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06

 イリナの訓練が始まって数ヶ月後


 日が昇っても地下研究室の空気は変わらないひんやりとした空気の中

 瓶詰めの薬品が微かに揺れ、燭台の火が石壁に不気味な影を落としていた


 中央の手術台には、拘束具で固定された男が横たわっている

 奴隷市場で仕入れた検体二号

 もとは盗賊団の下っ端で、罪状は強盗と婦女暴行

 誰がどう見ても倫理の埒外にいた存在だ

 だが僕にとっては、ただの素材でしかない


「イリナ、試薬番号十四の希釈液をポンプに入れて

 気道じゃなく、食道に流すようにね」


「……うん、しょくどう、こっち、だよね……」


 小さな手が器用に動き、薬液の入った管を男の鼻孔に挿入する

 その動きは既に慣れたもので迷いも恐れも感じられない


「……心拍数、上昇、発汗も始まった 

 うん、前よりいい反応だ」


 僕は記録紙に走り書きを続ける

 人体強化薬試作十二号

 筋力の一時的な上昇と引き換えに自律神経への負担が懸念されていた


「ねえ、ごしゅじんさま

 ……にごう、まだ、つかうの?」


 イリナがそっと僕の袖を引いた

 表情は読めない

 だが、微かに揺れる声の端にわずかな憐れみの色が混じっていたかもしれない


「そうだね。少なくともあと二、三回はデータが取れる。

 死なせるには惜しい素材だからね」


「……そっか、じゃあ、ちゃんと、冷やしておくね」


 彼女は淡々と答える。もはや哀れみを止める術など知らない

 僕の助手として、“道具”として最適な反応だ


 だが、イリナはただの道具ではない

 僕が死なないための礎だ

 彼女がいなければ僕の研究は前に進まない

 だからこそ、彼女を完全に僕に縛り付けなければならない


 ただ恐怖で縛るだけでは足りない

 恩義も限界がある。服従魔法も絶対ではない


 もっと深く、もっと本能的に――僕という存在に、依存させなければならないのだ


 それは、唯一の拠り所を僕に見出すこと

 それは、他のすべてがどうでもよくなるほど僕に心を明け渡すこと

 そうでなければいつか彼女は僕の敵になる


「イリナ、筋肉組織の収縮率を見たい

 関節部を固定して、刺激を与えて」


「うん、わかった」


 この実験は、まだ序章に過ぎない


 最終目標は、不老不死


 そのためには、人間の肉体の限界と再生能力、魂の定着と転写、そして死の拒絶反応まで――すべて、実験しなければならない


 その道を歩むために、僕はあの日、再びこの世界に生まれたのだ


 命を切り裂き、希望を掬い、絶望を精製する錬金術師として


「お疲れ様、イリナ

 それじゃあ今日もおやつにしようか」


「!」


 僕がそう告げるとユニは微かに目を輝かせる

 表情の変化に乏しい子だが感情が無いわけではない証左だ

 そしてそれ故に、微小とはいえ背く可能性がある


 彼女を縛っているのは服従魔法という枷と命を救ったという恩

 そして僕への恐怖という鞭だ

 故に、駄目押しとして飴を与える

 文字通りの飴を


 砂糖は前世の世界においても紀元前から作られている

 この大陸においても存在はするのだが産地が少なく高価だ


 が、僕は錬金術師である

 ちょっとした設備と近所の林で手に入るカエデの樹液なんかがあれば一家庭で消費する分くらいならいくらでも作れる

 流石に流通ルートに安定して乗せるのはキツイが小遣い稼ぎ程度には売れたりもする


 おまけにこの世界は時代的に中世

 料理などの分野は未発達である

 それを考えると、前世の知識があるだけで別に菓子職人でも何でも無い僕がもっとも洗練された菓子を提供できる人間になる訳だ

 何というインチキ


 そして子どもは甘い物に弱い

 どうしようもなく弱い

 そもそもストレスを紛らわす娯楽に乏しい時代

 そして奴隷という最下層の身分である

 そこへ王侯ですら口に出来るかどうかという贅沢なお菓子を与えればどうなるか? 


 当然夢中になる


「今日は……そうだな、プリンなんてどうだろう」


「……どんなたべもの、なの?」


「簡単に言うと、卵と牛乳と砂糖を混ぜて、ゆっくり蒸し固めたお菓子だよ

 とろっとしてて、甘くて、滑らかで――初めて食べたらきっと驚くと思うよ」


 彼女の表情は動かないがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた


 素直な子だ


 人を忠実にするには、刃物を突きつけるよりも胃袋を握った方が手っ取り早い

 併せて舌も満足させられたら言うこと無しである


 ……が、それでもまだ足りない

 もっともっと僕に依存させ

 逆らうということを考えさせないようにきっちりと躾けていかなければならない

 歴史を紐解けば、命を救っても恐怖で縛っても欲望を満たしても愛を捧げても、なおも裏切った人間は幾らでもいるのだから


 僕は死にたくない


 死ぬなんて経験は、一度きりで十分だ


 僕は苦しみたくない


 僕は、生き続けたい


 世界が滅ぼうと、大陸が沈もうと、僕が消えるくらいならすべてを犠牲にしても構わない


 命を刻み、知識を積み上げ、魂を縛り、どんな禁忌をも受け入れて


 ――僕は、生にしがみつく


 その為にも、この得難い手駒には、何があっても絶対に裏切られないようにしなくてはいけないのだ

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