第四章「恋愛とは妄想の形式である」 ② 幻影亭、開店(脳内の舞台)
その夜、僕はベッドに沈みながら、天井を見つめていた。
壁に貼られた古い年表、電気のひも、剥がれかけたポスター──何もかもが、現実の象徴だった。
しかし、次の瞬間、僕の意識はすっと現世を脱け出した。
そこは、僕の脳内にのみ存在するカフェだった。
名を《幻影亭》という。
ブリティッシュ調のインテリア。
ステンドグラスの窓から差し込む曇りがちな午後の光。
古時計が時を刻み、紅茶の香りが、ゆっくりと空気を染めていく。
店内の奥、高背の赤いソファに、彼女たちはいた。
朝比奈なる文芸の乙女は、ローズヒップティーを手にしていた。
彼女の視線は、常に45度下に落とされ、謎めいた余韻を帯びている。
如月舞は、革張りのスツールに脚を組んで座り、ミルクティーに角砂糖を三個投下していた。
目が合っただけで、**喝!**と叫ばれそうな雰囲気がある。
そして羽生るりは、湯気の立つアールグレイに顔を寄せ、なぜか本を開かず、ただ黙ってこちらを見ていた。
「ようこそ、被告人・加賀谷薫くん」と、朝比奈が口火を切った。
僕は戸惑いながら、カウンター席に立ち尽くしていた。
この店のマスターは僕自身なのだが、今宵は完全に、立場が逆転していた。
「あなたね……最近ちょっと妄想が過ぎるのよ」
その言葉は、朝比奈・如月・羽生の三人が、同時に言ったように聞こえた。
席につくよう促され、僕は重たい身体をソファへと沈めた。
まるで裁判の開廷のようだった。
紅茶が湯気を立てる音さえ、どこか冷たい。
「言いたいことがあるの。わたしたち、“理想の彼女”という設定に飽きてきたの」
「体育会系はね、もっと直球勝負なの。君の妄想、回りくどすぎてウザい」
「……私は……何も言ってないようで、すごく言ってるのよ……たぶん……(無言で目をそらす)」
三人の声が、僕を囲む。
これは夢か、妄想か、それとも――革命か。
僕は何も答えられなかった。
ただ、自分が築き上げてきた恋愛世界の女神たちが、
いまや自我を持って立ち上がったという事実に、戦慄していた。
「……僕の恋人たちが、僕を裁こうとしている」
ステンドグラスの外には、どこまでも灰色の空。
その下で、幻影亭の裁判は、静かに、しかし確かに始まろうとしていた。