14:メカニカルフレンド
Number 014
メカニカルフレンド
『ぜんたーい、すとぷ!』
ミミックネコダコの号令に、車体の下の10匹のマルモリ・エキセップス達がそれぞれバラバラなタイミングで足を止めた為、車は大きく揺れた。ゼッカイ、ケイメロ、チュニの3匹はカクンと頭を前に振った後、後頭部を座席にぶつけてしまい、軟体性のミミックネコダコに至っては、地球人の上半身に変身した体がハンドルの隙間に挟まり込む始末。マルモリ達がわらわらとはい出てきて、
『だいじょぶか』
『号令が悪いからじゃ』
『着いた着いた』
などと口々に、訛りの強い独特のミミナ語を喋りながら車のドアを開けた。埃っぽい空気を吸ったチュニはくしゃみをした拍子にゼッカイの尾を、ぎゅ、と前足で掴んだ。
コンクリートに囲われた駐車場はゼッカイに、あの気味の悪い宇宙生物園の檻を思い出させた。掴んでいた尾の毛が少しばかり逆立つのを見て、チュニは不思議そうに目をパチクリさせ、
『ぼさぼさ』
と、甘噛みしてきたが
『甘噛みは、よせ』
ゼッカイは冷たく振り払った。そしてふと、あの檻の中で食わせられそうになった赤い塊を思い出す。ゼッカイは、チュニの肉がちゃんと金色である事を祈った。
『ここに立って』
ケイメロに促され、ゼッカイとチュニはエレベーターの扉の前に並んだ。扉の上部に取り付けられた筒が回転する。
針が出るのか?
それは銃ではなくカメラだったが、ゼッカイは警戒に耳をピンと立てた。
しばらくの間、カメラはゼッカイとチュニを見つめていた。水上の研究所で監視カメラに慣れているチュニにとっては何ともない事だが、ゼッカイにとっては非常なストレスであった。
『これは何だ……気分が悪い』
『わかるけど我慢して。これから会うひとは、仲間だけれど少し変わったひとだから……仕方ないの』
冷汗をかくゼッカイにケイメロがそう言った時、エレベーターの扉が音もなく開いた。
『あっ!こえチュニ乗ったことない!乗っていーい?』
返事を聞く前にチュニはエレベーターに飛び込み、ばばば、と素早く壁によじ登ると、満足そうにニュイッと鳴く。ゼッカイもケイメロに押されるようにして嫌そうに脚を乗せた。
ゆっくりと降下していくエレベーターの中で、ケイメロはゼッカイに告げた。
『いい?ゼッカイちゃん。これから会うのは、どんなに怪しい匂いがしても、オルドマちゃんのともだちだからね?おいたは駄目』
エレベーターの感触に鳥肌の立っているゼッカイは、返事ができずに頭だけで頷く。足元からマルモリ達も口を挟んだ。
『エムを噛むでないぞ』
『おぬしは噛みそうじゃ』
チン、と音がして突然扉が開く。チュニは嬉しそうな声を出した。
『ともだち?遊ぶ……』
それに重なって、部屋の奥から聞こえてきたのは、
いびつで、雑音混じりの、ミミナ語。
ハロゥ、ハロゥ…コッチエ、オイデ……
ゼッカイの背中を冷たいものが伝った。
それは奇怪な物体だった。様々に折れ曲がった幾つもの煙突が突き出た、巨大な四角い箱に、鉄の腕と車輪が生えている。箱の正面には漫画チックな山羊の顔が描かれており、目の部分にはカメラのレンズ、そして口の部分にはスピーカーが埋め込まれていた。部屋に響くブゥン、というモーター音は、箱側面のファンが周囲の空気を中に取り込む音だった。
もちろんそれら部品の機能など知りもしないゼッカイは、あんぐりと口を開けて立ち尽くした。
こ……これでも、生き物なのか?
チュニですら目を丸くして、ゼッカイの後ろに隠れてしまった。
『ワタシヲ、怖ガラナイデ、クダサイ』
箱はそう言ってブン、と唸った。
『私、の、名前ワ、エム。ドウカ怖がらズ、モッと、近クに……』
生き物として何かが、間違っている。そのようにゼッカイは感じた。エムの声は、ミミナ語で一番こまやかな感情を表すはずの「匂い」の抑揚が無い。奇妙に平淡なのである。気まずい空気に割って入るようにケイメロが、
『ごめんなさいねエム、予定が色々変わって……その、』
『バーミラ、カラ、報告ワ、受ケまシタ。大丈夫デス。ケイメロ、アなタワ、優シイ、でスネ』
チュイン!という雑音と共に煙突の1本から、感謝を表明する強い匂いが噴出された。
『アナタ、孫娘。ドウカ、モッと近クデ顔ヲ、見せテ……』
呼ばれたチュニはゼッカイの後ろから頭を出し、
『……こにちわァ』
恐る恐る近寄った。エムは機械の腕をゆっくりとチュニに近付ける。木の枝が節で順に折れていくような不自然な動きだったが、ゼッカイはそれを目にしてようやくエムの奇怪な姿への警戒心を解く事ができた。何故ならエムが、生き物らしからぬ体でチュニを傷つけぬよう、細心の注意を払っているのが分かったからであった。
『お前……名前ワ、何?』
『チュニっ!』
一度近寄ってしまえば恐怖より好奇心が勝ったらしい。チュニはエムの問いに元気よく答えると、そのカメラの目玉をしげしげと覗き込んだ。
『あア……オばあチャんに、ソッくりデすね』
『え~?うそだァ~』
チュニは半笑いでゼッカイを振り返った。
『にてないよねー』
似ていないのは当然だ。ゼッカイは、チュニとは違う生き物。しかしチュニは未だゼッカイを祖母と思っている。だからこそついて来ているのである。本当は、お前を食う側の生き物だ、などと言うわけにはいかない。少なくとも、まだ今は。
どう答えていいかわからないゼッカイに助け舟を出したのはケイメロだった。
『や、よーく見ると似てるわよ。よーく見ると。ね、ね』
場の空気を読むのに長けたミミックネコダコが、チラリとケイメロだけに目配せの匂いを飛ばし
『似てるよ、目の数とか……鼻の数とか。さあ、じゃあチュニちゃんは、おじさん達とあっちで一緒に遊ぼう。エム、いいだろ?』
そう告げて触手でチュニを抱き上げた。
『あそぶのかっ!』
『そうだよ孫娘くん。おいで。君の大好きなおやつがある』
『おやつう~』
ミミックネコダコに抱えられたチュニは、わいわい騒ぎ立てながらその後を追ったマルモリ達と共に奥のドアから出て行った。
残ったゼッカイとケイメロに、エムはぎこちない音と匂いで詫びる。
『ごメンなさイ……事情を知ラナかっタのデす』
『いいのよエム。あの子は確かにオルドマちゃんにそっくりだわ』
ケイメロは少し淋しそうに言ってから、ゼッカイの方を振り向き、手招きした。
『ゼッカイちゃん、エムはオルドマちゃんと親友だったの、だから……』
ゼッカイは尻尾を垂れてエムの箱の傍に立った。
『承知している。オルドマの最期がどのようなものだったか聞きたいのだろう』
ゼッカイの単刀直入な言葉に、エムは少しの間、無反応だった。ややあってモーター音と共にエムは喋った。
『詳細ワ、求めナい……アなタは、オルドマを、どゥ思いマシたか』
問われてゼッカイは、あの時、排水溝で出会った小さな、老いた草食動物の姿を思い浮かべる。
『オルドマは、今のおれのすべてだ……誰よりも、何よりも、気高い、おれの女神』
真っ直ぐにカメラを見据えてそう告げたゼッカイに、エムは煙突から深い感謝の念を放出させた。
『ソの言葉デ、充分わかリマした……あなタで、よカッた。最期がアなタで……本当に…』
エムの細い金属の腕が、スイ、と上がり、ゼッカイの頭をそっと引き寄せる。
『モッとヨク顔を、オ願い……近付けテ』
奇妙な鉱物のような匂いが鼻をついたがゼッカイはおとなしくじっとしていた。
『ゴメんナサいね……コンナ姿デ…でモ、この姿デなイと、私ワ、みみな語ヲ、話セナい。聞ケモシなイのでス』
「…あなたは一体、どういう生き物なのだ?あなたも、おれやケイメロと同じように、空の星から来たのか」
血が通っている匂いが全くしないのに、心は確かにそこに存在する。ゼッカイはエムを不思議に思った。
『ゼッカイちゃん、エムは……』
ケイメロが挟みかけた言葉をエムは遮る。
『自分デ言イまス……ぜっかいサン、私ワ……地球人なのデす』
『何だって……?』
ゼッカイは息を飲んだ。エムが地球人であるとは思えなかった。姿形が違うだけでない。エムとは会話もできるし、攻撃して来る事も無い、捕まえようともしない。無理に赤い肉を食わせたり、監禁したりもしない。けれど一方で、チュニを追い回し、故郷から遠いこの星にゼッカイを引っ張って来たりする理解不能な地球人がいるのは確かな事。ゼッカイは少し硬い匂いと音で
『信用していいのか、わからない。本当に、おれは故郷に帰れるのか?』
と告げた。
『アなタが地球人を信ジラれなイのワ、当然のコトでス』
エムはそう言った後、暫く黙り込んだ。やがて、静かにエレベーターの扉が開いた。
奇妙な直立姿勢でする二足歩行。頭部以外にはほとんど毛は無い。前足が異常に細かな造りになっており、身体には柔らかい素材の繊維をまとっている。匂いは灰色で、ほとんど全く感情をあらわさない。それが、地球人。
エレベーターから降りて来た地球人はオルドマと同じくらい老いて見えた。
『ゼッカイちゃん、これがエムの本当の姿なの』
ぽかんとするゼッカイに、ケイメロが解説した。
『あんたに信用してもらう為に、本体を見せたのよ』
長い爪も牙も無いエムは、針の出る筒も持っていない。少し噛み付けばたちまち命を奪えるに違いない、脆そうな体でエムは、ヨロヨロとゼッカイの鼻先に近寄ってきた。
エムの本体は、ただ黙ってゼッカイが検分のために隅々まで匂いを嗅ぐのを許していた。いつでも喉を食い破れる距離。ゼッカイは、巨大な牙のある自分に対し、無防備でその距離を許したエムの心を理解した。
実にシンプルだ。エムはおれを信頼し、そして信頼されたがっている。そういえば、
ゼッカイは思い返した。
オルドマと出会う前に、縄張りを守ろうとしていた長身の地球人の心が、同じようなシンプルさで突き刺さってきた事があった。
地球人には、複雑で理解不能な種と、簡単な種、2種いるのかも知れない。と、ゼッカイは思う。
『距離、感謝する』
ゼッカイは尻尾を立て、敬意を表す。それを見たエム本体は、黒い四角いものを口にあてて、地球の言葉らしき声を出した。すると不思議なことに、箱の方のエムがそれに連動するように喋り出したのである。
『私を信頼シテくレて、あリガとウ……懐かシイわ。オルドマやケイメロとも、コウシてわカリアっタものダッた』
『……不思議な箱だ』
ゼッカイ自身は知らなかったが、その呟きは、エムの手元の黒い装置の液晶画面に、地球の文字に翻訳されて表示されていた。
『あナタを故郷に帰ス時にモ、こウシた〈機械〉の、ちかラを使いマす。不快デしョうが、我慢シテクだサイ……』
『きかい?』
『機械ワ、地球の文化。わタシ達ワ、機械なシでワ生キラれなイ……』
『車、ってモノを見たでしょう?あれも機械。故郷に帰るには空を飛ぶ機械に乗らなきゃならないのよ』
いつの間にか席を外していたケイメロが、奥の扉から車椅子を押して戻ってきた。
『これもエムの乗り物、機械よ……エムは足が悪いの』
『アリガトウ』
エム本体は会釈して車椅子に乗り込む。
『機械に乗ルにワ、準備がいリマす……。アなタと、ちゅにサンにワ、その準備をシテもらワナクてわナリマせん』
『承知した』
『デモ、その前にあナタも少シ休ンダ方がいイ。あナタの口にでキル食べ物ワ、ありマセんガ……眠ル場所なラ用意でキマす』
と、エムはケイメロに目で合図した。ケイメロは頷いて
『こっちよ』
ゼッカイを招いた。
案内され、ゼッカイは白い廊下を通り過ぎる。不可解な匂いに満ちている。金属や鉱物の匂いだけでなく、生き物らしき匂いも感じられた。尋ねたい事は色々とあったが、ゼッカイは黙っていた。複雑な事が多すぎて脳が破裂しそうなのだ。エムの事は信頼できる。オルドマと友だったというのが嘘ではないのもわかる。しかし、あの箱を通す事でミミナ語が通じるようになる理由もわからなければ、空飛ぶ「キカイ」が何なのかもゼッカイにはよくわからなかった。
オルドマはこうした事全てを理解していたのだろうか?
ゼッカイは排水溝のオルドマの姿を思い描いた。深く、叡智に満ちた、目を。
わたしの愛しい悪魔。
オルドマはゼッカイのことをそのように呼んだ。
お前にはこの世界が、わからないことだらけの悪夢のように思えるだろう。その通りなのだよ。けれど、知って、それに慣れてしまう事の方が恐ろしい……。
そうなる前に、おまえはお帰り、悪魔よ。
私たちの、素晴らしい地獄に、お帰り。
ゼッカイは、考えていた。チュニはどうなのだろう?チュニはまだ幼い。そして、ゼッカイよりも遥かに、地球の文化にどっぷり染まっている。チュニの中に流れているミミナの血は、果たして凍らずにいるだろうか?
その時、前をゆくケイメロが扉のひとつを開き、ゼッカイの思考は中断した。
『……!』
扉の中の風景に、ゼッカイは言葉を失った。ただ、意味の無い、ぎゅるる、というような鳴き声を発することしかできなかった。
決して広いとはいえないが部屋の中には、巨大なシダとキノコが鬱蒼とひしめき合っていて、
もちろんその、故郷ミミナに似せて作られた風景の素晴らしさ、懐かしさもゼッカイの心を打ったのだが、
それよりも
ミヤオミャオミャオ!ミャオーン!
高らかに吠えながら、物凄いスピードでその林の中を縦横無尽に走り回るチュニの、ぐるぐる回転する目玉。
『あー!ゼッカイ!ゼッカイも遊ぼうよー!楽しいよ!』
大木のシダの間をしゅらしゅらとすり抜けながらチュニは叫んだ。へとへとに疲れたマルモリ達とミミックネコダコが
『代わってくれ……触手が筋肉痛になりそうだ』
『わしらもー』
『足が痛いぞ』
『こどもは苦手じゃ』
口々に呟きながら部屋を出て来た。
『……遊んであげたら』
ケイメロが意味深に一つ目を瞬かせる。ゼッカイは、胞子の風を深く吸い込んで、大きなキノコにかじりついているチュニを見つめた。
『するか……?おいかけっこ』
『するうう~!!』
チュニはヨダレを垂らさんばかりに嬉しそうに舌と尻尾を振ると、あっという間に逃げ出した。
『ゼッカイが鬼だかんね!』
いい子だ……。
シダに飛び込みながらゼッカイは少し、遠吠えしたい気持ちになった。
目玉をぐりぐり動かして、辺りのシダとキノコの様子を把握することで、チュニは次にどの方向に逃げればいいかを瞬時に判断する。ゼッカイは、そのチュニの白い姿を匂いで辿り、追い縋る。緩急をつけながらも、二匹のスピードは徐々に上がってゆく。
金色、
胞子の粒子、
シダ、
血の味、
回転する、回転する、
キノコの生える土の匂い、
それは
『みぎゃーっ!』
ゼッカイに尻尾を掴まれてチュニは、ふざけるような、笑うような鳴き声を上げた。
『つかまっちた!』
興奮したチュニの目が爛々と、潤んでいる。
『いい子だ……お前は』
ゼッカイは舌でチュニをなめる。
『げえーざらざら!』
と、白い生き物は笑った。
ミミナの生物のための部屋の前を、エムは車椅子で静かに通り過ぎた。閉まった扉の内側から、嬉しそうなチュニの鳴き声が聞こえた気がして、エムは少し、口角を上げて微笑んだ。微笑みつつも、長い睫毛のすき間からは音もなく涙が零れていった。
「オルドマ……」
エムは、地球の、日本語で小さく震える声を出した。
「あんたの望んだ事は、これから叶えられようとしているよ……あんたがここに居ないのは、とても淋しいけど……よかったんだよね。これで」
老いた地球人、エムは鳴咽まじりに、胸に下げた陶器のペンダントにくちづけをした。
「さようなら……あたしの、一番の親友……」