未来1話 夕闇に避ける渦
普通の高校生だったオレは、ある日突然、未来に飛ばされた。
そこは人類すら“数字”で管理される監視社会。存在しないと判定されたオレは、ただの「欠番」として処分されるはずだった。
だが、帳簿に書かれない存在だからこそ、できることがある――。
世界に見捨てられたオレが、この未来で世界そのものを支配していく物語が、今始まる。
坂道を登る夕暮れは、いつもより長いように感じた。ペダルを踏めばすぐ家に着く距離だ。それでもオレはわざと自転車を押して歩いていた。放課後の空気を、もう少し吸い込みたかった。
赤に染まる電柱。カラスの群れが遠くで輪を描いている。乾いた風が制服の裾を揺らした。季節は初夏、まだ夜の匂いを知らない時間帯。
オレはただの高校二年生だ。成績は並、運動も並、部活にも入っていない。特技は妄想。授業中、ノートの余白に「世界を救う勇者」なんて落書きを描いて、ひとりでニヤけている。現実から見れば痛いだけだろう。――自分でもバカだと分かっている。
「また一人でニヤけてんの? バカじゃないの」
声が横から降ってきた。
振り向くと、ポニーテールを揺らした佐伯陽菜が立っていた。幼馴染。家も学校も一緒。小さい頃から何度も殴られ、何度も笑わされた。勝ち気で、面倒見がよく、オレを「バカ」と呼ぶことに関しては誰にも負けない。
「オレ、将来は世界を変えるんだ」
「はいはい。まずは宿題を変えなさい」
「……うるせえ」
「図星でしょ」
陽菜は肩を揺らして笑った。オレもつられて笑う。――いつも通りのやりとりのはずだった。
なのに、その笑い声がやけに遠く響いた。胸の奥で、針の先みたいなざわつきが転がる。夕焼けの赤が濃すぎる。風が止まり、世界が静止したように感じた。電線に留まるスズメの群れが、不自然に動かない。
「なあ、陽菜。もしオレが、本当にすごいことをやれる奴だったらさ」
「はあ? 夢でも見てんの?」
「……その時、お前はどうする?」
「そうだなぁ」
陽菜は小石をつま先で蹴飛ばし、少し考えるふりをしてから答えた。
「ちょっとは見直してやるかもね」
その笑顔が、やけに焼きついた。
オレは何も言えず、ただ夕陽に照らされる彼女の横顔を見ていた。
⸻
その瞬間だった。
――音が裂けた。
坂の上に、“渦”が浮かんでいた。黒でも白でもなく、色がない光。穴のようで穴じゃない。世界そのものが裏返って、空間に口を開けたみたいに見えた。
風が逆流する。標識が軋む。空気が千切れる音が耳を突いた。
「なに、あれ……?」
陽菜の声が震える。
オレの足は勝手に前へ引かれていた。重力が逆さまになったように、体が渦へと吸い込まれていく。
「オレ!」
陽菜が必死に手を伸ばす。
「陽菜――!」
オレも腕を伸ばした。指先が触れた刹那、轟音。
視界が白に、次に黒に塗りつぶされた。
上下の感覚が剥ぎ取られる。内臓が宙に浮き、骨ごと砕けるような痛み。陽菜の声は耳元でちぎれ、粉々になった。
喉から叫びが迸る。だが、その声すら光の中で砕け、音も意味も失った。
⸻
気がつくと、冷たい床に倒れていた。
背中に広がる感触は、石でも金属でもない。温度がない。硬いのに、柔らかい気もする。質感の定義を拒絶する床。
体を起こすと、白い壁が果てしなく続いていた。ひび割れも装飾もなく、ただ均一。等間隔に並ぶ白い柱。天井には光の線が走り、ゆっくりと脈打つように明滅している。
音がない。
風も、人の声も、機械の駆動音も、虫の鳴き声も。
沈黙だけが世界を支配していた。自分の息遣いが爆音のように響き、鼓動が床に跳ね返って胸を揺らす。
「……どこだ、ここ……」
呟いた瞬間、頭の奥に声が落ちた。
『登録不能……欠番、確認』
冷たい機械の声。感情の欠片もない。
それなのに確かに、オレを見下していた。
息が詰まる。胃が裏返るように吐き気がこみ上げた。
存在ごと値踏みされている。名前も過去も未来もなく、ただ“欠番”と。
その言葉だけが、焼きごてのように胸に刻まれた。
この瞬間から、オレの“未来”は始まった。
【更新予定】
序盤5話までは毎日更新予定です。
その後は【月・木】に定期更新していきます。
よかったらブックマークしてお待ちください!