500年死なない呪いを受けた聖女の、最後の恋
人の体が五百年も朽ちないまま生きることを、一体誰が望むだろうか。
あの日、私は魔王を倒した。
命を燃やし、魂を削って、私は世界を救った。
大地は震え、空はまばゆい光に満ちて。
けれどその光の中で、魔王は最期に笑った。
「聖女よ、生き続けよ。五百年、生きて、死を望め。愛する者すべてを見送り、孤独の果てに絶望せよ」
それが、私に与えられた〝呪い〟。
私は、死ぬことができなくなった。
最初の百年、私は讃えられていた。
十七のまま老いぬ私を、人々は奇跡だと崇めた。
聖女リセリア。神の祝福を受けし、不死の巫女。
そう呼ばれて、私は神殿に祀られ、祈りの中心にいた。
神の祝福? 笑ってしまう。
これは魔王が私に刻んだ、呪いだっていうのに。
皆が笑って手を伸ばすのが、滑稽で。
私はただ、貼り付けた笑顔で返した。
時は残酷だった。
人々は老い、死んでいった。
共に魔王を討った仲間たちも。
兄のように慕った剣士も。
静かに導いてくれた姉巫女も。
誰ひとり、私と同じ速さでは生きられなかった。
私だけが変わらず、やがて噂が生まれた。
「死なない聖女は、神に逆らった罰を受けている」
「彼女は本当に人間なのか?」
次第に、人々の瞳が変わった。
崇拝は畏れへ、畏れは疑いへ、疑いは恐怖へと変わっていった。
私は都を離れ、ただ旅をするようになった。
人を癒し、祈りを捧げ、それでも誰にも正体を明かさなかった。
けれど、そんな日々の中にも、愛は訪れた。
ある小さな村で出会った人。
静かに想い合い、やがて心を重ねた。幸せな、幸せすぎる日々を。
彼は老い、私だけが変わらなかった。
白髪となり、杖をつき、やがて寝たきりになった彼は、最期にこう言ってくれた。
「ありがとう、リセリア……僕の時間を、君が愛してくれて」
彼はそうして眠りにつき。
私はその言葉を胸に、泣きながら村を出た。
彼以外に、私をまるごと受け入れてくれる人はいなかったから。
——二百年目。
また、愛を重ねた人がいた。
けれどその人は、私が歳を取らないことを、恐れた。
化け物を見るような目で、私を見つめ。
私は何も言えず、風のように村を去った。
もう二度と、人を好きになんてならない。
置いていかれる苦しみも、バケモノと呼ばれる痛みも、もうたくさんだ。
それなら、最初からひとりでいた方がいい。
心の底では、まだ愛を欲しながら。
それでも私は、決めた。
傷つくのは、もう嫌だったから。
それから数百年。
ほとんどの時を孤独で塗りつぶしながら、私は各地をさまよった。
そろそろ、五百年だろうか。
もう、自分がどれだけ生きたのかも……よくわからない。
壊れない身体。
飢えても渇いても死ねず、どこまでもただ生き続けてしまう。
孤独には、けっして慣れることができなかった。
ずっとずっと寂しくて。
けれど同じ町にはいられなくて。
「早く死にたい……お願い、もう──許して……」
誰に向けての言葉なのか、自分でもわからない。
けれど、口をついて出たそれを、私は止められなかった。
山奥で、土の上に身を投げ出す。
このまま植物に還れたらと思いながら、それも叶わぬ夢だと知っていた。
それでも、動く気力はもう残っていなかった。
──その時。
「大丈夫ですか!?」
どこか明るい声がして、誰かが駆け寄ってくる。
私を抱き起こしたのは、若い男。
人懐こい目で、私を覗き込んでいた。
「水を」
短くそう告げると、彼は迷わず水筒を差し出し、私の唇を潤した。
そして、私を背負い、ふもとの町へと運んでいく。
見返りも疑いもなく、まるで当たり前のように。
どこか懐かしいその瞳に、私は吸い込まれる。
「……ありがとう」
久々に触れた人のあたたかさに、お礼を言わずにはいられなかった。
彼は「よかった」と微笑みを向けてくれる。
こんな風に人の笑顔をまともに見たのは、どれだけぶりだっただろう。
「僕はカイ。あなたの名前、聞いてもいいですか?」
その問いに、私は一瞬だけ迷ってから、小さく名を告げた。
「……リセリア」
「リセリアさん。綺麗な名前ですね」
それきり、彼は深く詮索することもなく、ただ私を〝困っている人〟として扱った。
それが、ひどく懐かしくて、胸に沁みて。
まるで──遠い昔に出会った誰かのようで。
気づけば、私はその優しさに甘えていた。
小さな家で、二人だけの慎ましい暮らしが始まった。
カイといるとどうしてこんなに心地いいのか、わからない。
私は自然と、彼の手助けをするようになった。
家事を分担し、ときに薬草を摘みに連れ立って出かける。長い旅のなかで身につけた手仕事も、誰かのために使うのはずいぶん久しぶりだった。
カイはいつも、私のすぐそばにいた。
けれど、決して距離を詰めすぎることはなく、かといって離れすぎずに。心地よい間合いを、無意識で保ってくれる人だった。
ある夕暮れのこと。
茜色に染まった空の下、私たちは庭に面した木のベンチに並んで、腰を下ろしていた。庭の影がゆっくりと長く伸びていく。
風がふいに頬を撫で、私は思わず肩をすくめる。その瞬間、カイはそっと立ち上がった。何も言わず、ほんの一拍だけ風に目を細めてから──自分の上着を、私の肩にかけた。
「……そんなこと、しなくてもいいのに」
「でも、してあげたいんです。理由、いりますか?」
その言葉に顔を上げる。カイの瞳が、まっすぐ私を見つめていた。
「……あなたって、たまにずるいわ」
「はは。そうかもしれません」
くすりと笑ったカイの目が優しくて。
私は赤い夕日を浴びながら、視線を落とした。
胸の奥が、静かに揺れる。
忘れたはずの何かが、蘇るように。
……もう二度と、人を愛したりしない。そう誓ったはずだったのに。
カイと過ごす穏やかな日々が、私の固く閉ざした心を、ゆっくりと溶かしていった。
季節が巡る頃には、私はもう、はっきりと自覚していた。
──この人を、好きになっている。
幾度となく失ってきた温もり。もう望むまいと、痛みから逃げるように生きてきたのに。
それでも私は、また人を──カイを、愛してしまった。
けれど、その愛の先に待つものも、同時に知っていた。
この恋には、終わりしかないということを。
私は変わらない。
でも、彼はいつか老い、やがてこの世を去る。
その運命から逃れられないことを、私は知っている。
それでも、彼と過ごすこの時間が、たまらなく愛おしかった。
終わりが約束されていても、この幸せを捨てたくないと思ってしまった──それが、なにより恐ろしいのに。
季節を幾度か巡ったある日、私はひとつの決意を固めた。
これ以上黙っていても、老いない私を見れば、カイはきっと不信を抱く。
そうなるより先に、ちゃんと自分の口で真実を話そう、と。
夜の空気はひんやりと静まり、草が風に揺れる音が遠くから聞こえてきた。小さな焚き火のそば、私はカイと肩を並べて座っていた。
沈黙が続く。緊張で汗ばむ。
息を深く吸い、少しだけその思いを整理しながら、ゆっくりと口を開いた。
「昔の話……聞いてくれる?」
十七歳にしか見えない私の、遠い遠い昔話。
今まで過去のことを話そうとしなかった私の言葉に、カイは少し驚きながらも頷いた。
「もちろん。リセリアがいいなら、話して欲しい」
真摯な彼に向かって、私もまた、正直に言葉を紡いだ。
「……私、ね。魔王を倒したとき、呪いを受けたの」
カイの肩がわずかに揺れ、目の前の焚き火がぱちぱちと音を立てる。その音の中、私は言葉を続ける。
「呪いは、私の〝終わり〟を奪った。私は……老いることも、死ぬこともできない。あの戦いのあと、何百年も、ずっと、生き続けてきた」
風が火を揺らし、ぱち、と小さく薪が弾ける。
「愛した人たちは、みんな私より先にいなくなった。だからもう、誰も愛さないと決めて……心を閉ざして、生きてきたのに」
私はカイの顔を見られなかった。ただ、手が震えて止まらない。
「……でも、あなたに出会って、あなたと過ごす時間があまりに幸せで……怖くなった。また大切な人を失うと思うと……」
恐怖が、私を包んでいく。
「ごめんなさい……。本当は、最初から言うべきだったのに……でも、嫌われるのが怖かったの。拒まれるのが、怖くて……!」
その時、カイの手がそっと私の手を取った。ぬくもりに満ちた、力強い手。私の震える指先を、そっと包み込んでくれる。
「リセリア……」
カイの声は、いつもより落ち着いていて、どこか柔らかい。その響きに、私はゆっくりと顔を上げた。
そこには、真剣な眼差しで私を見つめる、彼の姿。
「君がどんな過去を持っていても、どんな呪いを背負っていても、僕には関係ないよ」
カイの声は穏やかで、どこか切なさも含んでいた。そのあたたかさに、思わず胸が震える。
「君が生きるその時間を、僕も一緒に過ごしたい。ただ、それだけだ」
私の中で何かがほどけるように、涙が零れた。
「……カイ、あなたは……」
「僕は、君を愛している。誰よりも大切な、愛しい人だ」
カイの目は、真っ直ぐに私を見つめていた。その瞳が、私の心の奥底にまで届くようで、息を呑む。
「でも、私は……」
「どうなってしまうのか、怖いんだろう。僕だって、怖い」
彼の偽りのない本心。それでもカイは、恐れを振り払うように言葉を続ける。
「でも、君を一人にしたくない。リセリアの過去も未来も、すべて受け入れるよ。どんな未来が待っていても……僕は君を、愛してる」
その言葉が私の胸に深く届き、波紋のように広がっていく。心の内が、やさしい光と切なさで満たされていく。
何百年もの孤独が、少しずつ溶けていくようだった。
「……カイ」
カイの手がそっと、私の頬に触れた。まるで壊れものに触れるような、優しい仕草で。
けれど悲しい目で、彼は言った。
「君が背負っている呪いを、解く方法はないのか?」
カイの疑問に、私は魔王の言葉を思い出す。
── 聖女よ、生き続けよ。五百年、生きて、死を望め。愛する者すべてを見送り、孤独の果てに絶望せよ──
「五百年……魔王はそう言ったわ。五百年で、おそらく呪いは解ける……」
「今は、何年?」
その問いには、答えられなかった。
悠久にすら感じる時を生きてきて、残りがあと何年なのか、覚えていない。
「わからない……」
カイの手が私の頬を包み込み、私の目をじっと見つめる。
「リセリア、僕は君を愛していることを後悔なんてしないよ。未来は誰にもわからないけれど、それでも僕は君と一緒にいたい」
その言葉に、私は涙をこらえられなかった。嬉しさと切なさが胸の中で交錯して、堪えきれずに涙が溢れる。
「僕と、結婚してください」
その言葉が、私の心をやさしく包み込む。
胸の奥に、あたたかい光が差し込むようだった。
呪いが終わらなくても。
これからの人生に痛みがあったとしても。
それでも私は、この手を取って生きていきたい。
だから私は──頷いた。
それが、求婚してくれた彼への、たった一つの答え。
カイは、泣きそうな顔で笑った。
その笑顔に、私は息を呑む。
ああ、私はこの人に、生きることを教えてもらったんだ。
たったひとつの返事で、カイはこんなにも喜んでくれる。
「君がこれまで背負ってきた孤独も、涙も、痛みも……全部、俺に預けてほしい」
その言葉に、私は泣いた。
数百年ぶりに、声をあげて泣いた。
誰にも言えなかった孤独を、誰かが抱きとめてくれる日が来るなんて──
想像すら、できなかったから。
孤独はもう、ひとりで抱えなくていい。
この手を、もう二度と離さないと誓ってくれる人が、ここにいる。
──彼を愛して、本当によかった。
──五十年後。
ある朝、私は静かに息を呑んだ。
長い間、体の奥底に巣くっていたあの冷たい気配が──かすかに、消えかけていることに気づいて。
「……私、死ねるかもしれない」
ぽつりとこぼれた言葉に、カイはすぐに反応しなかった。
ただ静かに私の隣に腰を下ろし、ゆっくりと私の手を取る。
「それは、君がちゃんと生きてきたからだよ。どんな苦しみの中でも、リセリアは歩き続けた。……ようやく君の旅が終わって、戻ってきたんだ」
微笑みながら、カイはその手をそっと私の髪へ滑らせた。
五十年経っても十七歳のままの私を、優しく見つめて。
だけど、涙を滲ませながら。
「おかえり、リセリア」
その一言で、私の胸はいっぱいになる。
張りつめていた糸が切れて、代わりにあたたかいものがあふれた。
私はどれだけ、この『ただいま』の瞬間を待ち望んでいただろう。
そのあたたかさに包まれて、ふと、眠気が差してくる。
柔らかな、春の陽だまりのような、静かな眠り。
──でも、ダメ。
このままじゃ、伝えられない。
私は、ちゃんと伝えなきゃいけない。
愛されただけじゃない。私も、愛していたと──この人に、生涯をかけて、心から愛していたことを。
体に力が入らない。声が、うまく出ない。
それでも──私は唇を震わせ、しぼり出した。
「……愛してる……カイ……」
それだけだった。
でも、それだけでよかった。
ずっと膨らみ続けた想いが、たった一言に全部、全部入っていた。
カイの瞳が潤むのを見て、私はそっと目を閉じた。
あたたかい手のぬくもりに、包まれながら。
魔王の呪いは──ついに、終わった。
けれど。
それは呪いではなかったのかもしれない。
彼と出会うために必要な、奇跡の時間だったのかもしれない。
そう、思えて。
私の心は、ふっと軽くなった気がした。
生まれてきて、よかった。
あなたに出会えた、喜びがあったから。
夢のような時間。
夢のような暮らしを、カイとできたこと。
それは、五百年の間にあったつらい出来事を、帳消しにしてなお余りあるほどの、かけがえのない時間だった。
本当にありがとう……
私を見つけてくれて、ありがとう──
あたたかな光に包まれて、私はそっと最期の息を吐いた。
静かに、静かに──終わりが訪れるのを感じながら。
長い旅の終わり。
愛に抱かれて──私は、ようやく、眠った。
***
春の丘に、一本の花が咲いている。
手作りの、小さな墓標。
人は知らない。
その墓が、五百年もの時を歩き続けた聖女の、静かな終着点であることを。
でも、僕だけは知っている。
その場所に眠るのが、魔王を討ち世界に平和をもたらした、心優しきリセリアだということを。
僕は毎年その花に祈りを捧げる。
白髪を風に揺らし、空を見上げて、彼女に語りかける。
「リセリア。今世は、僕が見送るって……決めていたんだよ」
過ぎ去った歳月のすべてが、まるで昨日のことのように胸に蘇る。
あの声も、あの笑顔も、すべて、僕の中に今も息づいている。
「君が僕の時間を愛してくれたから……今度は、僕が君の時間を愛したんだ」
どれだけ時が過ぎても変わらぬ、リセリアを。
僕は昔から愛していたから。
──今度こそ、同じ時を生きよう。
どんな試練も、君と一緒に。
やがて花が散り、風が静かに吹き抜けるその時、僕は空に向かって、そっと呟いた。
「来世で会えるよ。次は名も知らぬ君に、僕が真っ先に声をかける」
君がどこに生まれても。
どんな時代にいても。
いつか必ず、君のそばに行こう。
今度こそ、共に老いていこう。
そして──同じ空の下で、また手をつなごう。
だから待っていて。
必ず、君を見つけ出すから──
目を閉じると涙がこぼれ、満ち足りた気持ちが静かに広がっていく。
もう一度、君と生きる。──その未来を、信じて。
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