過去の灯 その2
とにかくまた急いだ。少し横にそれて水溜まりで水分を補給したりも。
そして日がかなり傾いた頃、やっとフェンスの入口、特別な者だけを通す場所まで来た。
若い警備員がいる。その場は一人。ほかの場にもいるんだろう。
その足元まで近付いてその先に行きたいことを示すために、扉に手を突いて向こうを見詰めた。
――ほら行きたそうにガン見してるでしょ? 通してよ! って都合よく行くワケないけど! 誰か来て!
そんなことは起こる訳もなく、警備員の男性は、
「はい、向こうに行こうねぇ」
って優しく持ち上げて僕を逆向きにして、「こっちはダメだよ」とお尻を押して急がせた。
それでも行こうとしてねだる。
そうする度に「ダメだよぉ」と逆向きにされ少し離れた所に置かれる。
その繰り返しを何度かやった時、一人の男性が近付いてきた。若……くはない。三十か……四十くらいか。
「あの。調査で行く者ですが」
「あ、書類……もお持ちですが、ふむふむ……ではどうぞ」
「この子も一緒にいいですか? 行きたそうだし、しっかり見ておくので」
「……見ておくんなら……まあいいでしょう」
その男性が通る時、一緒に通してもらえた。
一緒に歩く。
崖下から階段があるが、それに関しては抱えられて運ばれた。
彼を振り切って階段脇の茂みに逃げ込むと、彼が追ってきた。
――まあ当然だよな、ちゃんと見ておくって言ってたし。でもごめんなさい! 許して!
男性から逃げて何度も何度も茂みを越えると、どうやら撒けたようだった。
「おーい、どこだよー。参ったなぁ……誰にもバレないといいんだけど……。まぁ、動物にはゲートの事が解らないだろうし……いいか。いつか誰かが保護するよな」
――ごめん、本当に。許してください。
先にゲートの所まで登った。そして木々や茂みがある所から男性が来るのを待って、男性がゲートを通ったあとを見計らって……突撃!
……と、入ろうとした瞬間、地球へのリンクゲート――白い石煉瓦風味の枠――の中に見える景色は、もう地球のあの場所じゃなくなっていた。
――そんな! 自分で念じて行けるのか? 行けてくれ! 頼む……!
礎力を込めた。強く、長く念じた。
――みんなを助けるんだ! レイシーを阻止するんだ! できてくれ! 開けぇぇええ!……駄目……? 駄目なのか……?
しばらく無音だった。何も起こらない。それからも無音。
――そんな。この姿だから? 嘘だそんなの!
と思った瞬間、リンクゲートが開いた。
――やった!
喜んでばかりで足が動いていない自分に気付いた。ハッとして飛び掛かると、懐かしい空気を嗅ぎ分けられた気がした。多分前以上に。
ほかの誰かに見付かったら余計なことが起こってしまうかもしれない、そう思ってから木の陰に隠れた。
しばらく隠れていると、自転車を押して芝生の横を通る「過去の僕」の姿が。
――きっとこれでいいんだ、これでダイアンさんが来る……!
その一心で飛び出た。
過去の僕は辺りをきょろきょろと見ながら何か考えたようだった。そして聞こえてきたのは。
「とりあえずサブバッグに入れていい?」
言葉が解るから思うが、とんでもないことを言っている気がする。
ただ、ここは頷いておこう、そしてじっとしておこう、それが一番手間がない。
「じゃあちょっと……色んな意味で人の目が気になるし、入れるね、ごめんね」
サブバッグから翼が少しだけはみ出たが、このくらいは大丈夫だと思ったんだったか。
「息苦しくない?」
「きゃふっ」
実際息苦しくはなかった。自転車の籠に入れられて道の段差で上下に揺れたりしながら駐輪場に運ばれたことの方がどちらかというと苦しかったと言える。
「大丈夫だった?」
「きゅ」
手短な返事にしたのは早く部屋へ行ってほしいからだった。
手に提げられた状態で運ばれていく……のを感じた。
こんな運ばれ方だったなぁと、つい、感慨に耽った。
――まてよ?
運ばれながらふと気になったのは、『ダイアンさんが「この子はドナの求めている助け人だ」と気付かなきゃいけない』ということだった。
部屋に入れられ、ベッドに置かれると、
「どういう存在?」
と過去の自分に聞かれた。
「きゅ」
こういう存在だよ――とは思ったけど、鳴き声でしか返事ができないからやっぱり端的。で、過去の僕は更に問い掛けてきた。
「ところで、お前は何を食べるんだい」
「きゅ」
「…………ちょっと待ってろ」
冷蔵庫から適当に選んで持ってきたっぽいハムとキャベツを提示された。
「さあどっち」
州庁舎で僕のご飯として出されたのは葉野菜だった。礎球にしか存在しないフジバネクロゲネコは意外にも草食。僕もそれに関しては楽だった。
キャベツに食い付いて見せると、
「……あ、そうだ、トイレを買ってこないと。カゴみたいなやつでいいよな多分……ちょっと待ってて。あ、ベッドの横に隠れてて。いい?」
「きゅ」
そんな準備も済んで、それから夜を過ごし、朝、過去の自分を見送った。
過去の自分が用意したキャベツで飢えをしのぐ。
ある時、思い出しながら考えてみた。
――多分部屋に家族は入ってこない、そういう張り紙をした記憶がある。
安心感はあるが、それでもベッドの脇、ドアから見て隠れる所にいるようにした。
そして夕方。過去の僕が僕の腕を見た。腕輪を凝視している。その目が僕の目と合うと――
「お前ホントどこから――」
その時、ノックが二回鳴った。
「うぉう、び、びびった……何ー?」
「ギーロのことでお話が」
ダイアンさんの声だ。
無理もない驚きを顔中に広げた過去の僕が、慎重に声を掛けた。
「あの、どちらさんで」
数秒だけ間があった。
「私はギーロの飼い主です、探していたんです。どうか話を」
それからは、過去の僕が返事に困ったようだった。
――そういえば何て言ったっけ……自分でも覚えてないな……
「じゃあ、ええと……ギーロって何なんです? 公園の木漏れ日の中にポツンとひとりでいた。なんでそんなことに」
ジェスチャー込みでそう言った過去の僕に対し、ダイアンさんの声が返る。
「それがですね、実は、うちの庁舎で飼われていたんですが、いつの間にかいなくなっていて――」
「あの。まずは入ってください」
「あ、張り紙があったのでつい」
「律儀なんですね」
過去の僕がドアを開けると、スーツ姿のダイアンさんが手に革靴を持ったまま入ってきた。
「ギーロ!」
その瞬間、僕はダイアンさんの足元へと早足で近寄った。過去の僕の手の印に気付かせるための時間に余裕を持ちたかったから――という理由や、この姿の僕とダイアンさんとの間にそれほどの関係性はまだないことなどを知りようもなかった過去の僕には、親密な再会に見えたのかもしれない。
「よかったですね、見付かって」
「ああ、ほんとに――」
「じゃあもうこんな事にならないように、なんとかできたらいいですね」
「……ええ、気を付けます」
ダイアンさんがしゃがんだ。
――今抱えられる訳には行かない!
僕は過去の僕へと猛ダッシュした――過去の僕そのものが大事だと思わせるために。
そしてすぐさま過去の僕の手元に注目させるべく、そこ目掛けてジャンプを何度もした。
滑稽な動物に見えたかもしれない。
ジャンプしても結局は落下するから、膝に飛び掛かったように見えたかもしれないし、ベッドに飛び掛かったように見えたかもしれない。意味など解らないかもしれないけど……
――もうあまり覚えてないけど、過去の僕はこんなことをしたんじゃないのかッ? 気付いて! ダイアンさん!
「ちょ、何、どうしたの」
過去の僕が僕を落ち着かせようとした。その時だ。
「そうか」
ダイアンさんは気付いたのか。――どうなんだ。
「どうしたんですか?」過去の僕が問い掛けた。
「あ、いえ。ただ――そうだ、お礼をしますよ。ちょっと時間はありますか?」
「まぁありますけど」
過去の僕は、僕を抱き上げ、受け取るために近付いたダイアンさんに僕を渡した。
――どうやら気付いたな、お礼の流れになった、よかった……
ほっとして眠くなってしまった。抱き上げられているからか、異様に眠い。
――ひとまずは寝……いや、駄目だ、寝ちゃ駄目だ僕! 起きとくんだよ! もしかしたらアレが……!
目に、顔中に力を入れた。
それからすぐにダイアンさんが、「では」と、地面に、黒枠の鏡のゲートを作った。
行き先はあのリンクゲートのすぐそばの草地、それが見える。
「ななな何! 何これ!」
過去の僕は怖がりながら覗き込んでいる。
そこでダイアンさんの声。
「一緒に来てください」
リンクゲートの前に移動すると、ダイアンさんが、何もないように見えるゲートの位置に手を伸ばした。
「ここに礎力を込めれば」
「……何? ソリョク? ついていけないんだけど何それ」
「とりあえず行きますよ」
ダイアンさんが礎力を込めると、リンクゲートが開いた。白い渦が現れ、数秒で四角い枠に。
その一辺が地面に付くように、枠は佇んだ。その枠の中に、向こうの景色が見える。
「さあ」
過去の僕も、ダイアンさんに手を引かれてついて来る。
移動が済んだあとすぐダイアンさんが礎力込めをやめたようで、リンクゲートが鳶木公園のあの角度から見える映像を映さなくなった。
「ちょっと! 僕、ちゃんと帰れますッ? 誘拐じゃないですよねッ?」
「大丈夫ですよ。帰す時には同じように込めて、行けるようにします」
そんなこんなで、本で付与する過去を、眠気に耐えながら必死に見守った。
途中、ダイアンさんのコレクション部屋に行ったりもしたが、本と銀色の球、指輪を持って戻ったダイアンさんから解説もあり、話も進んで――
……自己紹介や、術魂の器の話をしたあと……
「そしてこの本です」
とダイアンさんが。
過去の僕が付与ブックに目をやると、ダイアンさんがそれに向かって手を伸ばした。礎力が込められ作動したのか、巨大な本が浮いたままパラパラと開かれた。
「このページか……」
ダイアンさんはそう言って本の記述に目を通した。過去の僕は何やら考えたように見えた、そのあとでダイアンさんと同じように目を向けた。
全部で二十個の礎術。
――そうそう、この本! レイシー対策の礎術を見付けられるかも! 起きててよかった!
ダイアンさんの腕の中で、首を九十度以上曲げるようなすんごい姿勢になりながらも、僕も目を通した。
1壁をすり抜ける礎術
2靴下を一瞬で履く礎術
3木刀から稲妻を走らせることができる礎術
4触れずにドアを開閉できる礎術
5フォークとナイフを出したり消したりする礎術
6ピーマンを甘くする礎術
7ロウソクに火をつけたり消したりできる礎術
8球体にスポンジボールの性質を持たせる礎術
9一定時間だけ嫌いなものが好きになる礎術
10ジャンプ力が上がる礎術
11指輪の宝石から火の玉を放つ礎術
12肉体だけ一定時間透明になる礎術
13口臭を一定時間無臭に変える礎術
14うちわの風を超強風にできる礎術
15ビーズの色を変える礎術
16対象の触り心地を直前に触れた物と同じにする礎術
17サングラス越しに暗くない世界を見れる礎術
18他人の礎術を奪う礎術
19念じて皿を動かせる礎術
20一瞬でネクタイを綺麗に装着できる礎術
――このページの付与される礎術にいいのが……あったあああ!
18番目の『他人の礎術を奪う礎術』……これを使えればあるいは。
こんな過去の経験が、自分の道を照らす灯になるとは。思いもしなかった……!




