プロローグ
人には、人生の分かれ道というものが存在する。生死を分ける時あるいは人生を大きく左右する場合だ。
10歳の時の私は、まさに人生の分かれ道だった。まずは、その時点から、話を始めるとしよう。
*
私は今、全力で走っていた。何故なら追われていたからだ。
少し肥えたおっさん。ぼさぼさの髪、明らかに手入れしていない服、そして手には粗悪そうな片手剣。
まあ一言で言ってしまえば、絵に描いたような盗賊だ。そんな奴に、私は追われていた。
「待てよガキ!大人しく捕まれや!」
「嫌よ!誰があんたみたいなオッサンに!」
その時、たまたま飲み屋の戸が空いているのが見えた。咄嗟に中へ飛び込んだ。
転がるように奥へ移動して、窓を開けようとする。が、なかなか開かない。
「大人しく捕まれや〜安心しろよ、殺しはしねぇからよ〜ゲヘヘへ」
戸の方を見遣ると、件の盗賊がいた。にへらにへらした嫌な笑いを浮かべている。
「娘っ子は高く売れるからなぁ…まあ、その前に俺様が『試食』してからだけどなぁ〜ヘヘヘ」
頭の中で危険を知らせる早鐘が鳴り響く。は、早く逃げないと…
と、その時だった。「ズズ〜」と何かをすする音が聞こえた。
私も盗賊も、ギョッとして音源を見遣った。すると、店の隅に誰かがいた。
…しかも食事中。これでもかと、モシャモシャと食べ続ける。
卓の上には大量の空き皿。残りはパンとサラダとスープが…ってどんだけ食べるのよ、コイツ。
「へへへ、いいカモがいたもんだ。まずはこっちだわな」
いち早く復活した盗賊が近付いていく。そして剣を振り下ろした。
私は目を逸らせなかった。やられる、そう思った。
が、盗賊の剣は、あと少しというところで止まった。な、なんで!?
よく見れば、大食漢1号は、首をかくかのように、食事をしたまま、右手の指二本で剣を挟んでいた。盗賊が押しても引いてもびくともしない。
「人の飯を邪魔しやがって」
突然話し始めた大食漢1号。どうやら男のようだが、年は若いようだ。
その瞬間、盗賊の剣が粉々に砕けた。私は自分の目を疑った。
盗賊も同じだったようで、目を見開いて柄だけになった剣を見つめる。固まったまま声すら出ない。
大食漢1号は立ち上がるや盗賊の顔を無造作に掴み、持ち上げる。盗賊の悲鳴と共に、顔からは骨の軋む嫌な音が聞こえた。
そのまま、壁に向かって盗賊を投げる。すると壁はおろか、隣の家すら貫通して、盗賊は見えなくなった。
あり得ない。いくら木造だからと言って、人一人投げて隣の家まで貫通するはずがない。
「おいそこの子供。水持ってこい」
混乱する私を他所に、男はそう言った。仕方がないので適当なものを見繕って、甕から水を汲む。
「ど、どうぞ」
水を渡すと、男は飲み始めた。それはもう豪快に。
よく見れば、男は年の頃20くらいで身長は平均的。しかしかなり痩せていて、何よりつり目の眼光は異様に鋭く、まるで獣のようだ。
男は水を飲み終わると手近な卓に置き、おもむろに立ち去ろうとする。私は慌てて引き留める。
「ち、ちょっと待って下さい!」
「何だ?」
「お、お願いです!助けて下さい!」
「あー…」
すごく複雑な表情をされた。しかし私も引き下がれない。
「お願いです!盗賊なんかに捕まりたくないの!もうあなたしか頼れる人がいないの!だから…」
「…仕方ないな。俺は慈善活動家じゃあないんだがな」
髪をガシガシと掻きながら、渋々といった態度で了承された。そしてトンデモ発言。
「めんどくせぇな。盗賊皆殺しか。ちょっと待ってろ」
言うや否や、男は駆け出す。その際、壁に立て掛けてあった、金属の棒みたいなものを掴んでいった。
私も慌てて追いかけたが、すぐ見えなくなった。走り去った方向的に広場だと思い、そちらへ走った。
広場へ着くと、物陰から様子を伺う。件の男は、盗賊一味と対峙していた。
およそ50人はいるだろうか。半円状に男を取り囲んでいる。
「誰かこの坊主の相手してやれ」
盗賊の首領らしき男が叫ぶと、一人の盗賊が男に近付く。
「へへへ、悪く思うなよ。自分を呪いな!ヒャヒャヒャ!」
鉈を振り上げた時、男が動いた。
無造作に男が棒を薙いだ。すると、盗賊の首と腕が転げ落ちた。
誰もが絶句した。当たり前だ、棒で首が飛んだのだから。
しかし、よく見れば、棒の先端が変わっている。槍の穂先を弯刀にしたみたいな形だ。
「て、てめぇ!何しやがった!」
盗賊の首領が吼える。
「んなの見ての通りだボンクラども。頭と身体が永遠にオサラバしただけだ。ああ、ついでにこの世ともオサラバしたがな」
「てめぇら、やっちまえ!」
「おおー!」
気勢をあげ、男に群がる盗賊。しかし、次々と斬り伏せられていく。
ただ、見ていて不思議に思うことがあった。首やら腕やらが、文字通りの意味で飛んでいるのに、血飛沫が全く飛んでいない。
そんな風に思っていると、あっという間に残りは数人となった。大勢は決したようだ。
すると我先にと逃げ出す盗賊達。男は仁王立ちのまま、刃先を一団へ向ける。
「蒼き炎よ、我が意に依りてかの者を滅せん」
刹那、刃先から一条の光が飛び出す。蒼白い、圧倒的な、力迸る光。
半瞬遅れて、凄まじい音がした。まるで、雷のような。
慌てて目を逸らし、耳を塞ぐ。だがすぐに光も音も止んだ。
恐る恐る元の場所を見遣るが、変化は何もない。盗賊が消えたこと以外は。
「おい、もう出てきていいぞ」
男が振り向き、声を掛けてきた。明らかに私を呼んでいる。
怖かったが、仕方がないので男のそばへ。…妙に焦げ臭い。
「とりあえず片付いたぞ。これで拐われる心配はなくなったわけだ」
「あ、ありがとうございます」
ひとまず礼を言う。するとまたトンデモ発言。
「俺はもう行く。達者でな」
「待って待って待って待って下さい!わ、私の他に、この村の人を知りませんか?」
「いんやぁ…いねぇだろうな。誰か生きてる気配はしねぇな」
両手をつき、項垂れる私。自然と涙が溢れてくる。
「お、お父さん…ううっ…」
とめどなく涙が溢れる。私は泣き続けた。
壊れてしまったかのように。泣くこと以外を忘れてしまったかのように。
*
私は涙が枯れるまで泣き続けた。ようやく落ち着いた頃、男が話し始めた。
「もう落ち着いたか?」
私は涙を拭いて、男を見上げる。
「とりあえず、だ。ひとつ提案をしてやる」
「…なに?」
「この村の状態は、さっき言った通りだ。ここから、少なくとも3マイル以内に人はいない」
「…」
「だから、だ。とりあえず近くの街まで連れていってやる。近くに親戚くらいいるだろ?」
私は静かに首を振った。
「お父さんもお母さんも、親がいなかったって。今まで親戚の話は聞いたこと、ない…」
「あー…」
男はガシガシと髪を掻きながら、低く唸った。
「わかった、わかった。あー…よし、じゃあこれでどうだ。お前にはふたつの選択肢がある。このままここに残るか、俺と付いてくるか、だ。もし付いてくるなら、知り合いにお前のことを頼んでやる」
「……」
疑い深い目をしていたのだろう。彼は更に続けた。
「安心しろ。これだけの盗賊を殺して戦利品がお前だけじゃ不釣り合いだ。カシラの頭を番所に出して賞金貰った方がいい」
「………わかった。付いてく」
「わかった。お前、名前は?」
「…私の名前はマリー。マリー・ライン。あなたの名前は?」
「ハンスだ。ハンス・バッハ」
*
これが、私にとって、人生の大きな分かれ道であった。また師匠であり、呪われた魔術師たるハンスとの出会いでもあった。