073 柵と塀
「はーい逃げらんないよー」
普段は容疑者や犯人、使術動物なんかに言うところだったが、今はレイシーへのエサやりの時間だった。
レイシーはすぐに逃げようとする。
天気のいい日は裏庭に設置した広い柵の中にいてもらって、トイレもそこで。ご飯用の皿に葉野菜のお好みセットを置いてレイシーを入れ込み扉を閉めると鍵を掛けた。
ガッシャガッシャと音が鳴るが、逃げられないと解ると、
「きゅぎゅ」
と鳴くだけ。
正直、人に戻してちゃんと人の牢屋にぶち込んでやりたい、せめてもの恩情というか。このままにしないためにリミィさんに聞いたけど、リミィさんの話では、人に戻す方法はあるってコトだった。
変身に関する礎術であればあるいは。
リミィさんが任務に行ってしまってからは、情報屋を頼ることにした。パソコンで確認したけど、あのサイトはまだ運営されているらしい。
スピルウッドのあの場所。大樹公園前のベンチを指定して行ってみた。
線の細いフードの年配女性――と会うのは仲間の四人。僕は、横の通りを挟んだ所にあるファミレスで待った。
フードの女性が現れたのが窓の向こうに見えた。
ややあって紙を四人のうち一人に渡したっぽいフードの女性が、こちらの通りに来てどこかへと行こうとしているようだった。この店の横を通る……そう気付いた時、最初は、『なんでこっちなんだよ、でもまあ……顔を覗き込んでみたいかも』と正直思った。
近付いてきたその顔を見ると、美人がそのまま老けたようで、美しい淑女になっていた。
コハルさんもあんな風になるんだろう――なんて想いながら、手で顔を隠してファミレス内へと目をやった。
――見られてないよな?……見られてない、よし。
もう髪を切っていてあの当時に近くなっている。あの女性にとってはもう十何年も経っている。けど、人の勘は、馬鹿にはできない。絶対に僕の顔は見せない。騒ぎになるのも嫌だし何かで狙われるのも嫌だし……どんな時にも、もしもが怖い。
通り過ぎた女性を後ろから見て、
「何度もありがとう、あの時の人」
小さくそう言って店を出た。
みんなのいるベンチの所に行き、合流してから聞いてみる。
「どうだった?」
「望み通りの能力者は探し出せなかったんだってさ。ただ」
「ただ?」
「人と人の姿を交換できる第三者的な能力を持つ礎術師は見付かったから、それで解決できるようなら……と、この紙を」
そうして向かったのは、メラーリーフ州北部の家だった。
家主は男装した女性。通称リック・リターナー。心の中は男だと言う彼は、短髪で筋肉質で、豪快な笑い方、ジェントルマン的な態度で僕らをリビングへ案内した。
「へえ、本当の姿を取り戻させたかったのか。その上でぶち込みたかった、と」
「ええ、本来の居場所、刑務所にね」
話題のレイシーはというと、このためだけに新しく買った赤いペットボックスに入れて連れて来られていて、今はもう出されていた。
その話を耳にした途端、レイシーは暴れ始めた。が、首輪とリードでベレスが制している。
「行かせませんよ」
「そのコが?」
「ええ」とは僕が。
「じゃあ……ええと……人と動物だとしても、その中身が人間であろうとなかろうと――可能だってことは解ってる。準備するから待ってて」
そして数日後。ホテルへの電話で呼ばれて、彼の家に行くと。
「このタオルを被せて。首輪は外して。しっかり手足を掴んでくれよ」
「オッケー」
僕やレケが手足を押さえ、ベレスが首輪とリードを外すと……彼、リックさんが隣の部屋から「じゃあ入って!」と誰かを呼んだ。
このリビングに入ってきたのは――
虚ろな顔の、生気という生気は一切ない、きちんと食べることのできていないやせ細ったホームレスっぽい女性だった。
「一応は人間だ。レイシーにぴったりのね。ただ、彼女は悪事に手を染めたわけじゃなく、生きられるなら動物の姿でもいい、と」
「……!」
この女性は動物の姿になってしまう。本当にいいのか? 本当にそれで……?
その人のことも人のまま救いたくなった。そのことを話すと――
「解った」リックさんは受け入れてくれた。「じゃあなりたい人を見付けてくる」
彼女、オーヌ・レマさんに少しずつ慣らしながら食事をさせるということ前提でコースルトさんの家へと話を通してみた。それは大丈夫だということで何日か掛けてスピルウッド州シミーズ市空港へ移動し、そこからはゲートで……
送られて優しくされると、オーヌさんは、急に、わっと泣き始めた。
まるでそれまでの全てが吐き出されているみたいに。
アリーさんほか数名が見守る中、その場を去った。
――そして。
再びリックさんの家に戻り、「じゃあ今度こそ」と同じ状況になると、リックさんが今度は、
「じゃあ連れてきて!」
と言った。
声のあとで入ってきたのは、血色のいい女性。彼女の手首を掴んで必死に暴れるのを抑えながら別の男性二人が彼女をリビングへと連れて来た。
「今度こそ大丈夫だろ? 姿が人間に変わったままもう戻れない、そういう元犬だ。元シロツノイヌ。飼い主は犬になって死んだ、判定の礎術師も鑑識もそう言ったらしい。そのくらいならピッタリ。だろ?」
「まあ」ジリアンが応じた。「しっかり愛してあげれば、動物としてなら大人しくなるだろうね」
前日と同じようにレイシーの手足をみんなで押さえると、リックさんがまずレイシーの頭を手で押さえるように触れ、その次に、連れてこられた女性の頭に――その手で触れた。
すると。
フッと二つの姿がすり替わった。
女性を押さえていた男性二人は、抵抗する元シロツノイヌの姿がフジバネクロゲネコに変わると、その手足を追うようにして再び暴れるのを押さえた。
こちらの方では、押さえる腕や脚は長くなり肌もつるつるに。
「放せ! 放せ! くそ!」
「静かにしろレイシー」
あのコは、ギーロとしてというよりは、別の個体として、スピルウッド州庁舎にでも送られればいいだろう、そこでみんなに愛されれば……
――大事なのはこっちだ。
「ありがとうございました。これは礼金です。では」
「どうも」
男らしく受け取ったリックさんに別れを告げスピルウッド州に行くと、警察に届け、そして詳しく確かめてもらった――ら、意外なことが解った。
「――え? それって本当に?」
「ええ。微妙に一致しないんですよ。それでよくよく礎術で鑑定して……どういうことなのかが解りました。レイシーはそもそも八歳の頃からレイシーとして生活していて、元は別人だったんです」
「別人?」レケが聞いた。
「え、じゃあ、本当の名前は……?」
僕がそう聞いて、みんなと顔を見合わせた。そして目の前の男性警官から聞いた。
「本当の名前はエリージャ」
事情を知った。姉レイシーを失ってエリージャという名すら失った……その道を選んだとはいえ、同情の余地はない。彼女は直接何人もの人間を陥れ、利用し、殺し、そして最低一頭の動物をも犠牲にした。エリージャ・ピアーソン。
姿を取り換えて遊んだ姉妹。
幼少の事故でレイシーが死んで、エリージャはレイシーを名乗った。
エリージャではなくレイシーが生き残っていたら――それかエリージャとレイシーの両方が生き残っていたら――どうなっていたんだろうなぁ。
……礎術を失ったエリージャを塀の向こうに送り出した翌日。「五人でレケの家に集まろう」と話した。それは、この五人で話したかったからで。
テーブルを前にしてベレスとジリアンを待ちながら、レケに、救済者を映す鏡についてを聞いてみた。すると。
「救うのが自分自身だったら……もう映ってるワケだ、だから反応しなかったのかもな」
「うーん……そっか……。そうだったのかもなぁ、やっぱり」
そんなレケとケナがいる家に全員集合。
そこで話そうと思ったのは――額に浮かび上がった印のことだった。
ある程度掻い摘んで話すと――
「ほえー、そういうのが……」
自分が鏡越しに見たファンタジーの紋章みたいなものを、本来の見え方でみんなが見ている。とても興味深そうだ。みんな、見たことがなかったらしい。
ベレスの「ふむふむ」のあとで、大狐のイブキが、小型化し、目の前に影を持つ実体へと変化したようだった。
「えっ! き、狐……? じゃあこれが……!」
「いかにも」
イブキはみんなに聞こえる声で話し出したようだった。
「私がその闇石霊獣だ。またの名を闇石霊獣。私の名には漢字も当てられていて、知っている者は闇石霊獣と書いてそう呼ぶ」
「知っている者は――って、誰が知ってるのよ」
みんなが知らなかったことだ。ジリアンが核心を問うと、イブキが頷いて。
「ジオガード上層のごく一部と七民族だ。七民族は古くから代々伝えていて知っているからだが、それ以外では、強い者だけが私たち七霊獣に認められ、この力との契約をし、他言無用として力を利用していく」
「え、あたしたちには話したけど、いいの?」
「構わない。チームなのだろう? そのくらいの融通は利かせるよ」
どういう存在なんだ? という話になると、イブキは一旦、話すことを整理したようだった。
「それを話すためには……この中に知っている者もいて詰まらないかもしれないが……礎球古代の歴史から話すことになる」
ちょうどよかった。僕はまだあまり知らない。ケナもそうかも。
耳を傾けるとまたイブキが。
「礎球にかつて存在した物質、礎根元素。古代人のあいだでは『ソコンゾルム』と呼んだ。それは、古代人の間では、体細胞を蘇らせる試験中の薬として――液体として――人に注入されていた。元はそういうモノだった」
礎根元素というのは聞いたことがあった。確かそれは人に影響を与える。が、礎術を使おうとして散らばった現代の礎力は人に影響を与えない。だから地球で使っても大丈夫だと聞いたはずだ。
その――ソコンゾルムとも呼ぶものが、元は体細胞を蘇らせるために作られたモノだったとは。
「試験段階に何人もの古代人が参加し――そのうち何人かが奇妙な力を使えるようになり、そして煙のように、空気中に跡形もなく消えた。ほどなくして、ソコンゾルムを注射された全ての者がそうなった。いつしか話は体細胞を若返らせることではなく奇妙な力の方に向いてしまった。それを武器として商売に利用しようとする権力者が一部にいたせいだ。そしてソコンゾヘシンという新たな薬に進化した頃、煙状に突然消える者はいなくなった。そして、戦争が起こり、人は滅んだ」
「滅んだ……ッ?」
「そう、礎球から、一度、人間がいなくなったのだ、完全に」
――完全に……? そんな時代があったなんて。
イブキは更に続けた。
「それからまた何十万、何百万、何千万、何億もの年を越え、再び知恵を得た存在の子孫は、人となった。やはり繰り返される。なるべくしてなるのだろう、人というものは。知力、感覚、筋力、繁殖力、それらがそなわり、膨大な知識を蓄えられる種だけが人となる。……そして私たちは……かつての煙から進化した存在だ」
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漂っていた。
空を漂い続けると、いつしか『私たち』は動物や自然に対して影響を及ぼし始めた。
初めは赤子へ。植物に対してなら種や実へ。
繁栄した人々は、力の起源の頃とは違い、安定していた。煙にもならない。
いつでも私たちは透明なまま空をただ漂う。
互いに変化があったからなのか、いつの頃からか、漂うだけで私たちから影響を与えるということはなくなった。
そんな頃、新しきヒトの民族は、霊的な信仰を始めていた。
そんなヒトらの中には、私たちを見ることができる者もいた。
礎術師――かつてはソスブエシと呼ばれていたが――その力が一定を越えると私たちを見ることができる。
ユズトが見ることができるのはそういうことだ。そしてそのくらいでなければ、私たちとの契約はままならない。
ただ、礎球のヒトが原始に立ち戻った頃でも、私たちに決まった形はなかった。
見られることがあるのならと、私たち『漂う意志』は、話し合った。
『決まった姿を持とう』
その頃七つの民族が存在し信仰も七つはあったので、ちょうどいいからと、その偶像の姿に決めた。
それが今で言う、鳥、狐、魚、蜂、リス、女性、蛇だった。
私たちは人々を見守っていて――ただ見ているだけのことがほとんどだったが――お互いに管理下のようにその土地のことを報告し合った。
いつしか姿は変えられなくなり七種に定まった。そして今に至っている。
民族は七つの大陸にそれぞれ住んでいた。
そして民族からあぶれた者や混じった者、民族特有の力を持たぬ者たちによって、だんだんと国が作られるようになっていった。
七民族はある特性を持っていて、そのせいか七民族の礎術は強力であることが多かった。そして、民族の性質から離れ過ぎた者たちからは恐れられた。そして迫害され、古くから権力に囚われた者によって、まともな理由なく軍を嗾けられ、秘境へと潜むようになった。
幾つもの国がある時代もあったが、ある時から七国の時代が続いた。
人々は、戦争で礎球の国が一つだけになっても、全大陸のことを七大陸と呼んだし、大陸で分け七州とした。
その州の名をいつか変えると決定していて、まだ変えていなかった頃――私たちを話題にする際に、私たちを崇めた七民族と同じ呼び方をする者が迫害を受けるのを避けるために、権力者と国王が「別の呼び名を用意しよう」と話し合った。まあ、それで助かるのは、ほとんど、『見える者』だけだったが。
ある時リンクゲートを繋ぎ地球からの文化の流入があり――
それから『私たちの新しい呼称』が決まった。
神木霊獣、闇石霊獣、清川霊獣、花命霊獣、火精霊獣、聖女霊獣、金使霊獣と。
七民族と結び付かないことで、この呼び方における争いや迫害は減った。
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「じゃあ」
「そう、それらから州の名が決まった。……ただ、七民族が私たちを呼ぶ時は違う。彼らは昔から変わらずこう呼ぶ。神木霊獣、闇石霊獣、清川霊獣、花命霊獣、火精霊獣、聖女霊獣、金使霊獣と――」
みんながリビングのテーブル前に集まって、奥の絨毯の上にいるイブキの話を聞いていた。そのテーブルに紙を置いたレケはペンも持ってきていて、教わった名をどう書くのか教えてもらった。
「もう一回お願い」と聞いてペンを受け取り、レケの字に僕がルビを振った。
「でもさ」とケナが話し始めた。「七民族が呼ぶ方の言い方はなんで広まらなかったの? あたしも知らないし、みんな知らないんじゃない?」
見ると、みんながウンウン頷いていた。興味津々な様子。本当に知られていないらしい。そこへイブキの返事。
「本当に知っている者はもう少ないのだ。七民族にもそんなにいない。ほかはジオガード全州全体のうちの数人だけだ」
「ええ……。途絶えちゃう?」
「さすがにそれはないが。ただ、言っても信じぬ証明できぬ、そういう訳で――」
「見えてるのに」
「誰にでも見える訳ではない、見せられるようにしてはいるが、こうして見え、聞こえるのは……ユズトはもちろんだが、お前たち四人も、信じられないほどの礎力を蓄えているからだ」
「……なるほど、そういう……」
更に言ったイブキの発言によると――どこの血が濃いかで七霊獣のどの種類と契約できるかが違うという。
勉強の意味で聞く分には、内容からして切なくもなるし、理解に必死で正直疲れる話だったが、俄然興味が湧き、ワクワクした。
「僕に闇石霊獣が付くのは解る。妹もそうってことだ。レケは? 解るのかな」
するとイブキは言った。
「解るぞ。私には見える。レケ――そちらの大男は清川霊獣だ」
イブキの目がジリアンに向いた。
「そちらの女は金使霊獣」
その目が今度はベレスに。
「そちらの男は神木霊獣」
そしてケナに向くと。
「そちらの子も神木霊獣だ」
それらがまだ見えていないのは、見せようとしていないからだろう。
「よし、この話はもういいとして」
僕がそう言ったのを聞くと、みんながキョロキョロした。
どうしたんだろうと思っているとイブキの声が。
『私を探しているのだ。四人もかなり近付いているとは言え、皆に見えるようにするのは疲れる、あの時ユズトですらギリギリだ。普通にしている分には、当分はユズトにしか見えない』
声もそうなんだろう。「あの狐は?」というジリアンの声。ケナも「もう聞こえなくなった?」と。
その理由を説明すると。
「なるほどなあ。もう少し鍛えてからなのね」
ジリアンがそう言った。
それを受け「だね、で――」と注目を引いてから、自分のおでこを指し示してみた。
「こういう印が額に出る。あー……絶対に額なのかな」
『場所は決まっていない』
「額以外にも出ることはあるんだって」
「ふうん……」
と、ケナが。レケやベレスは静かに頷いて理解を示している。
「そう言えばさ、何か話そうとしてたよね。この話はもういいけどほかの話はある……みたいな」
ジリアンが聞いてきた。僕はテーブルを軽く叩いて。
「ああ、そうそう」
バッグを持ってきていた。過去にいる時に作った自分専用容量拡大バッグも。
そこからガチャガチャと、時空ジャンパーを作るために練習用に作った礎術道具を取り出しながら――
「時空ジャンパーを作るしかない……って感じでさ、そのための練習中にできたものなんだけど」と僕が言うと――
レケが。「お、多いな!」
その時にはもう十個以上出していた。
――何個もある種類もあるけど同じ物を出す必要は無いよな、それでも結構あるんだよなぁ。
「ど、どれだけあるんですか……!」
「すごーい」ケナがそう言った。
「これを一人で?」
ジリアンに聞かれて、トレーニングボックスのことも話した。
「もしかしてそれで今のトレーニングボックスが」とジリアンは言ったが。
「違うよ。置いてきてないからね。あー、それでいうと時空ジャンパーはそうかも」
「そうなの?」ケナが聞いてきた。
「そうなの。実はアオバネガラスがさ――」




