追放聖女、辺境で回復魔法を封印したら元気になりました
王都の治療室は、いつも人でいっぱいだった。
「次の方を! 急いで!」
神官の声。担架の軋む音。鎧の擦れる音。泣き声。
私はその真ん中で、手をかざし続けていた。
「……癒えよ」
白い光が広がり、傷口が塞がる。熱が引く。呼吸が整う。
目の前の兵士が「助かった」と言ってくれる。
そのたびに、私は次へ進んだ。
――でも、回復を使うたびに、私は少しずつ疲れていく。
指先が冷える。膝が抜けそうになる。息が浅くなる。
それでも私は笑顔でごまかして、また手を上げた。
「聖女フィオナ、次を!」
「はい」
返事は反射で出る。止まると列が詰まる。
詰まった分だけ、誰かが苦しむ。そう思うと止まれない。
「……癒えよ」
また光。
また冷え。
私は倒れない。倒れないように立っているだけだ。
「フィオナ」
背後から神官長の声がした。
振り向いた拍子に、足元がふわっとした。私は机に指をついて踏ん張った。
「少し、来なさい」
治療室の奥、書類が積まれた部屋。
神官長は私に紙を一枚差し出した。
「君は辺境へ行ってくれ」
「……え」
「罰ではない。戦場向けの主力聖女が来る。体制を整える」
言い方はきれいでも、意味は分かる。
私は“主力”じゃない。
「私は……まだ」
「君の回復は強い。だが君が先に倒れる」
神官長の目は忙しい中でも、少しだけ真剣だった。
「君は立派だ。献身の聖女だと皆言う。だが私は、献身で人を使い潰したくない」
その言葉に、私は喉が詰まった。
――やっと、言ってくれた。
でも同時に、別の気持ちが湧いてくる。
――安心。
そのことが怖くて、私はうつむいた。
「……分かりました」
「明日、馬車が出る。宿は手配してある」
「はい」
紙を受け取った瞬間、戻れなくなった気がした。
廊下へ出たとき、私はふらついた。
誰にも見られない角で壁に手をつき、こっそり自分に回復をかける。
「……癒えよ」
光が胸のあたりにすっと入って、頭痛が引いた。呼吸が深くなる。
――効く。私には効く。
「次の患者に」と思って手を上げかけたとき、背後から声がした。
「今さら自分に回復? 余裕があるなら仕事しろよ」
若い神官が、あからさまに冷たい目を向けていた。
「違います。今、立っているのがやっとで……」
「倒れそう? 聖女様が? 冗談だろ」
笑われた。
私は何も言えず、ただ頭を下げた。
“倒れそう”なこと自体が、悪いことみたいに扱われる。
だから私は、追放されたのかもしれない。
戦場向きじゃないのは、回復が弱いからじゃない。
私の体が、限界に近いからだ。
⸻
辺境の村は、王都より空が広かった。
土の道、低い家、煙突の煙。
風は冷たいが、音が少ない。息がしやすい。
馬車を降りた私を迎えたのは、宿屋のおかみさんだった。
「あなたがフィオナ? 王都の聖女さん?」
「……はい。フィオナです」
「よし。まず飯」
「え」
「『え』じゃない。顔色が悪いよ。座りな」
おかみさんは迷いなく私を椅子に座らせた。
机に置かれたのは、湯気の立つスープとパン。
「……食べていいんですか」
「何その質問。食べないと倒れるでしょ。倒れたら困るのは誰? あなた」
正論が重い。
私はスープを一口飲んだ。
温かい。胃がほっとする。
「……おいしい」
「でしょ。名前はマルタ。ここでは“おかみ”でいいよ」
「マルタさん、ありがとうございます」
「ありがとうより先に、もう一口」
私は言われた通り食べた。
身体が少しずつ戻っていく。
食後、部屋に案内された。
ベッドに座った瞬間、力が抜けそうになる。
「……寝てもいいですか」
「寝な。まず寝な」
マルタは布団をばさっと掛けた。
「聖女でも寝る。寝ない聖女は倒れる」
「言い方が怖いです」
「怖くていい。寝な」
私は笑ってしまいながら目を閉じた。
――寝られる。
そう思ったのに、扉がノックされる。
「フィオナさん! 診療所に来てくれませんか!」
慌てた声。若い男だ。
私は反射で起き上がった。
身体は重い。でも「行かなきゃ」と足が動く。
廊下へ出ると、マルタが腕を組んで立っていた。
「どこ行く気」
「診療所に……」
「寝な」
「でも、呼ばれて……」
「寝な」
短い。強い。
そこへ、さっきの若い男が姿を見せた。
上着に薬草の匂いが付いている。
「僕はカイ。診療所で手伝ってます。軽い擦り傷の子がいて……」
「軽いなら」
「僕らで処置できます。でも村の人が『聖女を呼べ』って」
カイは肩をすくめた。
「正直、君は寝たほうがいい顔してる」
「そんなにひどいですか」
「ひどい。しかも自覚が薄い。危ない」
私は黙った。図星だ。
「大丈夫です。擦り傷なら回復を少し――」
言いかけたところで、体が急に重くなる気がした。
カイが手を上げて止めた。
「今やる必要ある?」
「でも……」
「僕が消毒して包帯巻いて終わり。痛み止めもある。君が光を出す理由は?」
理由が出てこない。
マルタが言う。
「ね。寝な」
私は息を吐いた。
「……分かりました。寝ます」
「よし。合格」
マルタは私の肩を押して部屋へ戻した。
カイはそれを見て少し笑った。
「この宿、聖女にも容赦ないんだね」
「私には必要です……」
「だね」
私は布団に潜った。
罪悪感はある。でも、少し安心している。
そして眠った。
⸻
翌朝。
目が覚めたのは、日がだいぶ上ってからだった。
「……え」
寝た。ちゃんと寝た。
階下に降りると、焼いたパンの匂いがした。
「おはよう。顔色が少し良くなった」
マルタが言う。
「顔色……」
「褒めてる」
朝食が置かれる。
私は食べながら気づく。
身体が軽い。肩が痛くない。息が深い。
回復魔法を使ってないのに。
そこへカイが入ってきた。
「お、起きた。顔が違う」
「……寝ただけで」
「それが一番効く」
カイは当たり前みたいに言った。
「昨日の擦り傷の子、もう走ってたよ。君の出番なし」
「……よかった」
私は少し恥ずかしくなった。
私が行かなくてよかった。その事実が嬉しい。
「ねえ、フィオナ」
カイがまっすぐ見てくる。
「君の回復、使うたびに君が弱ってない?」
「……気づいてました」
「じゃあ、なんで止めないの」
「止めたら、誰かが困るから」
言いながら、自分の胸が苦しくなる。
カイはため息をついた。
「君が倒れたら、もっと困るよ」
神官長の言葉と同じだ。
でもカイは、生活の言葉で続けた。
「便利な井戸は、みんな使いすぎる。壊れるまで」
「……私、井戸ですか」
「似てる」
私は笑ってしまった。
「それ、すごく嫌です」
「嫌なら止めればいい」
「でも……回復は私の役目で」
「役目を続けたいなら、壊れない仕組みが必要でしょ」
仕組み。
その言葉で頭が整理された。
「……使えないようにします」
「え?」
「回復魔法を封印します。使えないように」
マルタが台所から顔を出した。
「封印? 何それ、怖い」
「怖いかもしれません。でも、そうしないとまた使います。私は止まれません」
カイが目を細める。
「本気?」
「本気です。生きたいので」
言い切ると、カイは一瞬黙って、そして笑った。
「いいね。回復を封印した聖女って、聞いたことない」
「私もです」
マルタが腕を組む。
「で、その封印、どうやるの」
「……札なら神殿の術式が――」
「札はなくす。あなた、絶対なくす」
即決だった。
「……じゃあ、腕輪にします」
口から出た。自分でも納得した。
「腕輪なら外さないと回復が使えない。外すのを自分で決められる」
マルタがにやりと笑う。
「いいね。腕輪の管理、私がやる」
「え」
「えじゃない。あなた、外したくなったら勝手に外すでしょ」
「……します」
「正直でよろしい」
カイが笑う。
「守りが固い」
「固くていいの」
マルタは言い切った。
⸻
村の神殿は小さかった。
「聖女さ――フィオナさん!」
飛び出してきた若い神官は、紙束を抱えたまま立ち尽くした。
「僕はルッツです! この村の小神官で……」
「ルッツ。お願いがあります」
私は深呼吸して言った。
「回復魔法を封印する腕輪を作りたいんです」
「ふ、封印!?」
ルッツの声が裏返る。
「神殿に怒られます!」
「怒られてもいいです。私は生きたい」
ルッツは口を閉じた。しばらくして小さくうなずく。
「……分かりました。腕輪に封印術式を刻みます。僕ができる範囲で」
「できますか」
「やります!」
勢いは十分だ。
ルッツは倉庫から銀色の腕輪を出した。古いがしっかりしている。
「魔力を通しやすい金属で……たぶん」
「たぶんが多い」
カイが突っ込む。
ルッツは赤くなりながら祈った。
腕輪の内側に細い光が走り、小さな文字が浮かぶ。
「……できました」
「何て書いてあるの」
マルタが覗く。
ルッツが胸を張った。
「“回復魔法一時停止”です!」
「言い方が事務!」
カイが即座に突っ込んだ。
でも私は、その文字が少し嬉しかった。
事務的でいい。止まれるなら。
マルタが腕輪を取り上げる。
「はい。フィオナ、腕を出しな」
「今?」
「今。迷う時間が増える」
私は腕を差し出した。
マルタが腕輪をはめ、留め具を閉じる。
カチリ。
胸の奥がすっと静かになった気がした。
私は試しに手をかざす。
「……癒えよ」
何も起きない。光が出ない。
「……止まってる」
「止まってる。よし」
カイが言う。
「これで君は生活に戻れる」
マルタが言う。
「生活が最強」
ルッツが恐る恐る言った。
「でも、いざってときは……」
私はうなずいた。
「そのときは腕輪を外します。外すのは必要なときだけ」
マルタが腕を組む。
「外すのは、私が許可したときだけ」
「え」
「えじゃない」
私は笑いながら、もう一度うなずいた。
⸻
腕輪をつけてから、私はちゃんと寝た。
ちゃんと食べた。
朝、外に出て深呼吸して歩いた。
それだけで身体が戻っていくのが分かる。
診療所には人が来る。
熱、咳、腰痛、切り傷。
回復魔法が使えないから、最初は落ち着かなかった。
でもカイが言う。
「まず水。次に休む。薬草はその次。焦らない」
私は言われた通り動いた。
冷やす。水を飲ませる。薬草茶を煎じる。包帯を用意する。
村の人も手伝う。
光がなくても、良くなる場面が多い。
「……熱、下がってる」
母親が驚く。
「水分と休養。夜更かし禁止」
カイが言うと、母親が苦笑してうなずく。
私はその様子を見て、肩の力が抜けた。
私が万能じゃなくても、村は回る。
ルッツは嬉しそうに掲示板を作った。
『熱っぽい→水分+冷やす+早寝』
『冷え→足湯+温かい汁物』
『切り傷→洗う+止血+包帯』
『最後に困ったら診療所』
“最初に聖女”じゃない。
それが、すごく大事だった。
マルタは私が動きすぎると止めた。
「フィオナ、座りな」
「薬草を……」
「座りな」
理由は不要。私は座る。
カイはそのたびに言う。
「水」
「寝ろ」
「食べろ」
三連発が多い。
でも私は、笑えるようになった。
王都では笑う余裕がなかったから。
封印は怖いものじゃない。
命を守るルールだった。
⸻
嵐の夜が来た。
雨が窓を叩き、風が唸る。
宿屋の扉が勢いよく開いた。
「助けてくれ! 倒木で……血が……!」
運び込まれたのは若い木こりだった。
腕に深い傷。血が止まらない。顔色が悪い。
診療所へ。
カイの声が鋭くなる。
「まず止血! 布、きつく巻く! 誰か押さえて!」
村人が動く。
でも血が多い。危ない。
視線が私に集まった。
「聖女……!」
私は腕輪を見る。
外せば回復が使える。
使えば助かるかもしれない。
でも私は知っている。回復は私の元気を削る。
ここで連発したら、また壊れる。
迷いで喉が詰まったとき、カイが言った。
「外すなら“今だけ”。使うのは一回」
「……一回」
「止血は俺たちがやる。君は最後の一回だけでいい」
マルタが腕輪に手を置いた。
でも外さない。私を見る。
「外すのは、あなたが決めな」
ルッツが息を呑む。
私は深呼吸した。
昔の私なら反射で外していた。全部やろうとして止まれなかった。
でも今は違う。
「……一回だけ」
私は言った。
「私は戻ってきます。倒れません。だから一回だけにします」
マルタがうなずく。
「いいね。外すよ」
カチリ。
腕輪が外れた瞬間、体の奥が熱くなった。
怖い。でも落ち着いている。
私は手をかざす。
「……癒えよ」
光が広がった。
木こりの呼吸が少し整い、顔色が戻る。出血の勢いが弱くなる。
同時に、私の身体が少し重くなった。
でも倒れない。
「よし! 今だ、縫う!」
カイが叫ぶ。
村人が布を押さえ、ルッツが道具を渡す。
私は一歩下がった。
もう一回使いたい衝動が胸を叩く。
――もう少し回復すれば楽になる。
――私ならできる。
でも私は言った。
「……一回だけ」
自分に言い聞かせるように。
マルタが背中をぽんと叩く。
「よし。座りな」
「……はい」
私は椅子に座った。手が少し震える。
それでも呼吸はできる。
しばらくして、カイが息を吐いた。
「縫えた。止まった。……助かった」
村人たちの肩の力が抜けた。
誰かが泣きそうに笑っている。
「聖女さま、ありがとう……!」
私は首を振った。
「私だけじゃないです。みんなが動いたからです」
マルタが腕輪を私に押し付けた。
「ほら。戻しな。これ以上働くな」
「……はい」
私は腕輪をはめ直した。カチリ。
カイが水を差し出す。
「水」
「ありがとうございます」
「寝ろ」
「……はい」
「食べろ」
「はい」
「三つ守れ」
私は小さく笑った。
「命令が多いです」
「必要だから」
「必要ですね」
そう言えたことが、前より嬉しかった。
⸻
翌朝、雨は止んだ。空が明るい。
私は宿のベッドで目を覚ました。
身体は少しだるい。でも昨日みたいな重さはない。
階下へ降りると、マルタが鍋をかき回していた。
「おはよう。生きてる?」
「……生きてます」
「よし。朝飯」
スープとパン。
私は座って、ゆっくり食べた。
カイが入ってきて、にやっと笑う。
「倒れてない」
「一回だけにしました」
「偉い」
ルッツが神殿から走ってきて、手紙を差し出した。
「王都からです!」
封を切ると、神官長の字だった。
『辺境での噂を聞いた。回復を“制御”したと。
可能なら方法を教えてほしい。戦場の聖女たちも疲弊している。
君に無理をさせたことを、遅ればせながら謝る』
私は紙を握りしめた。胸がじんわり熱くなる。
遅い。
でも、言ってくれた。
私は返事を書いた。
『封印は逃げではありません。続けるためのルールです。
聖女は万能ではありません。だからこそ、生活と仕組みで守れます。
まず寝てください。食べてください。水を飲んでください』
最後の一文は、たぶんカイのせいだ。
書き終えると、私はふっと笑った。
マルタが腕輪を指差す。
「次に外すのは、あなたがちゃんと朝ごはんを食べた日だけ」
「今、食べました」
「よし。じゃあ次は昼寝もした日」
「条件が増えてる」
カイが横から言う。
「増やすのが正しい。君、すぐ無理するから」
「……はい」
私は外を見た。
子どもたちが走り、掲示板の前で誰かが「水分!」と声を上げている。
回復魔法を封印したら、元気になった。
変な話だけど、本当だ。
治すことをやめたんじゃない。
続けるために、止まる仕組みを作っただけ。
私は腕輪に触れた。
「……これ、私に必要でした」
マルタが笑う。
「腕輪は強い」
カイがうなずく。
「君も強い。止まれるのが強い」
ルッツが目を輝かせる。
「僕、掲示板をもっと分かりやすくします!」
「……ほどほどにね」
私は言って、笑った。
スローライフは勝手に始まらない。
始めるためのルールがいる。
そのルールの一つが、私の腕輪。
もう一つが、ここで暮らす人たちの声。
「寝ろ」
「食べろ」
「水」
全部、ありがたい。
私はスープの最後の一口を飲んで、立ち上がった。
「……散歩してきます」
「行ってきな」
マルタが言う。
「昼寝も忘れないで」
「忘れません」
外へ出る。
空が広い。風は冷たい。
でも息はしやすい。
回復魔法を封印した聖女は、今日もちゃんと元気だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
この短編で描きたかったのは、
「止まるのは弱さじゃなく、続けるための強さ」 ということです。
フィオナの回復魔法は強いのに、使うたびに自分が削れていく。
それでも止まれないのは、優しさと責任感が強い人ほど陥りやすい罠でした。
だからこそ、腕輪の封印は“逃げ”ではなく、命を守るためのルールです。
それでは、今日も水分を。休養を。……昼寝も、ぜひ!




