10:ムーンシャイン
Number 010
ムーンシャイン
ギャラクシーファーム・私設研究所の一室に作られた、特別休息室のソファに身を沈め、社長の水上秋月は黙り込んでいた。手元の光通信機のモニターには、部下の久留米が立ち尽くす姿が映っている。
「本当に申し訳ありません、社長…」
水上はそれには答えず、銀色のトレイに乗せられて無造作に床に置いてある、生き物の死骸に目をやった。地下研究所で飼育していた、メスのミミナ草食マウスのなきがらである。
「あのさ……久留米。失敗したらそれを、別の方法で巻き返す。それが人間というものだよね」
「申し訳ありません」
更に深く頭を下げるばかりの久留米に、水上は小さく舌打ちした。
研究所の地下で極秘に飼育しているミミナ星マウスは、そこらのペットショップで売られているものとは訳が違う。その、貴重な最後の2匹のうち1匹はこうして、実験の犠牲で弱り、最新の技術でも蘇生は叶わず死に至った。そしてその個体が産んだ仔マウスである、残りの1匹は。
「足取りを見失いました、申し訳ありません、の一言で済むのかなぁ?まさかとは思うけど、そういう怠慢をしていても今の地位が保証されるとまでは思ってないよね?さすがに君でも」
辛辣な内容の言葉と裏腹に水上の声は、あくまでも滑らかで柔らかい。モニターの久留米は脂汗を流した。
「社長、待って下さい!川の中に入った可能性が、まだ残されているんです!周囲はくまなく検査しましたから、どうか…水中を調べ終えるまで、まだ……」
「クビにしないでくれって?ああそう……最初から水中まで調べなかった怠慢については、責任取る必要無いって思ってるんだ」
必死な久留米の映像を冷徹な目で眺めながら、水上は硝子の机の上に置かれた赤い飲み物に口をつけた。
「久留米、いいよもう下がって。処分は最終的な結果を見て決める。慈悲じゃないよ、その方が効率がいいからだ」
「はい……」
うなだれた声と共に通信は切れた。水上は更に深くソファに沈み込み、溜め息。
どうして、この期に及んでこんなハプニングが起きるのか。水上は苛立っていた。ミミナの草食マウスを使って水上が進めていたプロジェクトは、既に詰めの段階に入っていたのである。その最も重要なサンプルである仔マウスが、排水溝から脱走、しかもまだ捕まらないとは!水上には、見えざる何者かが自分の邪魔をしているとしか思えなかった。
見えざる何者…親父の亡霊とか?
一瞬頭に浮かんだ考えの可笑しさに、水上は自嘲の笑みを浮かべ、煙草に火を点ける。
父から息子に、教育的指導と言うわけか?ははは、お父さん、僕があなたに教わる事などあるわけ無い。
水上秋月は、取り返しのつかぬ不祥事を引き起こして事業に失敗した揚げ句、首を吊った父・水上萬月を憎んでいる。幼い秋月と、つい数年前他界した秋月の母親は、萬月の残した負の遺産に酷く苦しめられた。膨大な借金と、それによる貧窮。加えて、萬月のしでかした不祥事の犠牲者からの嫌がらせ。長年かけてやっとそれらを精算しても、秋月の心には、全てを投げて自殺した父の無責任さと無能さへの憎しみが残った。自分は、父のような愚鈍な人間とは違う。秋月は、あえて萬月と同じガイライ産業の会社を打ち立て、成功をおさめる事がその証明になると信じていた。
父との決別。今度のプロジェクトはその意味に於いても水上にとって重要だった。カミツキが護衛していようが、水中に逃げようが、どうしたってあの仔マウスは捕獲しなければならないのだ。
いつの間にか煙草を噛みちぎっていた事に気付き、水上はひとつ深呼吸をした。
冷静に。僕は父とは違うのだから。
ソファから立ち上がった水上は、再び光通信機を手にとると内線に繋いだ。
「ヘリを用意しておけ。僕も現場に行く」
久留米に任せて失敗しては元も子も無い。無責任な父に倣うのは最も忌むべき行為だ。水上はサングラスをかけ、チラと鏡を一瞥してから足早に部屋を後にした。
ギャラクシーファームのロゴマーク入りの白いヘリコプターで河原に降り立った水上の姿に、現地に居た十数人の捜索チームが揃って一礼をした。対カミツキ戦略として全員物々しい武装をしている。宇宙生物管理局には、少しも傷付けるなと念を押しておいた水上だったが、実際、草食マウスを無傷で捕獲しようなどとは思っていなかった。水上が恐れるのは、管理局の人間が、件のマウスの特別な点に気付いてしまう事である。一目でわかる違いではないが、麻酔で眠らされ、万が一健康状態など確認されてしまえば、気付く者も出てくるだろう。そうなれば、全てが水の泡である。
思案しながら水上はタラップを降りる。捜索班を指揮する立場の久留米が慌てて車から飛び出して来た。恐らく指示だけして自分は休んでいたのだろう。それに関して水上はもう、文句を言う気も起きず、ただ状況説明だけを聞く事にした。
捜索班は水中で鉄扉のようなものを発見した、現在それをこじ開ける為のカッターの準備をしている、といった内容を早口で喋ったのち、久留米は寝ていて零したのであろうよだれの乾いた跡をしきりに擦っていた。水上は少し顔をしかめてから、
「わかった。準備ができしだい実行して。それと、そっちとは別に少し人員を割いて欲しい。指揮は僕がする」
そう告げて踵を返すと、麻酔銃を携えた数名の部下と共に再びヘリコプターに乗り込んだ。
「離陸して」
「はい!ただ今!」
上空から川岸周辺を見渡し、水上は呟く。
「久留米はクビだね……」
もし水中の「鉄扉」にマウスが逃げ込んだとして。出口がその一つしか無いとでも思っているのだろうか?
水上はいまいましげに舌打ちし、腕に装着したPC端末を立ち上げた。空気の粒子の上に、オーロラのようにデスクトップ画面が浮かび上がる。端末を嵌めた右腕を動かすと画面は周辺地図に移り変わった。
鉄扉の位置とほぼ重なる川岸に建つビルに目をつけた水上は、端末を使ってその建物の所有者を調べる。
梅津真佐美
その名を見て水上は首を傾げた。梅津真佐美。聞いた事のある名ではある。遠い昔に埋もれ、はっきりしない記憶だが、水上には何か引っ掛かるものがあった。こういう第六感的なものを無視しないほうがよい、というのは水上独自の仕事の鉄則。
ハプニング、ではなく、この梅津真佐美という人物が僕の邪魔をしているという可能性は?
少しく唇を舐めて思案していた水上の前に浮かんだ端末のホログラム画面に、寝癖の直らない久留米の顔が映った。
「カッター作戦、実行します」
「うん。やって。それと久留米、君ね、今回のプロジェクトが終わったらクビだから」
「えええぇ!?」
叫ぶ久留米には目もくれず素早く画面をオフにした水上は、ヘリコプターを下降させた。
蔦の絡まった、古い灰色の建物。一見して廃墟としか思えないビルから飛び出して来た、青と紫の、2つの塊に水上は一瞬、戸惑った。
「…どうしますか?」
ヘリコプターから縄ばしごを降ろす部下が、困ったように水上を見上げる。
「構わず撃って」
そう答えた水上の口調は既に尋常だった。ミミナのマウス、カミツキ、それからあの紫の……恐らくは惑星ヤヌスの雌雄変換生物、奴らを手引きする「人間」がいるのはもはや間違いない。水上はそう確信した。
「それならばそれで、こちらにもやり方がある」
呟いて、水上は唇を舐めた。
「発信機の用意を。取付は僕が直々にやる」
数名の部下達が地上に降りたのを確認してから、水上は改めて、最新式の双眼鏡を手に、マウス達を観察した。
青い生き物は既に報告の入っているミミナ星のカミツキ。水上の求める草食マウスを抱え込んでいる。草食マウスは眠っているようだった。紫の生き物の方は、水上が睨んだ通りヤヌス星の雌雄変換生物である。非常に珍しい生物で、市場に出ている個体そのものの数が少なく、生態も謎に包まれている。そのような生き物達を、食い合いせぬように調教し、自在に操れる人物とは、一体何者なのか?
疑問は尽きないが、とりあえず、
と、水上は思考を中断して特別に改良した銃を構え、スコープを覗く。
地上の部下達はてこずっているようだった。水上の会社は基本的にカミツキやヤヌス星生物のように市場での回りが悪いガイライは扱っていない。経費はかさむが、このような妨害が入る以上、やはりプロを雇う必要がある、と水上は感じた。
手引きをしている人間がいるのなら、ただやみくもに捕獲しようとするだけでは不十分だ。泳がせて背後の人物を探ってから、それなりの準備で事に当たる。そのためにも……。
水上は銃の引き金を引いた。
パキンッ!
硬いストッパーの外れる音がヘリコプターの風に流された瞬間、無数の細かな金属片が地上に向かってばらまかれた。キラキラと降りそそぐ超小型発信機の雨は、ギャラクシーファームで独自に開発したシステムである。これは非常にコストのかかる代物であった。惜し気もなく使用した水上を、地上の部下達が驚いて見上げた。水上はその視線にゆっくりと頷いて見せる。
計画が成功すれば、もとが取れるどころか莫大にお釣りが来るさ。
夕方の光を反射させたミクロの発信機が、逃げていくマウス達の上にも舞い落ちていったのを確認すると、水上は部下全員に無線で命令を出した。
「撤収。作戦変更だ」
トラブルは根本から取り除く。それもまた、愚かな父親の失敗から水上が学んだ教訓だった。




