第一章「妄想文芸部の夜」 導入:陰キャの朝(教室)
教室という空間は、本質的に戦場である。
そこには目に見えぬヒエラルキーが存在し、空気の流れが異なり、重力すら局所的に変動している。
僕、加賀谷薫は、その戦場において、最も被弾率の低い場所=窓側最後列を確保している。
なぜなら僕は、この教室においてただひとつの平和を目指す者であり、文学的沈黙を愛する者だからである。
本日の朝読書の書物は、谷崎潤一郎『春琴抄』。
盲目の師匠と彼女を盲信する弟子の、ある意味で歪んだ愛のかたち――
その病的とも言える崇拝の様式美に、僕は何度読んでも心を撃ち抜かれる。
とりわけ、佐助のあの献身、あれは“偏愛”の極致だ。
実に参考になる。
僕の理論では、恋愛とは共感でも癒やしでもなく、信仰の一形態である。
ただ一人の存在を美の象徴として脳内で神格化し、
現実との乖離にすら快楽を見出す――そういう倒錯の中に、真の恋が宿るのだ。
そのときだった。
朝比奈朱音が、教室に入ってきた。
あの、朝の光を味方につける女子である。
僕は思わず、ページをめくる手を止めた。
この瞬間の観察は、文字通り“尊厳にかかわる”問題だからだ。
彼女は扉をくぐり、教室を横切った。
そして――僕を一瞥した。
その一瞬を、見逃してはならない。
彼女の視線は、物理的には「教室を見回した」だけかもしれない。
だが、それが僕を捉えたのは、偶然ではない。
その確率、約1/33。
だがそこに、明確な意志があったと考えることは、
この宇宙において“主観が世界を創る”という量子力学的ロマンに基づいて、むしろ自然である。
つまり――これは、メッセージだ。
彼女は僕に何かを伝えた。
あるいは、「まだ何も伝えていない」ということを伝えた。
それすらが、美しい伏線である。
よって、ここに宣言する。
本日は、妄想デート五回目の記念日である。
いや、あえて言うならば、「五度目の逢瀬」と呼ぶべきかもしれない。
前回(=前夜)、我々は《幻影亭》にて紅茶を傾けながら“愛と存在の連続性”について語り合ったばかりだ。
そして今朝の一瞥により、彼女の脳内でも、何かが確実に進行している――
と、仮定することに対する罪悪感は、もはや僕には存在しない。
読書を再開するフリをしつつ、
僕は谷崎の行間の奥に、朝比奈朱音の影を探していた。
「佐助よ、僕もいずれ、盲目になるのだろうか……」
と、内心でつぶやきながら。
(章末モノローグ)
一瞥は、爆発である。
見られたかどうかではない。
“見られた気がした”という事実が、
僕の妄想を、今日も千里先まで吹き飛ばすのだ。