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03

 帝都フェルメンティアの外れ、陰気な石畳の広場


 そこは濁った空気とかすかに漂う血と汗と糞尿の臭いが入り混じる場所だった

 市の端に追いやられたその一角は陽の光さえ差し込みにくい位置にあり

 無数の視線と値札のぶら下がった人間たちが無言で立ち尽くしている


 人ではなく“物”として並べられたその姿は絵画のように静かで

 だがそれゆえに不気味な迫力があった

 叫ぶ者もいない

 泣く声もない

 声を出すことすら許されていないのだろう


 何より印象的だったのは、空気そのものが“諦め”に染まっていたことだ

 生きる気力を失った目が並び、時折視線だけがかすかに動く

 まるで、自分の身がいくらで売れるのか、他人事のように観察しているかのように


 この年で奴隷市に来る子どもは珍しいのだろう

 貴族の衣服を着た僕に向けられる視線には好奇と嘲り、そしてわずかな敵意が混じっていた

 だが、僕はその全てを無視した

 そこは、商品として扱われる命が値札と共に並ぶ市場


 胸の内には冷静さと、そして期待が入り混じっていた

 新たな素材、新たな知識、新たな突破口――

 この場所には、僕の生存のために必要な“何か”があるはずだった


 いくつかの視線が、貴族の衣服を纏った子ども――僕に注がれた

 この年で奴隷を買いに来るのは、確かに異例かもしれない

 だが僕には関係ない


「……年齢の近い奴隷、魔力の素養があるとなお良い」


 同行していた従者、ロジックにそう伝える

 彼は父の命令で僕を護衛しなおかつ監視する役目を帯びた老練な男だった

 彼は黙って頷き、売り場を案内した


 魔力の感知は既にできる

 魔力の感知に集中しながら、僕は一人一人を見ていく。


 瘦せ細った少年。皮膚に病斑のある中年女や目に虚無を宿す老人

 どれも使うには不安が残る

 見込みがあっても修復にかかる時間とコストが割に合わない


 時折かすかに魔力の残滓が漂ってくる者もいた

 だが質が悪かったり偏りが強く回路も潰れている

 これでは術式の土台にもならない


「……不作、か」


 つぶやきかけた、そのときだった


 視界の端、群れの最後尾

 ――薄暗い隅に、ひときわ異質な“気配”を感じた


 振り向くとそこには、一人の少女がうずくまっていた


 ボロを纏い、血と汚物にまみれ、顔は腫れ、肉がただれている

 目だけが――その緑色の目だけが、ぼんやりと開いていた


「……あれだ」


 あの瞳の奥に、わずかに反応があった

 そして、確かに――練られた魔力の流れを感じた


 ただの感応ではない

 術式を知っていた者特有の整った回路構造。

 まともな教育を受けた痕跡だ


「これは、拾い物……」


 明らかに「売れ残り」だ。

 だが僕の魔力感知ははっきりと反応していた

 こんな状態でも彼女の中にある魔力の密度は並ではない

 値札に視線を落とし、僕は眉をひそめた

 相応の金額だが安い


 状態から判断して誰もが死にかけの“ゴミ”とみなしているのだろう


 僕の内心に、ぞくりとした興奮が走った


 これは賭けだ

 生き延びさせられれば――極上の素材になる


 予算ぎりぎり

 だが、この品質の魔力を持つ存在が、偶然この価格で手に入る機会は、二度とない


 彼女が死ねば、投資は無駄になる

 けれど、生き残れば――


 それは僕にとって、研究の突破口になる


 選択を迫られていた

 リスクと可能性

 心の中で天秤が揺れる


 それでも、答えは決まっていた

「……使える」


 つぶやいた僕に、背後から声が飛んだ


「お坊っちゃま本気でこちらの子をお求めになるおつもりですか? 

 ご当主様にお咎めを受けかねませんよ」


 護衛兼従者のロジックが声を潜めて警告してくる


「大丈夫生きてさえいれば、再利用できる可能性はある

 素材としての価値は十分だ」


「こちらは……商品というより

 廃棄寸前の寄せ集めにございます

 すでに腐敗が進んでいるかと」


「それでも、僕には必要だ」


 僕は断言する

 過去に何度も素材不足で研究が中断し見込みのある素材を逃した苦い記憶がある

 たとえそれが腐りかけの少女でも可能性がゼロでない限り試してみる価値はある


 あとは命の火が消えないうちに連れて帰るだけだ

 この少女が僕の“研究”の突破口になる可能性があるのなら

 彼女の魔力は微弱ながらも精緻で練度が高い

 もし適切な施術と訓練を施せば極めて高い精度で魔術回路の再構築や魔力変換の応用実験に耐えうる素体になり得る


 ――僕はためらわない

「この子を、買う」


「……本気でございますか?」


 ロジックが珍しく言葉を返した

 彼の目には疑念とわずかな警告の色が混じっていた


「旦那様がこの様子をご覧になったら、何と仰るか……」


「関係ない、僕が決めた」


「しかし、まるで骨と皮だけの死人を買うようなもの予算ぎりぎりの金を投じて、即死されては――」


「死なせるつもりはない

 まだ使えるかもしれない命を、無駄にする理由はないだろう?

 こいつが生き延びるかどうかは、僕の腕次第だ

 仮に駄目なら、死体もそれなりに再利用するだけだ」


 ロジックはしばし無言で僕を見つめた後、静かにため息をついた


「……かしこまりました

 では、責任は坊っちゃんが全てお持ちになるということで」


「当然だよ」


 僕は少女の値札を手に取り、売り手に歩み寄っていった


 少女の顔を覗きこむ

「……名前は?」


 彼女は口を動かした。けれど声にはならなかった


「……答えられるようになったら、教えてくれ

 まずは、その口が使いものになる程度に回復してもらわないとね」


 その日


 僕、ノエル・エラディンは、彼女――イリナを手に入れた


 顔が腫れ、傷だらけで身体には無数の痣と裂傷があった

 年端もいかないその少女が、どうしてここまで酷い仕打ちを受けたのか


 おそらく、売られる前の“持ち主”が価値を分かっていなかったのだ

 魔力のある子どもそれもまだ磨かれる余地のある原石

 それを“玩具”としか思わなかった愚か者によって

 彼女はただの廃棄寸前の「商品」となった


 買う価値はあるのか?

 命を繋げる保証はない

 死ねば全ては無駄になる


 だが、もしも――生き延びて、僕の手で再錬されるなら


 それは、僕の研究にとって、飛躍の鍵になる


 感情ではなく、理性の計算

 僕は救いたいわけじゃない

 ただ、使えるかどうか

 それだけだ

 それでも胸の奥にかすかに疼く何かがあった

 それが同情なのか

 あるいは同類を見たような感覚なのか

 僕にはまだわからなかった


 それがこの後、どんな意味を持つのかも知らずに



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