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3:ミートウォークス

Number 003

ミートウォークス


 ギャラクシーファーム(株)は、数あるガイライ、宇宙生物系産業の中でもトップに君臨する大企業であった。ほとんどワンマンで会社を取り仕切る水上秋月は、まだ35歳にもならない若社長だが、ガイライ業界のカリスマと呼ばれてテレビにも出演する有名人。年に数回、自社開発のシャトルに乗り込んで、自ら様々な惑星に出向いて宇宙生物をハントしてくる奇特な人物でもあった。

 その水上が会社のために建てた私設研究所が、東京多摩の山際にひっそり存在している事を知る者は少ない。ましてその地下で飼育されている企業秘密のミミナ生物を目にした事のある者は、社長の水上を含めて十人も居なかった。

『チュニ、よく聞いてね』

 白い毛に覆われた、二本足の草食動物は、やさしいミミナのことばで娘に語りかけた。

『うん』

 娘、チュニは、白目の無い真っ黒な丸い瞳をキラキラさせて母親の次の言葉を待った。

『お前はもう、ひとりで走ることができるね?』

『できうよ!チュニはクルマよりはやいよ!』

 二ヒヒ、と笑いながら無邪気に答えるチュニの、赤い布を被った頭を、母は慈しむように前足で撫でた。

『いい子だね。チュニ』

『うん!』

『じゃあね、これからチュニはそこから、外に出るの。出ておばあちゃんのお家に行くの。いいね?』

 母親は広い檻の隅に開いた排水溝を、蹄で指し示した。

『おそと出ていいの!?やった!』

 チュニは喜んではしゃいだ。排水溝に駆け寄るや否や、蓋を外して中に飛び込み、赤い頭巾の頭だけを出してゆらゆらさせた。

『おかーさんもはやくう』

『お母さんは行けないの。そこを通れるのはチュニだけなの』

 母親は淋しげに笑った。排水溝は確かに、70センチ程しか背の無い幼体のチュニがぎりぎりで通れるほどの幅しか無かった。

『おかーさんこないの?』

 チュニはぱちくりと瞬いた。

『でもチュニ、おばあちゃん見たことないよ。お家もどこかしらない』

『大丈夫。匂いを辿ればわかるから』

『チュニひとりやだなー』

『大丈夫よ……』

 母は頷く。暫くぐずっていたが、やはり外の世界が見たいという好奇心に勝てなかったチュニは口を尖らせて排水溝に潜っていった。

 が、再び顔を出し

『おかーさん……』

 一声鳴いた。母は思った。この子は気付いているのかもしれない、と。

『行くの。ほら、ぐずぐずしない』

 母親は不自由な体を引きずって排水溝に近寄ると、最期にチュニの柔らかい頭を前足で抱きしめた。

『ミミナに帰るの。そしたらいつでも会えるから』

 ニャア、と、意味を持たない音を発してから、チュニは暗い排水溝に姿を消した。

 母親は、溜め息をつく。檻の端のクッションに戻る気力は無い。そのまま、目を閉じた。


 排水溝は暗く、濡れていたが、チュニはその暗さに胸が高鳴った。大冒険の予感がした。そこに母が一緒でないのは淋しかったが、チュニの、走るためにできている体はうずうずと、今までの檻の中の生活から開放された喜びに打ち震えていた。湿った空気を思いきり吸い込む。微かに、母親のそれと同じ匂いが流れて来たのをチュニのピンクの鼻は逃さなかった。

『あっちだー!』

 チュニは飛沫を上げながら排水溝を真っすぐに駆けた。長い管の中はぬるぬると滑りやすい。けれどチュニの万能の蹄は、しっかりとその表面に食らいつき、しなやかに、次の跳躍に向けて体を押し上げてくれた。

 やーまーのーなー、かー。

 おーっかみ、ワオーン!

 にげろにげろのーの

 チュニはいっいっこ~。

 あと、すごいすぴーど!

 自作の歌を、といっても地球で言うような音のメロディで奏でる歌ではない、匂いや瞳の揺らめきその他の要素を含めて奏でる、地球人には音楽に聞こえない歌をチュニはうたった。調子っぱずれなその歌は、排水溝に反響してくるくるとチュニの周りを駆け巡る。チュニはそれが面白くて、二ヒヒと笑った。そうかと思えば

『あっ』

 突然、立ち止まる。

『マニキだっ。チュニはおりこうだからお弁当にします』

 管の隅に生えていた小さなキノコを、頭巾の下に挟み込んだ。

 ひとしきりつまみ食いしながらキノコを摘んでいたチュニは、

『ぬなっ』

 と、突然頭を上げた。匂いが、変化したのである。チュニが辿ってきた、母親に似た金色の匂いは、最初は微かな糸のようだった。近付くにつれて次第に太くなっていったのだが、それが今、突然、

 どっ

 津波のように溢れ出したのだ。

『なんらなんらー』

 パクパクとキノコを頬張ったまま、チュニは顔をしかめた。暗い排水溝の先を見つめながら少し、白い毛を逆立てる。管の道からは、濃すぎて金色と言えなくなってしまった匂いがどろどろと押し寄せて来て。チュニは何だか急がなければ大変な事になるような気がして、駆けた。

 幼いチュニには、匂いの先で起こっている事など想像できない。ただ、走らなくてはならない衝動だけがある。チュニは匂いの海を掻き分けてひた走った。

『ぬわーなんらこぇは。おばあちゃんどーしたんだろう…なんれこんなに…いっぱいなんだっ!』

 息苦しいぐらいの濃厚な金色に、チュニは目を細めた。よく嗅ぐと、金色の中に不純物のように絡んで混じる別の匂いも感じる。チュニはそれに気付いて、理由もわからず本能的に毛を逆立てた。怖い。けれど、金色に吸い寄せられる。

 排水溝の管が分かれて上に延びていた。匂いは上から。チュニは少し息を止めながら梯子を昇って、蓋を、開けた。

 

 人工物に溢れた研究所の檻の中で生まれ育ったチュニにとってそこはさして特殊な空間では無かった。もともとは地球人の住居だった部屋に木の葉を敷き詰めてある「おばあちゃんの家」。チュニが驚いたのは家そのものではない。床下からひょっこり顔を出したチュニを出迎えた、見たこともない青い、大きな生き物の姿に驚いたのである。

『おばあちゃん?』

 チュニが声をかけると、その生き物は困ったように辺りを見回し、こう言った。

『…おまえ、娘か?』

 ミミナ語である。チュニは青い生き物の匂いを嗅いだ。母に似た、金色の匂いが確かにする。でも同時に、別の匂いもした。

 不審な点はあるが、まず部屋中に濃厚な金色の香りが充満しているわけだから、ここが「おばあちゃんの家」である事は間違いない。ならばそこにいるのは、おばあちゃんに違いない。

 小さなチュニの出した結論はそのようなものだった。息を吸い込むと一気にまくし立てた。

『おばあちゃんあのね、チュニは、おまごさんなのね。おかーさんは穴が狭くて来れないから、チュニだけおばあちゃんちに来たの』

『…孫。それでこんなちびっ子なのか…成る程』

 おばあちゃんであるはずの生き物がフンフンと頷くのをチュニはじっと見上げた。大きな生き物。姿もチュニとは似ていなかった。

『おばあちゃん』

 チュニが呼ぶと青い生き物は振り返った。

『ああ…うん、あのな…』

 生き物は何か言いかけていたが、チュニにとって重要だったのは、青い生き物がおばあちゃんかどうか、という部分であった。

 へんじした!じゃあおばあちゃんだ!

『よかったー!おばあちゃん!オスのおばあちゃんもいるなんてチュニ知らなかったようーびっくりしたよう』

 デヘヘ、とヨダレを垂らしながらチュニは生き物にまとわり付いた。硬い毛皮は初めての感触で、なかなかよかった。

『…むう』

『わーおばあちゃん耳でかくね?』

 チュニは妙な声で呻いた生き物の耳を引っ張ると、更に身体によじ登り、見慣れぬ個所を引っ張ったり伸ばしたり舐めたりして遊んだ。

『おばあちゃん、口もでかいな。なんで?ババーだからふやけちゃったのかっ』

『…チュニといったか、お前』

 青い生き物はチュニを抱いて頭から降ろした。

『なに?』

『おばあちゃんはやめてくれ…俺にはゼッカイという名がある』

『おう?』

 首をかしげるチュニから僅かに目を逸らして、青い生き物、ゼッカイは告げた。

『チュニ。お前はこれから、俺と一緒に行くのだ。わかったな』

『どこへ?』

 チュニが尋ねる。ゼッカイは少し考えてから、答えた。

『……お前がゆくべき所に』

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