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27:ソウルフォート


Number 027

ソウルフォート


 カミツキとマウスが入っていった古い冷蔵庫。二匹の姿が地上から見えなくなった以上、秋月の部下及び雇われのハンター達が囲い込みの作戦を変更し、件の冷蔵庫に突入しようと動き出すのは当然の成り行きであった。

「やべェ」

 トランシーバーがはっきりと変更命令を下すのを耳にした佐古田は、掴んでいた中年の部下の首根っこを離すと、廃棄物の山を慌てて駆ける。

 佐古田自身はカミツキ達が冷蔵庫に入る所は見ていなかったが、どの冷蔵庫かは直ぐに判った。秋月の部下が群がり始めていたからである。

「テメーらァア!それ触った奴、背骨抜くからなっ!」

 怒鳴りつけた時点で数名が逃走した。

 崖の上からスポットライトのように落とされた明かりが、空気中を舞う羽虫や埃を経て、冷蔵庫を囲む部下達の姿を照らし出している。逃げなかった5人も、暗闇から悪鬼羅刹の如く傘を振りかぶって襲いかかって来る「社長の友人」の姿に、正直、泣くか漏らすかしたい気分だった。

「き、来たぜおい……どうするよ」

「オレらが止めておくから、お前はマウスを追うんだ」

 もと柔道部だった体格の良い部下だけは強気のようである。

「わ、わかった」

 作業着のパンツを胸まで上げた部下が震えながら冷蔵庫の扉を開けようと、

 した、次の瞬間、彼の体は腰から後方にグイッと引っ張られていた。持ち手までつや消しの黒で塗りつぶされたこうもり傘の柄が、ベルトに引っかけられている。痩身の部下はあっという間に冷蔵庫から引き離され、「社長の友人」に胸倉を掴まれていた。

「日本語が理解できねえのか?それに触るなっつったろうが、このハナクソが!死ぬか?おい」

 ギョロ目。薄青く額に浮いた血管。慣れない者には相当の恐怖である。

「ご……ごめんなさ……」

「やめろ!彼を離せっ!」

 痩身の部下の膀胱が限界に達する直前に、もと柔道部が佐古田に躍り掛かった。捨て身のつもりではない。体格のよい、もと柔道部の男は佐古田を、上背が高いだけの狂人で格闘は素人だと読んでいた。実際、格闘は素人という点は当たっている。佐古田は単なる公務員。学生時代は、ほんの一時剣道部に所属していたが一ヶ月で退部になった生物部。正式な格闘技など体育の授業でしか学んだ事の無い人間だった。

「今のうちにマウスを追うんだっ」

 もと柔道部は背後の仲間に向かって叫ぶ。

「あ!くっそ……」

 言われて冷蔵庫に走った連中の動きに、佐古田の視線が流れた。好機だ、とばかりに、もと柔道部は佐古田の腕を掴みにかかる。だが、もと柔道部は、考える前に手が出ている佐古田の動物的なスピードと、兄譲りの異様なリーチの長さまでは読み切れなかった。加えて、傘。

 パッキィン!

 と、いっそ爽やかな音をたて、もと柔道部の顔面をこうもり傘が通り過ぎる。

 佐古田の反則じみた射程圏に入った途端に、傘の切っ先で顔面をしばかれたもと柔道部の部下は、昔とった杵柄の技を見せる事もなく鼻血を噴き出し、昏倒。インパクトの瞬間を目にしてしまった他の部下達は、常人より長い腕の長さプラス傘の長さ、という射程距離の恐ろしさと、遠心力のかかった一撃必殺効果に震え上がった。

 逆に言えば佐古田の長所はそれだけで、例えば遠方から銃で射撃されたりしては全く為す術が無いのだが、この部下達は殺し屋でもギャングでもない、ギャラクシーファームの社員或いはガイライ狩猟クラブのメンバー、つまり一般人である。人間を撃ち殺す覚悟などあるはずがなかった。

 もと柔道部の男が地面に崩れ落ちる音を後ろに聞きながら、佐古田は素早く冷蔵庫の真ん前に陣取った。塗装の剥げた冷蔵庫の扉に背中を付け、自分を中心に傘で空中に半円を描いてみせる。

「この辺一帯立ち入り禁止だ。わかるな?お前ら。そこに転がってる奴みたいになりたくなきゃァよ……」

 硬直した部下達を取って食いそうな目で眺め回し、クックッと、悪魔的な声で笑った佐古田の足元に、どこからともなくマルモリ・エキセップスが三匹寄ってきた。マルモリ達は鋭い歯に銃や催涙スプレーなどの武器類をくわえ込んでいる。それらは佐古田に倒されたハンターや部下達が持っていた物であった。

「でかしたお前ら」

 周囲に威嚇の目を向けたまま告げられた佐古田の労いを、マルモリ達は理解したわけではないが、何だか誉められたのは判った様子で、ゲゲゲ、と誇らしげな鳴き声をあげる。その姿は部下やハンター達の目にはまるで悪魔の使役する魔物のように見えた。

「おい……お前行けよ」

「嫌だよ、お前行ったら俺も行くよ」

 小声で囁きあうばかりでなかなか動けない部下達。縄張りを主張して威嚇する原始的なやり方が、文明人には逆に効果的だった。また、射程圏に入った者を叩けばよいだけの単純作業は、実のところかなり疲労していた佐古田にとっても都合が良かった。

 もはや諦念からか、えい、なるようになれ!とばかりに飛び出す勇気ある者も居た事は居たが、冷蔵庫にたどり着く前に佐古田のこうもり傘にかっ飛ばされてしまう。その上、そこにすかさず群がるマルモリ・エキセップス達に武器を奪われてしまうのであっては、埒があかないどころでは無い、却ってこちらが追い詰められている形ではないか、漸くそう気づいた部下の一人が

「上に連絡してくる。これじゃどうにもならない」

 囁いて体よく輪から抜けていった。暗闇に、廃棄物を踏みしめる音が遠ざかる。佐古田は舌打ちした。腕時計を嵌める習慣のない佐古田には、夜明けまであとどれくらいあるのか見当もつかない。カミツキとマウスを乗せたミミナ星行きのロケットが発射するまで、水上の部下達を食い止められるのか?そもそもロケットはちゃんと発射できるのか?辺りを囲む社員やハンター達に感づかれる事はなかったが、この時点で佐古田の心臓は相当の焦燥感に圧迫されていた。先ほどの足音は、この膠着状態を上層部に知らせに行った者がいるに違いない。頭の中がだいぶ散らかってきている佐古田にも容易に想像できた。ふつふつと泡立つ不安と焦り。それをごまかす為に出た舌打ちである。

 微かな振動が、冷蔵庫を伝って佐古田の背中に響く。ロケットのモーター音かもしれない。だったらいい、と思うが、確信は持てない。

 佐古田の眼鏡に、手前右の若いギャラクシーファーム社員が、若干足を動かすのが映る。来るのかこの野郎、とばかりに傘を構えた右腕が、確実にさっきより重くなっていて、佐古田は自分の限界が近いのを悟った。加速度的に追い詰められた気分になる。こういう時、通常の思考の人間であれば逃げ道になり得るはずの、「やるだけの事をやったなら駄目でもいい。結果よりも努力が大切だ」などといういかにもヒューマニズム的な甘言は、基本的に人類そのものに不信感を抱いている佐古田にとって何の意味も持たなかった。

 1秒が10秒に延びている気も、また、その逆の事が起きている気もする奇妙な時間の流れ方。それが、悪寒にプツッと断ち切られ、佐古田は前方奥に視線を移した。

 部下達が無言で道をあけていく。

 やがて、そこに、電子カンテラの青い灯りに照らされて少し輪郭のぼやけた水上秋月が、姿をあらわした。

「……やあ、純三くん」

 秋月は、佐古田の8メートル程手前で立ち止まり、何故かどことなく淋しげな笑みを伴って挨拶をよこした。

「水上……」

 背をピッタリ冷蔵庫につけて傘を握り直すと、マルモリ・エキセップス達が、きい、と鳴いて足にくっ付いてきて、佐古田はその体温を意識しながら水上秋月を睨み付けた。

 来やがったな水上、どうするつもりだ、くそっ、いきなり撃ち殺すとかか?そしたら先に噛みついてやるからな畜生、やってみろこの野郎……っ

 焦燥と憎悪がごちゃ混ぜに散乱した脳で佐古田が口に出せたのは、

「こっちへ来い水上っ!頭蓋骨かち割ってやる!」

 という無意味で陳腐な言葉だった。秋月は少し困った顔で笑う。

「そんなに怖がるなよ、僕は君をいきなり撃ち殺したりしないぜ」

「こっ……誰が……」

 一瞬、立っていられなくなりそうな程の凄まじい敗北感にとらわれた佐古田は、足元のマルモリの温かい毛の感触を一時的な心の拠り所にする事で、それを何とか解毒した。立ち位置的な部分で既に負けている佐古田は、せめて秋月の行動に対応する反射神経を鈍らせまいと、傘を持つ腕を緊張させ、近眼を細める。しかし秋月は意外な言葉を吐いた。

「僕はさ、純三くん。君の事は友達と思ってる」

「……あァ?」

 三角の口で訝しげな声を上げる佐古田に構わず秋月は続けた。

「殺したいほど憎い時もあるけど、……君は変わらないからな」

「イカレてんのか?何が言いてんだテメーはっ!」

 左古田には、秋月の意図が全く読めなかった。秋月はあくまでもぼやけた輪郭のまま、

「何も」

 と、かぶりをふって、言った。

「少し感傷的になってる。きっと、最後だから」

 水上秋月の表情に浮かぶのは攻撃的な感情ではなく、この男の目によく表れる嗜虐の意図も見受けられない。寧ろ淋しさ、深い穴のような淋しさと、自らそれを嘲るような諧謔的な色を混在させて、秋月は微笑していた。

「唯一の友達との最後の会話だよ……いいだろ?」

「……」

 冷徹に自分を排除しにかかるはずの秋月の奇妙な態度に、佐古田は返す言葉を決めかねた。

 足のマルモリ。背に響く振動。おちつけ、

 秋月の考える事の、全てが自分とは異質で、佐古田には理解できない。

「ね……初めて会った時の事を覚えているかい?」

「……」

「ずっと不思議だったんだよ……」

 振動、背に響く振動。


 地上で佐古田の背骨と肩甲骨を震わせている、トトトトト……というその小さな振動は、底の抜けた冷蔵庫から繋がる狭い地下通路の中ではもう少し大きな音で鳴っていた。

『あー、うー、この音あたまいたくなんのね』

 チュニはゼッカイの尻尾に掴まりながら呻いた。

『我慢しろ』

 とは言え、ゼッカイも振動には辟易していた。まるで火山の噴火前のような気持ちになって、落ち着かないのである。傾斜のついた真っ暗い一本道がくねくねと続く。ここまで来るとケイメロはもうマーキングを残していない。地下穴をこんなに長く進んだ事は無かったが、もはやゼッカイはこれぐらいでは驚かなくなっていた。

 通路は、突然ぶっつりと途切れた。鼻先が堅いものに触れる。ゼッカイはその物体を前足で引っ掻いた。冷たい感触、岩肉、もとい「くるま」という奴に酷似した匂い。

『行き止まりだ』

 前進をやめたゼッカイの刺々しい毛に覆われた尾に顔を突っ込んでしまったチュニは、イテッ!と小さく鳴いた。その声を聞きつけてか、行き止まりの鉄扉ががちゃりと音を立てた。真っ暗闇の通路に橙色の光が差し、様々なものの混じり合った匂いが広がる。ゼッカイとチュニは、その中にケイメロの匂いを感じたが、出てきたのは毛むくじゃらの縄であった。

 縄は辿々しいミミナ語で叫んだ。

『みんな!かれらがきたよう!』

 縄生物の案内で扉の中に通されたゼッカイはカラフルな草や光る岩、おかしな虫で溢れかえった景色に目を丸くした。ごちゃごちゃと機械類で埋まった狭い地下室が、ゼッカイにはそう見えたのだ。或いはエムの、喋る方の身体を沢山集めて固めたようだとも思った。

 一方、秋月の研究所で機械に慣れているチュニは、それよりも自分たちを囲む見たことのない生き物たちの姿に興奮している。

『君たちが初めての乗り手だね』

 真っ黒い核を持った半透明のゼリーがぷるぷる震えながら言った。

『うまく飛ぶといいな』

 舌で天井からぶら下がった者が匂いだけで言葉を投げる。

『飛び穴へようこそ!人間達のかこみをよくくぐってきたね。さっそく準備を……ああっ!ちょっ、核を触るのはやめたまえっ!』

 喋るゼリー生物の体にチュニはいきなり前足を突っ込んだ。

『うわーぷるぷるよ~』

『よせチュニ』

 ゼッカイがチュニの頭を押さえると、ゼリー生物はペタペタと数回跳ねて核をもとの位置に戻した。

『なるほど、幼性の頃のオルドマはきっとこんなだったのだろう。孫だったか?君は。好奇心旺盛な所がよく似ている』

 ゼリー生物は湿度の高い香りで微かに淋しげな心情を滲ませ、ゼッカイに向き直った。

『……ああ、思い出に浸ってばかりもいられないな。準備を急がなければ』

 〈飛び穴〉には総勢23匹の地球外生物が常駐していて、いつか始まるこの日のために「空飛ぶ乗り物」を作っていた。数週間前まではオルドマもここに居たのだ、とゼリー生物は言う。

『その頃からあの人は体調を崩していた……きっと、なるべくしてこうなったんだと思う。君が彼女を食べたのも、きっと必然だったのだろう』

『そうか……』

 ぷわぷわとした感触の皮膜を着込みながら、ゼッカイはオルドマの味を思い描いた。ゼリー生物は触手状にした体の一部で器用に皮膜を掴んで手伝いつつ、尋ねた。

『うまかったかい、僕らのあの人は』

 ゼッカイは目を伏せて応える。

『……あれを超える味は無い』

 ゼッカイの返事を聞いたゼリー生物は透明な体の中で丸い核をくるりと一回転させ、

『よかった』

 とだけ言った。暖かい喪失感、とでも言うべき匂いだった。流れる自分の血液に混じるオルドマの確かな存在を、そして彼女がここでゼリー生物やケイメロや、ぶら下がり生物たちに愛されていた事実を、ゼッカイは深く実感する。

 食べた生き物が、生きていた頃何をしていたか。それを想像し、感じ、慈しむという一連の儀式は、ゼッカイの故郷ミミナではごく当たり前の行為である。だが、それがこんなにも深く深く耳先から爪まで包み込まれるようなものとして感じられたのは初めてだった。

 皮膜を被ったゼッカイは、次に、円筒形が乱雑に組み合わさった巨大な塊の前に連れてこられた。別の部屋で同じように皮膜を着せられてきたチュニが

『こらっ!引っ張って遊んじゃ駄目よ』

 と、叱るケイメロと一緒に姿をあらわした。

『だってこれおもしろいんだも!ねっ!ほらほら』

『よしなさ……あら』

 ケイメロはゼッカイの姿を一つ目に映すと、頭を上げた。

『ゼッカイちゃん。無事で良かったわ』

『小さい奴らとにわとりのおかげだ』

『にわとり?』

 怪訝な匂いで聞き返すケイメロ。ゼッカイは手短に飛び穴の外での出来事を話す。

『しょっぱかったの』

 と、チュニが付け加えた。

 ケイメロは目を瞬かせ、苦々しげに感想を吐いた。

『お人好しね、あなた達。地球人は複雑すぎて信用できないわ。そのにわとりも、たまたま利害が一致しただけよ。アタシはエム以外の地球人なんか滅……』

 そこまででケイメロは続きを止めた。まあ、どうでもいい事よ。と締めくくって円筒形の塊の真ん中にあいた丸い扉を押し開け、二匹を促す。

『入って』

 ゼッカイはふと、ケイメロは地球人に如何なる仕打ちをされたのだろう、と思った。宇宙生物園での生活が頭をよぎる。

 然り、この星は地獄。生きてゆくには複雑であらねばならないのだろう。

 ゼッカイは憎しみよりも地球人に憐れみを感じた。

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