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11:ユニオンジャンク

Number 011

ユニオンジャンク


『チキュジン来るですっ!』

 慌てて駆け込んで来たバーミラの叫び声に、ケイメロもゼッカイもピクリと毛を逆立てた。ケイメロは一瞬、思案した後、くちばしから鋭い音をたてて指示を出した。

『バーミラ、あんたは下から先に逃げて、第5アジトの仲間に連絡して!』

『はいです』

 バーミラは身を翻し、軟体性の白い体を細い下水管の中につるりと滑り込ませて見えなくなった。ケイメロはそれを確認してから、既にチュニを大事そうに抱えているゼッカイに向き直った。

『ゼッカイちゃん。アンタの話、アタシは理解できるわ。でも、選ぶのはそのチュニちゃんよ。いずれ言わなきゃならないんだからね』

『ああ』

 ゼッカイは頷いた。

『地上にもう一つ出口があるわ。外に出たらアタシについて走るのよ!いいわね!』

 ケイメロは藤の蔓でできた梯子を昇りながら、甲高い調子の匂いでそう言った。

『何処へ向かうのだ?』

 ゼッカイは尋ねた。

『ともだちの家よ』

『トモダチ?』

『詳しくは後で。今は時間が無いわ』

 ケイメロが上の階に上がりきるのを見てからゼッカイも、前足の中で昏々と眠ったままのチュニをなるべく揺らさぬように注意深く蔓を昇った。排水溝の鉄の梯子と違い、爪をかける凹凸が足に心地よかった。ゼッカイは、帰れるかもしれない希望の見えてきた故郷の星を思い、藤の匂いを嗅いで大きく深呼吸をした。

 上に出た途端に、外から大きなシダでもぶん回すような爆音がして、ゼッカイは思わず身震いし、同時にチュニが、眠ったままもそもそと動いた。この爆音で目を覚まさないチュニに、ゼッカイは何だか悲しいような叱り付けたいような気持ちを抱きつつも

『じゃあ、ペイ、ペイ、ロー、で走り出るからね!』

 と言ったケイメロに視線を戻して、頷いてみせた。

 ペイ、ペイ、ロー、がよくわからなかったが、恐らくそれがケイメロの故郷で使われる合図なのだろう。やはり彼女も俺と同じなのだ。こんな、ペイペイローも通じない星に連れてこられて。

 ゼッカイの、地球人への憎しみは深まった。

 二匹は件のペイペイローの、ローの部分で蔦の絡む古いビルディングから飛び出した。沈む直前の太陽の光が目を刺す。爆音はますます大きく響き、それはどうも上空に浮かぶ奇怪な塊が発しているようだった。うるさくてもう他の音など聞こえない。

『後ろの方から地球人的なものが来てなくもないから、注意した方がいいかもしれないわよ!』

 音と匂いと雰囲気で語るミミナ語で叫んだケイメロの台詞も、爆音で、鳴き声による補足のニュアンスが掻き消えてしまうため、曖昧な言葉として届く。音が届かないのがわかっていたゼッカイは、最もシンプルな了解の匂いを送るに留め、ただ走った。

 前を走るケイメロの背にある硬い甲羅を見ながらでもゼッカイは、追ってくる地球人達の飛ばす針を避ける事ができた。感覚器官の役割も持つ青い毛で、空気を切り裂いて飛んでくる針の位置を探知するのである。だがそれには背の毛に意識を集中させねばならない。加えて時折、ケイメロの甲羅に当たって弾き返される針も避ける必要があり、ゼッカイは走るスピードを緩めざるを得なかった。そうなると当然、追っ手の地球人との距離も縮まる。そのうち地球人の一人が、前足をのばして掴みかかってきた。

 かっ、

 と、ゼッカイの尻尾に食いついたその前足は、銀色で、硬い奇妙な感触。

 実のところ、ゼッカイが地球人の前足だと思ったそれは、カミツキを捕獲する為のマジックハンドのような装置であった。およそ生き物じみていない気色の悪い硬さ、冷たさ。ゼッカイは、ジャッという威嚇の鳴き声を発して振り返る。オレンジ色の目で睨みつけると地球人はビクリと身を竦めた。

 まったくもって、どうしてこんなに地球人という生き物は感情が匂いに出ないのだろうか?

 彼らがどういうつもりで追って来ているのかゼッカイには判らなかった。

 遊びなのか、本気なのか?

『残念ながら、俺の方は遊びでは無いのだ。悪く思うな』

 ゼッカイはミミナ語でそう呟くと大きく口を開いた。

 鋭い牙でガブリと銀色の柄をくわえ込み、頭を振ると、マジックハンドはへし折れ、それを手にした地球人ごと投げ飛ばされた。わっ、と悲鳴が上がるが、ヘリコプターの音に掻き消される。すかさず別の地球人が針を発射してきたが、ゼッカイは既に佐古田の時に学習している。針は真っすぐにしか飛ばないのだ。銃口がズレていれば避ける必要すら無い。抱えたチュニの体が、きっちり前足の内側に隠れているのを確認して、ゼッカイは、針を撃った地球人に向かって跳躍した。

『何してんの!逃げるのが先でしょ!』

 後ろ脚で地球人を踏みつけたゼッカイに、離れた場所からケイメロが叫んだ。

「わかっている!」

 そう叫び返したゼッカイだったが、距離の縮まってきた追っ手があと2匹ほどいて、それを片付けた方が逃走が楽になると考えた。斜めに跳ねて、一度、硬い樹木、すなわち電柱の真ん中辺りを蹴ったゼッカイは、1匹の地球人の頭に側面から噛み付いた。

 硬い。

 ヘルメットというものの存在そのものを知らないゼッカイに、強化セラミックが理解できるはずもなかった。歯に加わった衝撃に、一瞬驚いて頭を離したゼッカイに銃口が向けられるのを見たケイメロは、

『ちゃっ……ゼッカイちゃんたら喧嘩早い生き物ねえ』

 と、舌打ちの代わりにくちばしを鳴らすと、後ろ脚で地面を蹴った。地球人が聞いたなら、まず間違いなく巨大なニワトリと思うであろう、

 くわーっこここここっ!

 という鳴き声を発しながらケイメロは四本の前足と、その先の丈夫な爪で、飛んで来た針を叩き落とした。ケイメロの、1つしかない大きな目玉には、地球人の何倍もの視細胞が束になっている。その視力によって、空中の針の先端に触れる事なく、腹の部分だけに狙いを定められるのであった。故郷で羽虫を主食としているケイメロならではの技。そのままその爪で地球人を引っかけて放り投げた。

 見事。

 ゼッカイは感心と敬意を表す立て尻尾振りの動作をしながら、もう1匹の地球人を蹴り飛ばした。


 追っ手の前衛陣を片付けた後はひたすら逃げる、つもりだったのだが、走り出して数秒もしないうちにケイメロとゼッカイは上空を仰いで立ち止まる羽目になった。

 空で何かが、光った。

 途端にキラキラと輝く粉のようなものが降り注いできたのである。

『これは、なんだ』

 ゼッカイは身体についた銀の粉を不思議そうに眺める。故郷の長い冬に吹く、冷たい吹雪の粉のようでもあったが、どうにも気持ちの悪い、何か1粒1粒が振動しているかのような不気味な温度を感じた。

『アタシにもわからない……』

 体毛の無いケイメロは、膜のような瞼で目玉を覆い、目に粉が入るのを防いでいる。

 やがて地球人たちは次々と撤退し始めた。ゼッカイにもケイメロにもさっぱり訳が分からなかったが、理由を解明している暇は無い。とにかくも先を急いだ。

 銀の粉もやがて降り止み、ヘリコプター(ゼッカイは空飛ぶ生き物だと思っていたが)の爆音も遠ざかった頃、チュニが身じろぎして

『あにゃ……』

 と鳴いた。ゼッカイが茶色の舌で、ぺろりと顔を舐めてみると、チュニは目を開けた。

『……むい……あさごはん…』

 寝ぼけたチュニは、ゼッカイの腕の青い毛を数回、チュウチュウ吸ってからようやく抱えられているのに気付き、

『あれま』

 と瞬きした。振り返ったケイメロは、

『おはようチュニちゃん。アタシ、ケイメロお姉さんよ~。よろしくね〜っ』

 と、甘い甘い匂いで告げた。するとチュニは、

『わー!あひるだっ』

 そう叫んでケイメロのくちばしを前足で掴んだものだから、ケイメロは、くわ、と、不本意そうな鳴き声を出した。

『あひるじゃないわ…ゼッカイちゃんのお友達よ……』

『あひるとは何だ?お前に似たものなのか』

 真剣な顔でまじまじと見つめてくるゼッカイに、ケイメロのテンションはますます下がったようだったが、ちょうどその時、遠くの方から匂いが聞こえてきた。

 えり えら えり えら

 歌声のような匂いにチュニがすかさず反応する。

『なんらなんら!?』

 えり えら えり えら

 すとらぴすと なう

 奇妙な掛け声と共に現れたのは、1台の白い車。ゼッカイはこの「くるま」という気味の悪い物体を嫌っていた為に身を硬くしたが、ケイメロは気安く近寄っていく。

『遅いじゃないのアンタたち』

 ケイメロがそう呼びかけると、車の中からミミナ語で返答が返って来た。

『悪かったな、まだ息があわんのだ……って、うああ~お前らっ!止まれっつったじゃんかぁああ!ぶつかるぶつかる!』

 車は止まらずに、電柱に正面衝突した。

『ぎゃあああ!』

『あひ~!』

『うぼえっ』

 複数の悲鳴が上がる。ケイメロとゼッカイ、チュニが覗き込むと突然、ドアが開いた。

『馬鹿!お前ら何で止まらん?』

『うるっさいわ!すとらぴすとなんとかじゃ分からんわ!』

『そうじゃボケ!わしらと同じ言葉を使え!肉球かじるぞ!』

『それについては、こないだ話し合ったはずだろうが。話し合った末に、この合図でいこうって決めたろ?お前らこそ何なんだ?昨日の今日で、なぜ忘れる?』

『ぶおええ!』

『だあああ!吐くな!』

 バンパーのへこんだ車から転がり出て来たのは、上半身だけの地球人1匹、それからおよそ10匹の小さな生き物たちだった。言い争いをする彼らを前に、ケイメロは溜息。ゼッカイはただぽかんと見つめるばかり。

『そーだそーだ、肉球かじってえりえらえり~』

 何故だかはしゃぎ出したチュニの声に、ようやく、上半身地球人が

『おう、そうだ。今それどころじゃない』

 と、振り向いた。毛を逆立ててチュニを抱き上げたゼッカイに、上半身地球人はニヤリと笑いかける。

『そう威嚇の匂いをたてんでもいい。オレは地球人ではないよ』

 地球人の若者の上半身の形をしていた生き物は、クニャリ、一瞬だけ本来のタコのような姿に戻って見せた。7本の触手の先には指と肉球が付いている。地球では通称ミミックネコダコとして、ペットショップで売られているこの生き物は、ワム星変形動物。擬態の能力を持っていた。

『いい気になるなボケ』

『そうじゃそうじゃ!』

 後ろで喚く体長30センチ程の黄色い生き物たちは、マルモリ・エキセップスと呼ばれる群体マウス。必ず10匹セットで行動するマルモリ星の生き物である。

『……成る程。くるまとは、こういうものだったか』

 妙に真面目な顔で納得したようにシートを触っている後部座席のゼッカイに、助手席のケイメロが教えた。

『あのねゼッカイちゃん。車がみんな、この原理で動いてるわけじゃないのよ?』

 えり えら えり えら、の掛け声と共に、神輿よろしく座席の下でマルモリ・エキセップス達が持ち上げて走っている車など、世界広しといえどこの1台だけである。

『そうなのか?』

『えりえらえり~!すごいすごいっ!くるまっ』

 揺れる車の中で訝しげに考え込むゼッカイと対象的にチュニは大喜びだった。バックミラーごしに、運転席のミミックネコダコがくつくつと笑う。白い車にエンジンはもちろん付いてない。空っぽのがらんどう。座席の下のスペースから10匹のマルモリ・エキセップス達が脚を出す穴が20個開いているだけの代物である。タイヤははただの飾り。全ては、大木を噛り倒して運び、河にダムを作る習性のあるマルモリ達の脚力と、方向指示を担当するミミックネコダコによる共同作業だった。陽が沈めば一見、ペットのガイライを乗せた地球人の運転する、ちょっとばかり調子の悪い車にしか見えない。ケイメロ達の組織は、これを移動手段として重宝していた。

『今から地球人の多い道に入る!バレないように気をつけろ』

 ミミックネコダコが叫ぶと、床下から「ラジャー!」と匂いが返ってきた。

 にせの車が、人気の多い通りに差し掛かった頃、辺りはすっかり暗くなっていた。窓の外の瞬くネオンや沢山の車は薄気味悪く、長く見ていると目が潰れるような気がして、ゼッカイは尻尾の毛づくろいを始めた。毛の隙間に、先程の銀色の粉がたくさん入っているのが気になったのである。外のネオンが面白いらしく、飽きずに窓にくっついているチュニを視界の端に捉らえながら、ゼッカイはミミナ星の風景を思い出す。

 シダとキノコの森の中をどこまでも走るチュニを想像する。巨大な雌シダの樹の上で休むチュニの祖母、オルドマの姿も想像する。

 締め付けるような望郷の念に、少し、くらくらした。



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