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20:ノット・イン・ザ・パスト


Number 020

ノット・イン・ザ・パスト


 古い音楽が鳴り響く。21世紀になったばかりの頃、火星の無人探査機と通信が途絶えた時に地上の管制塔がウェイクアップコールとして探査機に送った曲である。水上秋月はハンズフリーの衛生電話機のスイッチを押した。曲が止む。

「どうした?」

「奥多摩ラボに侵入者がありました!」

 快適なヘリコプターのソファの両端に備え付けられたスピーカーから、部下の久留米のキンキン声が響き、秋月は少し顔をしかめた

「それで?」

「番犬が捕まえましたが……その、そいつが社長を出せとうるさいもので」

 それを聞いた秋月は、くつくつと愉しそうに笑いを漏らした。

「純三くんだろ、それ」

 ひじ掛けのボタンを捻ると、秋月の正面に半透明の画面が浮かんだ。困り果てた久留米の後方で眼鏡の男が椅子に縛り付けられている。

「やあ。久しぶり」

 秋月が声をかけると佐古田はピョンと頭を上げてパクパクと何か言った。

「マイク繋げよ、久留米。気がきかないな」

 秋月の命令に久留米が慌てて飛んでいく。

「はい!ただ今……おい、暴れるな……ちょっ、ふぎゃあ!信じられない」

 マイクロフォンを取り付けようとして久留米は佐古田に噛み付かれたようだった。ややあって鼓膜が破けそうな罵声が響く。

「てっめえ水上このゲロ野郎っ!何てことしてんだクソッタレ!生ゴミ!ハゲ!耳クソ!」

「いやいや……酷い言われようだ。変わらないな君は」

 秋月は苦笑して煙草に火を点けた。

「しかし、僕が何したって言うんだ?住居侵入罪は君の方じゃないか」

「うるせえバァカ!お前のやってる事は全部知ってんだ俺は。洗いざらいぶちまけてやるからなァア……虫に食わせるのも勿体ねえんだよ。お前は獄中で死ねっ!」

 佐古田は憎悪のこもったささくれ声で怒鳴る。秋月は僅かに目を細めただけで

「へえ……知ってるんだ?」

 動じない。

「でも安心しなよ純三くん。君が心配してるほど酷い事はしない。本当だよ、僕だってあの事件で人生がめちゃめちゃになったんだぜ」

 秋月の言葉は、数字的には一部確かに嘘ではなかった。新型サリエラはミミナマウスの体内でおよそ180日しかもたない。180日後には跡形もなく死滅する。その半年で売りきれる程度の数、約三百匹のサリエラ持ちマウスを、足がつかぬよう流通させる計画だった。

「屋久島のトカゲの数がだいたい五千匹だった事を考えたら、ささやかな数じゃないか。そうだろ?」

 秋月の言葉に佐古田は

「てめえ黙れかっさばくぞその口!」

 と、椅子ごと画面手前に突っ込んでこようとしてひっくり返った。秋月はアハッ、と声を上げてソファに寄り掛かる。すると遠くなった記憶が、泡のように秋月の脳にふつふつと沸き上がってきた。


 犠牲者追悼の会場で、ロッカーに閉じこもって泣いていたこども。大人たちはこどもを憐れみ、心配していた。

 そのこどもと2歳しか違わないのに、秋月には誰も優しい言葉をかけてはくれなかった。

 練習した通り、

 お父さんの代わりに僕があやまります。みなさんごめんなさい。

 それでも家には石が投げ込まれた。秋月は、こどもを羨ましく思った。

 あのこはいいな。泣くことができて。


 ソファに身を沈めた秋月の笑顔が消える。記憶の泡は秋月をひどく嗜虐的な気分にした。秋月は画面の中で罵詈雑言を喚く佐古田に言った。

「残念だけど純三くん、僕は忙しい。きみと遊んでいたいけど、もうじきサンプルマウスの捕獲が終わる。あのちびっ子からサリエラを取り出して三百匹分培養しなきゃならないんだ」

「言ってろ!絶対に、やらせねえからな水上ィ!なめた口きいてンのも今のうちだ!」

 床の上からまくし立てる佐古田を見る秋月の目が、すい、と細まった。

「どうかなァ……。上の連中が聞くと思うかい?純二さんならまだしも、君の話を」

「ぬな……っ…」

 予想通り動揺し、ばっくり口をあけて硬直した佐古田を秋月は面白そうに眺め、

「……さて、久留米。出来の悪い弟くんがどこまで知ってるか、一応聞いとけよ」

 そう締め括って通信を終了させた。

 旋回するヘリコプターの窓から地上の森を見下ろすと、サーチライトの強い光に紛れてぽんぽんと白煙が上がっているのが目に映る。秋月は窓に指をつけてその白煙の部分をなぞった。

 応援を頼んだジョイハントクラブの連中は実に有能だ、と秋月は思う。彼らの銃の数発で、サンプルマウスと厄介なカミツキは、頼んでもいないのにバラバラに逃げ出し始めてくれた。

 何の後ろ盾も無いくせに執念深いヘビのような佐古田純三も、自分から勝手に捕まりに来てくれて、

 ああもう少しで、僕は過去を乗り越えられる。

 秋月は目を閉じた。

 全部終わったら、そしたら僕は、家族でも持とう。暖かい、優しい家庭を作ろう。


 おかーさん おかーさん

 ヘリコプターの真下の木の枝葉は真っ暗い紫色をして、自然の風でない風にざわざわとうねっている。そこからまた更に下の、幹の辺りに開いた小さな(うろ)。サーチライトを避けたチュニはその穴の中に身体を丸めて縮こまっていた。

 おかーさん こわいよ

 チュニのキュウキュウと鳴く声は、ヘリコプターと、それからあちらこちらで響く爆発音に紛れてチュニ自身にもよく聞こえない。

 尖った、ゼッカイの歯。

 脳裏に焼き付いた映像が、思い出す度に怖くて、チュニは自分のお腹の毛を舐める事で落ち着こうとしたが、うまくいかなかった。

 おうちかえりたい。

 チュニは何本か毛を噛みちぎった。どうしたらいいのか判断がつかなかった。母親がいるはずの、研究所の檻に帰りたかったけれども、道順が判らない。外の人間達についていけば帰れるだろうかとも考えたが、太陽が夜登ったかのようなサーチライトと爆音のヘリコプター、それから得体の知れない煙を上げる銃のせいで怖じけづいてしまったチュニの四肢は、木の内側の凹凸をしっかりと掴んで離れようとしない。

 地球人たちは、檻の中にいる時やさしくしてくれたはずで、

 チキュジンはチュニをいじめないのから、らいじょうぶなのから……

 だから外に出よう、と頭でいくら思っても、なぜか蹄が言うことをきかなかった。


 チュニは知らなかったが、うろの10メートル下の根元の方では着々と準備が進められていた。木の周囲に網を張りつめ、落ちてきたチュニを直に捕獲できるよう仕掛けがなされている。

 その作業を進めるギャラクシーファーム社員達に紛れて1人、長身の若い男が立っていた。腕組みなどして社員達の様子を眺めるばかりで自分は網に触れようともせず悠然と歩き回り、頷いたりしている。肩には白い大きな機械の塊が引っ提げられていた。

 最新式のガイライ用ライフル銃。

 医療用の専門機器のような外観のそれを背負う男は、宇宙生物狩猟愛好会ジョイハント・クラブの幹部で、名前を石神井豊広といった。

 石神井は目をすがめて森を見渡した。特に意味は無い。社員達に対して、いかにも狩人然とした態度を示したかっただけである。

 この男に限らずジョイハント・クラブの人間は大概、こうした態度を取りたがったが、それは、自分達が本来の意味での「狩人」では無いことを無意識に恥じるがゆえの装いだったと言える。地球の動物を狩る事を生業として生きていた者達がとうの昔にいなくなった時代、ハンティングはある種のファッションとなっていた。普段はガイライに見立てたロボットをハンティング場に放って撃つ事しかできない彼らは、こうしてたまに本物を撃つ機会があると躍起になった。石神井の腰の辺りには黄色と赤の、2本の尻尾のようなストラップが下がっている。本物のガイライを仕留めた者は獲物の毛や骨の一部などを、このようにアクセサリーに加工して身につけていた。本物を仕留めた者のことを若者の世代は「マタギ」と呼んで称賛する。今では、この失われた猟師の文化が本質的にガイライ・ハントとは異なっているという事を知らない人間のほうが多いのである。

「ああ、社長ですか?」

 石神井は携帯を耳に当て鷹揚なトーンで喋った。

「準備はね、あと少しで終わります。ただ、ちょーっと待って欲しいんですよね」

 サンプルマウス、チュニを餌にカミツキを仕留める。それが彼の狙いだった。

 ここ一年、生きたガイライを撃っていない。石神井は焦りを抱いていた。腕が良い、と思われている間はいい。石神井豊広は、駄目じゃんアイツ、と侮られた瞬間に全ての友人が自分から離れていってしまうのではないかという恐怖に囚われていた。電話を切ると同時にハンター仲間の1人に声をかけられる。

「どうもうまくねーな、アイツ頭がいいよ」

「まあ慌てるな」

 石神井は余裕たっぷりという風にニヤリとしてみせた。

「さすが余裕だなトヨヒロ、やっぱ仲間内じゃお前が一番経験値あるよ」

 効果は絶大。感服した顔でそう言った仲間に石神井は別にたいした事ねえって、とかぶりを振る。

 だが石神井の表情は仲間のこんな言葉ですぐに曇る事になった。

「にしてもミミナのカミツキっつったらこないだの熊より大物だろ。トヨヒロ、名誉挽回のチャンスじゃないか」

 そう、半年ほど前に石神井にガイライを仕留めるチャンスがあった。アトラス星の「熊」と呼ばれる大きな両生類で、撃てば英雄間違いなしの獲物だったのだが、あと一歩の所でヤクザまがいの宇宙生物管理局員に横取りされたのである。しかも蹴られて鼻を擦りむいたのだ。友人達が嘲笑めいた口調で繰り返す「残念だったなァ」という台詞。あの失敗で下がった株を取り返さねばつまはじきにされる。石神井は手のひらの汗を隠した。


 風が吹く。

 木々の揺れる音が上の方でした数秒後、石神井とその仲間の腰の辺りに提げられた小さな機械がポーッ、とアラームを鳴らした。カミツキ接近の警報である。ギャラクシーファームがミミナのカミツキの身体に振り撒いた細かな装置「雪」によって石神井達は常にカミツキの大まかな現在位置を知ることができた。だが、受信機の情報処理速度の問題で、僅かな誤差というものが生じている。水上秋月の手元にあるメイン受信機から、石神井らハント・クラブ連中に送信される接近アラームは鳴るのが1秒近く、遅い。ゼッカイが現在までライフルから何とか逃げおおせている理由は、この、僅かなタイムラグにあったといえる。

 ゼッカイは、風が吹いた瞬間を狙って常に木の上を移動していた。尾の先を最初として、耳の端と前足の毛にも火のトゲを受けたゼッカイは、同じ場所に留まるのが最も危険である事を身をもって知ったからである。一度目の恐怖感は少しだけ薄れていたが、火のトゲを畏怖する気持ちは無くなっていなかった。だがゼッカイには、しなくてはならない事がある。その機会を窺いながら、ゼッカイはチュニの潜む木の周囲をぐるぐると不規則な円を描いて逃げ回っていた。

 どうすればチュニに近付けるだろうか?

 考える時間が欲しかったが地球人の群れの中の1匹が、こちらに気付いたようだった。

 まずい。

 揺れる木の葉の陰から陰に跳び移る瞬間、ゼッカイは頭の毛を奇妙な丸い形に生やした地球人と目が合った。その毛の色は金色で、ゼッカイはほんの少しだけ故郷の空気を思い出す。

 高感度なカメラよりも更に鮮明に細かな動きを捉らえるゼッカイの赤い目玉に、金髪の地球人、石神井ライフルを構える動作はゆっくりに見えた。引き金をひく指もはっきり判る。

 ゼッカイは空中で長い尾を振り回し、身体の方向を変えた。これまでの火のトゲと同じものであれば、かわせる筈だった。

 遠いミミナ星の野生生物であるゼッカイには、石神井の最新式ライフルの性能までは読みきれなかったのである。


 「やったか!」

 と叫んだのは石神井ではなく、隣にいた仲間だった。謙虚なクールさを演出した足どりで石神井は、カミツキが落ちたと思しき場所へと早足で駆けた。青い体に赤紫の体液をこびりつかせた生物が草の中に横たわっているのを見て、石神井の喉から喜びというより安堵の溜息が漏れる。

 よかった……横で福本が見てる手前で外したら、明日からつまはじきになるところだ。

「おい、ホロ録ろうぜ」

 仲間はホログラムカメラでカミツキを撮影し始めた。

「ちょっと待て」

 石神井は再び携帯を手に取ると

「ああ社長、カミツキは仕留めました。どうぞ、始めてください」

 そう告げた。


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