終わらない世界が終わる時
『好きです。付き合ってください』
ーーいや、名乗れよ。
下駄箱に入れられた一枚の便せん。中に書かれたシンプルストレートメッセージ。
真っすぐな想いを綴り認め、私に届けてくれたその気持ちと姿勢は嬉しい。様々なテクノロジーが発達した世界であえてアナログな手法を使ってくるあたりも奥ゆかしくて好印象。
だが名乗れ。
想い以上に重要で基本的な、お前が誰であるかの記載がない。
せっかくのメッセージが台無しだ。テストで名前を書き忘れたら0点になるのと同じくらい台無しである。
もったいない。
男なんて興味ねぇと無駄に強がってはいるが、本当はお付き合いの一つぐらいそろそろしてみたい年頃なのだ。実は爆発しそうな性欲を、この内なる激情をどうにか出来るなら誰だって構わないとすら思っている爆弾レベルの欲情をキャラと倫理でなんとか抑え込んでる毎日だなんて口に出来るわけもない。
溜息一つ漏らし、私は名無しのラブレターをとりあえず鞄に入れた。
*
『好きです。付き合ってください』
時が止まった。質の悪い冗談だ。こんな事あるわけない。
急激に跳ね上がった心臓の鼓動から思わず呼吸が荒くなる。
ーーなんで、なんで。
一日だけならまだしも二日連続だ。頭の中がハテナで埋め尽くされる。
一体何がどこまで。一瞬にして私の脳内はカオスの極みと化した。
「うわ、ラブレターじゃん愛華」
「ぴえっ……!」
追い討ちかのように早苗の声が真横から聞こえて思わず情けない悲鳴が漏れた。
「小鳥かお前は」
ゲラゲラ下品に笑う陽気な彼女の事は大好きだが、このタイミングでは色々と心臓に悪すぎる。
「で、誰からよ?」
「いや、それが分かんないわけよ」
「隠すなって」
早苗がまじまじと手紙をチェックする。
「わっかんねぇなぁ」
「わっかんないでしょ」
そして二人でうーんと唸る。
「こいつは何がしたいわけ?」
気持ちが良い程一番の疑問を早苗が言ってくれて本当に気持ちが良い。
「私と付き合いたいらしい」
「あんたは誰と付き合う事になるのよ」
「概念?」
「AIよりも先の未来かよ」
とりあえず私はラブレターを鞄にしまった。
「ちなみに二日連続」
「愛華に夢中じゃん」
「まあ一枚目も名無しなんだけどね」
「ふーん。じゃあ捕まえるか」
「へ?」
「誰かがここに投函してるわけだから、そいつ見張れば一撃じゃん」
「確かに。でもどうやって? ずっと待ち伏せするわけにもいかないし」
「そりゃ監視カメラしかないでしょ」
「あぁ……」
「よし、買いに行こ。善は急げだ」
どちらかと言えば悪だと思うが早苗の行動力に従う事にした。
*
手に入れた簡易小型カメラによって犯人のご尊顔はいとも容易く拝見する事が出来た。
「で、誰このかわいい子?」
「さぁ?」
さらさらの黒髪で可愛らしい童顔。顔立ちだけなら黄色い声援に囲まれてもおかしくない程整った顔立ちだが、不条理なサイコパスに親族皆殺しにされたのかぐらい暗く絶望的な目元が彼本来のアイドルばりのルックスの全てを闇へと引き摺り込んでいた。
「闇の王子って感じだね」
早苗の例えは悲しい程に的確だった。顔が分かれば同じ学校の下。すぐに彼の身元は判明した。
浅見翔平。
一学年平均十クラスの我が高校において、彼がまだ入学して半年の一年生であれば知らなくて当然だ。だが逆に言えば、浅見は半年の間に私を認識し恋文を認めるまでに想いを馳せたという事になる。
なぜ。なんで。意味が分からない。そして本当にこれは恋なのかも甚だ疑問だ。
「こりゃもう本人に聞くしかないわな」
早苗と一緒に私は浅見に突撃する事にした。
「あ、いた」
浅見は1-7の教室の並んだ机のちょうど十字路の真ん中、1-7の中のど真ん中で何かしらの文庫本を読んでいた。
「お邪魔しまーす」
ずかずかと進む早苗の後に続く。
「何読んでんのってうーわ趣味悪ぅ」
失礼どストレートな早苗の言葉に呆れつつもタイトルを見ると『人間の正しい殺し方』という文字が見えて反射的に思わず目を逸らした。なんて嫌な本だ。嫌がらせか。
そこですっと浅見が顔を上げた。
綺麗な顔。
近くで見た浅見の横顔は一撃で恋に落ちかねないほど綺麗だった。
「何ですか?」
だがそれ以上に深淵から覗いているかのような目と彼を包む空気があまりにも闇過ぎて気圧された。
「君、ラブレターはちゃんと名前書かないと誰かさんと一緒だよ」
いつも通りのフォームを崩さない早苗に感心しつつ、他のクラスメイトもいるこの状況で話を進めるのかと焦った。
「あぁ、三好先輩」
浅見がすっと立ち上がり頭を下げる。
「まわりくどくてすみません。今日の放課後時間ありますか?」
「は、へ? あ、は、はい」
「じゃあ教室で待ってて下さい。迎えに行きますんで」
「は、はぁ」
そして何事もなかったかのように浅見は席に座り直し、人間の正しい殺し方をまた読み始めた。
「じゃ、行こっか」
早苗に続いて私も教室を後にした。
何がまわりくどいかよく分からないが、とりあえず放課後まで待てば答えは知れそうだ。
*
「三好先輩」
廊下に出ると浅見に呼びかけられた。
「あ、ありがとうわざわざ」
「いえ。行きましょうか」
すたすたと浅見が歩いて行く。
「どこ行くんだろうね」
「さあーー」
「ねぇねぇ三好ちゃん」
早苗と一緒について行こうとした時、クラスメイトの女子数人が駆け寄ってきた。
「三好ちゃんあの子誰? もしや告られたの?」
「えーずるいー!」
「ちょ、ちょっと待って違うの違うの」
「え、違うの?」
「いや、違わないかもなんだけど違うっていうかよく分かんないからこれから確かめに行くって感じで」
「どゆこと?」
「私もよく分かんないんだ。だから早苗と一緒に確認しにいくとこ」
「早苗と……?」
「うん、あ、ごめん行くね!」
よく分からない話だから不思議そうな顔をするのはよく分かるがそれは私も同じだから勘弁してほしい。
*
浅見は私の下駄箱へ行き、何の躊躇もなく蓋を開き中にある小型監視カメラを鞄に入れた。
「これ、もういらないですよね?」
「え、う、うん」
あまりに自然な動作に呆気にとられながら黙って先を歩く浅見の後をついて歩く。階段をすんすんと進み、行き慣れた馴染の場所のように屋上に出る。
「ここで池尻先輩は死んだんですよね」
まるで世間話でもするかのように池尻早苗の死を口にする浅見の言葉は私の思考を一瞬にして薙ぎ払った。
「いや、あーしここにいるんだが」
早苗はないないと顔の前で手を振る。
「こんなに元気じゃ嘘だろって感じですよね、三好先輩」
浅見の目は相変わらず暗く、全てを見通し吸い込むほどに深かった。
「ちょっとこいつ失礼なんだけど。なんか言ってやってよ愛華」
私は何も言えない。ここには浅見と私しかいない。
「え、ちょ、愛華まで酷いよ。そりゃないって」
「確かにそりゃないですよ三好先輩」
あぁ、そうなんだ。全部知ってるんだ。なんでか分かんないけど。
ずいっと早苗の顔が目と鼻の先にまで近付く。
「あんただけは無視しちゃダメだろ」
そうだよね。そうだと思う。でもなんだか言葉が出ないんだ。
「あんたが全ての始まりなんだから」
*
『好きです。付き合ってください』
口にしなければ、言葉にしなければ、つまらなくも平穏で平和な学生生活を送る事ができる。でも、我慢すればするほど心ははちきれそうで今にもパンク寸前だった。
差出人無記名の名無しのラブレター。それが私の考えたガス抜きだった。
膨らみ過ぎた愛を調節するための手紙。
だからそこに私の名前なんていらない。ただあなたに愛を伝えたいという一方的な押し付けにそんなものは不要だし、何よりバレてしまった時のリスクが怖かった。
いくら穏やかなクラスだからと言っても、それは波風が立っていない事が前提だ。
陰キャグループの私が陽キャグループの早苗にガチ恋だなんてバレれば、多感で興味津々の人間達がおもしろおかしく取り上げないなんて保証はどこにもない。発達したSNSを最悪の形で利用される事だって考えられる。
正直ガス抜き行為自体も命懸けではあったが、そうしなければ自分が何をしでかすか分からない程爆発しそうでその方が怖かった。
「あのラブレター愛華でしょ?」
「え……え……?」
「ちょっと話聞かせてよ」
なんで、どうしてバレた。
ともかく終わった。彼女についていき屋上へ出る。
「ここ、実は鍵かかってないんだよね。フェイクってやつ」
つけられた錠前はいとも簡単に外れ、屋上の扉が開く。
「どうしてバレたって顔してんね。これ、監視カメラ」
早苗が小さな黒い物体を嬉しそうに見せつけてくる。
「大丈夫だよ。誰にも言ってないから」
「……あ、ありがと」
私は今どんな顔をしているだろうと考えると顔を上げられなかった。おそらく真っ赤で酷い顔をしている。
こんな顔見られたくない。元々酷い顔なのに。何も見られたくない。私の身勝手で一方的な恋煩いがバレてしまった事が死ぬ程恥ずかしく、私なんかに時間を割かせてしまっている事があまりにも申し訳なかった。
「びっくりした。どこの男かと思ったらまさかの三好ちゃんなんだもん」
三好ちゃん。ろくに喋った事もない彼女が私をちゃん付けで呼んでくれた。思わずはふっと息が漏れた。
「本気で好きでいてくれてんだ」
早苗の声は弾んでいる。でも怖くて顔は見れなかった。
「なんで名前書いてくれなかったの?」
私はぽつりぽつりとガス抜きラブレターの事を説明した。
「まわりくどいねぇ、でも尚更本気だって事は痛いぐらい伝わったよ」
優しいんだ。私の心を理解しようとしてくれてる。教室でキラキラしている彼女の姿そのままの明るく真っすぐな早苗。私はふるふると顔を上げた。
「でも、ごめんね。愛華とは付き合えない」
瞬殺粉砕木端微塵。どこまでも早苗は素直で真っすぐで偽りがなかった。
「男子だったら、もっと良かったのに」
でもあまりにも偽りがなさ過ぎた。
どうしてそんな事を言っちゃうの。そんな事言わなくていいじゃない。
私が目の前にいるのに、さすがにそれはデリカシーないよ。
「ねぇ、三好ちゃんーー」
急に視界が白に染まる。意識が遠のいていく。頭と身体が沸騰するように熱くなる。脳がふやけるようなどうでもよくなるような、一気に脳細胞が急激に死んでダメになっていくような感覚。
そこから記憶は途切れる。そして世界が元に戻った時、目の前にいたはずの早苗は消失していた。
下の方から悲鳴が聞こえた。覗き込むと女生徒が血だまりの中に倒れていて、それが早苗であると気付く。
そしてまた、世界が白に帰っていった。
*
私は誰。今は何年何時何十分何秒。時間と空間の配列が完全に狂って今自分がどこに立っているのかすら危うくなる。
「私、私がーー」
殺した。
早苗を。
屋上から。
突き落として。
でも、それなら私は。
どうして当たり前のようにここにいる。
「相変わらず覚えてないんだね。別に覚えてても何も変わらないけど」
早苗の顔に笑顔はない。血色の悪い、というか血が流れていないように真っ白な顔と白濁した眼球が私を見る。
「やっとちゃんと世界が見えてきた?」
にちゃあと糸を引きながら早苗は口を開く。
「まわりくどいですよね、ほんと」
浅見が呆れたように溜息をつく。
「でもとにかく三好先輩がきっかけなんですよ」
「……私が?」
「あなたが名無しのラブレターなんて書くからこんな事になってるんです」
「……意味が分からない」
「こんな姿になっても終わらない。だから僕も役割を続けないといけない」
「役割?」
「浅見翔平はあなたによって生みだされた。あなたが書いた存在なんです。擬人化ですよ。僕はあなたがガス抜きに書いた手紙そのものなんです」
「本当にーー」
「意味が分からないでしょうね。そう思う限りこの世界は終わりません」
「あーしもずっとこのまんま」
「僕達を繋ぐのはあなたの手紙。それがきっかけであり全ての始まり。あなたにとってはガス抜き程度だったんでしょうけど、爆発しそうな想いを解放する為に書いた言葉の強さは運命と事実を繋げ捻じ曲げ閉じ込めこんな歪な世界を形成した」
頭が割れるように痛み出す。
こいつはずっと何を言ってる。
浅見翔平は、私が書いた手紙?
じゃあこの世界は何?
ついさっきまで普通に見えた世界が急に捩じれてメビウスの輪のように表と裏も分からなくなる。
「何度だって説明出来ますよ。あなたは池尻早苗に密かながら核弾頭レベルの恋心を抱え続けた。でもキャラもルックスも自信もないあなたは住む世界の違う早苗に素直に好きですなんて言えなかった。まして女同士。世界が理解をしても当人が理解してくれなきゃ意味がない。でも抱えきれない想いをガス抜きとばかりに恋文に認めた。名乗る勇気はなかったから名無しでね。でも早苗は仕掛けた監視カメラで犯人があなただとすぐに気付き、あなたを屋上に連れ出す。そこで、悲劇が起きる。悲劇に耐えられなかったあなたは世界を閉じて閉じこもった。世界を真っすぐ見る勇気もなくなり、罪と罰に囚われて歪な世界をつくった。自分の為の世界なら幸せな世界にすればいいのに、不器用なあなたの心は全てを許せずこんな訳の分からない世界を創造して無限に永遠に自分を追い詰め苦しめ、何度も繰り返している。これが何度目なのかも分からない。いい加減終わって欲しいんですけどね、先輩。いや、創造主」
息継ぎもせずに浅見が一気に語り終える。
浅見の言葉通りなら私は私の世界を何度も繰り返している事になる。
ここは現実じゃない。じゃあ現実の私は?
でも現実を見れないからきっとここにいる。ここから出られずにいる。
罪と罰。私が全てを許さない限り、この世界は終わらない。
許す? 何を?
無理だ。悲劇は起きたのだ。
血だまりに倒れる彼女。私が手紙なんて出さなければ、早苗はあんな可哀想な姿にはならなかったのに。
あぁそうだ。この世界はまったくもっておかしい。途端に全ての歪さにまるで今このタイミングでそうなるように仕組まれたかのように気付き始める。
死んだはずの早苗がいる事も、私なんかにラブレターが届く事も、そのラブレターが偶然の一致かのように名無しである事もおかしい。
浅見翔平なんてラブコメみたいな人間が存在している事もおかしい。そんな奴は現実にいない。天性のルックスは私が望んだもの。でも深い闇の底みたいな目は現実の私そのもの。
彼が「人間の正しい殺し方」なんて本をこれ見よがしに読んでいる事も、私が私に与えた嫌がらせにも近い罰の形の一つだ。
お前が早苗を殺した。
お前が早苗を殺した。
お前が早苗を殺した。
私に当たり前のように話しかけるクラスメイトもおかしい。そんなものはいないのだ。
私と早苗が行動を共にしている事もおかしい。生きていた頃はもちろん、死んでいるなら尚更おかしい。この世界においても死んだ彼女が見えているのは私と浅見だけで他は見えていなかった。私達以外は世界を正しく認識出来ているから。
「ねぇ、もう許してよ」
早苗が白いとろりとした液体を目から流す。私のせいで普通の涙すら流せなくなってしまった早苗。
「あの日さ、なんでわざわざ屋上行ったと思う?」
頭がキリキリ痛み出す。
“男子だったら、もっと良かったのに”
あの時の言葉を思い出す。私を拒絶した言葉。
「屋上だったら、誰も来ないから」
“男子だったら、もっと良かったのに”
もっと。もっとって何だ。
「爆発しそうだったのはあんただけじゃないんだよ」
記憶が途切れる手前の感覚。
頭と身体がぐちゃぐちゃになるような感覚。
あの時、私は何をされた。
早苗は私に何をした。
「愛華、拒絶したのはあんただよ」
この感覚も、気持ちも、初めてじゃないのだろうか。
何度も何度も、この吐き気を催す絶望に飲み込まれるような感覚も、繰り返しているというのか。
「あんたに言われた言葉、とてもじゃないけど口に出来ない言葉、私はその言葉に殺された」
だから、飛んだの。
早苗が捻じれた腕と足をこちらに振って見せた。
待ってよ。
これって、私だけが悪いの? 全部私のせいなの?
きっかけだったかもしれないけど、きっかけだけだったんじゃないの?
許す? これを全部?
無理。無理に決まってる。
こんなの繰り返すに決まってるじゃない。
「終わらせない。終わらせてなんてやらない」
そうか。これは私が望んだ歪さなんだ。
私と早苗を閉じ込め苦しめ、許し続けない為に創った複雑な世界。
“これが何度目なのかも分からない。いい加減終わって欲しいんですけどね、先輩。いや、創造主”
これも私の本音なのだろう。でもダメ。
ここは私が私を許さない為に創った世界。
だから、私は許さない。
*
「三好さん、ご飯の時間ですよ」
何を言っているか分からない。
誰かが自分の意思を無視して口に何かを運んでくる。
舌の上に乗った何かの味が広がる。おいしい、まずい、分からない。分からないけど、飲み込んだ方がいいのだろう。
「はーい、いいですよー」
視界に映るのは車椅子に乗せられた自分の身体と、皺くちゃでカリカリの手足。
ここはどこだろう。
最近たまに僅かに違う世界が映る事がある。早苗と浅見がいない世界。
ーーだめ、戻らなきゃ。
そう願えばすぐに世界は白んでいく。
いるべき場所に戻っていく感覚。
でもなぜだか漠然と、この世界全てがそろそろ終わるような気がする。




