Prologue_
1936年、朝鮮・京城。
都市の喧騒から少し離れ、一際目を引く洋館が佇んでいた。
花々が季節を問わず咲き乱れ、陽光を受けながら朝露を抱く。
門をくぐれば、丁寧に刈り込まれた庭園の奥へと白い石畳が伸び、その先には、幾重もの時を積み重ねてきた館が訪れる者を迎えていた。
人々は畏れと憧れを込め、その館を――『薔薇館』と呼んだ。
この館の主である蓮見家は、古くから商いによって巨万の富を築き上げ、日朝修好条規を機に海を渡り、朝鮮の地でもその名を轟かせた名家である。
7代目当主・蓮見総一が大病にて早くしてこの世を去り、広大な屋敷も、数え切れぬ土地も、美術品も、誰もが羨む莫大な財産も、そのすべては一人の若き令嬢へと託される。
――蓮見アヤメ。
美しく、聡明で、誰にも本心を見せない、蓮見家唯一の継承者。
幼い頃から総一のもとで厳しい薫陶を受けたアヤメは、その才覚によって館の者たちの信頼を集めていた。
若くして当主となった今も、使用人たちは敬意と忠誠をもって彼女に仕え、その一挙手一投足を見守っている。
だが、莫大な財産を手にしたその日から
アヤメの周囲には様々な思惑が絡みつき始める。
その遺産を、本来は自分が継ぐべきだったと考える親族。
財産を狙う者。
名声を求める者。
忠誠を誓う者。
そして、嘘を抱えた者。
誰もが笑みを浮かべ、誰もが何かを隠していた。
甘く香る薔薇の向こうで、人々の欲望は静かに根を張り、やがて館そのものを飲み込んでいく。
これは、美しさの奥に潜む欲望と策略、そして一人の令嬢を中心に絡み合う愛憎を描く物語。




