もぐった
穴の中には田中がいた。
「田中。田中だよな? こんなとこで何をしているんだ」
僕が呼びかけると田中がこちらへ振り向いた。僕から田中までの距離は五〇メートルばかりあったが、田中はふわふわと浮いてすぐにここまで漂ってきた。
「驚いたか。これはおそらく、穴重力というやつだぜ」
田中はどうも、僕より穴について詳しいと見える。
それが露呈するのは僕にとって不名誉なことなので、「ああ、穴重力だろうな」と相槌を打っておいた。田中は特に不審がることもなかった。
「しかし、穴の中というのは、案外小汚いものだな」
あたりは床雑巾のように黒ずんだねずみ色の洞窟で、道はよれよれと折れ曲がり、地面や天井にはくしゃっとシワが寄っていた。少し離れた人の顔がぼんやりわかる程度に薄明るくて、どこに光源があるのかはさっぱりわからない。壁が光を透過していると考えるのが妥当だろうか。どうもそういう三次元的な論理はいらない気がする。
「おい、おまえ、ペニスをどこにやった」
田中が僕の下半身を見てにやにやと笑った。
穴の仕組みを知っているとすれば、彼は僕が何をしたかすでに気づいているはずだろう。
そして僕は彼の下半身を見てくすくすと笑った。
「おまえこそ。ペニスはどこにいった」
僕らは顔を見合わせてけらけらと笑った。
それからゆっくりと愉快さをかみ砕いて、僕らは「とりもどす」ことに決めた。
「みてみろよ、穴クラゲだ」
僕の顔のすぐ横を、フリルのついたマカロンのようなものが漂っていた。
突いてみると、穴クラゲは真っ黒になって死んだ。
下に落ちた死骸はすぐに溶けて消えた。