1.よくある追放
私が異世界転生していると気付いたのは、お酒をかけられた瞬間だった。
お酒をかけられたと言っても、かけられたのは私ではない。自分がかけられていたら、そんなに冷静でいられないって。
お酒をかけられたのは、私の知り合いの冒険者だ。私がギルドの受付嬢として働き始めてすぐに、彼もまた冒険者としての活動を始めた。歳が近かったこともあって、私と彼はよく話すようになった。知り合いというか、友人と言っても良い間柄だと思う。
ギルドの受付嬢として働く、今の私の名前はリン。
前世の私の名前も凛。
名前が同じように、リンと凛の性格はほぼ同じだ。異世界に転生しても、性格は変わらなかったらしい。だから前世を思い出したとしても、ふと忘れ物を思い出したぐらいの感覚だった。
異世界転生といえば、ネット小説でよくある展開だ。普通ならここで私の前世の話をするのだろうけれど、私はそういう前世の話にあまり興味が無い派だった。だから私の前世の事は深く語らないでおく。面白い話も特にないし。
アニメ化されたこともあるネット小説の世界が、今の私が生きる世界だった。たしかタイトルは『追放された何たらかんたらは、何たらかんたら』だったと思う。
…………どれもこれも長くて似たようなタイトルをしているせいで、覚えられなかったのは私のせいではないと言いたい。というかこの作品の場合は、本来のタイトルよりも、視聴者が勝手につけた通称の方が絶大に有名だった。
人呼んで『ダイナミック追放』、もはやある意味伝説となった、とあるアニメにちなんで付けられた通称だ。
ネット小説の追放モノには、いくつかのお約束がある。
無能だと理不尽にパーティを追放された主人公は、新しい環境で適正な評価を受けてあっという間に成り上がっていく。過去の仲間に苛烈なざまあを挟みつつ、いつのまにか主人公の周囲には美少女、美女ハーレムが形成されている。
お約束を踏まえた上でどうやって作品の個性を出すかは、作者の腕の見せ所だ。『ダイナミック追放』は似たような作品を差し置いてかなりの知名度を誇っていたが、それは作者の腕によるものではなかった。
何か特徴を思い出そうとしても全く思い出せないし、ストーリー、キャラ名も曖昧。そもそもタイトルがあやふやだ。
こんな状態で一体何が、人々に絶大なインパクトを残したのか。
この『ダイナミック追放』はタイトル、ストーリー、キャラの名前その他何もかも全てが霞むぐらいに、はちゃめちゃに作画崩壊していた。
お酒をかけられた主人公くん達に話を戻そう。いつもクエスト受注をしているし、友人だから主人公くんの名前は知っているけれど、今回は主人公くん呼びで通そうと思う。
冒険者ギルド支部には食堂兼酒場が必ず併設されている。冒険者パーティに話し合いの場を提供し、ついでに飲食でお金を落としていってもらおうという算段だ。
私がクエスト管理業務をしているカウンターからは、その食堂兼酒場の様子がよく見える。部屋の中央付近にあるテーブルで、クエストから帰還した主人公くんが所属するパーティは、険悪なムードで会話をしていた。ついさっき私がクエスト完了の報告を受けた時から、パーティ内には不穏な空気が流れていた。
主人公くん達のパーティは、幼馴染同士で結成されたパーティだ。主人公くんはパーティ内で雑用を担当して、様々な役割をこなしていた。主人公くんがいるからパーティが成り立っているのは、お約束だし実際にもそうだった。
主人公くんの献身のおかげで強さを手に入れたのに、クズリーダーとクズ達は状況を正しく認識せず、主人公くんを無能だと蔑んでいる。主人公くんをクビにすれば更に強くなれると思い込んでいて、真逆に弱体化することになるなんて夢にも思っていない。
クズリーダーにパーティからの追放を言い渡され、主人公くんは考え直すように頼み込む。そんな必死な主人公くんを嘲笑って、クズリーダーは頭からジョッキ一杯のお酒をかけた。
遠くて声までは聞こえないが、流れはだいたい合っているだろう。ありきたりなパーティ追放の瞬間だ。
今の私から見ると、なんともおかしな状況でもあるが。
主人公くん達が囲むのは、中華料理店にある円卓を思わせる巨大すぎるテーブル。
対面の位置で、イスに座ったままの主人公くんとクズリーダー。
わざわざ主人公くんの頭の真上からかけられたお酒。
これらの要素が合わさると何が起きるのか。
クズリーダーの腕が伸びるのだ。
大事なことだからもう一度。クズリーダーの腕が伸びるのだ!
格ゲーの、腕が伸びちゃう、あいつかな。ははは、無駄に五七五にしてしまった。
『これ絶対腕伸びてるよね?』
問題シーンを集めたまとめ動画につけられていた、どこかの誰かのこのコメントが懐かしい。うん、本当に伸びていたね。クズリーダーは腕が伸びるよう特殊能力持ちではないので、念のため。
アニメで描写された要素を踏まえて、どうにか整合性を取ろうとした結果、クズリーダーの腕が伸びてしまったのだろう。おかげで幸か不幸か、私の前世の記憶が蘇ってしまったと。
そもそもはテーブルが大きすぎたのが、全ての原因だ。だがテーブルには何も起きずにクズリーダーの腕が伸びたのは、テーブルの大きさがいちいち変わるよりも、周囲への影響が少ないからだろうか。
クズリーダーの腕が伸びた以外にも、おかしなことは起きていた。
ジョッキ一杯のお酒をかけられただけで、主人公くんは全身びしょ濡れ、ズボンの裾までしっかり濡れている。主人公くんがそんなに濡れている割に、床、テーブルには水気は一滴もなく乾いたままだ。
そんなわけなくない? としか言いようがない。あとジョッキに入っていた氷はどこに消えた?
私が度肝を抜かれている間に、クズリーダーの腕は元に戻っていた。先ほどの出来事が幻だったかのように、何事もなく話が進む。
微動だにせず、口だけ動かして何やら話す主人公くんとクズリーダー。主人公くんとクズリーダー以外のパーティメンバーも微動だにしていない。言うまでもなく、がっつり作画を節約されている。
また会話の合間合間に、妙に無言の時間が二度三度と流れているようだ。
……まさか、これは回想の時間……!? そうだ、思い出した。
このアニメは第一話目から、回想を使っての尺稼ぎをしていた。回想を使っての尺稼ぎは常套手段ではあるが、まさかの一話目から。一話目から尺稼ぎとは、今後の作画は大丈夫かといらない不安に襲われる。
いや何も大丈夫でなかったから、『ダイナミック追放』だなんて呼ばれるのだ。今後も約束された作画崩壊祭りだ。
再びクズリーダーの腕が伸びて、主人公くんの胸ぐらを掴んだ。胸ぐらを掴まれた主人公くんは、あんなにびしょ濡れだったはずが、もうすでにからっと乾いている。早い、早すぎる。実は胸ぐらを掴まれるどころか、一回目の回想開けには乾いていた。
主人公くんがこんなに早く乾いたのは、主人公くんの秘められた特殊能力とかそういうのではないので、あしからず。
誰がとは言わないけれど、主人公くんが濡れたことを即行で忘れたんだろうね。仕方ないね。
クズリーダーは続けて間近で凄もうと、主人公くんの顔に顔を近づけた。腕が伸びている状態で顔を近づけたのだから、当然首も伸びる。
ろくろ首かよ。この世界に妖怪はいないって。
この場面は二人の謎の赤面描写も相まって、詫びBLとか言われていた。誰への何の詫びだ。そういう層は、このアニメ見ないからね。
その後二、三言やり取りしてから、主人公くんは力いっぱい床に叩きつけられてしまった。
こういうシーンはアニメで見ているとしょせん他人事だし、後の逆転が約束されているから、まだ見ていられる。でもたとえ後々のざまあが約束されているとしても、友人がこういう目に合っているのを見るのは、とても胸糞が悪い。
起き上がろうとした主人公くんと、一瞬目があった気がした。
ごめんなさい、主人公くん。所詮ギルドの受付嬢でしかない私は、見ているだけで何もできはしない。
立ち上がった主人公くんは居ても立ってもいられず、ギルドから出ようと走り出した。全力疾走減速無しであわや玄関のドアにぶつかると思いきや、ドアをすり抜ける主人公くん。
これは主人公くんの秘められた力とかそういうことではなく、ドアを開けるカットが省略されて、場面転換で対応した結果だ。場面転換のタイミングを調節してくれれば、こうはならなかったんじゃないかと思う。
そこそこ名の知れた冒険者パーティの内輪揉めに対して、多少のざわつきは起こっても、連続して起こった作画崩壊由来の奇妙な出来事に関しては、誰も驚いた様子がなかった。
たとえ伸びるはずがないクズリーダーの腕や首が伸びようが。たとえびしょびしょに濡れていた主人公くんの服が一瞬で乾こうが。たとえ主人公くんがドアをすり抜けて外に出ようが。たとえ全てのテーブルの上の料理が、山盛りの唐揚げオンリーになっていようが。
唐揚げなら茶色い塊を描いておけば済むからだろうか? おっちゃん冒険者達はこの後胃もたれで大変なことになりそうだ。
明らかにおかしな出来事がいくつも起きているのに、おかしいと感じているのはきっと私だけだ。他の人は誰もおかしいと認識できていない。前世の記憶を思い出さなかったら、私も他の人と同じだったのかもしれない。
転生先は作画崩壊世界でしたってね。これからの私の人生は前途多難そうだ。