リクと紗香
見る間に地面が近づき、公彦は墜落した。
体に伝わる衝撃は無かったが、心はパニックだった。
目の前に見える風景が理解できない。
「はぁはぁ、空が、遠い。なんだこの葉っぱは?誰だよ鼻息荒いのは!」
見回すと丈の長い草むらの中にいた。
「痛くはない、痛くはないけど・・こりゃぁやばい。死ぬかと思った」
「こらリク、何してんの?」
女の子の声がそう言った。
フン、フン。
公彦の顔のすぐ横で荒っぽい鼻息がする。
「うわぁ!」
驚いて飛び起きると大きな犬と目が合った。
「はぁ?なんだお前も?俺が見えるのか?」
大きな犬は何も答えないまま公彦を見詰めている。
「ほらリク、行くよ」
女の子はそう言うとリードを重そうに引っ張った。
「アレッ・・一倉?」
学級委員の一倉紗香だった。
きょろきょろ周りを見てみるとそこは見慣れた景色が広がっている。
公彦は河川敷のグランドを見下ろす土手の草むらの中にいた。
大きな犬は何度も振り返りながら歩いて行った。その眼は公彦に付いて来いと言っているようにも見える。
ゆっくり立ち上がり、ふらつく足取りで紗香と大きな犬に付いて歩いた。
「そういえばアッチとコッチはどこ行ったんだろ」
しばらく歩いていくと住宅街に入った。学校からは結構近い所だ。
「へぇ一倉はここに住んでんだ」
「ただいま、ほらリクおいで、ご飯あげる」
紗香は家の脇にある大きな犬小屋の中で、洗面器ほどの器に餌を入れた。
大きな犬がそれを食べているのをしばらく見ていたが、すっと立ち上がると家の中に入って行った。
「おい、どこ行くんだ?って聞こえないか」
公彦も付いて家の中に入って行った。
「ふぁ暑い!汗がすごいや、お母さんシャワー入るよ」
「もう入るの?また汗かくわよ」
「そしたらまた入る」
「まぁご自由に」
公彦は眼を丸くしながらそのやり取りを聞いていた。
「マジで?そうなの?いいのこんなことあって?」
呟きながら、でもそっと彩香の後を付いて行く。
紗香は脱衣室に入るとチュウチョなくTシャツを脱ぎ始めた。当然なのだが。
「おい?ムヒ!こりゃぁ・・・」
公彦は一応洗濯機の陰に身を潜めてみたが、目を皿のようにしてその光景を見ていた。
「お前、そんなことで良いのか?」
「え?」
何処からか聞こえたその声は、妙に落ち着いた低い声だった。
「誰だ?」
「外にいるよ、さっき会ったろ?」
「え?だれ?」
窓から外を見ると、さっきの犬小屋があった。
中の犬はゆったりと体を休めている。
「お前の声か?」
「私にはリクという立派な名前がある。それに君らより随分と歳は上なんだがね?」
「そ、そうなのか?犬の歳はよく分からないけど」
「まぁいい。でも彼女は私の主人だ、私は覗きの様な輩から彼女を守るのも使命だと思ってる」
「除きの輩って、俺か?」
「そうだと思ったが、違うか?」
「・・・いや、あってる」
「では阻止しよう」
リクはそう言うと大きく響く声で吠え始めた。
ワォウ!ワォウ!
「なぁに?どうしたのリク!?」
紗香は下着にかけた手を止め窓から顔を出した。
ワォウ!ワォ!
余りのやかましさに母親まで駆けつけてきた。
「どうしたの紗?」
「うん、分かんないけどリクが、表に誰かいるのかな?」
「窓はちゃんと閉めなさいね」
「うん分かった」
と言った紗香の声が後ろで聞こえた。
「あれ?」
気が付くとリクの横にいた。
「なんで俺、外にいるんだ?」
「私に注意が向いたからこちらに来たんだ」
「そうか、じゃあ戻ろう。イテッ!」
振り向きざま壁にぶつかった。
「ふふ」リクがほくそ笑む。
「あれぇ?なんでぶつかるんだ?そんでなんで笑ってる?」
「ふふ、君にはかなり良心があるようだ、安心したぞ」
「なんだよそれ?」公彦は怪訝な顔で尋ねた。
「君ら魂は、心で意識したものには触れるらしい。つまり君は覗き見に抵抗
があったのだろう、だから壁が意識されてぶつかったんだ」
「あぁ?、なんだよそれ、もう」
「そう落胆することはない、もっと他にやるべきことが・・」
「そうか!他を見に行けばいいんだ!」
「え?おい何を言ってる?」
「そうだ学校行ってみよう、そうだそうだ」
公彦はリクに答えずフッと姿を消した。
「・・他にやるべき事があるだろ?」
リクは口を開けたまま呆然とした。
目の前の景色が白くゆがんだかと思うと、すぐに別の景色が再構築される。妙な映像だ。
「あれ?ここはどこだ?学校じゃない」
公彦は大きな建物の隣の駐車場にいた。
「変だな、学校の部室をイメージしたのに何でこんなトコヘ来たんだろ」
見た事の無い場所だ。
ベランダの無い、窓ばかりが並んだ壁を見上げながら玄関を探すと、サイレンが近づいてきた。救急車だ。
「そうか!ここは病院か。ん?あれは」