ハンスという男2
ハンスという男を語る上で、外せない点がひとつある。それは、無類の喧嘩好き、という性分だ。
立ち寄った街々で、ガラの悪そうな、血の気の多い人達をわざわざ探し、挑発をする。相手が手を出してきたら、ひらりひらりとかわしつつ、おちょくり、蔑み、罵倒する。
そして相手の限界が見えたところで、これでもかと殴り倒す。最後に有り金を失敬して、路銀の足しにする。
本来ならば官吏の厄介になりそうだが、本人の強さと金離れのよさ、そして顔の広さで不問に付されることがほとんどだった。
*
村を出てから四半時ばかり。黙々と歩く私達を、太陽が照りつける。
このあたりはあまり肥沃な土地柄ではないためか、まばらな林が点在する程度。木陰でのんびり散歩、とはいかない。
その上、ハンスの歩く速さが私にとってはいささか速すぎる。すぐにへばりそうだ。
「ねぇ、ハンスさん」
「ハンスでいい。で、何だ?」
「歩くの速すぎ」
「鍛練が足りんな。ぬはははは」
笑われた。しかもそれだけなの?
カチンときた私は行動に移る。ハンスの空いている左手に飛び付いた。
「何してやがる?」
ジロリ、と睨まれる。私も負けじと睨み返し、歩くのを止めてずるずるとハンスに引きずられる。
しばらくその状態が続く。するとハンスが折れた。
「…わかったから止めろ」
「嫌よ」
「何でだ?」
「離した瞬間、走り出すつもりでしょ?」
「あ、バレた?」
やっぱり。まったくこの人は…
とりあえず歩く速さは落とすことに成功したので、よしとしておこう。
*
歩き始めて一刻あまり。さすがに疲れてきた。そこで私はハンスに話しかけた。
「ねぇ、ハンス」
「何だ?」
「そろそろ休憩したいのだけど」
「ふむ」
いったん止まるハンス。思案顔でうんうん唸っている。
「わかった。ここいらで少し休憩しよう。そこの木陰でいいだろう」
ハンスの指差す方を見遣れば、そこには大きな木があった。そこそこ葉も茂っていて、一休みするならちょうど良さそうだ。
ハンスとともに木の脇に腰を下ろす。麻袋から竹筒を取り出して、ゆっくり飲む。
冷たくないのが残念だけど、おいしく感じる。ふぅ、生き返る。
私がほっとしていると、ハンスが腰に提げている袋からりんごを取り出した。件の金属の棒を手に取ると、おもむろにりんごを切った。
よく見れば棒の先が刃に変わっていて、長い棒を手慣れた感じで動かしている。すぐに切り終わり、ひと切れを私に投げて寄越した。
「それでも食っとけ。疲れた時にりんごは効く」
「ありがとう」
礼を述べて、りんごをかじる。シャリっという音と一緒に、りんごの甘酸っぱい味が口一杯に広がる。
「おいしい…」
「そうか、そいつはよかったな」
そう言いながら、りんごをもしゃもしゃと食べるハンス。いくら歩いたとは言え、さっきあれだけ食べたのに…この人の食欲は底なしなのだろうか…
そんなことはいいとして。いい機会なので、私はハンスにひとつ聞いてみることにした。
「ねぇ、ハンス。聞いてもいい?」
「あん?なんだ?」
「ハンスは、魔法使いなの?」
初めて会った時から思っていた疑問。人を投げ飛ばし、火の玉や雷、それに金属の棒…驚くことばかりだ。
「ふむ…まあ厳密には違うんだがな。細かいことや定義をはしょって、至極一般的な認識で言えば、そうなるな」
「じゃあ今日見たのは魔法なの?」
「まあな」
魔法使いのことは、聞いたことがある。でも、今まで会ったこともないし、物語の世界の話だと思ってた。
「私、魔法使いに会うのは初めて」
「だろうな。俺らみたいなのは大抵国か貴族に雇われてるからな。その辺に縁のない奴らとは、なかなかな」
「そうなんだ」
「まあその辺の話は晩飯の時にでもしてやる。だからさっさとりんご食っちまえ。今日中に山の麓まで行きたいからな」
ひとまず、りんごを食べることに集中する。りんごを食べ終え、水も飲んで、竹筒を仕舞う。
今一度確認して、立ち上がる。ハンスも立ち上がり、歩き始める。
今度はハンスの左手に抱き付かないで、手を繋ぐ。特に何も言われなかったので、そのまま歩いていった。
*
休憩してからさらに一刻。どうにか日が暮れる前に山の麓に着くことが出来た。
夕陽が半分ほど沈んでいる。山も、空も、森も、すべてが紅く染まっている。
私達は、道から少し入ったところにある泉に腰を落ち着けた。すぐそばに一部屋くらいの広さがある、洞窟というか、窪みが山肌に開いている。
雨露をしのぐのもむつかしくなさそうだ。そして泉もあるから水にも困らなさそう。
「さてと。さっさと火を起こすか」
山肌の窪みに荷物を置くと、ハンスはそう言った。そしておもむろに金属の棒を掴むと、手近なところにある、一本の木の前に立った。
高さはハンスの2倍くらい、太さは私の頭くらい。そんな大きさの木だ。
またしてもそこはかとなく嫌な予感がする。するとハンスは金属の棒の先端を弯刀に変え、振るい始めた。
あっという間に、木は切り株を残して切り刻まれた。これを薪にでもするのかな?
「とりあえずマリーは枝を集めろ。こいつで火を起こすぞ」
「わかった」
言われた通り、枝を集めてひとつにまとめる。ハンスがさらに適当な大きさに切り揃えた薪を用意した。
枝と薪を適当に組み上げて焚き火の準備は終わった。最後にハンスが火を付ける。
棒を薪に近付けて、言葉を紡ぐ。
「静謐なる炎よ、我が意に依りて発火せよ」
すると棒の先から握り拳大の炎が現れた。枝に、薪に、次第に燃え広がっていく。
薪が完全に燃えてきたところで、ハンスは棒を離した。先端から出ていた炎はすでにかき消えていた。
「これでいいだろう」
そう言うと、ハンスは余った薪を見繕い、焚き火の脇に置いて腰を下ろした。私もそれに習い、向かいに座った。
「それじゃ、晩飯の支度でもするか」
「支度ってどうするの?」
「まあ見てなって」
すると金属の棒を地面に刺した。半分ほど刺したところで、真ん中からぐにゃりと折れ曲がった。
あっけにとられる私を余所に、作業は進む。先端が薄く広がり、ちょうど鉄板が火の真上にある状態になる。
さらに、先程まで背負っていた麻袋の中から何かを取り出した。…これは干し肉?
取り出した干し肉を棒の平たい部分に置いた。肉の焼ける音とにおいが辺りに立ち込める。
「こいつはそのまま食えるが、焼くなり炙った方がうまいからな。パンは持ってきただろう?出しな」
頷いて袋から一切れパンを取り出す。そこにハンスが焼いた干し肉を置いた。
「冷めないうちに食ってみろ」
そこで、一口食べてみる。干し肉なのにあまり固くなくて食べやすい。
しかもおいしい。何かのハープにでも漬けたのか、ほんのりと爽やかな香りがする。
さらに少しだけ辛いのだけど、これがまた食欲をそそる。味気ないパンでもいくらでも食べられそうだ。
「ハンス、これおいしい!」
「当たり前だ。俺は食にうるさいんだ」
相変わらずもしゃもしゃと食べているハンス。彼の食欲は衰えることがないらしい。
*
「何だ、もう食わねぇのか?」
最初のパンと干し肉を食べ終えた私は、もう十分だ。ハンスは未だに食べ続けているけど。
「私はもうお腹一杯だから」
「ふうん。ならいいがな。食うことは人生において最大の楽しみだからな。それにガキの時分は沢山食わないと健康な身体が作れんぞ」
もう笑うしかなかった。とりあえずハンスが食べ終わるのを待つことにした。
パン五切れと干し肉七切れを食べたところで、ハンスは食事を終えた。どんだけ食べるのよ。
棒を元に戻して脇に置くと、ハンスが話し掛けてきた。
「どうだ、干し肉はうまかったろう?」
「うん。とってもおいしかった。ありがとう」
「いいってことよ」
「あの肉、どこで買ったの?」
私がそう聞くと、またしてもトンデモ発言。
「はぁ?あれは俺が作ったんだ。旅の必需品だぜ」
ソウナンデスカー。ハハハハハ。
そして一拍。
「ところでハンス」
「何だ?」
「魔法について話してよ。さっき話してくれるっていったでしょ」
「ああ?そうだったか?」
「りんご食べながら言ったわ」
「ふむ…まあ寝るにはちょいと早いし、暇潰しに少し話してやろう」
こう言って、ハンスは話し始めた。