ジャンプ その2
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環州暦1039年。今日、一つのしこりが消えた。
今まで気にならずにはいられなかったが、これで心置きなく死ねる、とは言っても死が近いのでも死にたいのでもないが。
棚から取り出した封筒。手紙。
指示の書かれた文と『こう書かなくても覚えておこうとするかもしれないが念のため書いておきます。1028年10月4日を覚えておいてほしい、最低でも1039年2月になるまでは』という文字……
「面白いなぁ。どういう意味だろうと思ったけど……あれを手に入れるのもウチで……だったんだな――」
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「あ、また知事、こんな所に。何してるんです?」
「いや、何でもない」
「……それって……何かやってる人のセリフじゃないですか? 何でもないようなことなら言えるでしょうに」
「ハハ、そう聞こえるかもな。だが本当に、ただ風に当たっていただけだよ、すぐ戻る」
ダイアンさんは自分の警備員にそう言うと、黒枠の鏡のゲートを執務室に繋げた。
僕を抱えてそこへ入ってからゲートを消し、ダイアンさんは、僕に小声で。
「今日はこれで終わりにしよう、また後日」
コクリと頷いた。
次に執務室に連れて行かれた時に、今後の作戦を話し合うことになると思っていたが――ダイアンさんが誰かから連絡を受けた結果、執務室にあるテレビを点け、それに集中することになった。
レイシー脱走のニュース。
――そうか、あの日。てことは、今日は、試験場では試験が終わって……ええと……配属先を決められるのを待ってた時……あの時間が近付いてるのか。
「これは……今のユズトに電話した方がいいよな、念のため」
僕はしっかりと肯いた。
でも、過去の僕は中々電話に出なかった――まあ試験中だし、部屋に置いたまま集中してたのかな、多分そういうことだ。
そして何回目かの電話。試験が終わった頃だ。
「あ、ああ、今大丈夫か、ユズト」
過去の僕は受かった報告をしたがっていたはず。
何かの話を受けてか、ダイアンさんが過去の僕に言う。
「ああ、そうか……よかった……」
反応が薄くて過去の僕は不思議に思ったはずで――だから何か問い掛けたはず、覚えてはいないけど。だからダイアンさんが――
「いや、それがな。単刀直入に言うが……レイシー・ピアーソンが脱走した」
ここにいる今の僕とダイアンさんだけは解っていたことだった。混乱回避のために誰にも言えないでいたけど。
「姿の交換でドナを苦しめた女だよ」
多分、過去の僕が、その名前を思い出せなかったんだ。
――レイシー……よく脱走したもんだ。止められたのかな……誰かが頑張ったら止められたのか……? でもこの過去があって今過去に僕がいる……世界線のことを考えると頭が痛くなる……
多分、脱走を誰も止められなかったんじゃないかなぁ……。僕らは僕らでやることがあって忙し過ぎた。じゃあ誰かに言っていればとも思うけど、未来が変われば逆に誰も救えなくなる可能性もある、それは嫌だと思うし、これまでの流れと違和感からして……なぜか、何をしても無意味になる……そんな気しかしなかった。
ダイアンさんは、重々しい口調で話し続けた。
「封印チップを取り出されないようにする装置があるんだが、それを綺麗に外されてしまったらしい。今後装置の鍵が今以上に厳重管理されるから今後の心配はないとは思うんだが……そうしてチップを取り外して自由になって姿を入れ替えた。レイシーは、レイシーの姿になった看守を殺して逃げたんだ」
そして何か過去の僕から質問を受けたようで。
「ああ、それ以降も姿を変えていると思う」
姿が変わっている。姿だけは。それだけでも恐ろしい存在だ。そばにいる人を信じられなくなりそうだ、そんなことを思いたくはない……
「何だ?」
過去の僕が何か聞いたらしい。
「どういうことだ?」
ダイアンさんの中ではまだ謎らしい。
何を話したかあまり思い出せなかったけど――
「人質効果のためじゃなかったのか。…………………あ、ああ、まあ……そうか」
まだ過去の僕は話しているのか。――何だったか……
「じゃあ……ん? で、つまり何が言いたいんだ?」
そうか、と思い出した。
レイシーの、姿を交換する礎術の性質について、重要なことに気付いたかもと思ったから話していたんだ。確か最初、違和感があったから――
「……もしかして、レイシーは姿を奪った相手を殺したら、戻れない?」
そうだ、その話だ、と僕は頷いた。
過去のダイアンさんも戸惑ったはずだ、彼からしたら未来の僕――この僕と話して既に知っていることだったが、厳密に理解しているのか……という点でも不安だし、かなり……ごまかす必要が出てくる。
ここで初めて知るフリだ。
――そうだ……そうだったんだな……。過去の僕がレイシーに完璧に対処できたら、今の僕は?……怖いことだ。もし僕が消える可能性があるなら? それって実際はどうなる? そう考えると、何かが変わることはあってはならないんだ。僕は……地球に行ったけど……過去に起こった通りに起こってほしいから頑張った。ただ、レイシーに関しての知らなかった情報を、過去の僕が知ると……僕だけじゃなく知らないはずの人が知ると、僕はどうなる……? ほかの人はどうなる……?
知らないフリを、するしかないんだ。
何かが変われば、今まで救ってきた内の誰かを、逆に……死なせてしまうかもしれない。それは嫌だ。逆のことも……受け入れなきゃいけない……
――辛いことだけどそれが戻るべき未来の真実なんだな……
「そ、そうだったはず……だな……確かに」
ダイアンさんが何かに同意した、過去の僕が話した何かの根拠に納得した――のかな。まあ、多分そうだ。
僕は受話器に耳を近付けた。
ダイアンさんも気付いて持ち方に配慮してくれた。聞こえてくる。
「――もしかしたら、交換し直しが必要な力なんだよ、だけど相手を殺した時だけ戻さなくていい……というか戻れない……。相手は、もう死体だから……人間じゃないから……? っていうのは嫌な考えではあるけど。……人間と人間の姿を、という意味で、人と自分の姿を交換できる礎術だったの……かな……多分」
すると、ダイアンさんから声が。
「それは……本当にそうかもしれないぞ……!」
ダイアンさんが立ち上がり、椅子を少々後ろへ動かしてしまった。ガタッと音が鳴る。
そしてダイアンさんがこっちを見た。チラリと。とても意味ありげに。
話の内容はもう知っていることばかり。今知ったばかりだという風にうまく演技できただろ、とでも言いたげだった。でもそうじゃないとしたら、多分、やっと公にできるようになるな、という意味かもしれない。『本当に今の僕から聞いた通りだった』の可能性もなくはない。
そしてダイアンさんの口が動く。
「レイシーの礎術の記録は、小さい頃の分しかないらしいんだ、警察の話だが。今の話はきっと参考になる! 警察に情報提供しておく! いいよな?」
とても張り切っている。ようやくこの事を話せる、そういう想いもあるのかも。
姿勢を戻したダイアンさんの受話器から……耳を近付けた僕にも、過去の僕の声が聞こえてきた。
「ああ、うん、そうした方がいいと思う、いち意見だけどね」
「しておくよ。というかユズトたちも気を付けろ、恨まれてるかもしれん。だから電話したんだが」
これもうまい言い方だ。まあ本心でもあるだろうけど。
「ああ、そっか。ありがと、気を付ける」
「じゃあ……いや、それでどうなった? 試験は……ああ、受かったんだったか」
少しだけ間が。
「そうだよ、しかもB型免許にも受かった。高難度の事件の依頼も受けられそうなんだってよ」
「お、おおー、凄いじゃないか」
急にダイアンさん、口調がどこか演技臭く……と思って見てみると、ダイアンさんもそのことに気付いていたらしい、僕にチョップを見せて謝っていた。僕にだ、変なの。
また耳を近付けて一緒に聞くと。
「どうしたの?」と過去の僕が言った。
「あ、ああいや。何でもない。ちょっと忙しくてな」
「あ、そっか。じゃあ……まだこっちでもやることもあって、手続きというか、色々掛かりそうなんだよね。だからダイアンさん、またあとで」
「ああ、またな」
ダイアンさんは頭を掻いた。『うまく話せたかな』とでも思っているのかも……
「あ、配属先を聞いておけばよかった。まあいいか」
ダイアンさんはそう言って、僕を見た。
――? いやいや、過去の僕に聞いてよ。というか、話すはずだからな、配属先……もう少しあとで……
通話は終わっている。ケータイを仕舞ったダイアンさんは、ふう、と息を強く吐いて、声の調子を落とした。
「レイシーを……脱走させたようなもんだ……そうだろう、止めなかったから……。ただ、それにつられて、ユズトが誰かを救えなかったりしたら……ユズト……は、会いたい人に会えなくなるかもしれない」
脳裏に浮かんだのは……ペーターさんや、ネルクスさん、レオさん、あの地下の現場……ベレス、ジリアン、レケ、ケナ、ソラさん、キャノンドラゴンの被害に遭いそうだった村の人たち……お父さん、お母さん、メグミ……それに、コハルさん。ほかにも。
というか、ダイアンさんは忙しかったし……
「これでいい」
背負い過ぎないでよね――って、僕は思った。
そして次に僕に言ったのは。
「飛ばされた日を覚えているか? いつだった?」
ダイアンさんは、次の段階に話を進めた。




