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追放聖女、辺境で回復魔法を封印したら元気になりました

作者: 星渡リン
掲載日:2026/02/06

 王都の治療室は、いつも人でいっぱいだった。


「次の方を! 急いで!」


 神官の声。担架の軋む音。鎧の擦れる音。泣き声。

 私はその真ん中で、手をかざし続けていた。


「……癒えよ」


 白い光が広がり、傷口が塞がる。熱が引く。呼吸が整う。

 目の前の兵士が「助かった」と言ってくれる。


 そのたびに、私は次へ進んだ。


 ――でも、回復を使うたびに、私は少しずつ疲れていく。


 指先が冷える。膝が抜けそうになる。息が浅くなる。

 それでも私は笑顔でごまかして、また手を上げた。


「聖女フィオナ、次を!」


「はい」


 返事は反射で出る。止まると列が詰まる。

 詰まった分だけ、誰かが苦しむ。そう思うと止まれない。


「……癒えよ」


 また光。

 また冷え。


 私は倒れない。倒れないように立っているだけだ。


「フィオナ」


 背後から神官長の声がした。

 振り向いた拍子に、足元がふわっとした。私は机に指をついて踏ん張った。


「少し、来なさい」


 治療室の奥、書類が積まれた部屋。

 神官長は私に紙を一枚差し出した。


「君は辺境へ行ってくれ」


「……え」


「罰ではない。戦場向けの主力聖女が来る。体制を整える」


 言い方はきれいでも、意味は分かる。

 私は“主力”じゃない。


「私は……まだ」


「君の回復は強い。だが君が先に倒れる」


 神官長の目は忙しい中でも、少しだけ真剣だった。


「君は立派だ。献身の聖女だと皆言う。だが私は、献身で人を使い潰したくない」


 その言葉に、私は喉が詰まった。

 ――やっと、言ってくれた。


 でも同時に、別の気持ちが湧いてくる。


 ――安心。


 そのことが怖くて、私はうつむいた。


「……分かりました」


「明日、馬車が出る。宿は手配してある」


「はい」


 紙を受け取った瞬間、戻れなくなった気がした。


 廊下へ出たとき、私はふらついた。

 誰にも見られない角で壁に手をつき、こっそり自分に回復をかける。


「……癒えよ」


 光が胸のあたりにすっと入って、頭痛が引いた。呼吸が深くなる。

 ――効く。私には効く。


 「次の患者に」と思って手を上げかけたとき、背後から声がした。


「今さら自分に回復? 余裕があるなら仕事しろよ」


 若い神官が、あからさまに冷たい目を向けていた。


「違います。今、立っているのがやっとで……」


「倒れそう? 聖女様が? 冗談だろ」


 笑われた。


 私は何も言えず、ただ頭を下げた。


 “倒れそう”なこと自体が、悪いことみたいに扱われる。

 だから私は、追放されたのかもしれない。


 戦場向きじゃないのは、回復が弱いからじゃない。

 私の体が、限界に近いからだ。



 辺境の村は、王都より空が広かった。


 土の道、低い家、煙突の煙。

 風は冷たいが、音が少ない。息がしやすい。


 馬車を降りた私を迎えたのは、宿屋のおかみさんだった。


「あなたがフィオナ? 王都の聖女さん?」


「……はい。フィオナです」


「よし。まず飯」


「え」


「『え』じゃない。顔色が悪いよ。座りな」


 おかみさんは迷いなく私を椅子に座らせた。

 机に置かれたのは、湯気の立つスープとパン。


「……食べていいんですか」


「何その質問。食べないと倒れるでしょ。倒れたら困るのは誰? あなた」


 正論が重い。

 私はスープを一口飲んだ。


 温かい。胃がほっとする。


「……おいしい」


「でしょ。名前はマルタ。ここでは“おかみ”でいいよ」


「マルタさん、ありがとうございます」


「ありがとうより先に、もう一口」


 私は言われた通り食べた。

 身体が少しずつ戻っていく。


 食後、部屋に案内された。

 ベッドに座った瞬間、力が抜けそうになる。


「……寝てもいいですか」


「寝な。まず寝な」


 マルタは布団をばさっと掛けた。


「聖女でも寝る。寝ない聖女は倒れる」


「言い方が怖いです」


「怖くていい。寝な」


 私は笑ってしまいながら目を閉じた。


 ――寝られる。


 そう思ったのに、扉がノックされる。


「フィオナさん! 診療所に来てくれませんか!」


 慌てた声。若い男だ。


 私は反射で起き上がった。

 身体は重い。でも「行かなきゃ」と足が動く。


 廊下へ出ると、マルタが腕を組んで立っていた。


「どこ行く気」


「診療所に……」


「寝な」


「でも、呼ばれて……」


「寝な」


 短い。強い。


 そこへ、さっきの若い男が姿を見せた。

 上着に薬草の匂いが付いている。


「僕はカイ。診療所で手伝ってます。軽い擦り傷の子がいて……」


「軽いなら」


「僕らで処置できます。でも村の人が『聖女を呼べ』って」


 カイは肩をすくめた。


「正直、君は寝たほうがいい顔してる」


「そんなにひどいですか」


「ひどい。しかも自覚が薄い。危ない」


 私は黙った。図星だ。


「大丈夫です。擦り傷なら回復を少し――」


 言いかけたところで、体が急に重くなる気がした。

 カイが手を上げて止めた。


「今やる必要ある?」


「でも……」


「僕が消毒して包帯巻いて終わり。痛み止めもある。君が光を出す理由は?」


 理由が出てこない。


 マルタが言う。


「ね。寝な」


 私は息を吐いた。


「……分かりました。寝ます」


「よし。合格」


 マルタは私の肩を押して部屋へ戻した。

 カイはそれを見て少し笑った。


「この宿、聖女にも容赦ないんだね」


「私には必要です……」


「だね」


 私は布団に潜った。

 罪悪感はある。でも、少し安心している。


 そして眠った。



 翌朝。

 目が覚めたのは、日がだいぶ上ってからだった。


「……え」


 寝た。ちゃんと寝た。


 階下に降りると、焼いたパンの匂いがした。


「おはよう。顔色が少し良くなった」


 マルタが言う。


「顔色……」


「褒めてる」


 朝食が置かれる。

 私は食べながら気づく。


 身体が軽い。肩が痛くない。息が深い。


 回復魔法を使ってないのに。


 そこへカイが入ってきた。


「お、起きた。顔が違う」


「……寝ただけで」


「それが一番効く」


 カイは当たり前みたいに言った。


「昨日の擦り傷の子、もう走ってたよ。君の出番なし」


「……よかった」


 私は少し恥ずかしくなった。

 私が行かなくてよかった。その事実が嬉しい。


「ねえ、フィオナ」


 カイがまっすぐ見てくる。


「君の回復、使うたびに君が弱ってない?」


「……気づいてました」


「じゃあ、なんで止めないの」


「止めたら、誰かが困るから」


 言いながら、自分の胸が苦しくなる。


 カイはため息をついた。


「君が倒れたら、もっと困るよ」


 神官長の言葉と同じだ。

 でもカイは、生活の言葉で続けた。


「便利な井戸は、みんな使いすぎる。壊れるまで」


「……私、井戸ですか」


「似てる」


 私は笑ってしまった。


「それ、すごく嫌です」


「嫌なら止めればいい」


「でも……回復は私の役目で」


「役目を続けたいなら、壊れない仕組みが必要でしょ」


 仕組み。

 その言葉で頭が整理された。


「……使えないようにします」


「え?」


「回復魔法を封印します。使えないように」


 マルタが台所から顔を出した。


「封印? 何それ、怖い」


「怖いかもしれません。でも、そうしないとまた使います。私は止まれません」


 カイが目を細める。


「本気?」


「本気です。生きたいので」


 言い切ると、カイは一瞬黙って、そして笑った。


「いいね。回復を封印した聖女って、聞いたことない」


「私もです」


 マルタが腕を組む。


「で、その封印、どうやるの」


「……札なら神殿の術式が――」


「札はなくす。あなた、絶対なくす」


 即決だった。


「……じゃあ、腕輪にします」


 口から出た。自分でも納得した。


「腕輪なら外さないと回復が使えない。外すのを自分で決められる」


 マルタがにやりと笑う。


「いいね。腕輪の管理、私がやる」


「え」


「えじゃない。あなた、外したくなったら勝手に外すでしょ」


「……します」


「正直でよろしい」


 カイが笑う。


「守りが固い」


「固くていいの」


 マルタは言い切った。



 村の神殿は小さかった。


「聖女さ――フィオナさん!」


 飛び出してきた若い神官は、紙束を抱えたまま立ち尽くした。


「僕はルッツです! この村の小神官で……」


「ルッツ。お願いがあります」


 私は深呼吸して言った。


「回復魔法を封印する腕輪を作りたいんです」


「ふ、封印!?」


 ルッツの声が裏返る。


「神殿に怒られます!」


「怒られてもいいです。私は生きたい」


 ルッツは口を閉じた。しばらくして小さくうなずく。


「……分かりました。腕輪に封印術式を刻みます。僕ができる範囲で」


「できますか」


「やります!」


 勢いは十分だ。


 ルッツは倉庫から銀色の腕輪を出した。古いがしっかりしている。


「魔力を通しやすい金属で……たぶん」


「たぶんが多い」


 カイが突っ込む。


 ルッツは赤くなりながら祈った。

 腕輪の内側に細い光が走り、小さな文字が浮かぶ。


「……できました」


「何て書いてあるの」


 マルタが覗く。


 ルッツが胸を張った。


「“回復魔法一時停止”です!」


「言い方が事務!」


 カイが即座に突っ込んだ。


 でも私は、その文字が少し嬉しかった。

 事務的でいい。止まれるなら。


 マルタが腕輪を取り上げる。


「はい。フィオナ、腕を出しな」


「今?」


「今。迷う時間が増える」


 私は腕を差し出した。

 マルタが腕輪をはめ、留め具を閉じる。


 カチリ。


 胸の奥がすっと静かになった気がした。


 私は試しに手をかざす。


「……癒えよ」


 何も起きない。光が出ない。


「……止まってる」


「止まってる。よし」


 カイが言う。


「これで君は生活に戻れる」


 マルタが言う。


「生活が最強」


 ルッツが恐る恐る言った。


「でも、いざってときは……」


 私はうなずいた。


「そのときは腕輪を外します。外すのは必要なときだけ」


 マルタが腕を組む。


「外すのは、私が許可したときだけ」


「え」


「えじゃない」


 私は笑いながら、もう一度うなずいた。



 腕輪をつけてから、私はちゃんと寝た。

 ちゃんと食べた。

 朝、外に出て深呼吸して歩いた。


 それだけで身体が戻っていくのが分かる。


 診療所には人が来る。

 熱、咳、腰痛、切り傷。


 回復魔法が使えないから、最初は落ち着かなかった。

 でもカイが言う。


「まず水。次に休む。薬草はその次。焦らない」


 私は言われた通り動いた。

 冷やす。水を飲ませる。薬草茶を煎じる。包帯を用意する。

 村の人も手伝う。


 光がなくても、良くなる場面が多い。


「……熱、下がってる」


 母親が驚く。


「水分と休養。夜更かし禁止」


 カイが言うと、母親が苦笑してうなずく。


 私はその様子を見て、肩の力が抜けた。


 私が万能じゃなくても、村は回る。


 ルッツは嬉しそうに掲示板を作った。


『熱っぽい→水分+冷やす+早寝』

『冷え→足湯+温かい汁物』

『切り傷→洗う+止血+包帯』

『最後に困ったら診療所』


 “最初に聖女”じゃない。

 それが、すごく大事だった。


 マルタは私が動きすぎると止めた。


「フィオナ、座りな」


「薬草を……」


「座りな」


 理由は不要。私は座る。


 カイはそのたびに言う。


「水」

「寝ろ」

「食べろ」


 三連発が多い。


 でも私は、笑えるようになった。

 王都では笑う余裕がなかったから。


 封印は怖いものじゃない。

 命を守るルールだった。



 嵐の夜が来た。


 雨が窓を叩き、風が唸る。

 宿屋の扉が勢いよく開いた。


「助けてくれ! 倒木で……血が……!」


 運び込まれたのは若い木こりだった。

 腕に深い傷。血が止まらない。顔色が悪い。


 診療所へ。

 カイの声が鋭くなる。


「まず止血! 布、きつく巻く! 誰か押さえて!」


 村人が動く。

 でも血が多い。危ない。


 視線が私に集まった。


「聖女……!」


 私は腕輪を見る。

 外せば回復が使える。


 使えば助かるかもしれない。

 でも私は知っている。回復は私の元気を削る。


 ここで連発したら、また壊れる。


 迷いで喉が詰まったとき、カイが言った。


「外すなら“今だけ”。使うのは一回」


「……一回」


「止血は俺たちがやる。君は最後の一回だけでいい」


 マルタが腕輪に手を置いた。

 でも外さない。私を見る。


「外すのは、あなたが決めな」


 ルッツが息を呑む。


 私は深呼吸した。

 昔の私なら反射で外していた。全部やろうとして止まれなかった。


 でも今は違う。


「……一回だけ」


 私は言った。


「私は戻ってきます。倒れません。だから一回だけにします」


 マルタがうなずく。


「いいね。外すよ」


 カチリ。


 腕輪が外れた瞬間、体の奥が熱くなった。

 怖い。でも落ち着いている。


 私は手をかざす。


「……癒えよ」


 光が広がった。

 木こりの呼吸が少し整い、顔色が戻る。出血の勢いが弱くなる。


 同時に、私の身体が少し重くなった。

 でも倒れない。


「よし! 今だ、縫う!」


 カイが叫ぶ。

 村人が布を押さえ、ルッツが道具を渡す。


 私は一歩下がった。

 もう一回使いたい衝動が胸を叩く。


 ――もう少し回復すれば楽になる。

 ――私ならできる。


 でも私は言った。


「……一回だけ」


 自分に言い聞かせるように。


 マルタが背中をぽんと叩く。


「よし。座りな」


「……はい」


 私は椅子に座った。手が少し震える。

 それでも呼吸はできる。


 しばらくして、カイが息を吐いた。


「縫えた。止まった。……助かった」


 村人たちの肩の力が抜けた。

 誰かが泣きそうに笑っている。


「聖女さま、ありがとう……!」


 私は首を振った。


「私だけじゃないです。みんなが動いたからです」


 マルタが腕輪を私に押し付けた。


「ほら。戻しな。これ以上働くな」


「……はい」


 私は腕輪をはめ直した。カチリ。


 カイが水を差し出す。


「水」


「ありがとうございます」


「寝ろ」


「……はい」


「食べろ」


「はい」


「三つ守れ」


 私は小さく笑った。


「命令が多いです」


「必要だから」


「必要ですね」


 そう言えたことが、前より嬉しかった。



 翌朝、雨は止んだ。空が明るい。


 私は宿のベッドで目を覚ました。

 身体は少しだるい。でも昨日みたいな重さはない。


 階下へ降りると、マルタが鍋をかき回していた。


「おはよう。生きてる?」


「……生きてます」


「よし。朝飯」


 スープとパン。

 私は座って、ゆっくり食べた。


 カイが入ってきて、にやっと笑う。


「倒れてない」


「一回だけにしました」


「偉い」


 ルッツが神殿から走ってきて、手紙を差し出した。


「王都からです!」


 封を切ると、神官長の字だった。


『辺境での噂を聞いた。回復を“制御”したと。

 可能なら方法を教えてほしい。戦場の聖女たちも疲弊している。

 君に無理をさせたことを、遅ればせながら謝る』


 私は紙を握りしめた。胸がじんわり熱くなる。


 遅い。

 でも、言ってくれた。


 私は返事を書いた。


『封印は逃げではありません。続けるためのルールです。

 聖女は万能ではありません。だからこそ、生活と仕組みで守れます。

 まず寝てください。食べてください。水を飲んでください』


 最後の一文は、たぶんカイのせいだ。


 書き終えると、私はふっと笑った。


 マルタが腕輪を指差す。


「次に外すのは、あなたがちゃんと朝ごはんを食べた日だけ」


「今、食べました」


「よし。じゃあ次は昼寝もした日」


「条件が増えてる」


 カイが横から言う。


「増やすのが正しい。君、すぐ無理するから」


「……はい」


 私は外を見た。

 子どもたちが走り、掲示板の前で誰かが「水分!」と声を上げている。


 回復魔法を封印したら、元気になった。

 変な話だけど、本当だ。


 治すことをやめたんじゃない。

 続けるために、止まる仕組みを作っただけ。


 私は腕輪に触れた。


「……これ、私に必要でした」


 マルタが笑う。


「腕輪は強い」


 カイがうなずく。


「君も強い。止まれるのが強い」


 ルッツが目を輝かせる。


「僕、掲示板をもっと分かりやすくします!」


「……ほどほどにね」


 私は言って、笑った。


 スローライフは勝手に始まらない。

 始めるためのルールがいる。


 そのルールの一つが、私の腕輪。

 もう一つが、ここで暮らす人たちの声。


「寝ろ」

「食べろ」

「水」


 全部、ありがたい。


 私はスープの最後の一口を飲んで、立ち上がった。


「……散歩してきます」


「行ってきな」


 マルタが言う。


「昼寝も忘れないで」


「忘れません」


 外へ出る。

 空が広い。風は冷たい。

 でも息はしやすい。


 回復魔法を封印した聖女は、今日もちゃんと元気だ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


この短編で描きたかったのは、

「止まるのは弱さじゃなく、続けるための強さ」 ということです。


フィオナの回復魔法は強いのに、使うたびに自分が削れていく。

それでも止まれないのは、優しさと責任感が強い人ほど陥りやすい罠でした。

だからこそ、腕輪の封印は“逃げ”ではなく、命を守るためのルールです。


それでは、今日も水分を。休養を。……昼寝も、ぜひ!

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