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28:アースチルドレン


Number 028

アースチルドレン


 水上秋月は今、ようやく父親の呪縛を振りほどこうとしている。そしてそのために、ずっと変わらず自分を憎み続けた親友に別れを告げようとしている。それは仕方のない事だった。

 仕方がない。

 だけど純三くん、僕が本当に心から淋しいと思っている事が、きっと君にはわからないのだろうな。

 秋月はわざと薄っぺらい笑顔を作る。追い詰められた鼠のように冷蔵庫に貼りついた佐古田は、困惑と焦燥から、ズレてもいない眼鏡を押し上げる動作を繰り返し、秋月にはそのどうしようもない正直さに憎悪と憐憫、相反する感情を同時に抱いた。

「あの時、僕を殴ったのは、なぜ?」

「ねえ、君、あの時からずっと、僕の何を怖がっているんだ?」

 犠牲者追悼の会で、初めて佐古田と顔を合わせたあの日の秋月は、今と違って何の力も無い、弱く、ちっぽけな、加害者の子供だった。

「知りたいんだ……」

 もしも、

 もしも何か、彼があの時、僕の何かを誤解したとするのなら。弁解すれば彼は解ってくれるだろうか。僕の邪魔をするのを止めてくれるだろうか。

 ……僕は彼に別れを告げなくても済むだろうか?

 確率の低い、甘い希望。不可能だと頭では理解しつつ、どうしても、秋月は問いかけた。

「……あの時僕は、君が怖れるようなものは、何一つ持ってなかったのに」

 電子カンテラの青白い光で切り取られた、部分的な円い景色が揺れる。秋月は、冷蔵庫にくっきりと真っ黒い影を落とし、ひっかかるような息づかいをする佐古田と自分の二人しかいないような気分に、少し、なる。それも、子供の頃の姿で。

 やがて佐古田が口をきいた。

「いい気になんな。俺はテメーなんか怖くも何ともねー。あれは、お前が……」

 嗄れた声を秋月は思わず遮った。

「僕が何かしたと?危害なんか加えてない。むしろ謝罪すらした。僕がやったのでもない罪の謝罪までしたじゃないか」

 すると佐古田は舌打ちをして。

「頼んでねえ!」

 秋月はその言葉に一瞬、凍りつく。

「社長は一体どうしたんだ」

「そもそも、何の話をしてるんだ?あの人は」

「知るかよ」

 背後の部下達が囁き合う声も秋月は無視した。心に静かに、電子カンテラと同じ青白い炎が揺らめいて。

「……僕が、あの時どんな気持ちで謝ったか、」

 頼んでいない、だって?

 あの時、僕を囲む世界の全てが、僕に要求していたんだ。武器のようにテレビカメラが僕を狙って

 謝れ、

 罪を償え、

 どん底に落ちろ、

 不幸になれ、

 そう言っていたんだ。

「知らないくせに。何も知らないくせに、よくそんな事が言えたもんだな、純三くん」

 口調こそ穏やかだったが、秋月の心は冷ややかな炎が燃え始めている。奇妙に根深い怒りに、一番驚いていたのは秋月自身だった。氷のような塊が、胸の辺りでからからと鳴って、苦しい。

 この気分は、一体どうした事だろう?

「泣こうが喚こうが、それを許されていた君に、何がわかるんだ?なあ、」

 秋月は、父、水上満月の犯した罪の償いを強いられた。世界の全てが突然、彼と母を攻撃してきた。何とか許してもらおうと必死だった。けれど父親の残した負の遺産の片付けは、やってもやっても終わらない。

 終わりにしたかった。全てをやり直して別の結末を出そう、と秋月は考えた。

 そのための、マウス。そのための、ワクチン。許されたい、だけなのに。

 秋月は望んでいた。ああお前は苦しんでいたのかと、佐古田の口から告げられる瞬間を。

 理解しろ。僕を許せ。わかってくれたら、君は僕の邪魔をしないで済むそして、僕は君に別れを告げずに済むんだ、と。

 なのに

 頼んでない、だって?

「君は、何にもわかってない」

 秋月の嗜虐的な心が頭をもたげる。佐古田の、余裕の無い野良犬みたいな表情が酷く憎かった。

 部下に合図を送る。秋月が個人的に契約している身辺警護の要員である。正式なSPの経験もある者もいる、優秀な人材だ。本当は最初から彼らに取り押さえてもらうつもりだった。

 感傷など無意味だ。

 秋月は目を閉じた。


 水上の護衛の部下達は佐古田を見知っていた。つい数日前、宇宙生物管理局の前で仲間の腕を折ったのはこの男である。

「おい……気づいてるか?こいつ、こないだの」

「ああ、篠原のカタキだ」

 濃い色のスーツを着た6人、先日1人欠けて5人の顔を見て、佐古田も気付いたようだった。

「お前らか、畜生……」

 巻き込まぬように足元のマルモリ・エキセップス三匹をひっつかんで、ポイ、ととどこかに放り投げた佐古田の動作をきっかけに、部下の1人が躍り掛かり、素早く傘を掴んだ。

「離せクソッタレ!」

 しかし傘を引きがてら放たれた佐古田の蹴りに手が離れる。

「くっ……間島!益岡っ!回り込め!」

 蹴りを食らった部下は叫んだ。

「離せコラっ!」

 両側から組み付いた部下、間島、益岡を、強引な顔面肘打ちで振りほどいた佐古田は、その代償に前方がら空き状態となった。勿論、部下達の行動はそうなる事を予想しての動きである。

 0.5秒のアイコンタクト。

 先ほど指示を叫んだリーダー格の男が繰り出した綺麗なミドルキックは、くぐもった音と共に完璧に近い形で佐古田の鳩尾に食い込んだ。

「……か…っ……このやろ……」

「よし抑えろ!」

 号令を受けた別の2人が佐古田の長身を地面に引きずり倒して後ろ手に腕をロックする。

 この間、僅か30秒。前回の面目躍如と言える手際のよさに、周囲のハンターや警護以外の職に就く部下達から賞賛の吐息が漏れた。

 廃材の瓦礫の上に組み伏せられた佐古田は、観念したのか、或いは気を失っているのか、動かなかった。うつ伏せで顔は見えない。その身体を押さえつけていた部下が、傍観するだけの周囲に一瞥を送る。

「見てないで、君たちは早く自分の仕事をしたらどうだ」

 言葉の端に仲間、篠原の一件で下がっていた自分達の部署の風評を取り戻した自信と優越感が含まれていた。弾かれたように数人が冷蔵庫に向かい、その扉に手をかける。

 同時に、

 警護班のリーダー格の男がワイヤーで固定しようとしていた佐古田の身体がぴくりと反応した。

 秋月は閉じていた目を薄く、開く。

 それは人間以外の、何か、黒い、動物が跳ねて身を翻した。或いは巣を張らない蜘蛛の狩りにも似ていた。のしかかるようにして押さえていた男と、ワイヤーをかけようとしていたリーダー格の男の顔が、蜘蛛の脚に弾き飛ばされる。

「止めろっ!そいつを止めろ!」

「何やってんだ馬鹿!」

 怒号が飛び交い、

 だがしかし蜘蛛、もとい佐古田の眼中に、警護の連中は入っていなかった。真っ直ぐに冷蔵庫目掛けて跳ねると、扉に手をかけていた部下達を放り出し、抱くかのようにその四角い錆びた箱に食らいつく。

「諦めろいい加減っ」

 警護の部下、一番地味な顔立ちの男が左古田の左足を思い切り引っ張るが、冷蔵庫から引き剥がす事は出来ず、逆に蹴られて前歯を折った。鼻血を流しながらもリーダー格が

「そんなに好きか、冷蔵庫がっ!」

 と、大きなかぶ状態で加勢するが、やはり離れない。どうしても離れない。

 実際、佐古田自身そこまで深く考えていたわけではない。むしろ衝動的、本能的な動きだ。だが攻撃を捨て、冷蔵庫を「開けさせないようにする」事に徹してしまう作戦は警護要員たちにとって少々やりづらい、厄介なものだった。

 でもそれは幸運じゃない。寧ろ苦しみが長引くだけだ。

 傍観する秋月はそんな風に思って苛ついた。

 どうして、そこまでする必要があるんだ?死んだ兄貴の腹いせに僕の邪魔をするにしたって、払う代償が大きすぎる。

 わざと、不幸な人生を選んでいるのか?純三くんは。

 部下達の攻撃に時折かすれた呻き声を上げながらも冷蔵庫にぴったりとくっついたままの佐古田を見るほどに、秋月の心はざわめいた。気味の悪い、卵を守る虫か何かのようにも見えた。

「……人間らしくないんだ、君は……だから僕の受けたような不幸も、理解できないんだ」

 秋月は思わずそう洩らしていた。その声に部下達が振り向き、遅れて佐古田が半ば閉じた、しかしぎらぎらした眼球を秋月に向ける。

「……クッ……かはっ……」

 何か言葉を返そうとしたが、喋ろうとした途端に咳き込んだ佐古田の口から代わりに出てきたのは血液だか吐瀉物だかそういった物だった。冷蔵庫に張りついた姿勢のせいで、それらはそのまま佐古田の足元を汚す。秋月は顔をしかめた。

「普通、人間は不幸や悲しみから、逃れたいと、或いは乗り越えたいと思うもんだろ?……そうして前に進んでいくのが人間だろ?そんなに長い間、辛い所に留まってるなんてさ、もがきもしないで沈んだままなんてさ、おかしいだろ……」

 秋月は、テレビで重病患者のニュースを見る時のような伏せぎみの目で言った。

「君は幸せに、なりたくないのか?」

 ゼイヒューと息を吐いて、佐古田はようやく言葉を返した。

「……なりたく、ねえ……テメーの言う幸せは……人間の幸せだろ」

 冷蔵庫がカタカタと揺れている。

 急がねば、本当はこんな時間、無駄なのに。

 秋月は頭の隅でちゃんと気づいていながら、止められなかった。

 無駄なのに。僕は何をしているんだろう?何が知りたいのだろう?

 でもこれは最後の、弁明のチャンスかもしれない。

「僕らは人間だ。人間の幸せが欲しくて当然じゃないか」

 ゼイヒュー、と佐古田が肺を鳴らす。

「嫌い、なんだ、俺は、人間が……いかにも人間って感じのテメーの、無知さとか……地球人至上主義がよォ…ムカつくんだ、よ!」

 嫌い。人間が。人間の幸せなんていらない。だと?

 秋月は、少なからず衝撃を受けた。自分が求めている幸福の形を、更には、こんなにも苦労して必死で抜け出そうとしている不幸の形も、全部すっ飛ばして無駄と言い切られたも同然だったからだ。

「……らしくないとは言え君だって人間だ、やめられるもんじゃない。そんなのは人として、おかしい!そんな君に僕の邪魔をする権利があると思うのか!」

 声を荒げた秋月に、同じように怒鳴り返す声量が残っていないらしい佐古田は、彼にしては静かなボリュームで言い返した。

「黙れクソヒューマンがっ……お前ら生き物らしくねえんだよ!」

「何だと……?何故、そんな事を君に言われなきゃならないんだ!僕の不幸を知らないくせに、人の心なんか解りもしないくせに、何様だ?君は」

 平静さを欠いた秋月の声音に尋常でないものを感じた警護班のリーダーが、制止するように両手をかざす。

「待っ……社長、近づかないで下さい。こいつを縛り上げてから……!」

 だが、秋月は。

「稲葉、邪魔」

 振り払って早足に冷蔵庫の佐古田に近づくと、華奢な靴で、カツーン、と佐古田の頭を蹴り上げた。

「でッ……」

 眼鏡が飛ぶ。

「あっ、眼鏡……くっそ、てめーやんのかこの野郎……っ!」

 佐古田のよく見えない目で振った片手が秋月の体をかすめた。冷蔵庫にかけた片手を離せないために動きの制限された佐古田の脚を狙って、秋月は、もう一度蹴りを入れる。

「無知なのは君の方じゃないか!少なくとも僕は、前に進もうとしている!」

 細身中背の秋月の打撃にさしたる威力は無かったが、既に満身創痍の佐古田の身体は折り曲がり、がくんと膝をつく。ところがついたその姿勢のまま佐古田は秋月の片足を掴み、瓦礫の上に引き倒した。

「う……」

 呻いて身体を起こそうとする秋月の頭を、這いつくばったままの佐古田が

「それがムカつくんだ、畜生……っ」

 押さえつけ、

「テメーそっちに夢中で死んだモンは見もしねえじゃねえかっ!」

 殴った。

「ゲホッ、ゲホッ……わ……わかってないんだ君は、」

 口の中を切った秋月は血を拭いながら佐古田の手を振りほどき、反撃しようとしたが、

「社長っ!」

 首が飛ぶのをのを怖れ、それまで手出しを躊躇していたものの、遂に見かねた部下達が先に佐古田を蹴りつけ、秋月の身体を引き離した。両側から部下に支えられた秋月はしかし、なお、前のめりに叫ぶ。

「僕は親父が殺したものたちを、見すぎるほど見せられたんだぞ、償え、償え、って!」

 血糊を擦り付けて冷蔵庫に寄りかかった佐古田は言った。

「……テメエは、死ぬって事が、全然わかってねえ人間様だ……あの時からずっと、そうだ、……何でお前、あそこで謝りやがった……」

 引っかかるような呼吸音と共に、およそ非人間的な佐古田の台詞が秋月の鼓膜に無造作に投げ込まれる。

「人間は、生態系から、外れちまってんだ……身内が食わなきゃ、お前の親父を食う生き物は誰も、いねえだろうが」

「な……」

 秋月は絶句した。あまりにも、世界の捉え方が、

 違いすぎる。

 謝ったのが間違いだと?親父を食う、だと?こいつ、

「君はイカれてるっ!」

「うっせェ……イカれてるって言ったほうがイカれてんだ、死ねバァカ」

「何だと……くそっ……」

「ちょ、社長!」

「お前社長に何言ってんだコラ!」

 部下達は秋月を押さえ、佐古田を殴りつけた。だが秋月と佐古田の言葉の応酬は、そんな事では止まらない。

「言ってみろ、僕のどこが馬鹿なんだ純三くん!」

「…ぐっ……わかってんだろ?お前は、……物理的な事じゃねえ、てめーの親父が死んだ時、きっちり食わなかったから、死ぬって事が、全っ然理解できてねえんだよハゲ!」

「食ったり食われたりは野生生物の話だろ!人間と混同するなにわとり野郎っ!」

「ニワトリって言うんじゃねえ畜生ォ!」

「ぼ、僕はにわとりなんかと違って人間らしく親父の死を……」

 と、そこで秋月の言葉が途切れる。

 地鳴り。

 振動が冷蔵庫を、錆びた看板を、割れたバスタブを、壊れたテレビを、細かな瓦礫を、揺らし、

 巨大なそれが姿を現した。

 廃棄物の山を突き破り、まず四本の柱が生えた。次にその柱に囲まれるようにして異形の物体が、ゆっくりと、せり上がる。

 かつて廃棄物だった鉄くず、電気コード、集積回路、コイル、看板、バイク、ゴムタイヤ、事務机、その他判別不可能な諸々が、生き物の分泌物のようなもので固められて形成されたそれは、足の付いたいびつな球体。

 秋月、佐古田、警護班それからハントクラブ、社員たち。その場の全地球人が、言葉を失い、呆然と球体を眺める。

 いびつで

 見たこともない

 奇妙な

「……」

 柱が青く光る。電気が空気を切り裂く音で我に返った秋月は、しまった、と呟き佐古田を睨みつけた。

「言葉で僕を逆上させて時間を稼ぐなんて、きみのくせに狡猾だな」

 言いながら秋月は地面に置いたPCとトランシーバーを拾い上げた。

「君の勝ちだ……」

 思いのほか落ち着いた秋月の動作を、佐古田は裸眼を(すが)めて訝しむ。秋月はその表情を冷えた双眸でなぞり見た。そして続けた。

「……と、言うとでも思ったか?予測できたさ……ギリギリだったけどね」

 トランシーバーの赤いボタンが押される。秋月は叫んだ。

「準備はできているか?点火しろっ!」

 途端、崖上から爆発音が轟く。

「な……」

 佐古田の近眼が絶望に見開かれるのと同時に、超小型のミサイルが一発、いびつな球体目掛け、

「……嘘だろ……畜生、」

 発射された。




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