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第三章「沈黙と風の図書館」 ⑤ 締め:本棚の隙間から見た現実

 数日ぶりに、図書室の扉を押し開けた。


 午後の光は弱まり、秋の空気はすでに冬を思わせる冷たさを帯びていた。

 書架の木材も少しだけ軋んだような気がした。


 僕は、いつも通りの“徘徊”を装いながら、本棚の陰に潜んだ。


 今日の目的は、決まっていたわけではない。

 だが、何かがここにあるような気がしていた。

 恋の残滓のような、あるいはまだ終わっていない妄想の続きが。


 そのときだった。


 羽生るりが、声を発した。


 それは僕の知る、沈黙の乙女ではなかった。


 彼女は、別の男子生徒と普通に笑いながら、貸し出しカウンターの向こうで会話していた。

 声は控えめながら、はっきりと聞こえた。

 感情のある話し声だった。柔らかく、自然で、温度があった。


 僕は、本棚のすき間からそれを見つめた。


「……沈黙の乙女は、誰かと声を交わすことがあるのだな」


 それは、驚きではなかった。

 むしろ、あまりにも当然すぎる事実だった。

 けれどもそれは、僕の脳内に存在する“羽生るり”とは、まったく異なる存在だった。


 落胆しなかったと言えば嘘になる。

 だが、不思議と胸に広がったのは、静かな納得だった。


 現実の羽生るりは、誰かと話すし、笑うし、沈黙にこだわって生きているわけではない。

 それは、当たり前のことだった。

 だけど、僕の脳内にいる羽生るり――「沈黙の乙女」は、それとは別の次元で生きている。


 妄想とは、現実の写しではない。

 むしろ、現実とは別個に、自律的に存在するもう一つの宇宙なのだ。


 僕は、本棚から一歩だけ引いた。

 そして、彼女の笑い声が遠ざかるのを聞きながら、

 ポケットに忍ばせたあの詩のノートに、そっと手を添えた。


「……この恋は、やはり書きかけのままが美しい」


 夕暮れの図書室に、風が入り込み、本のページを一枚だけめくった。


(章末モノローグ)

恋は、現実に触れた瞬間に変質する。


けれど妄想の中では、どんな恋も未完成のまま咲き続ける。


それを虚構と呼ぶか、幻想と呼ぶか。


僕にとっては、書かれないラブレターの方が、

ずっと心に残るのだ。

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