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18:サスピション


Number 018

サスピション


 背の高い草地の中に真っ直ぐに、奇妙な凹凸のある硬い道が続いている。ゼッカイ、チュニ、それから発着場まで案内するケイメロの三匹の誰も、廃線跡というものを知らなかったから、ただ、これは地球星の何か、そういうものなのだとだけ思いながら朽ちた枕木を踏んで行った。上空で、ピヨロロ、と鳥が鳴く。あとは風の音。住宅街から離れ、辺りからはほとんど有機的な音しかしない。チュニはご機嫌だった。

『まっまっまにきを食べたなら~っ!うんこ、うんこ、いろんな色の~っ……』

『うるさいぞ。周りに誰もいないからといって、大声で鳴いていいとは言っていない』

 ゼッカイは刺々しく注意した。

『ややー?まら追いかけっこなのか?追いかけっこチュニ飽きたんのよ』

 面倒そうにチュニが顔をしかめる。地球人の出入りする石の箱や、ピカピカ光るものたちもここにはない。視界を胞子の金色が支配するミミナ星とは違い、緑色ではあったが、まともな景色である。チュニが歌のひとつも吠えたてたくなる気分はゼッカイにも分からなくはなかった。けれど、何かがおかしい。何かが。正体不明の違和感に、ゼッカイの尻尾の毛根が反応していた。ホウキのような尻尾を見て、ケイメロが

『どうしたのゼッカイちゃん』

 巨大な一つ目を瞬かせて首を傾げる。

『奇妙だ』

 ゼッカイは訝しげに遠くを見渡した。

『何が?』

 尋ねたケイメロの真似をしてチュニも、

『なにがーなにがー』

とまぜっ返す。

『……いや、』

 どう答えていいかわからないで戸惑うゼッカイの青い身体に、チュニはよじよじと昇ってきた。

『ゼッカイ、だっこ~』

『疲れたのか』

『ここ広いのにせまいのね、らからチュニ疲れちゃうのね』

 広いのに、狭い。チュニの言葉によってゼッカイは違和感の正体に気付いた。

 そうだ、おかしいのはそれだ。この広さに対して、「足りない」のだ。情報が。圧倒的に。

『匂いの範囲が、狭すぎるんだ……』

 200メートル風上に(そび)える、あの硬そうな植物の匂いが、何故ここまで届かない?

『隠れている。奴らが』

ゼッカイの剣呑な匂いの言葉に、ケイメロが、コッ。と小さく鳴き声を漏らし、

『本当なの……?アタシはミミナ人より嗅覚弱いから、そこまでわからないわ』

 嗅覚を感じる頭部の房を左右に動かしてみる。

『地球人の匂いは感じないけど……』

『何かの方法で、匂いを消している。だから、土や植物の匂いまで消えてしまっているのだ』

 ゼッカイにもそろそろわかってきていた。地球人はそういう、ミミナの常識では考えられないような事をする生き物なのだと。

『まずいわ。こんなに早く見つかる予定じゃなかった……飛ぶ乗り物には準備が必要よ。時間が足りない』

 四本の前足を組んで唸ったケイメロに向け、チュニを頭に乗せたままのゼッカイは落ち着いた匂いで

『ならばお前だけ先に行って準備をすればいい。飛ぶものの場所を教えてくれ。夜明け前までに奴らをまいて必ずそこに、ゆく』

 と告げた。追っ手はあくまでも娘と孫を狙う。と、オルドマが言っていたのをゼッカイはよく覚えている。娘がいない今、老いた身のオルドマだけではこのような時にチュニを保護できないであろう。

 やはりあなたは全てを予言していたのだな。

 オルドマの言葉が予言でなく計画だ、と聞かされた後も、ゼッカイはどうしてもまだそう感じるのだった。

『……わかったわ』

 ケイメロは神妙な匂いでそう答え、硬い道を真っすぐ辿ると突き当たりに大きな植物がある、と、説明した。

『そこで右に曲がって。あとは判るように印をつけておくから』

 言いながらケイメロは頭部の房の一部をゼッカイに差し出す。この匂いで印をつけていくという意味である。姿形の違う生き物であっても、ゼッカイにはケイメロの意図がすぐに理解できた。

『覚えた』

 と頷くゼッカイ、次いで頭の上のチュニを、ケイメロは巨大な目でじっと見つめる。

『いい?着いたら、尖った岩の所に入口があるから、そこに……』

 だがケイメロは全てを言い終える前に口をつぐんだ。匂いの範囲が、ケイメロにも判るほど狭まったのである。短く、ケキャ、と鳴いてケイメロは飛ぶように走り去った。それはミミナ語ではなかったが、おそらくは、達者で。というような意味合いだろうとゼッカイは解釈した。そうするうちにも匂いの範囲はさらにぐっと狭くなる。じりじりとたゆまぬ迫り方は、こちらを襲うタイミングを測っている生き物の動きだ、と、ゼッカイは感じた。頭の上のチュニに忠告する。

『いいか。これから、走る。爪をたててもいいから落ちるな』

『だいじょぶら。チュニおちないよ』

 そう答えたチュニの前足の指と後ろ脚の蹄はゼッカイの青い毛にしっかりと絡んでいた。それを確認し、肺に息を溜めると、ゼッカイは大きな踵を浮かせた。

 チュニの視界は上を向いていた。薄暗くなり始めた桃色の空が近くなったり離れたりするのが面白く、チュニは思わず、ミキャ、と意味をなさない鳴き声をあげる。ミミナの肉食動物と草食動物は、足の構造がだいぶ違っている。チュニが走るときは前足も含む四本の足を、右側二本前に出したら次は左側を、というやり方で進む。ところがゼッカイときたら、後ろ脚しか使わない。走るというよりこれは、跳ねる、に近い動きであった。

『うひひ。へんなの~』

 チュニは、その違いが意味するものを理解せず、ただ面白がっていた。

 ゼッカイは変な走り方。耳も大きくて、色もへんなの。

 ゼッカイは、へん。


 コンクリートの地面より弾力のある土の上の方がスピードが出る。ちょうど地球人で言うところの三段跳びの選手のようなリズムで、ゼッカイは林の中をくぐり抜けてゆく。匂いの消えていない通り道がないか探したが、その間にも匂いのする範囲はどんどん狭まった。突破するしかないと判断したゼッカイは、名も知らぬ大きな丸い葉の草の茂みを駆け抜けながら、頭にしがみついているチュニに叫ぶ。

『目をつむって、歌を歌っていろチュニ!このあいだそうしたのと同じようにだ。できるな?』

『あい~っ?うた~?チュニのききたいのかっ。いいよ』

 チュニはぱっくりと大口を開けて息を吸い込んだ。

『じゃ~ねえ!きちょきちょするの歌でいーい?こえね、おもしよーいうたなの。チュニがつくったの』

『いいぞ、歌え!ちゃんと目をつむるのだぞ』

 脳天気なチュニの言葉を受けたちょうどその時、ゼッカイの鼻先が匂いの途切れるエリアにさしかかった。

 朽木の脇に深く爪の足跡をつけ、跳躍する。空中で二匹の身体の匂いは奇妙にかき消えた。

『ややっ?』

 チュニが目を閉じたまま顔をしかめた。喋った「ことば」の匂いも一瞬しかもたずに消えてゆく。

『気にしなくていい!目を開けるな、歌えっ』

 大きな目玉をクルッと回転させたゼッカイは、真っ白な皮を被った地球人の頭めがけて尾を打ちつけた。ヘルメットに亀裂が入る、パン、という音は、歌うチュニの耳には入らない。

 きちょきちょさんの~、きちょきちょするやつで~、きちょきちょするのよ~

 ゼッカイが白い皮膚だと思ったものは、ギャラクシーファーム社特製の消臭剤を吹き付けた防護服であった。ミミナ肉食動物の長い尾で頭を張り飛ばされた地球人が気を失って倒れる。間髪を入れず後ろから、別の地球人が棒状の物体を振るとそこから投網が飛び出てきた。

 気持ち悪い、何だこれは!

 右脇に生えたシイの木を蹴って網を避けたゼッカイの頭の上で、チュニの歌う匂いの旋律が、消臭剤のせいで生まれてはすぐ消されていく。ゼッカイは木の上を飛び移って地球人たちから距離をとった。チュニを背負った状態で全ての地球人をいちいち相手にする気など無い。何も彼らを殺して食う必要はないのだから。

 おなかをきちょきちょするねのね~、チュニちゃんは~、はげに~なっちゃ~った、たんたんたたーん

 枝と枝の間を跳びながら、きちょきちょさんとは何なのだろうか……と、ゼッカイはチュニの奇妙な歌の内容がほんの少し気になったが、今はそれどころではない、と、振り返り、網を投げた地球人が上空に向かってまた何かを投げ上げる瞬間を見た。

 ぴるるるる、と、鳥の声をたててそれは真上に飛んでいった。

閃光。

 暗くなってきていた空が一瞬、真っ黄色になる。一体どんな方法で空を染めるなどという不思議な事ができるのか、ゼッカイには見当もつかない。ただ、あれを目印に地球人の仲間がここに集まってくるかもしれない、とは感じた。そうなればますます厄介だ。

『いまなんか光ったぁ?』

 言われた通り目を閉じたままのチュニが歌を中断して尋ねる。

『いいや。何も無い。目をあけるな、歌を続けろ。きちょきちょさんではげになってそれでどうなるのだ』

『つめたくなるのら』

『よし。歌え』

『えっとー……』

 はげたらはげたら~、つめたいので、ちゃくちゃくちゃく……

 つめたい、ちゃくちゃく、へんなにおい~

 ゼッカイの予想通り、背後の追っ手は数を増やしていた。木を飛び移っていれば投網と麻酔針は当たりにくい。だが、シダ類、菌糸類、地衣類のみに覆われたミミナ星の生物にとって、地球の、特に被子植物の樹木の枝ぶりはやはり慣れない未知の形状。どうしてもスピードが落ちてしまう。その間にも地球人達は仲間を呼び集めるに違いない。意を決したゼッカイは枝から飛び降り、背を低くして地上を駆けた。

 んん~、はげをなんかでさしたけど~いたくな~いのチュニは~

『刺す、だと?』

 ゼッカイがチュニの歌に反応した瞬間

 タアン、

 乾いた音が鳴った。

 何が起こったかよくわからないうちに、ゼッカイの尻尾の先数センチは消えて無くなっていた。

 ぎい、と意味をなさない鳴き声を上げて反射的に飛びのいたゼッカイは、さっきまで自分の立っていた地表に穴があき、煙が昇っているのを目にして戦慄した。

 火のトゲだ……

 ライフルというものの存在を知るはずもないゼッカイは、そう思った。尻尾の先が燃えるように熱かったからだ。同時に、あまりに常識の通用しない地球人というものに心底、恐怖した。

 何という事だ!火は不可侵の領域。操ったりなど以っての外だ。誰でも知っている掟ではないか!

 ゼッカイの耳が緊張で垂直に立つ。振り返る余裕は無かった、ただ、ライフルに当たらぬよう蛇行して不規則に駆ける、駆ける。

 早く、あの火のトゲの出る棒から離れなければ

 凄まじい速度で脈打つゼッカイの心臓は首の辺りにある。頭の上のチュニは危険を感じてとっくに歌をやめてしまっていた。目だけは言いつけ通り閉じているが、不安げな匂いを出す。

『ねー……こわいよなんか……チュニやなかんじだう』

 答える余裕も勿論、ない。再び背後で例の破裂音がして右隣の長い草の穂がパッと飛び散る。ゼッカイも

 怖い、

 と告げたかった。群れの仲間がいて欲しかった。

 なぜ、こんな所でおれは走っているんだ?

 突然、目の前にパラパラと白い地球人達が現れる。回り込まれた、と気付いたゼッカイは踵を返そうとしたが、火のトゲが恐ろしくて、そうできない。地球人達はそれぞれ何か奇妙な道具を手にしている。どれが何なのか判らないゼッカイには、全てから火のトゲが出てきそうな気がした。

 ああ、火は駄目だ、怖い、

 こわい

 ひどく恐怖を感じた生き物の行動は四種類ある。逃走、硬直、防御、そして攻撃。ミミナ肉食動物は正常な判断が不可能なほどの恐怖を感じた際、反射的に四つ目を選択する習性を持っている。遺伝子に、そう組み込まれている。


 巨大な2列の牙が、0.2秒で開いて閉じた。


 ひああああ、

 という地球人の周波数の低い悲鳴は、ミミナ生物であるチュニには悲鳴にきこえなかった。何か、とても恐ろしい気持ちの悪い生き物の咆哮のように感じた。

『なんらのよう!こわいよゼッカイ!ねえ、なになに!なになになにっ!』

 返事は無い。代わりにゼッカイはぎゅんとスピードを上げてターンした。ぱしぱしとチュニの顔に小枝が当たる。当たった部分がかゆくなって、チュニが左前足で顔を擦った途端、もう一度ゼッカイがターンした。チュニの右前足は、掴んでいた青い毛を離してしまう。

 ミャオン!

 慌ててもう片足と後ろ両足をゼッカイに絡ませ直したチュニは、咄嗟に目を、開けてしまった。

 

 まっ赤


 なにこぇ。

 ねえ、なにこえ?

『だれの血?』

 丸かった目を細く細くしてそう尋ねたチュニの言葉が突き刺さり、ゼッカイは正気を取り戻した。意識が無かったのはほんの数秒。けれどゼッカイは、自分の鼻先、牙、身体、それから頭の上から逆さまに覗き込むチュニの顔にまでついた、地球人のどす赤い体液を見て、そのたかが数秒の間に起きた出来事を完全に理解した。

 しまった……

『振り返るなチュニ、これは……』

 だがチュニは既に見ていた。呻きながら倒れ伏している地球人たちと、その、噛みちぎられた腕を。

『……』

 そうして、呆けたように呟いた。

『……うそつき、』

 一瞬遅れてチュニの白い毛はぞわぞわと波打つ。

『うそつきだ!こんなこわいの、おばあちゃんらないっ!チュニは、こわいのとは、いっしょやだ!』

 ゼッカイが止める間もなく頭の上から転がり降りる。

『へんだもん、お耳でかすぎだし、走り方へん、口もちがうもん!チュニないもんキバ!』

 四つ足を地面に付けて走る姿勢に入っている。弁明などできなかったゼッカイは、

『落ち着けチュニ、駄目だ、離れるんじゃない……』

 弱くそう吠えて尻尾でチュニを巻き抱えようとしたが、

『いやだもんっ!』

 駆け出した白い身体には届かない。ちょうど、ライフルで撃たれた長さ分、足りなかった。

 チュニは、理性的にゼッカイが捕食動物だと気付いたわけではない。ただ血まみれの大きな牙を見て、頭の中の、空腹な時に苛々してくる部分が

 にげろ

 と、命令したのに従っただけである。ゼッカイが自分とは何かが決定的に違う生き物である事は確かで、では何者なのかと言えばそれはわからず、説明不足の焦躁がチュニの蹄に地面を蹴らせ続けた。研究所にいたチュニにとって、見慣れた地球人は危険ではない。危険は、背後から追って来る青い獣の方なのだった。

『待て!何処へゆくっ!地球人に捕まったらお前は……』

しかしゼッカイの言葉は消臭剤のせいですぐに消し飛ばされてしまった。

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