064 死
家の中に入ってすぐは涼しくないが、クーラーが効けばこっちのもんだ。
外は暑かった。礎球の、それもディヴィエナ州の1月18日なんてのは、これから夏になるぞという時期だった。
ペットボックスをリビングの隅に置き、クーラーの風を受けて涼んでいると、その横をメグミがペタちゃんを抱えて歩き、階段の方へ向かうのが見えたのでそれを見送った。
慣れているし仲がいい、その様を見てほっこりする。
こんな日はゆっくりしたくなる。
二階の自室に行きそこでもクーラーで涼む。
いつの間にか寝ていた。
気付いたらもう昼だった。そんな時声が聞こえた。
「ご飯よー」
母が来る前ならレケを中心にみんなで手伝っていたが、最近は甘えている。まあ手伝うこともあるが。母もディヴィエナ州の料理を勉強したいらしい。
リビングに向かおうとして部屋を出ようとした時、窓際の机に見慣れない封筒があるのに気付いた。
「こんなのあったっけ」
その時ケータイが鳴った。コハルさんからだ。動画付きメールが送られたらしい。
面白いものでも撮ったのか?――と再生ボタンを押す。と――
動画に映っているのは、どう見てもコハルさんだった。ただ、場所は暗くてどこなのか見当も付かない。廃墟っぽくて見覚えがある気もするが……任務でそんな場所へは行き過ぎた。
「んー! んむんー!」
コハルさんの顔が何かを訴えていた。彼女の声は布で口を封じられていてよく聞こえない。動画はその数秒で終わった。
――何だこれ……何だよ……!
焦りながら本文を見た。
『封筒の中のバンドを手首に着けろ。十三時までにライマン市キノースド区のテブデの研究所まで、ケータイを持った状態で来い。一人で来なければコハル・スカイメートを殺す。誰かの協力を得ようと思うな、そのバンドはケータイの信号を感知する、連絡したら解る、地図は調べてもいい。離れても感知する。お前が家族に伝える声も拾う』
親の用意した食事の時間……リビングには降りずに、窓を開けた。
ビーズの入った瓶を手に持ち、ケータイを片手に窓の外に出ると、穴がなくなるほどに厚さも弄った巨大なビーズの円盤に乗り、誰もいない部屋に向かって言った。
「すぐに帰る。ちゃんとすぐに。……行ってきます」
方向を確認してから最初はゲートを。ライマン市の空港の屋上へと黒いビーズを通って移動してから、まずケータイで許された地図だけを見た。方向を調べ、ビーズの足場で飛んでいった。
辺りが真っ昼間の太陽に照らされている。
そんな中、到着。内部へと入っていく。
一階には誰もいないようだった。階段を上がってそこも隅々眺めたが、二階にもいないようだった。
三階にも何もない。ただ、ドンッと礎力弾が飛んできた。避ける。発射地点の方へビーズの弾丸を向かわせたが、発射した誰かは壁の向こうに常に隠れて姿も見せない。それならと向かったけど、いない、息遣いも聞こえない。
――どこだ。
四階を見た時だ、柱に縛りつけられたコハルさんを見つけた。
ロープを解くと、抱き締められた。
そこへも礎力弾が飛んできた。しゃがんで避けるし、避けさせる。
「まず退避して! このゲートの向こうに!」
黒いビーズでゲートを作ると、強烈に礎力を込めた。そのくらい込めなければ繋がらない距離。それだけ離れた僕の家の前に、逃げておいてくれと、手で促した。
「ユズトは? ユズトはどうするの? また残って戦うの?」
「また同じことをされるかもしれない、いつかは誰かが殺されるかも。そんなのは嫌でしょ、僕も嫌だよ、だから阻止するんだよ、今のうちに戦う」
「絶対に――絶対に生きて勝って――」
「解ってる」
「絶対によ」
「解ってるよ」
コハルさんは、僕にキスをすると、ゲートを通って避難した。
礎力を込めるのをやめると、黒いビーズが床に落ちた。あえて礎物でなく現実のビーズを使ったのは、余力を残すため。
コハルさんの目には、涙が溜まっていた。
――誰だふざけやがって。絶っ……対に捕まえてやる。覚悟しろよ。
ただ、誰かに連絡することはできない。感知される。そうなったら家族や友人を殺される。
顔に力が入る。
この時まで礎力弾がこちらへと何度か飛んだ、会話中もだ、まあ当たりはしなかったけど。
たぎる怒りを必死に抑えながら礎力弾の発射地点の方を見た。
駆けて攻撃しようとする。だが、誰もいない。
辺りを見た。だが人はいない。
上か? 上に行ったのか?――と、階段を上がろうとしたが、その前に瓦礫や椅子、廃棄物が多くあり過ぎて、そこからでは無理そうだった。奥も見えない。
代わりに、という感が否めないが――非常階段へ出る扉が開いていた。そこを上がって五階へ。
五階の非常扉を開け、透明なビーズを前に盾のように浮かして警戒し続けた。
そこでも辺りを見る。
ふと、フジバネクロゲネコを見付けた。ギーロファルマーと同じ種だ。
一瞬ギーロと呼びそうになったが、絶対違う個体だ、誰かがさらって来てない限りは。
「なんでこんな所に。ここは危ない、お前も避難しないとだぞ」
しゃがんでそう語り掛け、首元を撫でた僕の手に、こいつは、
「きゅきゅ」
と鳴きながら、手で触れてきた。
その瞬間、地面が近付いた。
ついでに目の前に、誰かの――見慣れたズボンに包まれた――脚が、突然現れた。
――ッ? 何が!
見上げると、そこにいたのは自分だった。
――え? 何が、どうなって……
予感がした。帰れなくなりそうな予感。
目の前の自分は、手に持っているビーズの入った瓶とケータイをぶん投げ、着けるように命じられた手首のバンドも外して遠くへ投げ、どこだか解らない場所に行かせてしまった。そしてなぜかどこからか注射器を手に取り、その中の何かを、フジバネクロゲネコとなった僕へと注入した。そして話し掛けてきた。
「これでアンタは、礎術での抵抗もしばらくはできない」
礎力を空中に込めてみたが、ビーズが現れない。無から生み出すのは――礎物化させるのは――ある程度難度の高い技術ではあったが、普段ならできないはずが――
――そんな! 今打たれた何かのせい……ッ?
「さよなら、ユズト・サエキ」
そばに狙撃手袋があったようで、いつの間にかそれを着けた偽の僕が、白い礎力の弾を放った。
今の自分よりも大きな弾丸。それを受けて吹き飛ばされ、非常口から外へと押し出された。
もがいてどこかに着地しようとしたが、既に空中に投げ出されていて――
――え、ここ、何階……
とんでもない高さから、今の自分の体の自由すらないまま……落下した。
地面に落ち、ドン、と鈍い音がした。
――どうして、レイシーが……
ここまでの執着心。それに、姿を交換された。レイシー・ピアーソンでない訳がない。
――僕の姿になって、僕を殺して、何でも奪える、地位も落とせる、そうしたら……そうだな……僕への復讐に……なる……
ドナを助けたことに、あの助け方に、後悔はない。そして生きるべきだと思ったが、どうやっても全身のどこにも力が入らない。
体が動かない。重たい。
そして沈み込むような感覚。
――これまで……色々……してきた……。今の……今……まで……で……十分……助け……られ……た……かな…………
自分を動かせないまま、何も見えない闇の中で、温度さえも解らなくなった。
闇の穴の中に……僕は落ちた。
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父の家に、あの当時のあたし自身のDNAを残すようにと意図した行動をしていた――少しも出ないのもおかしいから。
そしてその甲斐あった。
自殺したのは仲間で、来世で救われるとそそのかした相手。そういうのは扱いやすい連中だ。それを、あたしだと思わせることができた。大成功だった。
礎術道具で検査されるだろうからと、その担当を買収しておいた。過去のあたし自身の血同士で検査をさせた。誰かに見られながら検査するしかなくても、自分の体で隠してすり替えるくらいはやれるだろうと踏んでいた。まあそれができなければ、『邪魔でうざかった父が死んだ』という事件になるだけ。別の方法であたしが死んだと見せ掛けることができればいいが、実際その一回でうまくいった。
あとは、担当した検査官を、時間を置いて事故に見せ掛け殺すだけだった。
油断させれば、なんてことはない。
あたしが相手だと思う余地がこんなにもなければ、ユズトを騙せるだろうと――思った通りだった。
「くっふふ」
他愛ない。笑いたくなるのも当然だろう、これは。こんなにもうまくいったのだから。
「まったく、あなたは最低だなあ」
「いえいえ、どういたしまして」
あたしに話し掛けてきた男にもまた、今の返事と共に、狙撃手袋の弾丸を飛ばした。
「な……にを……」
倒れた彼に、また一発を放つと。
「力を抑える薬のこと。アイツが一人で部屋にいるタイミングかどうかの監視。あたしがあの体に慣れようとしている時のこと。そして今日のこと。……全部ありがたいと思ってる。でもね。もう用済みなのよね」
「あ……悪……魔……」
約束の礼金など払わない。口封じをするのだから。
ユズトは死んだ。
こいつも。
この件であたしを知る者はほかにいない。
ここもいい隠れ蓑になった。ユズトにも伝わりやすいいい場所だった。だけど、ここにももう用はない。
ここを去って次に気に入った誰かと姿を交換すれば――いや、そもそもそれができることを確認しておこう。
ユズトが死んだらあたしがこの姿の持ち主として固定される。
あいつは死んだ。それを実感して高笑いでもしてやるために――
――くふふ、すぐそこの誰かと、まずは……
あたしはターゲットを探した。できれば若くて動きやすいのがいい――男でも、女でも。




