第二章「応援団長と妄想スローモーション」 ① 導入:校庭の最底辺(現実)
運動会という制度は、陰キャにとっての裁判である。
陽の当たる者たちが全力で走り、飛び、叫び、笑う中、
僕のような者は、校庭の片隅で白線を引きながら、
“生存の是非”を間接的に審査される立場に追いやられる。
加賀谷薫、リレー補欠――という名の数合わせ要員である。
つまり、いざ誰かが捻挫でもしない限り、出番はない。
にもかかわらず、集合には呼ばれる。ゼッケンは配られる。ジャージは着させられる。
その存在理由は、ほとんど予備バッテリー以下である。
「え、あいつ走るの? ウケるんだけど」
「いや無理だろ。去年も全然走れてなかったし」
「つか、運動神経ゼロじゃね?」
耳を通り過ぎるクラスメイトたちの声は、さながら静音設計のギロチンである。
鋭さではなく、鈍く、確実に僕の尊厳を断つ。
僕は校庭の片隅に腰を下ろした。
ライン引きのポリ容器を抱え、手を真っ白にしながら、地面をじっと見つめる。
その姿は、見ようによってはどこか宗教的ですらあった。
白い粉は、僕の手に塗られた運命の紋章である。
「これが……僕のポジション、というわけか」
誰にも聞こえぬように、呟いてみる。
言葉が砂埃に飲まれていく。
まるで、世界そのものが僕の声を拒んでいるかのように。
競技の声、太鼓の音、応援団の叫び。
そのすべてが、自分とは別の次元の物語のように感じられる。
もし世界に階層があるならば、
今の僕は、その底の底に位置している。
だが、その最底辺にこそ、芽吹くものがある。
たとえば、妄想とか。妄想とか。妄想とか。
この白線の粉まみれの右手が、
まもなく幻影亭の銀のティーポットを持つ手に変わる――。
そのとき、校庭の向こうで、応援団の団長が叫んでいた。
彼女は、朝比奈朱音だった。
赤いハチマキをきりっと巻き、拳を高く突き上げている。
……これはもう、来る。妄想が、来る。
(章末モノローグ)
僕の居場所は、走路の外。白線の外。視界の外。
でも、彼女の声が空を割いた瞬間、
僕の妄想は、再び世界の中心を目指して、静かに走り始めるのだ。