4:バッドフェロウ・ダウン
Number 004
バッドフェロウ・ダウン
ミミナのカミツキを取り逃がしてからこの二日。佐古田はずっと苛々していた。時間が空いた時も無線に張り付いて、カミツキの情報を待っている。時折、
「ぬああ!腹たつ!」
などと怒鳴ってクラクションを殴ったりするものだから、尾沢は常にビクビクして過ごす羽目になった。更に、非常に間の悪い事に、以前から佐古田が「やりたくねえ」と、しきりにこぼしていた仕事が、今日入っていたのである。
遊星ジフテリア予防注射。
一般のペット用ガイライ向けに管理局が無料で行っているサービスである。利用しに来る飼い主たちの態度がむかつく、と言う佐古田は、現地に着く前から既にピリピリしていた。
「じゃあ尾沢君、これに着替えて佐古田さんとこの保定やってくれる」
「あっ、はい」
広報課の井上という若い男に白衣を渡された尾沢は、公園に建てられた数個の仮設テントのうち、一番端のテントをくぐった。瞬間、吹き出しそうになる。
「ぬ…文句あんのかコラ」
佐古田が、いつもの黒い作業衣の上に白衣を引っ掛けて座っていた。驚くほど似合わない。眼鏡をかけているにも関わらず、全く宇宙生物医に見えなかった。尾沢は真面目な顔で
「いえ。何にも」
と答えたのだが、佐古田は問答無用で
「かっ、ムカつくなテメーは」
と蹴りを入れてから、外の利用者に怒鳴った。
「入れっ!」
最初の利用者はじゃらじゃらと着飾った中年の女で、手足の無い丸い生き物を抱いていた。ククール星の無性生物、通称マリモである。
「マルちゃんですの」
女はそう告げてウホッと笑った。マリモの名であるらしい。そのマルちゃんに着せてあるピンクの水玉の服を見て、佐古田は額をピクピクさせた。
「くそババア…こいつがどういう生き物かお前わかってんのかコラ…」
佐古田のガラの悪い物言いに女は固まった。
「は…?」
「マリモは皮膚呼吸しかしねーんだよ!服なんか着せやがって馬鹿か?お前の息を止めてやろうか!?」
言いながら素早くマリモに注射器を刺し、抜く。
「どけババア!次ッ!入れ!」
保定、つまり注射の際に動物を押さえる役をしながら尾沢は、あわわ…と声を漏らした。老若男女、容赦なく罵倒する佐古田を止める隙は無かった。
「テメーは鉱石生物に水を飲ますのか?一回死ね!」
「彗星ダニだらけだろこれ!なめてんのか!」
「地球人の食いもんを食わすんじゃねえクソッタレ!」
「ハゲ!」
「ハナクソ野郎!」
休憩時間になっても佐古田は水しか飲まず
「くっ…チキショォ…腹がたってメシ食う気にもならねえ」
と呟いた。ならばいちいち腹を立てるのをやめればいいものを、と尾沢は思ったが、何だか少し気の毒な気もしたので
「飲むゼリーとか、いります?」
と、昼食のつもりだった半固形栄養ドリンクを佐古田に渡し、本部テントに弁当を貰いに行った。
「タイミングよかったよ…」
「バレさえしなきゃね…」
局員たちが妙にそわそわとそんな会話をしている横を通り、尾沢が什器から弁当を取り出していると、広報課の井上が肩を叩いた。
「尾沢君、おつー」
「あ、どうも」
「佐古田さん今年もキレてる?大変だね」
「ええ…まあ」
「迷惑だよねぇ。管理局自体がああゆう風だと思われちゃう」
井上の言葉に尾沢は、
あ…ちょっとひどいな
と感じた。言い方は最悪だが佐古田のアドバイスは正確。局員の仕事としてはさして間違っていないように思えたからである。
「ああ、そうだ。尾沢君に頼みがあるんだけど、ちょっといいかな」
井上がそう言ってチラッと後ろを見ると、先程噂話をしていた局員達が意味深に頷いた。
「佐古田さんの事なんだけど…ちょっとね、今日あの人、局に近付けないで欲しいんだ。ね、頼むよ」
「え、それどういう意味です?」
言ってから、意図せず少しトゲのある質問の仕方をしてしまったかな、と尾沢は心配したが井上は気にしていないようで、ホッとする。
「何かこれからギャラクシーファームの水上社長が局に来るらしいんだよ…あの人、水上社長を目の敵にしてるからさ、揉めるとまた面倒だし」
「はあ…なるほど」
つくづく敵の多い人だな、と尾沢は溜息をついた。
そうして暫く、弁当を食う尾沢の隣で他愛もない話を続けた後、井上は最後にこう付け加えた。
「そういう事だからさ…まあ、わかるよね?佐古田さんと行動を共にしてる人が一人いると、こっちとしてはすごく楽なんだ。ね、君も大学出てるのに、いつまでもこんなだとアレでしょう?その辺は追い追い、何とかしてあげられるからさ…。じゃあ、また、ね、尾沢君」
「はい…どうもです」
そう答えたものの、梅干しの種をかみ砕きながら尾沢は、何か釈然としない気分だった。井上は言ってみれば、尾沢と同類。長いものに巻かれて上手く世渡りをするタイプである。同族嫌悪のようなものもあるのか、尾沢は井上が好きになれなかった。
テントに戻ると、ゼリーのストローをくわえた佐古田が携帯を食い入るように見つめていた。
「どうかしたんです?」
尾沢が覗き込むと、画面には「お天気カメラ・さやま」の文字。リアルタイムで地域の風景動画が流されている。
「クックッ……見つけたぜイヌ野郎」
佐古田がズームボタンを連打すると、画面の一部分が拡大された。河原と思しき灰色の中、青い塊のようなものが見える。
「佐古田さん…まさか」
「あいつだ、間違いねえ。行くぞ尾沢ッ!」
「だ…だって注射は!?」
「うるせえ!クソ飼い主どもの相手なんざしてられるか!来いっ!」
尾沢は佐古田に後衿を掴まれ、ぐえ、と呻いた。本部テントの前を突っ切る際に、井上が
「あれっ?どこへ?」
と不安な顔で尋ねたが、佐古田は無視して車に向かった。
困るよ!局には近付けないでよね!
という視線を飛ばして来た井上に、尾沢は、大丈夫、の意味で一度頷き、
「あのっ!ミミナのカミツキを狩りにちょっと、狭山の方まで行ってきま…」
大声で告げたが、聞こえたかどうかはわからない。あっという間に助手席に放り込まれ、車は動き出していた。
「クックック…歯の借りはきっちり返してやるからなァ!カミツキ野郎!」
車体が歪みそうな程アクセルを踏みまくる佐古田の運転に揺られながら、尾沢は落ち着かない気分で考えていた。井上ら管理局の上部と繋がるグループに尻尾を振っておけば、スケープゴートから脱却できて昇進も有り得る。
ああ…でもなあ…。
どういうわけだか、尾沢はあっさり佐古田を裏切る気になれなかった。メリットが一つとして無いにも関わらずである。
佐古田は単純なようでいて不可解な男だった。ガイライに愛が無いようでいて、不適切な飼い主に、食事もできない程腹を立てたりもする。そうかと思えばこうして、まるで仇のように執拗にカミツキを撃ちたがる。尾沢は、管理局につまはじきにされてまで佐古田がこんな振る舞いをする理由が気になっていた。
「ボケっとすんな尾沢っ!位置見ろ!どっちに向かってる!」
「わっ、イッテ、はい」
佐古田に携帯を投げ付けられて我にかえった尾沢は画面上の青い点を確認する。
「か、川沿いにレイクシティの方に向かってます…やばくないすか」
「かっ、昼飯でも食うつもりかあの野郎」
日高レイクシティは巨大なタワー型マンションを中心にした公園のような町である。環境が良いと評判で、子供のいる世帯が多く住む。カミツキが人を食おうと思ったら、よい狩り場であるに違いなかった。
「犠牲者が出たらまずいな」
佐古田らしからぬ台詞に、尾沢は思わず
「え!?」
と二度見してしまった。
「えって何だ、テメー文句あんのか」
「いえ…佐古田さんでも他人の心配とかするんだな、って」
「ァあ?するか阿呆!犠牲者が出ると、ジョイハントの連中がいい気になるからな、むかつくってだけだ」
ああなんだ、そういう事か。尾沢は、佐古田を裏切らずにすむ理由をどこかで探していた自分を、内心で嘲笑った。
ジョイハント・クラブは警察公認の宇宙生物狩猟愛好会である。カミツキや、人間を傷つけたガイライなどには射殺許可が下りる事があり、ジョイハントはそれを執行する権利をほぼ独占している。佐古田にとっては獲物を横取りする、敵。日頃から彼らを口汚く罵る姿を尾沢も何度も見た事があった。
やがて佐古田は古い橋の上に車を停めた。西暦二千年頃作られた年代ものの橋は錆だらけで、ドアを閉めるにも軽く揺れる。
「待ち伏せて撃つんですね」
尾沢は少しホッとした。確かに高所から狙えば前のようにこちらが襲われる危険は幾分少ない。
「ミミナのカミツキのジャンプ力を甘く見んな尾沢。こないだみたいなヘマしたら殺す。いいな」
前回の失敗を踏まえ、濃度の高い麻酔薬をカートリッジに装填しながら佐古田はそう告げ、河原の遥か向こうに目を凝らした。が、
「…見えるわけねえだろ!近眼なんだよ俺は!」
「いっ…何で僕を殴るんですかぁ…もー…」
わけのわからない理由で頭を打たれた尾沢は、釈然としない顔をしながらも、鞄から双眼鏡を取り出した。
「あれ?」
双眼鏡を覗いた尾沢が訝しげな声を上げた。佐古田は予備カートリッジの準備の手を止める。
「何だ。見えたのか」
「いえ…見えたんですけど、なんか、」
「貸せ!」
佐古田は尾沢から双眼鏡を引ったくった。まだ自分の見たものが信じられず、
「いや…だってあれ…おかしいすよ、ありえない」
ムニャムニャ呟くしかない尾沢の隣で、佐古田は唸りながらレンズを覗いていたが、突然、双眼鏡を地面にたたき付けると
「なめてんのか?」
能面のような表情でそう言った。尾沢は瞬時に悟る。佐古田も、同じものを見たのだと。
食うものと食われるものが一緒に行動するなんて。
尾沢と佐古田が目にした光景。それは、ミミナ星の凶暴な肉食獣の頭の上に、その食物であるはずの草食獣が乗っかっている、という突拍子もないものだった。こんなことは宇宙生物学上、有り得ない。
「何だあれァ…教育テレビの人形芝居か」
「絵本って可能性もありますよ…ほら、赤頭巾」
二人は欄干に身を隠しながら、見える位置まで近づいて来たカミツキ、ゼッカイと草食動物、チュニをまじまじと眺めた。
「赤頭巾なら食うはずだろうが」
「そうですよね食いますよね…」
ややあって気を取り直した佐古田が麻酔銃をスナイパーのように構え直した。
「一石二鳥、と考えるか……。お前、低濃度で赤頭巾の方撃て。カミツキは俺がやる」
指示通り、尾沢が麻酔薬を低濃度のカートリッジに入れ換えていた、その時。
じゃっ、ぎゃあ、ぎゃあ、
「わっ!」
突然鳴った妙な悲鳴に尾沢はビクリとなった。佐古田は舌打ちして携帯を開くと電源を切った。着メロだったらしい。
「何です、今の」
「幽霊の声だ」
「幽霊?…あ、」
今度は尾沢の携帯が震え出した。"管理局"と表示されているのを見て慌てて通話ボタンを押す。
「尾沢です」
佐古田は露骨に嫌な顔をする。
「出んな馬鹿!撃つタイミング逃すぞ!」
すると尾沢が振り返った。
「あ、あの…撃つな、だそうです…」
「何だと!?」
佐古田は掴みかかるようにして尾沢から携帯を奪い、
「撃つなってどうゆう事だ!理由言え、理由!」
と、がなりたてた。尾沢の額に冷や汗が流れる。電話の相手は支局長、鶴岡志郎。宇宙生物管理局多摩支部では最も権力のある人物だ。佐古田の横暴なタメ語口調を聞くだけで心臓が潰れそうになった。
「ァあ?何でテメーはそれにハイハイ応じてんだ?誰なんだ、そいつは!言えコラ!」
人ごとながら尾沢は見ていられなくなって、欄干から河原を覗いた。
「あっ」
脇道に逸れたか、或いは河に潜ったか、青いカミツキと、草食の赤頭巾の姿はいつの間にか見えなくなっている。尾沢は佐古田を振り返って首を振った。
「み、見失いました…」
佐古田は電話を耳に当てたまま、ばか!と口パクで告げ、尾沢の尻を蹴りつけようとしたが、支局長の言葉に反応して動きを止めた。
「…だからね、佐古田君、落ち着いてくれ。ギャラクシーファームみたいな大手ガイライ企業と揉めるのは、管理局的に、まずいんだ…」
佐古田の怒りを最大にしたのは、ギャラクシーファームの名であった。
「水上かチキショォオオ!あのくそ野郎が…ぶっ殺してやる!今、いんのか!?そこ動くなって伝えろ!殺す!」
言い終えるなり携帯を投げ捨てて車に乗り込んだ佐古田を見て、尾沢は、ヤバイ、と小さく呟いた。
「ちょ、待っ!待って下さい佐古田さん!」
慌てて助手席からハンドルを押さえた尾沢を、佐古田は凄まじい力で払いのけた。
「邪魔すんな!」
けれど尾沢も食い下がる。
「だって、行ったとこで上部の決定は覆せませんよ!社長殴ったりしたらクビじゃ済まないでしょ!」
正直なところ、どちらかと言えば尾沢の行動は、井上の指令通り、と言うよりは佐古田の立場を心配した事によるものだった。尾沢の意外に頑固な態度に、佐古田は少しだけ頭を冷やしたのか、目を閉じて微かに震えながら深呼吸を、一回。
「……駄目だ。水上だけは絶対に許さねえ…」
佐古田は静かにそう吐いて無理矢理、キーを差し込んだ。
無言で怒りを内包した佐古田に気圧され、尾沢はゆっくりとハンドルを離す。佐古田は常に怒れる男であったが、今回はいつもの小規模爆発とは違う、と、尾沢も気付き始めていた。
「佐古田さん…何であの社長をそんなに?」
ギャラクシーファームの水上社長はよくテレビでも見かける有名人である。業績を上げている割に物腰柔らかく、人当たりの良さで人気を博していた。佐古田がここまで水上を憎む理由が尾沢にはわからない。
「お前に関係ねえ…余計な口を利くな」
口調が激しくない分、佐古田のハンドルを握る腕には血管が浮き出て。尾沢はその不可解な憎しみをただ眺めるしかなかった。
管理局の前に停車した、ピカピカのBMWをフロントガラス越しに見つけた佐古田は、一言も無しにあっという間に車から駆け出していった。尾沢は少しばかり悲しい気持ちで車の中から一部始終をぼんやり見ていた。
大勢の見送りを従えて玄関先から姿を現した水上社長は、カラーシャツにノーネクタイという案外ラフな恰好。そこに暗灰色のかまいたちのように飛び込んでいく佐古田。すぐにボディーガードらしき黒服の警護要員に取り押さえられたが、暴れて抵抗しているのが遠目にもわかる。
「あ……」
揉み合ううちに、水上の乗ったBMWは走り去って行った。追いかけようとした佐古田を黒服が後ろから殴りつけた。
喫煙所から数メートル離れた廊下のベンチに寝かされた佐古田を横目で眺め、広報課の井上は煙草を吹かした。
「…こうなるから、止めて欲しかったのになあ」
「すみません…何かもう、えらい剣幕で…」
煙草を吸わない尾沢は所在無くペコペコと頭を下げる。
「まあ、向こうが大袈裟にしないって言ってくれてるからよかったけど、一人骨折さしてるからね……多分、君ら謹慎処分とかはあると思うよ…」
「え!?僕もですか?」
「形式的にはね。ただ、君には佐古田さんの監視って任務があるよ。非公式で、僕に連絡が欲しい」
井上はそう言って尾沢に赤い携帯を手渡し、局長室へと足早に去って行った。尾沢はしばらくの間、渡された専用携帯と、気絶した佐古田を交互に見つめて溜息をついていた。
ああ…何だかなあ…
氷嚢の上に頭を乗せて眠る佐古田は、左目の辺りも紫の痣になっていて、悪夢でも見ているのか眼輪筋を引き攣らせている。自業自得、同情の余地がないといえばそれはそうなのかも知れなかったが、尾沢は、佐古田の姿に、ある種の悲愴感を感じずにはいられなかった。これほどまでに、わざわざ自分から人生を目茶苦茶にしている人間がいること自体が、尾沢には信じられない。佐古田を動かすものが一体何なのか、知りたかった。
モーター音も、揺れや振動もほとんど皆無の、静かで快適な車内。ヘール惑星産の有毛爬虫類である、ヘールバジリスクの毛皮をあしらったシートに寄りかかって、水上秋月は呟いた。
「まったく…面倒な事になったもんだよな…」
後方の座席から、水上と同年代と思われる部下、久留米が
「ホントに…社長に手を上げるなんて、何なんでしょうアイツは」
と、敬語で口を挟んだ。
「心配せずとも純三くんには、何の力も無いよ。彼は古い友達…血の気が多いだけさ。僕が困ったと言うのは、ミミナの生き物どもの事だよ、久留米。まだ捕獲できないのか?」
水上は久留米の方を見もせずにそう言った。
「申し訳ございません、まさかカミツキが一緒とは思わず、装備に手間取りまして」
「あのねえ、ビジネスに言い訳は必要ないよ?久留米。そもそも、何でうちの草食動物を、宇宙生物園のカミツキが、あんな護衛みたいにしてるんだ?おかしいでしょう、それ。食物連鎖無視してるでしょう。何でそんな事になってるわけ?ああ、面倒臭いなあもう……」
水上は足を組み換え、金色のジッポで煙草に火を付けた。妙に血色の良い唇から、煙を吐き出す。
研究所であのミミナのマウスどもに不自由をさせたことは一度も無い。広い檻、退屈せぬようにとテレビまで買ってやったのに。水上は裏切られた気分だった。