009 光
窓からの光を背に、ダイアンさんは余裕のなさそうな顔をしている。その顔のまま机の上で祈るように手を組んだ。
ダイアンさんの口が動く。
「娘が拉致された。助けてほしい」
あまりの事に、言葉を失った。
――え、待って。それで一週間ほどコースルトさんを優先した?
「なんでだよ。なんでコースルトさんを優先したんだ! 誰かを頼れなかったの? 警察は!」
「警察は頼れない!」
「ケータイは! ケータイは使えないの? 僕の位置と心拍を把握したあの――」
「あれは現在の姿に直結している。今娘……ドナというんだが、ドナは別人の姿にさせられているんだよ、だからか探せなかった」
「じゃあそれこそ誰かを頼らないと」
「それが簡単じゃないんだよ」
明らかにダイアンさんも焦っている。彼が首を横に振って、少しだけうつむいた。
「犯人の狙いはあの子のコバルトカードだ」
「コ……コバルトカード?」
「本人のお金を銀行に預けたり引き出したり、預金をレジで使ったり、信用が高ければもっと様々に利用できるカードだ」
「じゃあお金を……それと信用度を狙われたのか」
「ああ。……ちなみにそのカードを今は私が肌身離さず持ってる。犯人が諦めさえしなければ状況はこのまま――だからここに」
スーツの上着の内ポケットから、コバルトブルーのカードがちらりと示された。それが――
でも、何か変だ。
「その。不思議なんだけどさ。えっと……なんで犯人の狙いを知ってるの? なんでコバルトカードを自分で持つっていう対処までできたの? その……なんで状況をそんなに知ってるの? なんで警察に頼れないの? 疑問だらけだよ。僕に言わなかった理由はもういいけど、ちゃんと解るように教えてくださいよ」
ダイアンさんの表情に更に陰りが増した。
「私はテレパシーの礎術も持っている。テレパシーの力を付与する礎術も持っていて、これはお互いの間でだけ行える。そしてドナには、何かあった時のために、私とのテレパシーができるように以前から付与していた」
「……! じゃあそれで」
ダイアンさんが頷いて言う。「話を聞いた」また少しうつむいた。「ただ犯人は複数で、その中に警察バッジを持った者もいるから、それで警察には頼れそうにない」
「……そっか、だから」
――じゃあその上、居場所も見当つかずに今の今まで……
「私からも詳しく聞いた。犯人は四人。一人はハット帽を使う背の高い男。また別の一人は靴下を武器にする太った男。警察バッジの男の武器は判らない、ドナの前では話してないらしい。あともう一人は女だ。その女はドナと姿を交換して、うちに侵入までしてる……! だからドナの部屋でコバルトカードを探すなんて芸当ができてしまってるんだ、だから私が隙を見て――!」
――そうか、だから姿が違って、位置と心拍のあのケータイでも探せなくて――
「それ、ドナさんは危なくないの? 殺されちゃうんじゃ……というか、なんで放っておいてるんだろう、犯人も」
「その女曰く、自分の姿も大事らしい。『手に入れたあとは姿を戻すから変な真似はするな』と言ったようなんだ、だからドナは無事だ。でも、諦められたらどうなるか」
「それで、今もドナさんは――」
「生きてるよ。生きてる。あと数日は殺さないとは言っているが、気が変われば――」
――なるほど。ほぼ合点が行った。
「でもそれで……そもそもなんで僕に」
「それだよ」ダイアンさんは深呼吸をして。「ドナは探し物に印をつけて見付けやすくする礎術を使える。その印をつけるための光が、ドナが監禁されてる場所から飛んだはずなんだ」
――光?……待てよ、印っ?
自分の左の手のひらを見てみた。
黒いマークがある。円を四等分するような四つの矢印。それらが円の中心を示している。縁が一ミリメートルほど白い。
「まさかこれ!」
左手のひらを突き出して聞く。と、ダイアンさんは二、三度頷いた。
「そうだ、それがその印だ」
「なんで僕に」
「自分を救う人がいるなら探したい、見付けたい、誰かに見付けてほしい、そう思ったとテレパシーで聞いた」
「じゃ、じゃあ、これがある僕が助ける……のか。まるで運命が決めたみたいに――」
思い出した。ダイアンさんが前に『運命』と発言していたのを。
「そうだ。ユズト君なら探し出せるんだ。だから――」
ダイアンさんが頷いた。でも。
「ちょっと待って。僕なら探せる? だったら僕自身に何か言ってれば――」
「待つことしかできなかったんだよ。リンクゲートに直通できる許可カードが、なぜかいつの間にかなくなっていて」
――そんな。地球へ行く方法まで……?
「申請しても一週間掛かる。地球に行く許可の申請も数日掛かる。ユズト君がある程度礎術を使えるようになってからでは遅かった。行けるようになってもその頃にはもう君は大会……こっちに来てる。結局は、その頃になるとコースルトさんを優先するしかなかった……!」
――そんな……だからこんなにも何もできずに……? ずっと耐えるしかなかった? そんな……
「で、でも、どうやってそのドナさんの居場所が分かるんですか?」
「その印に礎力を込めるんだ」
やってみると、この左手から白と黒の光の柱が一本ずつ螺旋状に立ち昇った。天井を突き抜けて空まで昇ってそうだ。
「なななな何これ!」
慌てた僕にダイアンさんの声が。
「印の柱だ。今その手から出ているはずのそれは、印を持つ者と対応する術者にしか見えない」
「じゃあ」
「そう、私には見えない。だがユズト君には探せる――というのはそういうことだ」
「そうだったのか」
「そして、その状態ではドナからも同じものが立ち昇っている。ドナが探し物をする際、動けるならドナからこれに近付く。ドナが動けないなら――探される側がこれを知っていて動けるなら――探される側からドナに近付く。どこか広い所で見回して、別の柱を探すんだ」
「なるほど……あとこれ、どうやって消せば」
「もう一度込めればいい。ずっと見えるようにしておいたらもっと疲れるから気を付けてくれ」
「はい」
込めて螺旋を消してみる。と、ダイアンさんがまた。
「私も同行すると言いたいところだが……視察に行く予定が組まれていて無理だ。悔しいが……守るものが多過ぎてな。だから……部下と、あと姉と手を組んでほしい。くそ、次の視察があと数分だ」
ダイアンさんは言いながらスマホみたいなものを胸元から取り出して何度かタップした。そして。
「ベレス、頼まれてくれ、ドナの救出の件だ。これからだ。ああ。ほかに一人連れて執務室へ来てくれ、今すぐ」
一旦顔をそのケータイから離すと、タップを何度かして、また。
「姉さん、ドナの件で――」
……その二人がやって来た。ベレスさんは背が高く、深い茶の短髪でスーツ姿。そして彼が連れてきたのは同じくスーツ姿で赤毛のポニーテールの、ベレスさんよりも小柄な女性。
ダークブラウンの髪の女性もいて、彼女は暖かそうなベージュのダッフルコートみたいなものを着ている。この人がダイアンさんの姉か。
「じゃあ頼んだぞ」とダイアンさんが言うと。
「解りました」ベレスさんが言った。
「了解です」スーツの女性が。
「じゃぁ行きましょう」と僕に言ったのがダイアンさんの姉。
ダイアンさんのお姉さんが僕らの目の前の何もない空間に手をかざすと、そこに、横幅がかなりある姿見みたいなゲートが現れた。その向こうの景色は空。夕方になって赤らんできた空が見える。
「さ、早く」
言われて足を運び、見回す。その間にダイアンさんのお姉さんもゲートを消した。
「ここは」
「屋上よ。うちの近所のね」
「それでどうやって探すんです」
「その前に自己紹介よ。力を互いに知っておかないと。私はタミラ・ゼフロメイカ、ダイアンの姉。礎術は姿見の捻出、念動、大きさ変化、ゲート化」
「私はベレス。ベレス・エイスティー。結束バンドの念動、大きさ変化、硬化」
「私はメイ・トアホック。メイって呼んでね。マッチとマッチ箱の巨大化、念動、硬化ができるよ」
「タミラさんにベレスさんにメイさん、だね。僕はユズト。ユズト・サエキ。僕のは、ビーズの色変更、念動、大きさ変更、ええと、瞬間移動、透明度操作、素材からの……んーと、製造」
「多いわね、頼りになりそう」
言い終わるとタミラさんが僕の肩をパンと叩いた。ついでに――頼りにならないと許さないわよ、とでも思ってそうな顔を見せてきた。
――まぁ当然だよな。精一杯やるよ、ダイアンさんのためにもドナさんのためにも。
「じゃあ見回してみます」
さっきもやったように礎力を込める。そして、その左手を背に回すのに近い姿勢を取って、周囲を見回す。
まだまだ夕方と言うには早過ぎる空に……黒白の螺旋の柱は――
「ないな。この辺じゃない」
「なら移動ね」
タミラさんのゲートで移動する。今度はタワーの上だ。ほぼ天辺。一度下を見ちゃったけど、もう下だけは見ない。
念じる。そして見回す。でも黒白の螺旋の柱は自分の左手から立ち昇るだけ。
「ここでもない」
「じゃあ次」
嫌な予感がしないでもなかった。いつまでこれをやるのかと。日がどんどん落ちていくのが焦燥を駆り立てた。
何度目かの高い所、とある屋上で、見回して左手に念じた時、やっと黒白の螺旋が見えた。空まで立ち昇る。
「見えた! あっち」
――空が暗くなり始めてる。でもまだ黒い螺旋の方が目立つ。暗い時は白光の方が目立つのか。術者や探される存在のためになっていて納得の仕組みだな……
思いながら指で示していた。
そちらを見たメイさんが嘆息を漏らした。
「礎術大戦の爪痕かぁ……」
「……? 何それ」
「戦争の痕跡よ。礎球の国は一つになったけど、意図的にいがみ合った形跡もあって……酷い戦争をしたのよ、しなくてもいい戦争をね。各地で色んなものが犠牲になった。惨状を忘れないために千百年くらい前からずぅっとそのままにされてる、そういう区画。ドナはその奥みたいね」
「そんな所で戦うかもしれない……とんだ皮肉ね、まったく」
と、タミラさんがメイに同調した。
とにかく、その近くへとゲートで向かう。
この一帯に森があって、それを分けるように古いアスファルトっぽい道が一本通っている。
そこから横に分け入った先にある壊れた平屋の上から眺めて、螺旋を確認した――ら、どこから立ち昇っているかが解った、道をもう少し行った先の建物からだ。
更に近くまでタミラさんのゲートで移動。慎重に近付く。
そして草陰から見やる。
屋根が壊れて落ちている――というのが、斜め前の草地から見上げても解った。その屋根の上に、何かの想いがこもってそうな飾りがある。Yに丸が乗ったような形の。
「どういう建物なんですか?」
「これは教会ですね」ベレスが答えた。
「じゃああの飾りは十字架みたいなものか、地球で言う」
「そうですね。恩恵への祈りと感謝、正しく行うという誓い、そんな意味を持つ印、聖なる印と書いて聖印といいます」
「ふぅん…」
――そんな聖印の下で悪行。別の場所ならってことではないけど、気が知れない。
その廃教会から黒白の螺旋が立ち昇っていた。
左手の印に念じていない今は、その光と靄の柱は見えない。ドナさんは何日もここに。そして今も。
と、考えてからふと思った。
――『偽ドナ』を相手に、本物のドナさんと接しているみたいに、演技をし続けなきゃいけなかったんだよな? 勘付かれたら逃げられて二度と娘に会えない。そう思ったのなら……それがどんなに辛い想いか。僕の前で割と笑ってたけど、あれは素を出せる貴重な時間だったから?――どうなんだろ。僕なら切ない。もしそうだったら、それだけ心が砕けてて必死だったってコトだよな……
『救おう、僕らがやるんだ』胸に誓ってすぐやるべきことが浮かんだ。
「あそこの屋根、少し壊れてて上から多分中が見えます。あそこから僕が確認してきます。犯人四人、全員いたら作戦を練ってすぐにでも対処……したいけど、もし三人以下なら、ちょっと嫌だけど待つしかない――ですよね?」
「……そうね」タミラさんが肯いた。「ただ四人がいる時の確認は全員でやるべきよ」
ビーズを目の前に呼び出すと、それを巨大化させて穴の比率を減らした。その足場に乗って上空へ。
まずは屋根付近まで行く。そして屋根が崩れてできた穴――人が数人通れる程度の隙間――から、見やる。
中にいるのは三人。
ハットを被った背の高い男と、携帯ゲーム機で遊んでいるように見える太った男。そして奥で鎖に繋がれた金髪の女性、それがドナさんなんだろう。
草陰に戻って報告。
「全員そろってないので、そろってからまた見ましょう」
僕の発言にメイさんが。「そうね。それに、今助けたら偽者が逃げちゃう……よね」
「そうですね」
ベレスさんがそう言うと、メイさんは頭を抱えた。
「ああもう……ドナを早く助けたい……」
メイさんは首の裏に手を置いて、自分の足を抱えるように座ってしょんぼりしているみたいだ。
そんなメイさんに微笑むみたいな小声で、タミラさんが。
「ホントにね。私も。早く助けたい。ああどうしよう、失敗しそうで、私……! 相手を切り刻んだらどうしよう!」
「……! タミラさん落ち着いて!」
メイさんが冷静になるよう促した。――タミラさんのためにしっかりしないとって感じに見える……
タミラさんはと言うと、メイさんが顔を逸らしたら、これでよしとでも言うみたいに、安心したような顔でメイさんを見た。
――なんだ、そういうことか。
僕も心を落ち着かせる。
それから三十分くらいが過ぎた廃教会前に、ようやく何かが現れた。運転する音と共に。
車だ。
運転席からは黒髪のラフな格好の男が――助手席からはダークブラウンの髪のすらりとした女性が下車した。
――あれが本来のドナさんの姿……偽ドナ……
草陰に隠れた状態から更に背を低くする。
下車した二人は周りに視線をやった。一応警戒しているらしい。誰にも追われていないと思ったのか、扉を開けて廃教会へと入った。
――よし。
すぐさま、さっきのようにビーズを巨大化させ――今度はベレスさん、タミラさん、メイさんと共に――それに乗って屋根付近へと。そして代わる代わる確認する。
また草陰に戻って今度は作戦会議。
「ハットの男は私が」とはベレスさんが。
「じゃあ拘束する時、足と手、お願いします。あ、その時、特に腕を胴とまとめて括れれば一番……ですよね?」
僕がそう言うと、ベレスさんは頷いた。
「ええ、じゃあその方向で」
「私は防御に専念する」メイさんが言う。「ドナを囲んで守るし……バッジの男も囲んで少しでも動きを封じるよ」
「なるほど、いいですね、助かります」
僕が頷くと、メイさんは薄く微笑んだ。そして思慮してるみたいだった、ドナさんのことを。
最後にタミラさんが。
「太っちょは私に任せて。六面の鏡で閉じ込めることもできるから」
「あー……でも、外に隔離してもらいたいんですけど、駄目ですか? やろうとして閉じ込めることができなかった時が怖いと思うんです、それ」
「ああー……そっか」
「それに、その……閉じ込めが維持できなくなった場合……そのあとの相手の余力との差も、怖いし」
「解った、外へ、ね。移動させて隔離する」
「じゃああと僕ですね。僕は……偽ドナが逃げないようにしつつ、中全体の隙を突く。できればバッジの人を。武器破壊とか頑張ってみます」
頷き合った。
そして、タミラさんの姿見が、僕らの頭上でゲートになる。今まさに、廃教会の中央と繋がった――
――正直七、八発いけるかどうか。でも今を逃す訳にもいかない、チャンスがもう来ないかもしれないから……
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――あれは一週間前。
私はただ道を歩いているだけだった。
横の車のドアがスライドして急に出てきた人が、私を抱えて引き込んだ。
抵抗しようとしたら睡眠薬を打たれたのか眠くなって……
目を覚ました時には鎖に繋がれていた。
なぜか自分の髪が金髪。服にも見覚えがなかった。何をさせられるんだという不安はあったけど、なぜか特に何もされなかった。
大きな聖印が後ろに見えた。ここはきっと教会。しかも椅子を壊されたり持ち出されたり屋根が落ちてきたりしていて瓦礫だらけになっている。そんな廃教会。
瓦礫の一部に座って携帯ゲームをしている男が、私を見張っていた。
周りからは鳥の声なんかが聞こえるだけだった。ほかの人の声はなかった。
男がトイレに立った隙に、念じた。
――助けて。私を助ける人……を探したい。どうかそういう人を見付けられたら――
その想いが礎術の白い光となり、壊れた窓の隙間から外へと飛んでいった。
ある時、女と別の男がやってきた。その男の腰には警察のバッジが。私の絶望感はきっとこの時がピークだった。
女を見た時、思った。『私』がなんでそこにいるのかと。
鎖で身動きできなくされてから、きっと奪われたんだ――取り換えられた――私と目の前の女の姿を……!
「ちゃんと無事ね。手は出さないでよ、丁重にね」
「……わぁってる」太った男の気の抜けた返事。
「本当に解ってる? あたしが戻れなくなってたら、アンタら、命がないと思いなさいよ」
「だから解ってるって」太った男がまた。
「連れてくる時は俺の車でだ、次も俺に連絡しろ」警察のバッジの男の発言。
「解ったわ。じゃ、よろしくね。食事もトイレもさせること、いいわね」と女が言うと。
「それも解ってる」太った男が言った。
「油断して逃がしちゃったら、グローブで撃つからね」
「ふん、それも必要ないさ、逃げようとすればこの帽子で止める」ハットを被った男が言った。
夜はランプが光り、その明かりの中で見張られた。
そして今。
彼らの別の日の発言から、州知事の娘としての私のコバルトカードが狙いだということは、今はもう解っている。あれはもうお父さんの手に。
私がテレパシーを付与されて使えることを、彼らは知らない。だから対処できているなんて知らないだろう。きっとお父さんが把握して持っているだなんて彼らは思わない、一生見付けられない。
根気の勝負。
「次で最後よ」私の姿で女が言った。「その時にはもう諦める。その時には別の場所で集合するからそのつもりでね。場所はあとで教える」
「了解~」太った男の声だった。
――あれ?
そんな今。私の目の前に、何やら四角い鏡のようなものが。
いや、これは……特大のゲート。