表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

姫勇者シルビアの冒険

──first stage;少女独白


 我輩は姫である。名前はシルビア。とある小国の王家に生まれたが、故あって姓、即ち国名は名乗るなと(じい)に含められているので、名乗れない。

 由緒栄えある我が生国の御幡を掲げられないのは、まったくもって遺憾であるが、平身低頭で頼み込んできた老人の願いを無下にするほど我輩は人間出来ていない訳でもない。

 しかし、違和感を覚えないほど頭の出来も悪くはない。爺自らがそのような不敬ともとれる提言をするはずがない。すると、そう仕向けたのは必然的に父上であろう。筆頭家老たる爺に指図できるのは、我輩か父上か、あるいは王妃殿下だけである。


「父上ったらもう」


 まったく我が父上ながら国王陛下の考えることはよく解らない。娘の栄誉ある門出において名を隠せなど、為政者としての思惑以前に、王者としてのなんたるかに欠けているようにも思われる。

 だがまぁ、そこは陛下の娘たる我輩だ。考えは理解できずとも、父上の心境くらい手に取るように推察できる。


「分かっておるとも父上。貴方はシャイなのだな」


 きっと、そうに違いない。娘が英雄として名を上げる。そうして家名が世界に轟くことで、恥ずかしがり屋な父上の心臓は止まりかねないのだろう。その為の予防線と思えば、可愛いものではないか。

 結果が出てから勇名を周知させるということは、周囲には臆病風の保険だとか、失敗を恐れての隠蔽だとか疑われることは必至。それらの風評を気にも留めず、娘の偉業を信じた上で、尚且つ国王たる自身の体を労るのだから、我が父上ながら王たる者の振る舞いを理解しておられると讃えるしかない。流石だ。


 いやはや。そう、門出である。我輩は今、旅に出ている。それも供回りを多いに侍らせた姫としての公務ではなく、僅か一つの手提げ袋に、一振りの剣、そして一人の従者を従えただけの、着の身着のままの流れ旅である。危険と苦難に満ち溢れた、俗世を渡る流浪行である。


 これでも深窓の姫君として、若い貴族達からの青い熱情を一身に受けてきた身である。己の容姿、振る舞いには、相応の自負もある。我輩はあまり知らないが、世間一般から見れば我輩にそのような旅は不似合いであろう。旅の吟遊詩人とか、流離いの無頼人とかにお似合いの所業だ。


 しかし、しかしである。今の我輩には、この旅は誰よりも相応しく、何よりも重大な使命を孕んだ責務であるのだ。そう大言できるだけの根拠も、確かにある。


「嗚呼、神よ。我が祖たる英霊の御霊よ。我輩を御選び賜うたこと、心より感謝奉る」


 何を隠そう、我輩が勇者として覚醒した、言わば勇者姫──いや、姫勇者である。


先日、神殿の大司祭に神託が下された。それは破滅に瀕する当世を救うべしとする、救世の預言。悪を討ち、魔を破り、邪を滅する神聖なる勇者を選定するものだったという。そこで選ばれたのが、我輩ことシルビアであった。

これが知れた時、それはもう王宮は悲喜こもごもと荒れに荒れた。か弱き王女でしかない我輩に白羽の矢が立ったのだから、それはもう論争が巻き起こるほどに貴族会は紛糾したとか。


細かい議論の内容や経緯は知るところではないのだが、中でも最後まで反対したのは父上であったようだ。最愛の娘である我輩を死地に送り込むとあっては、その心中たるや察するにあまりある。

しかし我輩とて王族。民を守り世を治めるは血の盟約であり、義務である。命を賭す覚悟など母の胎から産まれ出でたその日より完了している。父もまた、そうであろう。現にこうして我輩を送り出してくれたのだから。


幸いにして、王位継承者には不安はない。陛下と王妃殿下との間に生まれた我輩の異母弟、異母妹がいる。まだ幼き彼らの健やかなる成長は、爺をはじめとした忠誠深い家臣団がいれば問題はないだろう。

幼き弟妹らの暮らす世界を護ることも、先に生まれた姉の使命である。ならばこそ、私は怯懦も未練もなく、神務に邁進できるというものだ。


 旅の目的地は大陸西海岸に位置する我が国内の最西端にして、大陸の最果て、世界の終点。暗黒山脈の中央に座する最高峰・シーバリーガル。

 その最奥に君臨する諸悪の顕現、太古の怪物、破界の暴虐。その名も悪竜パパゲーナ。彼のものを討ち果たすことこそが、勇者たる我輩に課せられた宿命なのだ。


 ふと耳を澄ませば、ごうごうと唸る風鳴りが聞こえる。彼の悪竜の咆哮だろう。山が、震えている。暗い波動で大気が張りつめているのだ。恐るべき怨敵の存在は、雄大な自然にすら余波を及ぼしている。ますますもって捨ては置けない。


「さらば故国よ」


我輩と従者が歩くのは、暗黒山脈の一歩手前。ここまでの道程は、我が足で歩いたわけではなく、我輩を慕う家臣達が荘厳な馬車を牽き、ここまで連れてきてくれたのである。彼らの心遣いには感謝の念しかない。

 無論、彼らをこれ以上の危機に晒すことは我が矜持が赦さず、早々に城へと帰らせた。彼らの期待に応えるためにも、この試練、しくじるわけにはいくまいよ。


背には宝剣アレクサンダー。王家に代々伝わるという、勇者の佩刀に相応しき逸品なればこそ、その重みに身体が震える。情けないことに、それは武者震いばかりというわけにもいかない。少なからず、我輩は威圧されていた。歴史の重さに。天預の重責に。

しかし、そんな不様は憶尾にも出してやるものか。

我輩は勇者である。常に堂々たらねば、なんとする。


「ゆくぞ巨悪よ」


面には不敵な微笑みを。背筋に一本筋を入れ。胸を張り、暗黒の雲に覆われた天空を見上げれば、俄然、気力が我が身を満たす。あの澱んだ空は、悪に脅える世界の嘆きだ。民の悲しみだ。


晴らして見せよう、この空を。


「さぁ、聖戦の幕開けだ」


私には、故郷がある。傍には、心強い宝剣がある。黙って死地に着いてきてくれる、頼れる従者もいる。恐れる余地など、有りはしないのだよ。


……うむ、やはり、“我輩”にして正解であった。勇者というからには、一人称が“わたくし”ではこうは締まりも決まるまい。



◇◇◇



──second stage;賢人奴隷


(お姫様は相変わらずの能天気か)


俺の前を歩く簡素なドレス姿の少女は、名をシルビア・オブ・バルトという。度々呟かれる発言から察するに、彼女は、自身に降りかかっている現状の悲惨さをまったく理解していないようだ。

  俺達を置き去りにしていった御者らの、侮蔑に満ちた嘲笑う顔も彼女には見えていなかったのだろう。見えていれば、如何な王女とて平静でいられるはずはない。


(昔からそうだったな)


端から見ているしか出来ない身分の俺だったが、そんな自分でも解るほどにシルビア王女は王宮内で浮いていた。

 今更ながらに呆れてみても、詮無いことだ。どう考えたって、なんの武威もない少女に国家存亡の行く末を預けるわけがないことぐらい、子供にだって分かるだろうに。

 あるいは、敢えて現実を直視しないことで心を守っているのだろうか。いかにも少女らしい機微ではあるが、ことこの娘の場合、ただ何も考えていないだけだろう。


有り体に言ってしまえば、シルビア王女殿下は勘違いをしている。こうした残念な頭の出来が、彼女を今の境遇に置いたと言っても相違無い。


彼女は、切り捨てられたのだ。よくある言い方をすれば、生け贄という奴だろう。国内に居座る悪竜、かつて古き時代に大陸を荒らし回ったと伝えられる化け物。その天災とも言える被害を畏れるが故に、定期的に差し出される人身御供こそが、彼女に課せられた役目である。

 

 無理強いされた不可抗力の結末とはいえ、そんなお姫様に付き従う不幸者が俺だ。仲間内では情深い方で通ってはいるが、それにしたって限度もある。

 俺の名は“お節介焼き”のメロンボール。またの名を、バルト王家所有奴隷26号。お姫様は寡黙な従者だとでも思っているようだが、検討違いも甚だしい。

寡黙なのは、喉を潰されて物理的に声が出せないからだ。付き従うのも、胸くそ悪い我が主であるバルト王家筆頭家老からの厳命があったからだ。あの老害こそは、面従腹背の権化に違いない。


命令の内容は単純だ。一に、王女の監視。二に、王女を確実に悪竜の元へ送り届けること。その為の手菅や、手段は予め上から含まれている。

しかし考えても見れば、これは危険域にむざむざと踏み込むような真似をするわけで、姫だけでなく俺だって無事では済むまい。


要するに俺は使い潰されるだけの駒なのだ。正直言えば死ぬのは御免だが、頭のどこかでは仕方がないと受け入れてしまっていた。 俺の血筋は、四代前から王家に飼われている生粋の奴隷の血脈だ。生まれてすぐに、家畜に言葉は要らぬと喉を潰された。

 父も、祖父も、代を経て刻み込まれた服従者の遺伝子には、そう簡単に抗えない。それに加え、何と言っても、王家に刻まれた奴隷の刻印が俺からあらゆる自由を奪っているのだ。


こうした理由から、俺については諦めもつく。俺に子は居ないが、それも考えようによっては幸運なことだ。子々孫々にまで屈辱の呪縛を遺すことに、さしたる意味があるようにも思えない。


そうすると、憐れなのはこのお姫様の方である。外見は、まさしく姫君の手本のように麗しい。すらりと長い手足に、透き通るような、北国の雪を思わせる白磁の肌。風にたゆたう艶やかな金髪に、しっとりと潤みを帯びた青い瞳が相まって、一個の芸術品のようでもある。国内外の野心ある若手貴族達にしてみれば、まさしく引く手数多となっても可笑しくない上玉だ。

 これだけの器量がありながら、古臭い因襲と、つまらない権力争いによって、この少女の命は残酷に喪われるのだ。


人柱たる少女の身と同じく、悪竜への供物として持たされた見た目ばかり豪勢な宝剣を背にして無邪気に笑み作る王女を見ると、どうにもやるせない。


(王族の因果ってのも、憐れなもんだよ)


一介の奴隷でしかない俺には、ただただ彼女と死地に落ちていくことしか出来ない。あまねく王宮の暗部を伝えようにも、焼き潰された喉は音を発することも出来ない。

 口の聞けない俺を相手にするとお偉方はどうも気が緩むようで、好き勝手に各々の悪事を自慢するのだから、俺はその手の裏事情ばかり詳しくなってしまったものだ。しかし、それも外に出せないのでは無用の長物でしかない。


 今更無力感に苛まれるでもない。奴隷である人生しか知らない俺には、むしろこんな仕打ちは日常茶飯事だ。

 だが、どうせあと幾ばくかで死ぬ命ならば、何かしらの傷痕を遺したいとも、想いが募る。

 これが、長きに渡る服従で失われた男の心なのだろうか。かつて、俺の先祖が持っていたであろう、野心という奴なのか。


「そうら、行くぞメロンボール。覇業への第一歩は、ここに端を発するのだ。我らの歩みは勇気の行軍だ。天を仰げ、空を衝け。心配するな、お前は我輩が守ってみせるよ」


鬱々と下向きに足を進めていた俺の目の前に、いつの間にやらシルビア王女の姿があった。

その振る舞いの自信と勇気、覇気と凛々しさに満ち溢れたことといったら、まさしく昔語りに聞く英雄のようである。

やはり、彼女は真実を何も知らない。奴隷である俺よりも無知で、道化じみていて──だからこそ、強いのだろうか。


少女の表情は、相変わらずの不遜な笑み。身の丈に合わない御飾りの大剣も、彼女の背にあっては業物の光を放っているようにすら見える。


(成る程。伊達に王族ではなかったのか)


古来の王とは、人たらしである。迷える大衆を纏め、率い、一つの集団として縛り上げることのできる人身掌握の手練れのことである。

そう考えれば、この若い王族の娘には、成る程その素質は大いにあるのだろう。


(だが、お姫様。生憎ですが、貴女の臣下はこのちっぽけな奴隷男一人ですぜ)


残念ながら、彼女が王家の女として世界に名を残すことはない。古代から繰り返される干からびた風習の一環としてその命を捧げ、人知れずこの世から消えて行く運命にある。



だが、今は。今だけは。


(俺が、貴女の臣下だ。貴女の王国の、国民だ)


我ながら酔狂な考えだろうが、この期に及んで構うものか。未完の王には、たった一人の家臣がいれば十分だ。ならば、俺がそれになってやるまでよ。


いつの間にやら、俺はこの勇敢無知な張り切り屋のお姫様にほだされていたようだ。奴隷仲間にあだ名された、“お節介焼き”の悪癖だ。情深いのも、考えものか。いや、いいじゃないか。最後の最期で、奴隷以外の性根を抱いて死ねるのならば。


口を聞けない俺だけれども、意思の表示はできるのだ。王女の啖呵に応えるように、久方ぶりに腹の底から笑ってみせる。王女も笑う。太陽にも負けぬ快笑の花。こちらの思惑は、多分、彼女に伝わった。


俺は従者だ。この小娘の。

俺は家臣だ。この王女の。

俺は国民だ。この国王の。


「いい顔で笑うじゃないか、メロンボール」


これで二度目だ。同胞以外に名前を呼ばれたのは、一体いつ以来のことだろうか。中々に新鮮な感覚である。

そうだ。俺はメロンボール。

26号なんて素っ気ない名は、もう死ぬまで呼ばれもすまい。


明るくない結末は避けられないはずなのだが、如何せん生まれの賎しい俺は大概に現金な性質をしているようだ。年甲斐もなく、奮えてしまう自分がいる。


 図らずも知り得た主との、不可抗力にして勘違いまみれの勇者の行進。こんな旅も、どうして結構悪くない。


(あるいは、馬鹿な子ほど可愛いと言うのは、こういう気持ちを指すのだろうか)


成る程。親になる楽しみという奴は、こんな所に潜んでいたのか。仲間内では声無しながらに知識者だと表されてはいたが、こればかりはなってみるまで解るまい。



◇◇◇


──third stage;悪竜想起


『なんやのん、これ……』


そこに意味がないと判っていても、男には言わねばならない時がある。と、ワシは思う。


『またこのパターンかいな』


何度呟いてみようとも、ワシ以外の誰にも判じ得ぬこの竜語(ドラゴンワード)。同族ならまだしも、小動物どもには大気を震わすこれらの音が、ある種の言語とすらも解るまい。


しかし、数十年のうたた寝から久方ぶりに覚醒すれば、まず目に入ったものの珍妙なことといったらない。

 我が塒に相応しきと腰を据えた大陸最高峰の頂には、荒れ果てた場にそぐわぬひ弱な二匹の生物がいた。二匹の猿──ニンゲンと言ったろうか。それのデカイのと、小さいの。小さい方など、その乳臭さから見るにまだまだ赤ん坊のようなものではないか。


『またぞろ、生け贄っちゅう奴か。ほんま、ええ加減にせえよしかし』


これ自体には、大した感慨もない。ああ、またか。その程度なものである。麓の国のニンゲン共は何を勘違いしたのか、四、五十年周期でこうした小猿を送り込んでくるのだ。十中八九、畏れ奉るワシにこれでも食って鎮まれというのだろう。別段ワシが奴らを脅かしたわけでもなかろうに。

 いや、何百年か前にはちょいとばかり鼻持ちならなかったことがあり、近辺で鬱憤ばらしをしたような気もするが、まさかそんな小さなことには拘泥しまい。


さておき、この小猿共である。先にも述べた通り、こうした事柄事態に珍しさはない。ワシが気にしておるは、その小猿の様子である。


例年通りであれば、乳臭い小さい方のはニンゲンの小娘であろう。これまで見知ったそれらは、どいつもこいつも悲壮感やら絶望間やら知らないが、鬱陶しく沈鬱な気配を撒き散らしていた。

悲劇の舞台上もかくやと言わんばかりか、さめざめと涙しながらワシの前に跪くのである。

 一端に、我が身を捧げる聖女を気取っているのか。

 だがしかし。


『ドラゴンは(マナ)食って生きる。常識やでこれしかし』


 こんな骨ばった小猿を食う必要は、ワシには一片たりともないのであるが。

 何を勘違いしてか、ワシがニンゲンなんぞを食らうと思われている。ご丁寧に、毎度毎度米粒のような御供の宝物とやらも持参しているようだが、はっきり言ってワシにはなんの価値もない。


 今回もまたその宝物とやらはあるらしく、小猿の小さいのが剣らしき物を背負っている。が、ワシから見ればまさしく小針のごとき丈の無さ。一体ワシにどうしろというのだ。使えと言うのか。


『しかし、なんやのこの子』


 わざわざ今回も無駄足を踏みに来たニンゲンであるが、今度ばかりはどうにも毛色が違う。

 まず第一に、二匹いる。これまでは乳臭い小猿が一匹で来ていたのだが、今回は大きい方のも連れ立っている。単に生け贄を増やしただけなのだろうか。

 第二に、そして最も違和感のある箇所であるが、小さい方のニンゲンの立ち振舞いである。


「やあやあ、遂に見えたぞ悪竜パパゲーナ! 噂に違わぬその巨体、相手にとって不足はない。この姫勇者シルビア、全身全霊をもって、いざ、お主を成敗してくれよう! たとえ我輩が朽ちようとも、悪を裁つ正義の炎が絶えることはない!」 


『ほんまなんやのんこの子』


 ワシの後脚の爪先ほどもない身形で、爪楊枝にもならん小針を振り回しながら、ふんぞり返って何やら騒ぎ立てておる。凝らしてみれば、その目は今までの輩とは一寸たりとも似つかない、炎々と輝く暑苦しい何かに充ちている。


 一つばかり翼を羽ばたいてやれば、紙っぺらよりも軽々と吹き飛ばされていくようなちっぽけな存在の癖に、こいつはワシに挑んでいるのだ。あまつさえ、己の勝利を疑っておらん。


 まさか、ワシの前に立ってこのような挙行に至るものが居ろうとは、夢にも見たことはない。蛮勇や無知の愚行か。何にせよ、こんなことは数千年の竜生でもここ暫くは無かったことである。

 これまでの小猿どもは喰らうも面倒だったので、尾の一払いで山麓まで掃き飛ばしてやっていたが、こいつはそうしても再び勇んで参上せんばかりの気迫である。

 ナリは悲しいほどにちいちゃいが。


 そこで小猿から目を離し、もう一匹の、大きい方のニンゲンを見てみれば、またしてもワシには奇妙なものが写る。いや、奇妙というよりも、どこか気に留まると言うべきか。


 大きい方のニンゲンもまた、ワシの前に立つ稀有な個体である。しかし、そこにワシを恐れている風は見てとれない。こいつの目線は一時たりとも揺らぐことなく、小さい方のニンゲンに向けられているのだ。


『ええ度胸しとるやないかい』


 小動物の分際で、眼前の絶対者を眼中にすら入れ得ぬ理屈などあるまいに。かつては煩い程に逃げ惑っていたものだが、いつの間にやら、ニンゲンとやらの生存本能は朽ち果てたか。

 あるいは、本能を凌駕する程の道理が、この小さきニンゲンに秘められているのか。

実を言うと、これこそがワシの気に留まる点であった。

 

『何やったかいの、なんか、見たことあんねん』


 刹那、ワシは刮目した。見えるものが変わったわけではない。この視線に込められたものに、既視を感じたからだ。

 大きいニンゲンが小猿を見る眼には、かつてワシも受け取っていた確固たる感情がある。忘れもしないこの想念。


 そうだ。これは、父性である。愛しき我が子を見守る、暖かき父の眼差しである。なんのことはない。このニンゲンは、やんちゃな子を見守る父親の目をして、この荒涼たる山頂に立っているのだ。


 嗚呼、懐かしきは純然たる幼き日々。閃光のように次々に去来する走馬灯は、古き牧歌の景色を描き出す。遥か遠き故郷にて、兄弟姉妹と戯れながら、偉大なる父とともに大空を舞ったあの時代。


『……田舎の父ちゃん、息災かいのぉ』


期せずして、天を仰ぐ。この優美なる世界の中で、我が父は未だに何処かの空の下で風を切っているのだろうか。彼の人と袂を別ち、独りとなって未知なる空へと旅だったあの日から、気がつけば千にも渡る歳月が過ぎ去っていた。


よもや、脆弱なる小動物風情にこうした慕情を想わされるとは、予想だにしなかった。いや、吹けば失われるような小さき存在だからこそ、互いに互いを想う開明的な情動が可能なのかもしれない。 か弱き命にも、我らと同じく愛は存在するのだ。


これに奮わぬは、情趣に優れた我々、高貴なる竜種の裔としての矜持に悖る。ここらで一つ、里帰りと洒落こむのも一興か。


『ほんなら、土産の一つでも考えたらにゃ』


そうと決まれば話は早い。元よりこの塒は一時の仮屋。多少なの愛着はあるが、離れると決めた心を阻む程でもなし。折角なので、帰郷の切っ掛けとなったニンゲン二匹にでもくれてやろう。最早、小動物にかかずらっている謂れはないのだ。


久方ぶりの飛翔である。翼を広げ、身体を起こす。試しに風を起こせば、かつてと違わず吹き荒ぶ。どうやら鈍ってはいないようだ。善き哉。足元でニンゲン二匹が吹き転がっていったが、どうでもいい。


ワシはそうして、飛び立った。天へと飛び込むこの感覚。やはり、空は良いものである。



◇◇◇



──epilogue;勇者凱旋



「うぎぎ……はっ!? 何があった! 竜はどこだ!?」


(何処かに飛び去ったか。危うく、山から投げ出されるところだった)


巨大な竜種の去った数分後、二人は土まみれになりながらもようやっと立ち上がった。翼を広げると全長百メートルにも達する巨竜の羽ばたきは、人間二人を吹き飛ばすには過剰なほどであった。


「あれ? 居ないぞ。まさか逃げたのか? 我輩の勝ち? 気迫の勝利?」


(そんな馬鹿な。何もしてないだろう姫様。しかし、事実そうなったのと変わりはないのか?)


二人して疑問符を浮かべながらも、やがて一方の少女が万歳三唱もかくやと盛大に勝鬨をあげ始めると、もう一方の男も微妙な顔のままに主君の勝利を祝うのであった。


「うわぁい、やったよ! 我輩やったよ母上! 天国で見ておられるか!」


きゃいきゃいと喜び跳ね回り、すらりと長い手足をフル活用し全身で悦びを表現していたシルビアは、はたと気がついた風に、従者の側へと寄り付く。


「有り難うメロンボール。お前が居てくれたからこそ、我輩は巨悪を打ち倒すことができたのだ。お前もまた、勇者と名乗る資格を持っているのだぞ」


(身に余るこってす)


背丈が届かないのか、のっぽの従者の袖を引っ張り中腰にさせての激賞は、当のメロンボールには実感の伴わない空言である。

しかし、よもや巨竜を去らせた真の立役者こそが彼であり、ある意味でシルビアの言葉が的を射ていることを、彼は知るよしもなかった。そして、一生知る術もない。真実は、空の彼方へと飛び去った後である。


「さて、あまり実感はないけど使命は果たしたし、取り敢えず、帰還しようか。勇者らしく、堂々とな」


(移動手段は徒歩だがね)



◆◆◆



 てくてく歩いて王都に凱旋した二人を待ち受けていたのは、大混乱であった。


「ひ、姫様が? 今さら何故此処に!」


「生きて戻るわけがない!」


「災いじゃ! 悪竜の災いが降り注ぐのじゃ。聖句を唱えねば。神なる力で清めるのじゃ! あそれヌァームアームィドゥアーブトゥーッ!」


上から筆頭家老、国王、大司祭である。その他諸々の貴族達も王女帰還の報に上を下への大騒ぎとなり、てんやわんやの阿鼻叫喚、七転八倒の天地大乱であった。


「皆してそんなに感激しなくても、なぁメロンボール」


(この娘の目には、世界がとても綺麗に映っているんだろうな)


感心する従者を尻目に、シルビアは王城に詰め掛けた貴族達の前で、これ幸いとばかりに悪竜討伐の報を告げた。言うまでもなく、この報告は混乱に拍車をかけた。最早バルト王国の首府は完全にオーバーヒートしていた。

この時シルビアにとって幸運だったのは、生け贄の役目を放棄したと糾弾させる間を与えなかったことである。そのお陰で、家臣達が事実関係の調査に奔走している傍ら、城の自室で暢気にお茶なぞを楽しんでいた。



やがて、シーバリーガルの山頂から巨大な影がすっかりと消え失せているという事実が、城へと伝わった。

 此処に到って初めて、城の人間たちはシルビアの言が正しかったことを知り、方法は皆目さっぱりまったくもって検討もつかないが、シルビアが何らかの手段で悪竜を退けたことを認めざるを得なかったのである。


「なんだか知らんがよくやった。シルビアよ、お前を正式に勇者と認めよう」


「ははは、異なことを仰るな父上は。元より我輩は勇者であるよ。神の託宣を受けたあの日から」


「(何を言ってるんだろうかこの娘は……) と、兎も角、お前の成した功績は我が王家の末代にまで語られるべき偉業だ。余も鼻が高い。それで、この偉業の披露目についてなのだが……」


「それについては心配ご無用。シャイな父上に無理をさせるわけにはいかない。我輩は口を出しませんので、御随意に取り計らいください」


「……うむ」


「ひ、姫様。恐れながら」


「ん、おお! 爺ではないか! 情けないことに心配をかけたようだな。大丈夫か、その様にげっそりとして」


「も、申し訳ありませぬ。わ、私めとて、姫様を害そうと考え事を企てたに非ずはご承知くだされ。これには避け得ぬ深淵な事情が御座いまして……」


「何のことかよく分からないが、爺にはこれまで“大変世話になった”。これからも“よろしく”頼むぞ!」


「ひ、ひぇぇ……」


謁見の間にて交わされた会話を聞いたものは、恐らく誰もがこの王女の性格を察しただろう。これ以降、シルビアに表立って楯突くものは滅法居なくなったことは言うまでもない。


──こうして、悪竜討伐の英雄、救国の姫勇者シルビア・オブ・バルトとその従者、声無き賢人奴隷メロンボールの威名は歴史上に刻まれたのである。



 後日、竜の居なくなったことで拓けた西への新天地。彼の地への切り込み部隊に、このバイタリティー溢れた姫勇者とその従者が紛れ込み、またも一波乱あるのだが、それはまた別の物語である。




〜爆完〜

ロンリーウルフな私はよく考えたら企画って初めてでした。

小説を書くのは大変だと思いました。(小並感)

終始に渡り勘違いを勘違いした感が拭えないのですが、そうしたことも含めてのテーマ設定だったのでしょう。

さすが久保田の兄ぃは三千世界に雷名響き渡るお気遣いの紳士やでぇ。(ヨイショ)

すごいなー、尊敬しちゃうな~。(ヨイショ)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい! 声が出せない、人語が話せない(話す価値を感じない?)と互いの意識交換を完全に断ち切った上での勘違いストーリー。 各々個性的なキャラクター達の言動や思考も、読んでいてにやにやを…
2012/11/04 00:23 退会済み
管理
[一言]  面白かったですだ。
[良い点] ・竜の登場辺りからあらぬ方向へ加速する物語。前半の重々しい雰囲気から、一気に落差で引き込まれる。秀逸だと思います。 [気になる点] ・反面、前半は重々しい雰囲気と、難読漢字交じりの地の文で…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ