08
三年が経った
「相手もさすがは冒険者だね
イリナでも無傷とはいかなかったとは」
傷だらけの彼女に、僕は手ずから回復魔法と薬剤を併用して治療を施していた
彼女自身でもある程度の治癒は可能だが傷跡が残れば今後の実験や外見的価値に支障をきたす
その点、僕の術は精度と美しさにおいて他の追随を許さない
なにせ、あの瀕死の肉体を完璧に修復したのだ
今更これしきの怪我を治せない理由は無い
「……ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません」
「謝ることはないよ
そもそも無理な仕事を任せた僕の責任だ」
淡々とした口調の中にも、彼女の心中にある羞恥や悔しさは感じ取れる
普段から抑制された感情の持ち主だが、こうした場面では微細な変化がよく分かるようになってきた
「にしても、師匠たちも厄介だったね……
まさか、イリナを奪おうとするなんて」
「はい、もしあのような企てがなければ、より穏やかな別れ方が可能だったかと存じます」
僕は深く頷く
イリナを負傷させたのは彼女の訓練を担当していた師匠たちだった
彼らは僕の実験に薄々感づいたらしくその矛先がイリナにも向くことを恐れ
彼女の身柄を奪おうと画策したのだ
貴族の子弟が奴隷を持つのは珍しくない
だが、親の許しを得れば金銭での譲渡も可能であることを盾に彼らは父に働きかけようとした
僕に黙って
イリナはすぐにそれを僕に報告してくれた
迷うことなく、何の見返りも求めずにただ僕を信じて
あの時の彼女の目には、一片の迷いもなかった
僕は確信した
彼女の忠誠は、ただの命令への服従ではない
それは“僕のそばで生きたい”という、彼女自身の選択なのだ
僕は迷いなく“排除”を指示した
もし拒否されるなら服従魔法を再強化するつもりだったがその必要はなかった
恩があり、忠誠を誓い、命を預けた師を、彼女は何の躊躇もなく手に掛けた
想定よりも成長した
誇るべき成果だ
彼らは腕利きの冒険者だったが単独行動を好むソロだったため個別撃破は容易だった
魔導師の女は不意の一撃で事切れ、レンジャーの男は殺気を察知して応戦したが最終的には彼女の手で討たれた
遺体は墓地に埋葬された
死者が蘇る危険があるこの世界では正しい方法で処理しないと後に禍根を残す
僕の過去の実験素材でも、怨霊化した例は少なくない
だが、そうなった魂も僕の手で完全に消滅させてきた
「卒業か、、たしかに二人の師を討ったとなれば実力は本物だ
そろそろ外に出す時期だね」
「……本当に、よろしいのですか?」
顔を上げたイリナが、珍しく感情を浮かべる
あれは、期待――いや、歓喜か
「もちろん。ここまで育てた甲斐があったというものだし
今後の実験資金も浮く
ぜひとも実地に役立ってほしい」
「ありがとうございます、ご主人様!」
イリナは感極まり、音を立てて床に額を擦り付けた
「必ず……必ずやお役に立ってみせます!」
その声は震えていた
忠誠というより執着
僕のそばにいられることを許された安堵
その全てが混ざり合って、彼女の言葉になった
「……うん、そんなに力まなくてもいいよ」
過剰な反応にやや驚いたがそれもまた従順さの証である。
「ところで、装備について希望はある?
どうせなら君が使いやすい物を用意したい」
「それでは……戦闘に耐えうるメイド服をお願いできますか?」
……メイド服?
聞き間違いかと思ったが、彼女は真顔で頷いた
「メイド服です。機能性と慣れの観点からも最適かと」
「……なるほど」
悪くない提案かもしれない礼装として設計すれば耐久性と動きやすさも確保できる
普段着としても違和感がない
「分かった、善処するよ」
「感謝致します、ご主人様。
……一層の尽力をお誓いします」
再び深く礼を取る彼女を見て僕は小さく息を吐いた
忠誠心に加え自らの意志で望みを伝えることができるようになった
――その変化は、喜ばしい。
彼女の冒険者登録と実戦投入
それは僕の計画の新たな段階でありさらなる成果を引き出す礎でもある
僕は静かに、次なる図面を思い描いた
***
冒険者登録は滞りなく済んだ
貴族の推薦と、簡易な適性審査によりイリナは最下位ランクの“黒鉄”を飛ばして“銅”からのスタートとなった
「では、任務内容はこちらになります」
ギルド受付嬢が差し出した依頼書には、比較的安全な街道沿いの掃討任務が記されていた
初仕事としては無難だが、重要なのはこの先
僕は彼女に、単純な実力の誇示ではなく実地における知識と応用力
さらには魔力操作の応用を求めていた
冒険者登録から数週間後
イリナはすでに何件かの任務をこなしていた
僕が独自に収集した依頼情報の中から負荷の軽い護衛や物資の回収
魔物の討伐任務を選び、実地試験として遂行させていた。
ある日、彼女は森の奥から帰還し血の滲むメイド服の裾を整えながら静かに報告した
「……敵性個体、推定ランクC、討伐完了、目標素材も全て回収済みです」
その手には牙や鱗、珍しい植物の束
「お疲れさま、怪我は?」
「擦り傷と浅い切創のみです
問題ありません」
イリナは僕の目をまっすぐに見据える
その眼差しには自らを“役に立つ存在”と証明したいという静かな炎が宿っていた
彼女は今や、忠実な従者以上の存在だった
僕の研究を支え、僕の命を守り、僕の意志を遂行する
文字通り、僕の“手足”になりつつある
このまま進めば、いずれ彼女は――僕の代わりに不死へ至る“実験”さえ担えるかもしれない
その時が来るまで、僕は彼女をさらに鍛え上げ、依存させ、支配し尽くさなければならない
そう、僕の生存のために