065 過去の灯
『死ぬな、ユズト』
そんな声が聞こえた気がした。
どれくらい時が経ったかは解らない。とにかく、なぜか目を開けることができたから、ついでに身を起こそうとした。
それもできた。
はて。自分は今どうなっているのか。
――それにしても地獄はそんなに現世と違わないなあ……
思いつつ、鏡を探した。
すぐ横には粗大ゴミ置き場っぽい所があって、そこに鏡台から壊れ落ちた鏡があるのが見えたので、それに近付いてみた。
覗き込んで見えたのは、日の光の下で自分と同じ動きをする、フジバネクロゲネコ。
――死んでもこの姿か……嫌だな……
天使か何かから説明でもされるのかと思っていたが、そんなこともない。
――そう言えば死んでも痛覚はあるのか……? 歩く時の痛痒さが……ある……
そこで声が聞こえた。
『聴こえるか、見えているか』
誰? と思ったあとで、薄く見え始めたものがあった。
大きな狐だ。
額と耳と胴と尻尾は白く、ほかは黒、目も黒、額に黒い石が輝く大狐。
『私はイーヴィストン』
――え! イーヴィストン州って地名だけど、それが名前って……?
『ある時からこの世に漂っている……礎力素のようなモノの塊でできた体を持たぬ存在。それが私であり、私たちだ。見てみろこの姿。黒っぽくて、額に石があるだろう。この姿から闇石霊獣と呼ばれている。それが地名に。七民族からは変わらず闇石霊獣と呼ばれているんだがな……七民族以外からはそう呼ばれない』
――そっか……なんかちょっと寂しそう……。ねえ。その土地の精霊――みたいなものなの?
『そんな可愛らしいものじゃない。業の塊よ』
――そ、そうなんだ……ってか、なんでそんなのが。
このクロゲネコの体では話すことができないから、常に口の中で発生せずに言葉にするような……そんな心の声にしていた。そしてそれで会話ができているから不思議だ。
『お前は死ぬには惜しい』
――あー、え、助けてくれたの? え! ってことは僕、死んでないのッ?
『そうだ』
――あ……ありがとう、えっと……何て呼べば。イーヴィストン? イーヴィ?
『あー、そうだな、名前はない――が、私のような存在はほかにもいてな。区別が付くよう、呼びたいように呼べ』
――じゃあ……生き返らせてくれたから……えっと、イブキで。
『ふむ……いい響きだ。お前の名はユズトだったな』
――そうだね、そう呼んでくれれば。というかどうしよう、僕がまだ生きてるなら対処したいんだよ、どうすればあいつから姿を取り戻せるのか……今やばい状況なんだよ、姿を取られてて。
『そうだったな。どうする』
言われて考えた。
レイシーが力を使わなければいけない気はする。力を使わせるといいワケだけど――使おうとしないだろうなあ。
『その、相手の力をこちらが使えないのか?』
考えたこともなかった。どうなのか。
と、そんな時だ。
「なんで生きてんのよ!」
体がビクついた。そしてゾッとした。自分の声でその口調ということにも、なんかヤダ感はあるけど、まあ、そんなことより。
――そうかヤバい! 蘇生したからか! 姿を交換できなくてトドメを!
『こっちだ!』
そう言ってイブキが路地を進んで左に曲がった。僕もそちらへ。
駆け出すが、どうにも体の動かし方に違和感があった。最初からそうだった、自分の姿をゴミ山の中の鏡で確認する時も。フジバネクロゲネコの体で自分が歩かなければならないなんて――とても慣れにくい。
少し経ってからやっと慣れ始めたけど――
――くっ……! 一旦逃げる! あぶなかった!
『私の力も治癒で枯渇している、今は無理か』
――なんか手段があったの?
『ああ、だが逃げるしかないな、今は!』
こんな風に話すイブキの声はレイシーには聞こえていなさそうだし、見えてもいなさそうだ。僕にだけなのか、きっとそうだ。
まあとにかく急いでひとまず逃げ――
『――! 避けろ! くっ――ユズト!』
イブキが何かを見て焦ったようだった。あまりにも危険なようだが……
声のあとで後ろが気になって見てみた。
その時には、レイシーの方から何か……腕時計みたいなものが飛んできていた。レイシーが投げたんだろう。そんなものがどう危険なのかと、一瞬、考えてしまった。
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取っておいてよかった。あいつは結局どんな時でもとんでもない。
しかも昔の経歴がない、だからこうした。
――仕留められる! 礎力弾を避けるヤツでも、今の状態であの高さなら……! そうでなくても範囲の境にあいつがいれば……! あ、でも操作し忘れた部分があった……いや、もう、そんなことはどうでもいいか、高さが十分ある。高度は操作した。ふっ。今度こそ――
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とりあえずイブキに言われた通り避けようとした。先にある程度遠くへ逃げていたイブキの方へゆくべく足に力を込めた。イブキは逆にこちらに引き返していた。
ただ、フジバネクロゲネコのままの僕の足は、慣れないせいもあって遅く……そこまで近付けなくて――
それでもと動かす脚に、全身に、力を込めた。
そこへ――投げられた腕時計みたいなものが、近くまで容赦なく飛んできて、そして光った。
――わっ……!
『ユズト!』
イブキの声が聞こえてすぐ、光が一瞬で収まった。
――どうなった? なんだったんだ。
思ってすぐ足に違和感が。地面が消えた感覚。そして落下する感覚。なぜかアスファルトの一部と塀の一部も一緒に落ちている。
――なんで空に!
落ちる。すぐに地面が近付いて――
――あの女これを狙って! くそっ!
こんな状態で何も操れない僕は、現状地面に叩き付けられるしかない。だからレイシーはそうさせる道具を使ったんだろう、仕留めるために。
――このままじゃ死ぬ、嫌だ、誰か! 助けて! イブキ……! みんな! 誰か! 助けて! 誰か!
加速度はあまりにも非情だ。もうかなりの速度。黒いビーズのいつものゲートでも生み出そうとしたが、何度礎力を込めてもうまくいかない。
うまくいかなくても込め続けた。念じ続けた。助けがないのなら、自分で助からないと――
その思いで出た声は、
「きゅきゅっ」
だけだった。
――ああ、死ぬ!
短期間に何度もこう思うなんて。
こちらからも積極的にレイシーを調査すべきだったのか……
――何かできろ! 礎術! 覚えられれば!
ゆっくりになれと念じてみた。でもそれも起きない。
礎術が無理なのか。もう何の発動もさせられないのか。
絶望が胸に満ちる。もう駄目だ。速さが僕にそう告げている。
――さよなら、みんな。
そう思った時、目の前が白いもので覆われ、その中へと、ポフンと落ちた。
――何だこれ。視界が白い……自分の能力ゼロビジビリティ・ホワイトがこんな感じなのかもしれないけど……。それに柔らかい……?
数秒後、白い何かは収縮して――とてつもない大きさだったのが、小さなガーゼみたいになった。
そして僕は無事だった。地面に足が着いた、無事に着いた。
するとそこへ女性の声が。
「大丈夫だった?」
綿だった。地面にちょこんとあるそれを手に取ると、女性が僕を抱き上げた。
「なんで空から落ちてきたか解んないけど……無事みたいね、怪我は……ないよね、よかった。とりあえず、みんなに話しておくからね。少しだけこうさせてね」
持ち上げられたまま運ばれていく。このままだとどこへ行くんだろう……と思いつつも、辺りを見たり耳に集中したりした。
この女性は近くのベンチから上を見て気付いて助けてくれた……のか? それっぽいよなぁ。ベンチの方から歩み寄りながらの声だった、やっぱりそうなのかも。
近くにレイシーはいない。ほかに見知った人もいない。イブキまでいない。こんな姿のままで、僕は……。ここはどこなんだ。みんなは……?
少なくともイブキはここにいない。
――とはいえ……助かった。ありがとう。
「きゅきゅ」
「んー、はいはい、可愛いねぇ」
女性はきょろきょろした僕を撫でながら、ある建物へと入った。
そこには見覚えがあった。
――え? ここ州庁舎だ! スピルウッド州の……え、じゃあギーロがいるんだ。いやぁ……今やペアルックだけど……多分ふたり一緒にされるんだろうなあ……あ、いや、違うか、もうギーロは……引き取られたんだ。そっか……。なんか……なんか寂しいな……そうなると……
思いつつも、それでも少し安心感が増した。何せ、ここならダイアンさんに助けを求められる。
一旦施設のみんなに顔合わせをさせられ、それから州庁舎で面倒を見ている動物の部屋に通された。
「ここで遊んでね。たまに会いにくるからね」
ここからはミッション開始だ。僕だよユズトだ! と気付いてもらえるように行動する。そして早く気付いてもらえないと、レイシーがここへ来て僕を殺そうとするだろう、その流れの中で誰かに被害が出るのも嫌だ。そんなことにはさせないために、できるだけ早く気付いてもらわないといけない。
礎物としてビーズをどうしても出せない今は、都合よくビーズが身の回りにあることを想定せずに、とにかく部屋を抜け出し、紙とペンを探した。まあ鉛筆でもいい。
建物は高さもまあまああるが、広さの方が途轍もない。そんな中を慣れない手足で走る。
そして書こうとする、『ボクはユズト』と。
何度も何度も書こうとした。その都度、「イタズラはダメだぞ」と止められた。
この繰り返しが続いた。
――もう何日が経ったんだ?
結構な日数が経っていた。
多分レイシーは、僕がこの場所にいることを知らない。だから来てない。……なぜここに僕がいることを知らないのかということはこの際どうでもいい。ここの心配は減ったが、それでも、僕の姿のレイシーだ――僕の風評に関わるしあの近所やみんなが危ないのは変わらない。
それまでと同じように紙とペンを今日も必死に探し、字を書こうとした。が、「はいはい暴れないで」とあしらわれるだけだった。
――くそ、また駄目だった。結構疲れるんだよな、抜け出すの……。戸を横にスライドさせるのが……もう重くて……とにかく一番はダイアンさんだ、気付いてもらわないと……
そして部屋へと戻される。そんな日々だった。
運ばれる最中にジタバタして抜け出し、再試行という日もあった。今回は疲れ切っていて無理だったが……そんな抱かれているある日のある時間――カレンダーを見てふと違和感を覚えた。
――あれ? なんでこんな日付なんだ……? カレンダー、ほったらかしなのか?
いまいち理解できなかった。
――どうなってるんだ? ここはどこなんだ? 本当に僕は生きてるのか? スピルウッド州庁舎じゃないのか……?
そんな訳はないが、混乱してしまう。この目でダイアンさんを見たというのも確かなことで、それでも不安になった。
――これは夢? そんな……そんなこと……
ありえそうな気がしてしまう。何かの礎術が働いているのかと……そんな気が――
不安で不安でしょうがなくなる。あの動物用の部屋に連れ戻されるのも、そこから何度も出ては解ってもらえないのも、一種の拷問かと思えた。賽の河原を連想してしまう。どんどん辛くなってくる。
みんなのことが恋しくなった。
動物用の部屋に一緒に飼われている小さな白い猫がいる。一緒に横になると少しだけ穏やかに眠れた。これがギーロだったら翼の生えた黒い毛玉がふたつ並んでお似合いなんだろう……そんなことまで考えてしまう……。
……まだ誰にも自分がユズトだと気付いてもらえていない、そんなある日、ダイアンさんに抱えられて、庭が見える場所に連れて行かれた。
――こっちは僕がユズトだっていうヒントを出したいのに……
そんな想いはまだ届いていない。
ダイアンさんは、そこに持ち運んでいたアタッシェケースみたいなものを広げた。
――確かアタッシェが正しかったはず。どうだっけ。まあどうでもいいけど。
見てみると、そこには金色に輝く腕輪と、同じ色のリングサーチャーが。
――え、待って。てことは……それって……
腕輪を装着させられた。それはなぜか奇妙にフィットしていて……
「よし。これで迷子になっても大丈夫だ。じゃあこれからよろしくな、ギーロファルマー」
――……ッ? 僕がギーロだったのか! 僕だ! 僕が! 僕だったんだ!
そしてそんな時の夕空を、光が駆けていくのが見えた。
それを見たダイアンさんが言った。
「ん? あれは……? ドナか?」
その時、ダイアンさんは何かに気付いたようで……もしくは僕に聞こえない何かを聞いたみたいな感じで……頭に手を当て集中したようだった。
「くそっ、ドナ! 絶対に助けるからな……! 絶対に助ける……!」
ピンときた。あの頃だ。それと、さっきのはきっと、ダイアンさんが付与したドナさんとだけ可能なテレパシーの礎術。
そこでまた別の使命感が湧いてきた。
ダイアンさんを『過去の僕』に会わせないといけない。
――待っていても会うのか……? あの鳶木公園の草地に、この僕が……この姿の僕が、居なきゃいけない……放っておいてもそうなるのか?
一旦、部屋へと戻された。そこで少し考えた。
――いや駄目だ。待っているだけじゃ駄目な気がする。ここが別世界線とかじゃないならいいかもしれないけど、もし別世界線なら……助からない未来を作ってしまうかもしれない……仮定の話だけど、そんなのは嫌だ!
部屋の戸は日に日に頑丈になっていた。それをとにかくずらして出て……そして走った。
ただ、なかなか州庁舎を出してくれない。掛けられる言葉と言えば「こら!」だった。
かなりの時間、何度も『戻されて脱走』を繰り返し、やっと庁舎を出たあとも、一心に崖の方へと走った。
途中、『モフモフさせろ少年少女』の難があったが、難を必死に逃れようとしつつ、逃げつつ走った。
更には『エサやりたがり爺さん』もいて、数時間が経った頃ともなるとそれはもう神様のようだった。
ただ、一日中走るのは流石に疲れてしまう。最近はこのフジバネクロゲネコの体にも慣れて大分走れるとは思うが、だからこそか逆に無理をできてしまう。
……いつの間にか、崖横のフェンスを沿うように歩いていた。ここまでよく来たもんだと自分でも思う。
そんな時、少し安心したからか、眠くなってしまった。
――駄目だ! 頑張らないと。過去の僕が。ドナが。それから今の自分のことも助けたいんだ。助からないと……そうしないとみんなが……レイシーの手に……。行かないと、行かないと……!
とにかく走った。必死に。
足が絡まってうまく走れない、歩けない時がたまにあったけど、それでも向かった。
……パチリと目が覚めた。もう朝だ。
――え? 寝てた?
いつの間にか倒れていたらしい。
どれくらい時間が経ったんだ!




