ゼンマイを預かる看護師
「ああもう、ブリキの人形なんて! 古臭い玩具で遊ぶ奴なんて! 今どき、モノ好きなジジイくらいなのに……!」
モアは、何度も言いながら拗ねていた。ウンザリしたように手元のボタンを鳴らす。
◇
「どうしましたか。モアくん」
ここは精神病院の閉鎖病棟。この世でモアだけにみえる玩具がある。古臭いブリキの人形だ。錆びた黄色いアヒルがクチバシで太鼓を叩く。
──ケケケケケン♪ケケケケケン♪
その音がうるさく感じたのか、モアは耳を塞ぎながら暴れ出した。
「うるさいうるさいうるさい!」
看護師は、モアの幻覚・幻聴のことを知っている。しかし、否定もしなければ肯定もしない。
ある意地悪な看護師は言った。
「ガーガー煩いなぁ」
と。
その声はモアにも聴こえたが、幻聴に対して答えていると感じた彼は、
「そうだろ。ホントに、バカなアヒルだよ。ホントに! バカアヒル!」
こんな調子で必死にアヒルと喧嘩している。看護師は隠れて笑った。
そんなモアと看護師たちに変化が訪れる。
新人看護師が現れたのだ。名前はミレーヌ。若くて経験の少ない彼女はモアの幻覚や幻聴に頷きながら親身になって答えようとしてしまう。
例えばこんな会話をしてしまうのだ。
「ねぇモアくん。アヒルは何と言ってるの」
「アヒルはね、バカだから鳴くだけなんだ。ボクにもバカって言うけどね。アヒルはどうしょうもなくバカなんだ」
どうやら、モアの沸点は『バカ』という言葉で高く上がるらしい。血圧にも表れている。
「ねぇ、モアくんのアヒルさんって昔から意地悪を言ってきたの?」
「いい奴だったよ、昔はね」
モアは定まらない視点のまま話し始めた。
「受験に失敗するまでは、よき友だったさ『絶対に合格するよ』とか、太鼓でファンファーレを演奏してくれたりした。ホントに、いいヤツだったんだ」
ミレーヌは、モアの話に興味を持つ。
「友だちのアヒルさんの名前は?」
「クレイ」
ミレーヌは、思いついたように『2人でクレイモアね!』と話が繋がったのを面白がった。幻覚や幻聴にも理屈や由来は有るのだろう。
モアは、少し照れくさそうに、
「クレイは、ボクの書いてたファンタジー小説の主人公なんだ。ミレーヌさんには分からないだろうけど……」
と頭をかきながら言った。
本が好きらしい。読めばその世界の住人に成れたそうだ。
ミレーヌは、ミヒャエル・エンデの有名な小説『はてしない物語』を思い出した。その事をモアに話すと、彼はひどく興奮して、
「出てくるドラゴンはねー……コレくらいの大きさ!」
と、大きなジェスチャーをする。ミレーヌはそんなモアに『人間味』を感じて、隙間時間に傾聴という名のお話しをしに行くようになった。
しかし、看護師はそんな事で給料を貰える仕事ではない。ミレーヌがモアと接触したことで、彼の妄想は膨らみ、今飲んでるより多くの薬が必要となってしまった。
その頃のモアは、ミレーヌの事しか信じておらず、服薬も彼女が任されることになる。
ミレーヌは薬を眺めながら唇を噛んだ。
(モアくんがコレを飲んだら、どうなるか。知っている……)
精神薬とは、残酷なもので。
人間の脳の機能を一度シャットダウンさせてから薬を抜いてゆくのだ。その頃のモアは、きっともう、別人格に成っているだろう。
(クレイの物語や、ふたりの人生を、私は終わらせてしまうのね……)
ミレーヌは、自分のことを信じて薬を飲もうとするモアの姿に耐えきれず、後ろを向いてしまった。
──こくり。
水を飲む音がする。
モアはゆっくり悟ったように言った。
「ミレーヌさん。いつかボクたちのゼンマイを、返しに来てね」
モアが、掛け布団のないベッドに横になる。彼はもしかしたら自分がどうなるのかを知っていたのかもしれない。
ミレーヌは大きな後悔と同時に、託されたモノの大きさを知った。
(彼が再び人間として動き出すためのゼンマイ。大事に預かっておかなくちゃ)
涙を拭いたミレーヌは、モアが完全に眠ったことを確認して仕事を続けた。モアにゼンマイを返すまでは、何があっても「辞めるものか」と。
──ケケケケケン♪ケケケケケン♪
──ケケケケケン♪
ケケケ…………、
ケ……、
2ヶ月後。
抜け殻のようだったモアが、太陽を見て泣いた。両親はヒューマンドラマの壮大な映画を見終わったかのような顔をして息子を眺めている。
これから、なのだが……。
モアの姿を見に来たミレーヌは、両親に深々と頭を下げた。そして、ひとこと。
「まるで物語みたいな風景ね」
そう言って業務に戻った。
モアはその後『太陽』に拘るようになった。自分がみた太陽の感動を「何かのカタチにしたい」と言い出したのだ。
例えば、刺繍にしたり詩にしたり小説にしたり。
数年ぶりの採血のとき、モアを担当したミレーヌは喜んだ。彼はコレステロール値が高いものの、驚くほど元気になっていたからだ。
「あのね、ミレーヌさん。今日は良い天気ですよ……だから、秘密を教えます」
「あら、なにかしら?」
採血が終わったと同時に、ミレーヌの耳元に近づいたモアは、
(クレイはね、太陽に成ったよ。ボクはね──クレイを動かす『ゼンマイを創る』んだ)
そう言って嬉しそうに看護室を去った。置き土産に太陽の刺繍を残して。
「太陽が、アヒルの形をしている……」
医者の前ではクレイのことを忘れたフリをしていたが、憶えていたのだ。
そのうえで、自らが生きていくために、クレイというアヒルを残しておく選択をした。
(ゼンマイを創る……何かを描き続けるということかしら。この行為がモアくんの生きるチカラにもなっている。これは凄いことだわ!)
ミレーヌは、人間の底しれぬチカラへの歓びと自分だけが知る秘密を喜んだ。
◇
「ふぅ、疲れた……」
昼休憩。
ミレーヌは病院から出てサンドイッチを摘む。コンビニで売っていた、ベーコン・レタス・トマトのオーソドックスなサンドイッチだ。
彼女の手元に光が差し込む。見上げると黄色い太陽が彼女の目に飛び込んできた。ミレーヌが手で日除けをしながら、
「こんにちは、クレイくん」
と言うと、太陽は満足そうにサンドイッチを見た。しばらくすると、布団に入るように雲の中へと消えて行く光。
午後の業務が始まる。
「戻らなきゃ……患者たちの、大切なゼンマイを預かりに行くために……」
心とは何か。
精神とは何か。
その答を知る者は、この世にどれだけ居るだろうか。モアの言う『ゼンマイ』とは、何だったのか。
考えているうちに夜が明けて、朝が来る。そうして出来上がる複数のモアの作品たち。
この流れのメカニズムは解明されるべきか。
それとも……。
等考える間など、看護師には皆無であるが────
おしまい。




