色が悪くなっていた。

なんだか、久しぶりに会ってから森嶋兄さんの顔色が悪くなっている気がする。


「…そういう兄さんはどうなんだよ?なんだかずっと気分が優れて無さそうなんだけど」

「……月極くんはどうして、転校してきたんだっけ?」


森嶋兄さんが、痛いところを突いてきた。


「うん?そりゃぁ…ちょっと教室が爆発して」

「相変わらず、嘘か本当か分からない事を言うね君は」


兄さんはそう言いながらも、またいつもの笑顔に戻っていた。

教室が爆発したのは本当だが、その理由は言わないでおこう。墓場にまで持っていくつもりだ。


「………」


しばらくして、沈黙が場を支配した。

遠くで豆腐屋のラッパの音が鳴り響く。カラスの声も響く。女子高生がyoutubeで生配信をしながら猿みたいに騒いでる。

そんな声を聞いていると、気づけばもう家の前まで来ていた。


「あ、ここが俺の家なんだ兄さん」

「ここ…か。良い場所だね」


兄さんはそう言って、俺が家に入るまで見送ってくれていた。

そこまで見つめられると少し照れる。てか見て欲しくない。


「…月極くん」


俺がドアノブを握った瞬間に兄さんは俺に声をかけた。


「あのね、転校したばかりでこういうのも変だけど…」


兄さんは、いつにもなく沈んだ顔で、笑顔を失くした顔で答える。


「…あの学園には、あまり関わらない方が良いよ」

「……は?」


俺は兄さんが言った言葉の意味を理解しようと整理し、反論の言葉を考えている間に、兄さんはそのまま自分の家へと帰って行った。

あの学園に関わらない方が…良い?


「……深く考えずに生活しろって事か?」


あの学園の何に関わらなければ良いのか言ってない上に、考えると面倒なのでそれ以上は考えるのを止めた。

それよりも明日の学園生活が楽しみで仕方が無いのだ。明日は高島さんに何の話を持ち出して告白しようか。野村くんと何して遊ぼうか、あのハゲとどう語り合うか。

やりたい事が沢山だ。

そのまま握ったドアノブを捻り、家の中へと入って行った。



それから翌日、昨日と全く同じ時間に起床。

遅刻まで後数分。普通に登校すれば遅刻確定。

自転車で登校しても間に合わない時間。目の前には昨日とは違う台車が。


「いや駄目だ、昨日これに乗って登校したせいで怒られたじゃないか…!」


だが、目の前の台車は俺を遅刻から免れる可能性を常に提示してきて俺を誘惑する。

これに乗ってしまえば、俺は遅刻せずに済むがまた怒られて森嶋兄さんを困らせる事だろう。

森嶋兄さんの笑顔を思い出し、再び時計を覗きこむ。遅刻まで後二分だった。

………よし


「乗るか!」


台車を持ち出し、再びあの坂道を下る。


「ィイヤッホォオオオ!!」


どうせ遅刻するなら派手に行こうと思い、そのまま昨日と同じように台車で坂を下っていく。

昨日の台車とは違い、初っ端から大きなきしむ音が辺りに響く。

周りの人間がもだえ苦しむように耳を押さえうつむく。

今回は台車の車輪が外れる事は無さそうだった。

が、昨日と同じ場所の歩車道境界ブロックにぶつかり、その衝撃で俺は再び宙に浮いた。

昨日とほぼ同じ角度に吹っ飛び、今度は裏庭にまで行かずそのまま玄関に突っ込んだ。

派手なガラスの音が辺りに大きく響く――


「あああ!!?」


生徒指導の教師が甲高い声をあげて玄関先で腰を抜かし手足を使い俺から全速力で退がる。

俺はなんとも思わずそのまま立ちあがる。身体だけは誰よりも頑丈なのだ。

昨日の傷口ももう既にふさがっている。


「……月極ぁ…」


生徒指導の先生が情けない動きで去った跡に、榊先生が立っていた。

鬼の様な顔をして、俺を睨みつけている――



生徒指導室へと連れてかれた俺は、榊先生と森嶋先生と対面している。

榊先生は額に青筋を立て、森嶋先生は困ったように笑っている。


「貴様…私の言った忠告を完全に忘れているようだな」

「何言ってるんですか。貴方は誰ですか!」

「榊だ!昨日会ったのに忘れるなっ!!」

「まぁまぁ、榊先生」


森嶋先生が、榊先生とやらを宥めている。


「…月極くん。君、凄い登校の仕方していたんだね」

「いつもこうじゃないんですよ。遅刻しそうになったから仕方なくです」

「うん。遅刻してもいいから、台車は危ないからね。せめて自転車で来ようね」

「いや、遅刻も駄目だぞ。台車で来られるよりはマシなだけでな」


榊先生は腕を組み、森嶋先生は困ったように手を頭に当てる。


「そもそもなんで生徒指導室にあの先生が居ない?普通はあのゴリラみたいな先生が居るものじゃないのか?」

「権藤先生をゴリラと言うな。ああ見えて権藤先生は小心者なんだぞ。…というか私はこの学園の教頭だ!」

「月極くん…もうちょっとだけ反省して欲しいかな…」


森嶋兄さんが果てしなく困った笑顔で俺に微笑みかける。


「…分かった。もう台車で登校する事は絶対に無いよ。誓う」

「お前…それ当然の事だからな?普通は台車で登校なんてしないぞ」

「どの道台車はもう家に無いからな。リアカーでも良いですか?」

「駄目に決まってるだろう…!自転車以外の登校集団は禁止だ!!」

「…ううん。月極くん。もうちょっと反省して欲しいかな」


榊先生は大きくため息を吐いて、俺に向けて指をさす。


「もう良い。月極、お前には処分を与える」

「処分?退学とか?また俺転校?」

「………」

「それも良いが、そんな権限は今私には無い。……やってもらうのは奉仕活動だ」


奉仕活動?

まさか!


「貴様…!この若く麗しい俺の敏腕プロデュースで学園のオッサン連中に枕営業を強制す――」

「るか!!やってもらうのは学園全部の清掃だ!」


そう言って榊先生は箒とチリトリを取り出し、俺の目の前に付き出す。


「今日お前は授業を受ける事は出来ない。一日で学園内を満遍なく清掃しろ。分かったか?」

「………掃除?」

「そうだ。怠けるなよ?怠けても分かるんだぞ。まずは崩壊した玄関を掃除しろ」


淡々と怒り、淡々と事を運ばせる勢いを落とさず持ってくるのはさすがだと思った。

そんな榊先生の顔を見て、兄さんは優しい微笑みを浮かべるとチリトリを持ち


「…じゃぁ、僕も出来るだけ手伝うから、頑張ろうか」


と言って立ちあがる。


「…森嶋ぁー。お前がそう甘やかすからこいつはこんな怪物に――」

「月極君一人だけじゃぁこの広い学園全て掃除するなんて不可能だろう。それも一日で。今日、僕も授業無いし丁度良いよ」

「えっ!?兄さん今日授業無いの!?何しに学校来てんのっ!!?」

「授業なくても教師は学校に来るぞ!!」


俺と榊先生の間に兄さんが割って入る。またいつものように榊先生を宥めて落ちつく方向へと持っていくのだ。

榊先生は納得がいかないように喉を鳴らした後、そのまま生徒指導室から退出した。


「…もう、勝手にしろ!」


顔を真っ赤にして退出する様は、怒っているというより悔しがってるような顔だった。

一体何を悔しがっているのだろう…生理かな?


「ほら、月極くんも掃除するだけじゃなく、ちゃんと反省もしようね」

「何言ってるんだ兄さん。俺だって反省したよ!ちゃんと次からは台車”を”絶対使わない!」

「うん。台車”も”使っちゃ駄目だよ。遅れそうならちゃんと自転車で来ようね」


俺は箒をもち、兄さんはチリトリを持って二人揃って退出したその瞬間、二人の共同作業が始まる。



体育館倉庫からモップを二つ取り、柄からゴワゴワの方を取り出し、それを履いて掃除を始めた。


「玄関でそれは危ないよ」


と、兄さんは玄関先の割れたガラスの掃除は箒とチリトリを推奨してきた。

確かに、最初に玄関から初めて割れたガラスがモップを巻き込んだら俺の足が大変な事になる。

しかし、小さいチリトリと箒だけでは玄関を掃除するのは骨が折れそうだ。


「仕方ない…兄さん、最終兵器を使おう」

「大丈夫。大丈夫だから最終兵器は仕舞っておこうね?」

「実は体育館倉庫にブロワーがあって、それも持って来たんだ。ほら、木屑とかを掃除するあの機械だよ」

「うわぁブロワー持ってきちゃったのかぁ。ここで使うと危ないから戻してきなさい。ね?」

「これを最強にしてね。スイッチを押すとすぐに綺麗になおおおおぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


ブロワーの最強設定を正直甘く見ていた。


「うわぁああああ!!!」


空気を排出する力は予想以上に大きく、俺の足はモップになっているからか踏ん張る事も出来ず、横に転んだ後

ブロワーの口は物凄い力でうねり、口から発する風で散ったガラスは宙を舞い外へと飛んでゆく。

天高く飛びあがる破片もあれば、木に刺さる破片までさまざまだ。

空を飛んでいたカラスにまで直撃したようで、二羽程落ちてきた。三羽目も落ちてきた。


「止めて!月極くんそれを一回止めて!!」


森嶋兄さんの声で、ようやく思考が電源を止めるという発想までたどり着いた。スイッチを押した瞬間、急速で静寂が訪れ玄関は綺麗サッパリになっていた。

ガラスの破片は全て、学園の外に追いやったのだ。


「にっ…兄さん!森嶋兄さん見て!外が川のせせらぎのように綺麗!」

「これ…掃除しなきゃなぁ…」


森嶋兄さんが頭を抱えて困ったように呟いた。

俺は兄さんが何故悩んでいるのか分からなかった。榊先生は「学園内」を掃除しろと言ったのだ。外のゴミは管轄外だ。

だから僕達が掃除する義務は一切無い。モーマンタイなのだ。これで全て


「それじゃぁ次!行ってくる!」

「あっ…ちょっと!月極くん!?」


俺は近くのロッカーから更に二つ程モップを拝借して、柄を抜き取り

次に両手にモップを装着した。


「四足モップ歩行を行えば、効率良く動けるよね!」


俺は、俺なりのやり方で隅々まで掃除するように手足を上手く使って隅々までモップを巡らせ前進。


「あの月極くん!?そのやり方だと寧ろ動きにく…わぁっ!動きが気持ち悪い!」


兄さんの声が次第に遠くなっていく。そうか。モップの摩擦力の少なさで俺の動きは通常の三倍になっている。

ちょっと動けば短い時間で長い距離を掃除できるのだ。


「これなら全学園内の掃除なんてすぐだっ!」


すぐに一階の廊下が終わった。教室は今はどこも授業中なので廊下だけでも全ての階、フロアを終わらせるとしよう。


「すげぇ…!これ、一気に四段までできるぞぉ!!」


全ての手足のモップで一段ずつ掃除をすれば、二秒で4段一気に掃除が出来た。

本当にこれならすぐに掃除が終わるかもしれない。


「ウェッヘヘェーイ!ヘヘェーイ!!」


嬉しくて、楽しくて、テンションが上がってつい奇声をあげてしまう。昔から散々親にも兄さんにも注意されたのに治らないなぁ俺は。

でも、それもどうでもいい。楽しくなってきたからどうでもいい。

曲がり角をカーブで曲がる。そんな事さえ退屈に思える程のテンションな俺は回転しながら廊下を曲がる事に決めた。

楽しい、これは本当に楽しい。

こんな楽しい事を今までやってこなかった事に後悔する。

回転が止み、体制を整えると目の前に高島さんが居た。

一瞬、ほんの一瞬だが時間が確実に止まった。

高島さんは俺の姿を見て呆然と固まっている。

何故だろうか?と思い自分の姿を改めて見る。手足にモップがついている。

更に4つんばいになっていて…これではまるでアメンボみたいではないか。

俺はすぐさま悪い印象を高島さんの中で消滅させるために、敢えてモップを外さずに二足歩行に変更。そして思う存分に恰好良いポーズをとったのだった。


「おはよう高島さん。今日も輝いているね」

「…お前…その格好はどういう状況だ…?」


高島さんが恐怖に慄いた顔で俺から一歩退がる。おかしい、今の俺は非常に恰好良いポーズをしている筈だ。

そこで、昨日あのハゲから聞いた言葉を思い出す。そうだ、高島さんは確か男だった筈だ。

だから恰好良いポーズをしても高島さんには靡かないというのか…!


「はっはっは。まぁそれは置いといて。高島さんは女子更衣室の前で何を?」

「…………」


高島さんは、目をそらし、俺の顔を窺おうともしなかった。


「お前には…関係ないだろ」

「そうか…やはり高島さんが男なのは嘘で、実は女の子だったのか…」

「…違う!!僕はこんな成りしてるけど男だっ!!!」


本人自らが断言してしまった。


「じゃぁなんで女子更衣室の前で立ってたんだ!下着かっ!?下着なんだなっ!男というならやはりそれかぁ!」

「違う!!…そもそも、ここは先週から使用が禁止されてるんだよ」


女子更衣室の扉を見てみる。確かに使用禁止の張り紙がされていた。


「何があったんだ?」

「…知らないし、なんでお前なんかに教えなきゃいけないんだよ」

「俺は転校してきたばかりだから知らないんだ」

「じゃぁ、別に知らなくて良いんじゃない?」

「…そうか」


俺は女子更衣室のドアノブを握ると、鍵がかかっている事に気付く。


「古いタイプの鍵で助かったよさようなら防犯機能ぅんんあああ!!!」


俺は力の限りで扉を押し、鍵と壁の一部ごと破壊して扉を無理やり開けた。


「ひぃっ!?」

「…なんだよ普通の更衣室じゃないか」


中に入り辺りを見渡しても、特に気になる所はない。一体何が原因で使用禁止になったのだろう。ロッカーも調べてみるか


「おっお前…なっなに堂々と…女子更衣室に侵入…して…!?」

「だってもう何も無いだろう?使用禁止されてるのに使ってる生徒も居ないだろうし…おおっと!大量のブルマ発見!」

「何かあるじゃないか!」

「ほほう、それは俺のマイレボリューション達だね」


後ろの方でハゲの声がした。


「…おいハゲ、これはハゲてめぇのコレクションか?」

「ああ」

「そうか…すげぇな。ハゲお前、この量はちょっと尊敬するわ」


後ろの方でハゲは照れ臭そうに鼻を擦り「へへっ」と笑った。

部屋の入口では、高島さんが目を見開いてじっとこちらの方を見ていた。


「…ハゲって…あの…あんた…」


高島が、俺の顔を窺いながら部屋に入り近づいてくる。まるで愛の巣に二人きりになろうとしているようだ。

俺の後ろにハゲがいなければなっ!


「あんた…井沢くんの事…知ってるの?」

「井沢って、この後ろに居るハゲ――」

「無駄だ。俺の能力により高島には俺の姿は見えていない」

「―――あのスカートの中を覗いたり突然全裸になったりする変態ハゲ井沢竜太郎くんの事か?」

「あっ…ああ!そうだよ!その変態の事だ!」


伝わった…!あいつ、透明人間になってから変態行為を始めたんじゃなかったのか!?

高島の後ろでハゲが余裕の笑顔でドヤ顔を俺に見せつけてくる。不思議だ、笑顔だけでこんな殺意が湧くものなのか

高島が一歩ずつ俺の近くに詰め寄る。近づくたびに高島の方から良い匂いがする。


「お前井沢くんの知り合いなのか!?今、どこに居るか知らないか!?」

「ううんどうだろう…後数歩俺に密着してくれれば思いだしそうな気がす――」

「ふざけてる場合じゃないんだよ!井沢くんは先週から行方不明なの知ってるだろ!?」


それは初耳だ。透明化を一度も解除していないのかハゲてめぇ、おいハゲ


「おい…お前!一体何を知って――」


高島さんが俺の襟首を掴んだ瞬間、後ろのブルマまみれのロッカーは急に倒れ、隣の部屋まで俺達は一緒に転がった。


「うわぁっ!?」

「きゃあっ!!」


そのまま俺達二人は、女子更衣室の隣、男子更衣室

――ではなく、窓も無い薄暗い部屋に大量の不気味な箱と書類が積まれた部屋だった。


「…えっ?えっ?」


おかしい、男子更衣室に繋がっていたと思っていたのだが、こんな狭く細い部屋に繋がっていたとは予想外だった。

倒れている最中、てっきりあのハゲが女子更衣室とつなぐために作った隠し扉かと予想していたのだが


「なんだここ…うっ!?」


細く狭い部屋、そして最悪な程の悪臭に俺の鼻は曲がりそうになる。

一緒にこっちまで来た高島さんも、この匂いにえずき咳きこんだ。


「退却!」


俺はすぐさま起き上がり、高島さんと共に元の女子更衣室へと戻った。

ロッカーもすぐに元の位置と姿に戻り、先ほどの狭い部屋は夢だったのかと思うほどに跡かたも無くなっていた。


「はぁはぁ…何だったんだ今の?酷い匂いだったぞ…」

「ああ、そうだな…俺も嗅いだが、酷い匂いだった。俺の部屋の0.6倍もの悪臭があったぞ」

「そうか…ハゲ、お前の部屋は魔界か?」


それとも、ハゲの部屋は異世界に繋がっているのだろうか?

一度トラックが部屋に突っ込んできて、ハゲはその衝撃で異世界転生をして透明化能力を授かり…

……こういう理論で行くと、俺達はハゲとは違う世界の住民で、ハゲは俺達にとって異世界人と言う事になる。


「魔界なんて大したものじゃないさ。ただ、生まれて一度も部屋の掃除をした事がないだけさ」

「そうか。腐界か」

「…魔界とか腐界とか…現実逃避しないでよ」


高島さんが俺の袖を掴む。正直ちょっとムラッときた。


「さっきの部屋は…確実にあったものだよ。お前も僕も同時に見たし匂いも嗅いだだろ?じゃぁ、あの部屋は確実に存在していたものだよ」


そう高島さんは俺に告げ、再び先ほどの隣の部屋に繋がるロッカーを見る。

秘密の部屋。この学園にそんなものがあったとは思わなかった

思わなかったが…、それがなんだと思いたい。

俺はこの学園についてほとんど知らない。転校してきたばかりだし兄さんからもこの学園にあまり関わらない方が良いと言っていたじゃないか。


「…井沢くんの事も、この部屋と関係あるのかな」


高島さんがそう呟いた後、入口前で足を止める擦る音が聞こえた。

あっしまった。そういえば女子更衣室に居るんだった…!

いやしかしいけるか?高島さんは見た目は女の子。うまくごまかせば「間違えちった」で済ませられる可能性が…高い!

覚悟を決めて入口に向けて顔を向ける。

立っていたのは森嶋兄さんだった。


「兄さん!実は俺、高島さんが女の子だって知ってブラジャーの付け方を教えていた所なんだ!それで―――」

「…高島さん」


次に森嶋兄さんが女子更衣室にヅカヅカ入ってきた。正直、凄く驚いた。だって、森嶋兄さんはどう弁明しても女子更衣室に入れば警察に捕まるからだ。


「その部屋…詳しく調べさせてもらっても良いかな?」



僕達は森嶋兄さんに先ほどの部屋を教え、ロッカーを押して隣の部屋まで案内した。

先ほどの嫌な匂いが再び俺たちの鼻にまとわりつき、俺はもだえ転がった。

森嶋兄さんは、この部屋の光景と匂いと、箱と書類に目を通していた。

そう言えば、俺も書類には目を通して居なかった。というか匂いでそれどころじゃない。

ある程度の書類に目を通した後、兄さんはようやくロッカーを戻し元のロッカーに戻る。


「………」


いつにもなく、真剣な表情。こんな顔の森嶋兄さんを見たのは初めてで、こっちまで緊張してしまう。


「…森嶋先生?」

「ん?ああ。ごめん、ちょっと考え事してて…」


森嶋兄さんはそう言うと、俺の頭に手を置いた。


「…月極くん」

「ん?」

「君はもう、帰りなさい」

「え?」

「高島さん。…君もだ」

「…えっ!?」


真剣な顔で僕達に忠告をする森嶋兄さん。ただそれだけの事なのに俺は何故か心の奥底から凍ってしまいそうだった。


「この部屋の事も、今後多言する事はないように。良いね?」

「森嶋先生!それって……井沢くんに関係ある事なんですか!?」


いや、それはない。ないない。


「おーい!もうすぐ休み時間だから俺、廊下で仰向け移動タイムに入るぜー!」


あいつは今、こんな事に興味が無いかのように廊下に仰向けで寝そべり、休み時間が来て女子生徒が歩き出すのを待っているのだから。


「…それは、まだ分からない」

「!」

「だけど、明日になれば分かるから。だから、今日はもう帰りなさい」

「………」


高島さんが黙りこんでしまう。

そう言えば、高島さんとハゲの関係性は何なのだろうか?

この様子だと、高島さんがハゲの事が好…無い。無いな。その可能性は潰してしまおう。

ハゲも高島さんが男と知って絶望的になるほどに落ち込んでいた。だから恋愛的な要素は排除しても良い筈だ。

なら答えは一つ。お互いは友達だったという訳だ。


「嫌だなぁ…なんか」


あのハゲと、この美少女の顔立ちをした高島さんが友達だったなんて、想像するだけでなんか嫌だ。


「嫌でも帰るんだ。この件に関しては君達は関係無かった。良いね?」


森嶋兄さんは優しく、しかし圧迫的に僕達に論していた。

二時限目終了の鐘が鳴る。瞬間、廊下からあのハゲの歓喜な絶叫が響く。

その絶叫の下で、僕達二人は無表情でうつむく、お互い理由は違えど納得が出来ていない顔をしていた。



この学園にはバイオ研究室がある事を知った。なんとも不思議な事にそんな研究室があるとは夢にも思わなかったが、そこにはガスマスクがあるとの事だ。

なので、バイオ研究部にガスマスクを強請ってみれば


「ごめんな。俺達、ガスマスク無しで研究すれば…死んじゃうんだ」


そう言って、貸してくれなかった。


「…どうする?」


と、高島さんに問うと目は真っすぐ向いていて男らしい目をしていた。

すぐさま一つのガスマスクをくすねて高島さんはそこから去っていった。


「嘘ぉ!?意外と大胆ね…」


と、少し感心したが、このままではいけない。

俺もガスマスクを貰わなきゃいけないが、もう棚にはガスマスクが無かった。

なのでしょうがなく、除菌室に入ってガスマスクを脱いでいる先輩のものを拝借する事にした。


「悪いなバイオ先輩…。終わったら返すからな!」


と、聞こえない程の小声でそう告げるとガスマスクを持って俺もその場から離れた。


余談だが、後日バイオ研究室で顔を緑色にした先輩が発見され、但ちに病院に搬入された所一命を取り留めたが、その日から身体が緑色に発光するようになったという。

そして緑色の光を浴びた先輩達は、感染するように緑色に発光するようになったという。この光が人体にどのような悪影響を及ぼすのか、未だに研究中だ。



放課後、僕達は朝に入った秘密の部屋で二人きりになっていた。

若干の隙間をずらして、隣の女子更衣室が見える。そこには森嶋兄さんが俯きながらも立っていた。

バイオ研究室のガスマスクのおかげで、この部屋の異臭は全く気にならなくなっていた。


「森嶋先生、女子更衣室で何してるんだ―――」

「シッ!」


俺は、後ろで声を出したハゲに静粛の叱咤を贈った。

だが、このハゲは透明人間で周りの人間から認知されていない事を思いだし、すぐ横では高島さんが冷めた目で僕を睨んでいた。

違う、俺のせいじゃない。俺のせいじゃねぇ

だがこのハゲは再び俺にサムズアップを見せつけてきた。今度こいつが親指を突きあげたら、その親指を捻り折ろうと思う。

扉が開かれる音がした。

新しい足音が、女子更衣室の方から聞こえた。

だが、少し歩いただけで止まり、森嶋兄さんは足音の主に向き直る。

誰だろう?誰が入ってきた?

森嶋兄さんは何をするつもりなんだ?

クソッ、誰が入ってきたのか見えない。視界が狭すぎる。

しかし、僕は部屋に入ってきた人物の声に衝撃を受ける事になる。


「……なぁ、森嶋?」


榊先生の声だ。

榊先生が、震える声で、怯える声で森嶋兄さんに問いかける。


「…あっ、なぁ?ここ…女子更衣室だよな?うん。それで……あの」


視界が回って、言葉が上手く出せていないようだった。


「こっこんな所で何してるんだ?その…森嶋?」


榊先生が問いかける。だが、森嶋兄さんは何も答えない。


「あっそっそうだ!また月極を捜してるんだろ!?でもこの更衣室は今は使われてなくて使用禁止って書かれて――」

「使用禁止なのに、どうして榊先生は入ってきたんですか?」


森嶋兄さんがそう言うと、再び女子更衣室は静寂に包まれる。


「………榊先生」

「……」

「いや…榊ココネさん」

「…」

「……残念です」


残念?

榊先生の、何が残念だったんだ?

森嶋兄さんは、彼女に何かクイズを出していたのか?


「榊先生。貴方は掲示板に張られた、隠し部屋の書類の一部を見てここまで来たんですよね?」

「………」

「場所も日時も書いてない。20ページ中、5ページ目というそれだけでは意味が伝わらない書類…。貴方は、それを見ましたよね?」

「…なぁ、森嶋…お前さ……」

「隣の隠し部屋は…ココネ、お前の部屋だったんだな」


森嶋兄さんは、怒っているようだ。

兄さんの怒っている顔は見た事が無かった。から、とても怖かった。


「森嶋…もういい。もう…やめろ」

「いいえ止めません。隣の部屋の書類は一通り見させてもらいました」

「…っ!」


地面を擦る音が強く響いた。


「と言っても、暗号化されていて全ては分からなかったが…一つ、確信を得た事がある」


森嶋兄さんは俺達が居る方へと指をさした。いや、兄さんは俺達がここに居るのを知らない筈だ。

だから、正しくは―――



「お前が――殺したんだな。井沢竜太郎を」



「……え?」


後ろのハゲが、今まで聞いた事無いような声を出した。

冗談の混じりが全て消え失せたような声だった。


「井沢くんは、このずっと昔から使用禁止になっている女子更衣室に通っていた。との情報を一人の生徒から貰った」


兄さんの顔は更に険しくなる。


「そこで何をしていたのかは分からないが、そこで彼はあの”箱”を見て、”開けてしまった”のだろう」

「だから、君は殺した。つい先週の事だ」

「丁寧に隠し部屋には死体遺棄方法についても記されていたよ。濃硫酸が今日の深夜にはここに届く予定だったんだろう?」


濃硫酸…?

こんな、雑な隠し部屋で隠し通せると思っていたのか!?


「もういい…やめろ」

「やめない。君はこの隠し部屋でこれまでの事を隠し通すつもりだったんだな?」

「分かった。もう分かったから!」

「井沢が持っていた体操着がここに詰まっているのも、君は―――」

森嶋兄さんはブルマを掴みロッカーを空にする。そこには箱が置かれていた。

「――これを、隠す為だった」

「………」

「箱の中身は空っぽだった。君は、この箱で何をするつもりだったんだ?」

「お前には関係ない」

「関係なくない。君は知っている筈だ!」


森嶋兄さんが榊先生に詰め寄り姿が見えなくなる。


「知らないとは言わせないぞ!僕の兄さんは、この学校で――」

「もういいって言っているだろう!!」


榊先生は森嶋先生の襟首に掴みかかり、壁を押さえる。

正直俺には、この状況で彼らが何の話をしているのか全く分からなかった。


「お前は知らなくても良いんだ!だから…なっ?!もうここで引いてくれ!頼む!頼むから…!」

「………」

「これからも…いつもみたいに…笑って……」

「…もう、無理だよ」


それは、今までに聞いた中でも冷たく、慈悲もない声をしていた。


「君は、井沢くんを殺したんだろ?よくもそんな事が言えたな…」

「……」

「…ココネ。お願いだ。お願いだから…全てを離してくれ。君がこの学園の”アレ”に関わってる事くらいはもう知っている。だけど、まだ全部は分からないんだ」

「……」

「書類も全て、誰かに届ける報告書のようなものばかりで、君達が何を企んでいるのか分からない。だけど、君がもう”アレ”に関わっている事くらいは分かるんだ」

「……」

「なぁ、お前は一体何を考えているんだ?7年前のあの事件と言い…何をするつもりなんだ?」

「……」

「なんで君は…僕の兄さんを――した奴らなんかに」

「…なぁ、森嶋」


榊先生の声が耳に入る。今までにない程に震えていて、泣いているのがすぐに分かった。


「私は…お前と違う学校に進学して…離れ離れになって…そして…この学校でまた一緒になれて……凄く…嬉しかったんだ…」

「……」

「また…一緒に居られるって…ずっと一緒に居たいって…一緒に笑いあいたいって思っていたんだ…」

「……」

「だけど…もう…何もかも…遅かったんだな……」


榊先生は隠し部屋に繋がったロッカーとは違うロッカーを強く殴った。

その瞬間、部屋が急に明るくなる


「!!」


辺りを見渡すと、物凄い早さで隠し部屋の書類と箱が燃えていた。


「ココネ!!お前っ――」

「…はは…ははは…!もう無駄だよ…!その部屋は跡かたも無く炭となり消える。遺体も燃え尽きる…!」


やばい、この状況は本当にやばい!

高島さんはあまりの突然の事に呆然となり、次第に大声をあげる準備をしている。

逆にハゲは何も衝撃に心ここにあらずと言った感じだ。


「おい!ハゲ!高島さん!やばいぞ、早く隠し部屋を開け――」


だが、気づけば隙間は消えていて出入り口の隠し扉はガッチリと閉まっていた。


「はっ?…あっ!!?おい!開かねぇぞ!!何これ!?えっ!?夢っ!?」


あまりの突然の事で、先ほどまでの二人の会話を必死に理解しようと頭をフル回転させていたからか、唐突の事に上手く頭が働かない。

隠し扉の奥で、兄さんの必死な声が聞いてとれた。


≪月極くん!!?そこに居るのか?!≫

「兄さん!そうです!僕達今オーブンの中でバーベキューされているんです!」

「おい!お前まだ余裕あるなっ!?」


高島さんの意識はようやくこちらに戻ってきた。

だが、ハゲの心はまだここにあらずと言ったところだった。


≪月極…?おい…嘘だろっ!?≫


更に、扉の奥から榊先生の声が響いた。


≪ココネ!早くこの扉を開けるんだ!≫

≪まっ待て!もうこうなったらスイッチが利かないんだ!どいてろ!≫


扉の奥から物凄い勢いで扉を蹴る音が響く。だが、全く歯が立たない。


「おい全然効いてねぇぞ!」

≪月極くん!!その部屋に出れそうな所はあるかっ!?≫


そうだ、兄さんの言う通り部屋は暗く無く、むしろ火の光で明るくなっている。

これなら、隅々まで見渡せ――


「……冗談はやめてくれよ…」


高島さんがボソリと呟く。その通りだ。

この部屋には、扉や窓はおろか排気口すら無い。

完全な密室状態で火が燃え移り、脱出は……


「…兄さん」

≪月極くん?≫

「今まで…ありがとう」

≪月極くん!?≫

「こいつ!すぐに諦めやがったぁ!!」


今まで扉の向こうで蹴る音が急に鳴りやんだ。

次に、両手の拳でロッカーの奥を叩く音がこちらまで響く。


≪くそっ…!また…まただ!また…私は…私は過ちを犯してしまった……!!!≫


次に、頭突きでロッカーの奥を叩く音が…


≪私は…また…誰も……守れ……≫


扉の奥で、榊先生が号泣し泣き叫ぶ声がこちらにまで響く。

きっと、これが俺達が最後に聞く悲鳴なのだろう。そう思うと悲しくなる。

だが、不思議と俺の心は平常だった。

それは隣に高島さんという美少女のような顔立ちの人が居るからだろう。

この人と二人きりで死ねるなら、と思えばこんな死も悪くない


「やだ…僕は…嫌だ!死にたくない!」


だが、高島さんがそう絶叫した瞬間、俺の頭の中で響いた。

言霊というのか、高島さんの絶叫の言葉の意味が俺の頭の中で反響する。


「…おい、ハゲぇ!!」

「月極…」


俺は、ハゲの肩を掴もうと手を伸ばす。だが、俺の手はハゲの身体を突きぬけた。


「俺…透明人間じゃなかったんだな」

「…ああ、最初から透明人間なんておかしいとは思ってたよ」


俺に幽霊が見えるというのもおかしいとは思うが、今はそれどころじゃない。


「お前、幽霊なら今みたいにすり抜けられるだろ!?なら外に行ってレスキュー隊を呼んで――」

「何言ってんの!?今レスキュー隊呼んでも間に合わないだろ!!」


後ろの高島さんがそう声をあげる。そういえば部屋は物凄く狭い事に気づく。

部屋の酸素が減り、更に熱で呼吸が苦しくなる。

息ができない。身体が焼けるように熱い。いや、焼けているのか。

ガスマスクを被っているだけで更に呼吸が苦しくなるため、俺と高島さんはお互いガスマスクを外していた。

火は、もう目と鼻と先にまで存在する。棚が大きな音を立てて崩れる。


≪何だ!?何の音だ!≫


倒れた燃え盛る棚が先ほどの出入り口を完全に塞ぐ。

これで、唯一の出入り口から脱出する事は完全に不可能となった。


「……あ…ぅぅ…」


その光景を見た高島さんは、もう希望が無い事に完全に気づいてしまったようで、絶望の底に落ちたような顔をして、そのまま泣きだした。

ああ、俺はこんな美少女を泣かしてしまったのだと思うと悲しくなる。

生きる希望を失くした高島さんは、そのまま座り込み大粒の涙を流す。


「…まぁ、そんな気を落とすなよ」


ハゲは、俺達の間に挟み肩に手を置く


「幽霊の生活ってのも、そんなに悪くないぜ」


そう言って、ハゲは今日一番の笑顔を俺達に見せた。いや、高島さんは見えていないのだろうが。

こんな清々しい笑顔を見せられたら、こんな絶望的状況でも笑顔になれそうだった。

確かに、こいつの幽霊での生活ぶりは死んでいると気づいてなかったとは言え凄く楽しそうだった。

それに彼女…いや、高島さんと一緒に誰も見てない、いや見えない場所での生活も悪くないかもしれない。


「そうだ、最後に俺が今どこに居るのか教えてやるよ。あそこの箱の中さ」


そう言って指差したのは、ゴムのような容器に蓋をしたような箱の中だった。

そういえば兄さんが濃硫酸で溶かすつもりだと言っていた、確かにあの容器は濃硫酸では溶けないから死体遺棄には最適だとブレイキングでバッドなドラマで言っていた気がする。


「…最後に、あのハゲの顔でも見てやるか」


そう言って、僕はそのゴム箱の前まで進んでいく。高島さんはそんな俺の事をじっと見ていた。

箱の前まで行くと、そのゴムだけ微妙に燃えて無くて掴みやすそうだった。

生きている姿のあのハゲを見るのはそういえばこれが初めてだと、箱を思いっきり掴む。


「――熱っつぁああ!!!」


思いっきり掴んだままエビ反り、そのまま壁に箱が激突する。

瞬間、壁は燃え盛りもろかったのか、薄かったのか勢いと共に崩れ俺はそのまま学園の外へと放り出された。


「ぁあぁあああああああああああああ!!!」


箱を掴んだまま落ちていく俺の身体、手にはまだ箱を掴んでいる。頭の上には箱、箱の上には地面。

そして来る地面んへの衝撃。俺の身体は箱の蓋に突っ込み蓋は割れ中身にご対面した。

地面との衝撃からか、目はギョロリと飛び出て頭のハゲは青紫色に変色していた。


「きゃぁああああああ!!!」


まるでゾンビのようなその死体と匂いに俺はもだえ苦しみ、転がりまわる。


「えっ…おい、何だあれ?」

「あっ…あっ!?おいあの部屋!燃えてるぞ!?」

「おい!あそこに居る人も燃えてるぞ!?」

「あっ!あれ昨日の月極じゃねっ!?誰かと抱きついて―――」

「いやぁああ!あれ死んでる!!」

「逃げろぉ!あいつ死体で遊んでるぞおおお!!」

「ひぃい!!だから言っただろ!?あいつと関わるとろくな事にならねぇんだよぉおお!!」


周りの人間は凄い勢いで逃げていく。何人かは警察と消防署を呼んでいる。

いや、今はこいつらとハゲの死体の事なんか相手にしてられない。今は――


「高島ぁ!!」


俺は起き上がり、壁に大穴が開いた燃え盛る部屋に取り残されている高島さんを見上げた。


「――っ!!」


高島さんの頭の中は、更に混乱している事だろう。

燃え盛る部屋、壁の大穴、箱の中の腐乱死体、更に場所は二階――


「降りてこい!!」


俺は、高島さんに向けて大きく腕を広げた。


「俺が!受け止めてやる!!」

「……はぁ!?」


上の方から高島さんの声が響く。


「そんなのより、マットを持って――」


瞬間、高島さんの後ろから巨大な炎が高島さんを襲った。

その爆発のような勢いを受け、高島さんは部屋の外へと放り出される。


「高島ぁあああああ!!」


俺は、全速力で走り、高島さんが落ちていく方向へと走り向かう。

後二メートル。走り、走れ、絶対に――

俺は手を伸ばす。例えこれで俺が死んでも、絶対に受け止め――――



複数のサイレンの音と、赤い光が学園中を囲み消化活動が行われる。

幸いな事なのか、部屋の仕様なのか火はその部屋以外には燃え広がず、消化活動はその部屋を鎮火させるだけで事足りた。

そしてハゲの…井沢竜太郎の死体。部屋は燃え広がり書類も箱も何一つ残っていなかったが

榊先生が自ら、警察に出頭して自分が井沢竜太郎を殺したのだと生徒と教師の前で自首をして、彼女は緊急逮捕された。


「……お前が、この学園に或る存在に歯向かい戦うというのなら…もう私は止めはしない」


最後に、榊先生は森嶋兄さんに向けて言葉を贈った。


「だが、最後に私のワガママを聞いてくれないか」


榊先生の顔は、とても清々しく、だが、涙を浮かべていた。

その顔は、付きものが取れたというよりは、目の前の相手を心の奥底から想っている顔だった。


「どうか…死なないでくれ」


榊先生がそう言った後、パトカーに乗せられけたたましいサイレンの音と共にどこかへと去っていった。


「………」


高島さんが、その様子をただじっと見ていた。

ちなみに、先ほど俺は彼女を助けるために手を伸ばしたのは良いものの、花壇の段差につまずきそのまま転ぶ。

高島さんは転んだ俺をクッションにして俺の背中に起きてくる。おかげで凄く腰が痛かったが、俺はとても誇らしかった。


「……井沢くんは…」


だが、高島さんが最初に名前を出したのはあのハゲの名前だった。正直かなりショックだった。


「井沢くんは…僕が野村に苛められている時…助けてくれたんだ…」


高島さんがそう答え居ている時、ハゲは婦警さんのスカートの中身を仰向けになって覗いている。


「初めて会った時は、衣服全てを女子のブルマで覆っていたんだけど…その時に井沢くんはね…」

『お前らそこをどけぇ!そこに居られたら…その子のパンツが覗けないじゃないかっ!!!』

「って、言ってくれたんだ」


何て最低な奴だ。


「だけど、僕が男だって知ってから凄い無表情になってね。でも、すぐにまたいつもの調子で笑顔になって…「俺って、恰好良かった?」って、言ったんだ」

「変な話だよね…。そんな、僕を助けるためにやってた事じゃないって…下心があった事も分かってたのに…僕は…井沢くんの親友になっていたんだよ」


「………」


「最初は下心があったんだけど、その日から僕が苛められても…井沢くんは助けてくれたり、一緒に遊んだり楽しく離したり…凄く…楽しかったんだ」


「……」


「ただの行方不明だと信じたかったな…でも……」


高島さんは、俺の顔を見ると、お互い顔を見合わせるような、そんな状況だ。

高島さんは、意外にも笑顔で俺と顔を見合わせていた。


「…ありがとう…ございました」


「……」


「井沢君を…助けてくれて…僕を…助けてくれて…ありがとう」

「凄く…嬉し…かったよ…」


高島さんは俯き、笑顔を無理に作ろうとして涙を流した。

当然だ。そんな簡単に感情をコントロール出来る筈が無いのだ。

だが、後ろではあのハゲは婦警さんのパンツが覗けたのがガッツポーズをしながら勝利の舞いをしていた。台無しだ。


「…そういえば…まだ…自己紹介をしていなかったね…なんでか、君は僕の名前を知っていたけど」


そう言って高島さんは、顔をあげて、いつものキツい睨み顔でなく、優しい笑顔を俺に見せていた。


「僕の名前は高島…高島卓冶って言うんだ。へへっ、名前は男っぽいよね」


そう、高島さんは子供っぽく無邪気に笑う。

その笑顔を見て、俺はようやく気がついた。

俺が好きなのは、女としての高島さんではなく美少女顔の高島さんではなく、

性別なんて関係なく、俺は高島さん本人が好きなのだと。この笑顔が、高島さんの全てが好きなのだ。

そう考えると、今までの戸惑いが無かったのもショックをあまり受けなかったのも当然だ。



だって、俺は”男”になりきれなかったのだから。



「…そうだな。やっぱり”私”は、男にはなれそうにないな」


俺は、いや”私”は、胸に巻いたサラシを外し隠していた胸を解放した。

胸の盛り上がりは、シャツの上からでも主張して大きく揺れる。

その私の胸を見た高島さんは、驚きのあまりに笑顔が完全に消えていた。

私の性格や行いは、周りの人から女らしくないとよく言われた。

だから、新しい新天地では性格や中身を変えるのではなく”性別”を偽れば誰からも何も言われず楽しく過ごせるのではないかと思っていた。

だが、そうする必要も最早必要ない。

これからは、ありのままの自分で、嘘も偽りもない。隠し事も必要ない。


「私の名前は、月極蘭子。結婚を前提に友達から初めてさせてくれ」


毎日が純粋な、私の素晴らしき日々なのだから。



月極蘭子(げっきょくらんこ)の素晴らしき日々…終】



暗闇の部屋で、毛布を被りパソコンを点けながら眠り呆ける女が死んだように眠っていた。

パソコンの画面からアラームの窓が現れるとけたたましい音が部屋に響く。

うっとうしそうに女は起き上がると、パソコンの画面をタップしてアラームを止める。

そして机の上に置いてあったカップラーメンの蓋を開け、女はラーメンをすすり学校裏サイトを観覧しスクロールする。

スレタイが新しく作られては消される。正義感あふれるスレタイがこの裏サイトを警察に告発すると言う内容のものを送った者も居た。

当然スレは消され、その後その〉〉1の姿を見た者は居ない。

こんな自由に書き込める中傷批判のユートピアに関わらず、無駄にディストピア状態だからこそ毎日似たような話題しかない。

こんなのを見ていれば学校に行きたくなくなるのも当然の事だろう。自分は悪くないと女は自分を正当化し続けている。

「ん?」

その中で女は、気になるスレタイを見つける。

<87:森嶋明弘を排除するスレ>

昨日まではこんなスレ無く、また新しく個人の中傷批判スレを立てたのかと思っただけだった。

だが、中身を見るとそんな思いは一瞬で吹き飛んだ。


1:裏生徒さん: 2016/07/13(水) 12:36:26.18ID:114

 森嶋明弘という先生がDKに気付き始めています。

 殺人も辞しません。

 585234 983426 89252


2:裏生徒さん: 2016/07/13(水) 12:44:54.48ID:514

 DK(ドンキーコング)


3:裏生徒さん: 2016/07/13(水) 12:55:26.83ID:364

 えー森嶋先生のアンチすらいんの?あの先生良い人じゃん

 他の先生と比べたら全然マシだろ

 てか殺すって何よ


4:裏生徒さん: 2016/07/13(水) 13:06:26.08ID:793

 それより下の数字なんだよ?暗号?


5:裏生徒さん: 2016/07/13(水) 13:13:33.54ID:893

 携帯で打ってみたぞー!


 なやなかさた らやさたかは やらかなか


 あ行ばっかじゃねぇかお前ん家!!


6:裏生徒さん: 2016/07/13(水) 13:26:26.11ID:666

 ついに来たか…機関も本気だな…

 殺人も辞さないって、森嶋先生なにしでかしたんだ?昨日の榊先生が逮捕さらてからの腹いせ?

 あのヒス女勢いで生徒殺して死体を隠してた人間のクズだゾ



森嶋先生が殺害予告されている上に謎の暗号。そして榊先生の殺人

この学園で何かが起こっている。

それを調べるには、ニュース速報と他のスレを調べても明らかだった。


「………へぇー…」


女は笑う。笑うたびに揉みあげの三つ網は揺れ、メガネの反射で目が見えなくなる。

学園に殺人が起こり、火事や死体が発見され、転校生や教師の逮捕で学園は今大混乱に陥っている事だろう。

そんな状況のクラスを見てやり、笑ってやるのも悪くない。と思い女は毛布を脱ぎ立ちあがった。

髪はボサボサとなり、長い間部屋から一歩もでていないから長くなって独特の臭いを発している。

風呂は…まぁいいかと頭を掻きながら気がえる。

久しぶりに部屋から出ると、両親はどんな顔をするのだろう。あ、今は仕事で居ないか。

と、女は制服に着替え部屋から出た。足元の昼飯に気付かずオムレツを踏みつぶしてしまう。


「ああぁ……」


ラップしてあっただけまだマシだと、勿体ないから女は屈み母が作った昼飯を今ここで食べる事にした。

食べてから学校に向かおう。

そう、二階の廊下で遅めの昼飯を平らげた後、女は食器を台所に戻し玄関から家に出る。

久しぶりに浴びる日光に嫌になりそうになった。


「……ああー」


久しぶりにあびる日光に溶けるようになる。が、女は前へと歩き出した。


「…ひっふひひっ」


というのも、混乱している学園がどうなっているのか見たい。ただそれだけの理由が活力となり前へ前へと進んでいく。

その隣で、二人乗りして学校をサボっているらしきカップルが通り過ぎる。

二人してイチャイチャして、これからどこに行こうかと笑いながら語り合う。


「…ちっ、リア充が」


そうボソリと呟くと、更に隣に男女の二人組が通り過ぎる。


「へぇえぇええい!!」


女の隣で、タイツを前進で履いて顔と足しかないような恰好をした女と女みたいな顔をした男子の二人乗りした台車が通り過ぎた。


「ぎゃぁぁああああああああ!!!!」


女みたいな男子は悲鳴をあげ、足しかない女にしがみつく。何かを喋っていたが、声が遠くなり聞こえなくなった。


「………?」


一瞬、何か物凄いものが通り過ぎたようで何が起こっているのか全く分からなかった。

だが、その光景が学園に相乗以上の混沌が待っているのだと思い


「……フヒッ」


ちょっとだけ笑ったと同時に、ちょっと怖くなった。

 

続く

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