007 確証
クレイズが杖使いにもし負けたら、『その試合までの何かを証拠にするしかなくなるのでは』と思った。都合よく証拠にできるものが手に入るとも限らないが……
レジリア礎術大会、本戦の二回戦。クレイズに対するのは杖使いのジョー・キッテスさん。
彼はトリッキーな能力を持っていた。床を突くだけで、直前に一度突いた所にかなりの衝撃与えられる、というもの。
そういう風にしか見えない衝撃をクレイズが受けていた、けど……そういった術者を相手にしても、クレイズは負けなかった。手こずりはしたものの、手や首から上にはダメージを受けていない。
クレイズがジョーさんの杖に触れてもいない。
ジョーさんが負けたのは、杖を折られて降参したからだった。
こんな調子では、試合を通じて証拠を手に入れられる気がしない――
「ニーレッキ・デプツモー選手とフォギウ・ヨウクノー選手、試合の準備をお願いします」
モップ使いの女性と農具用フォーク使いの男性だった。
「おおっと、フォークで裂かれても再生するように伸ばして巻き返す! 文字通りモップが巻き付いて巻き返すぅ!」
巨大フォークをうまく封じ込めたニーレッキさんが勝利を収めた。
さて。
控室に残った選手は四人。ペーター・ミガリオさん、グレイス・アイマフ、ニーレッキ・デプツモーさん、そして僕。
進行係から言い渡された。
「明日、本戦の準決勝戦と決勝戦を行います。選手の宿泊用の部屋へ案内しますので、こちらへ」
――え! 明日!
あまりのショックで思考が止まりそうだった。いやいや、学校があるんだけど?
案内人について行きながら、バッジ型マイクに礎力を込めた。スイッチが入ったはずで、話し始める、当然小声で。
「ダイアンさん、もしもし」
「くすぐったいんだが」
「ごめん。一日で終わらないとは思わなくて。僕には明日学校が。でも放っておけないし」
「ユズト君は勝ち進めたいのかい?」
「そうしたい。長引かせられそうな気がするんですよ。明日ならもっと! 七週間もあの箱の中で特訓したけど、それだけだ、それだけで僕はここまできた、だったら僕にはたった一日だけでも大きい!」
「……なぜユズト君が鏡や……ああ、いや、救済者を映す鏡に映ったのか、解った気がするよ。そうだな、それだけの修行でこの成果。ユズト君が勝ち残るのがきっと最善だ」
「じゃあ」
「いいよ、やるといい。そうしてくれ。私の願いでもある」
「……ありがとう」
「ああ」
プツッという音がした。ダイアンさんの方であちらのマイクとこちらのイヤーカフをオフにしたらしい。僕も礎力を込めて切る。
案内人が足を止めた。こちらも足を止める。
そして2と書かれた扉が手で示された。
「こちらになります」
「どうも」
入って見回す。
流しには洗剤とコップが置かれている。飲めます、なんて書かれた札まで。ご丁寧にどうもって感じだ。
トイレも風呂もあるみたいだ、それぞれ別に。それにベッドも。
そのベッドにあぐらを掻いて座った。そしてさっきの話を思い出した。やっぱりダイアンさんの問題も気になる。そのためにも。
ポケットから瓶を出して……と。
ビーズに念じる。限界まで操る。特訓開始だ。
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念のため書き置きをしておいた。
私と運命が招いた種。だからこそ不安にさせるべきではないという義務感を覚えていた。それゆえの。
――この運命が不動のものであるならば、こんな所でつまずきはしないはずだ。なあ、そうだろう。
『そうね、そういう力だもの』
頭の中の声に、多大な安心感を覚えた。切ないほどに。身を切るほどに。
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「優珠斗の友達って誰かしら?」
テーブルにある置き手紙を見て、親として当然のごとく心配になった。
「まったく、泊まるのならそれがどこの誰の家かまで教えてほしかったなぁ。それとも恥ずかしいの? 彼女さんかしら。驚きだわ~」
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――クレイズの部屋から証拠を手に入れたくてもまず入れてはくれないよな…どうするか。
俺は悩んでいた。ユズトの期待に応えてみたくもなるが……俺はペーターに負けたから、出たらもう入れない。
ううむ、と出来事を振り返っているところで電話が鳴った。
ケータイ画面には、調査情報管理局のダノールとある。
「なんだ、さっきの今で何か解ったのか?」出て俺の方から聞いてみると。
「実は試合を見たんだよ。出てたんだな。でも負けたんだって?」
「いいだろ別に、俺はペーターと相性悪いんだよ。で、何だよ」
「そうそう。クレイズ・アイマフが使ってた革の武器、名刺入れだってことが解ったから『遺留物もそうじゃないか』って現地の警察に知らせたんだ。改めて調べたらしくて、それによると、胃から出た革は名刺入れの一部で間違いないってさ」
「よし! そこまでいけばやれるんじゃないか」
「レジリア市警にはもう連絡が行ってる。明日には逮捕できるだろう」
「明日か……やっぱ誰かが引き留める必要があるな」
「ギリか」
「ああ」
ともあれ、不安は減った。
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夕方六時ちょうど。クレイズが部屋を出ている隙に我々四人は進入した。令状はある。時間の余裕はないつもりでサンプルになりそうなものを採取する必要がある。
俺もここは上司らしく指示しよう。
「毛髪を探せ。指紋も。コップからは唾液。急げ」
「イエッサー」
待機させた車には照合用の機材を積んでいる。ある程度採取が済んだらそこへ戻った。
まさかここまで怪しい人物が礎術大会に出るとは。これも盲点――か?
「照合、最速で頼んだぞ」
「寝させない気ですか?」
「んなワケじゃないけどな。ただ……そうだな、被害者はもう、寝れるかどうかだって悩めない」
「――解りましたよ」
仕方ない、という声だが、やるというならそれでいい。いいさ、責任は俺が負う。
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翌日。
朝食の少しあとに控室に集まり、そのうち二人――ペーターさんと僕が進行係に名を呼ばれ、リングへと向かった。
「クレイズのことがあっても試合は試合だからな」
ペーターさんが通路で言った。
僕も頷く。本気でやって勝てる人が残って時間を稼ぐ、それが一番だ。
リングで距離を取って向き合う。と、実況の声が会場にも響き渡る。
「準決勝第一試合、ペーター・ミガリオ選手対ユズト・サエキ選手の試合です!」
そして審判の声が――「始め!」と掛かると、ペーターさんの方から一斉に紙が飛んできた。
小瓶は既に持っていた。こっちもビーズの嵐で応戦だ。
小さなビーズも大きなビーズも飛ばす。
互いに武器を飛ばしながら旋回。ただ、ペーターさんの旋回方向が急に変わった。
近付く。紙吹雪が来る。ビーズの盾。それに刺さる。刺さらなかったものがこちらへ――
――盾、壁、ビーズの壁!
ハチの巣の構造みたいに、数十数百に増やした巨大ビーズが一枚の行列になる。その壁ができ上がる。中心の穴はなくなるような巨大化。その上で――向かわせる!
ただ、この大技の隙に、折り紙が二枚、両端をすり抜けてこちらに来ていた――
視界に映るものを把握してはいたけど、それでも押し切る。
当たれ、行け、そう思う中、紙もこちらに。
――ギリギリで避けるしか……避ける……避ける!
息が止まっていると気付いたのは、身を翻そうとしてフッと漏れてからだった。
それで避けることが――できなかった。体をひねって伏せる動作を始めた瞬間、頬に――かすった。
どうなったんだ。
思って見やる。と、ペーターさんはさっきより遠くに横たわっていた。
吹っ飛んだのか? 攻撃成功?
視野は広かった。ビーズは元の大きさに戻りつつザラザラと落ちたことになる、もう目の前にない。
小瓶を確認。満杯まであったのに、もう四分の一もなさそうだ。
それからまた視線をやった時にはペーターさんは起きていて――数枚の折り紙が、ただただ手裏剣のように――
……対抗手段は、一つだけ浮かんだ。
巨大化したビーズの中心で別のビーズを巨大化させ、その中心でビーズを巨大化させ、その中で――
そうすることで、穴は小さくなった。それをわずかな時間でやってほぼ隙がなくなった状態で――
放つ。
バッという音がした。紙の切れ味がどんなによくても、ビーズへの操作にひねりが加われば、こちらのビーズは切断を免れる。そして到達する。
この連なる輪でできたドリルのような弾丸が、いつの間にか作られていた『紙の壁』を突き破り、ペーターさんにぶつかったのが、念じることへの負荷が上がったことで判った。そこでビーズを自分の元へと引き戻す。
更には小瓶に戻して様子を見ると――
「参った」
更に吹き飛んだ位置からペーターさんが言った。
内心ほっとした。あれ以上の攻撃をされたら対処できなかったかもしれない。
「勝者! ユズト・サエキ選手!」
歓声が上がった。「いい試合だったぞー!」「ユズトに賭けてよかったー!」「ミガリオもありがとな! 面白い試合だったぞー!」
こんなに褒められるのは初めてだし、温かい声を聞くと嬉しくなる。相手への労いまであったのが大きい。それが一番と言ってもいいくらいに。
――どこもこうだったらいいのにな。
そう思ったら学校を思い出してしまった。ヤな気分の復活だ。
忘れよう。今は大会だ。
控室に向かいながら、ペーターさんと並ぶ。通路を戻る途中で二人とすれ違った。ニーレッキさんとクレイズ。
どうしても睨んでしまう。クレイズの背中を見てからやっと視線を逸らして、それから控室へと。
その辺のパイプ椅子に座って、中継を見る。
「準決勝第二試合、ニーレッキ・デプツモー選手対クレイズ・アイマフ選手の試合です! では、始め!」
ニーレッキさんはモップのふさふさを伸ばした。開幕一気に絡ませようとする。
クレイズはあの革製品を複数に増やして巨大化させ、空中に浮かし、片方でふさふさに対処、もう片方でニーレッキさん本人に対処しようとしたようだった。
それらが向かう。かなりの速さで。
ニーレッキさん本人はモップを持ったまま横に逃げた――が、そこに横からモロに攻撃が。
彼女が倒れたらふさふさが勢いを失くし、元の長さに戻ろうとした。彼女がそれを止めて再び操ろうとする。
そこへモップの柄を叩くような動き。革製品の打撃でモップが吹っ飛んだ。
となると、もう遅かった。
彼女自身が革製品に掴まってしまい、完全に覆われ、ぎちぎちと――
「もういい!」
つい僕は叫んだ。ここで試合が終わらなければまた走り出していたと思う。
「参った!」
そう聞こえてほっとした。ただ、数秒後には、拳を握り緊めてわなわなと震わせてしまっていた。
「勝者! クレイズ・アイマフ選手!」
クレイズへの歓声はまばら。
ニーレッキさんへと「いいんだ、無理しなくていい!」なんて声も。
みんな解ってる。解ってるんだ。逃げられないぞ、クレイズ――戻って来た彼を見て、睨んでそう思った。
そんな時だ、ニーレッキさんが言った。
「口を塞ごうとしてきた。昨日のあなたの行動は正解よ」
怒りがまた増した。
それから、進行係が案内を口にした。
「昼休憩があってから一時間後に決勝戦を行います。十分にお休みください」
――昼か。どうしようかな。いればペーターさんやイルークさんと食べたいけど。少し話したい。
食堂で頼んだものを持ってどこに座ろうか見て回っている時、イルークさんの姿を発見した。前の席が空いていたのでそこに座って聞いてみる。
「イルークさん、まだ帰ってなかったんだ」
「ああ。気になってね。あと、報告だ」
「報告?」
「あの事件のだよ。連続殺人の被害者の胃にあったものと、奴の武器の素材だけど……一致した」
「え!」
「事実、特定の名刺入れだったし、本当に、あいつの仕業だったんだよ」
「ほ、本当にっ?」
「ああ。だからそれで、警察と連携できた。今頃、実行犯本人だと確定しようとしてると思うぞ、誰かにハメられたなんて言われても困るからこその確定を、な。犯行現場にいたことを証明できたら逮捕だ。だから……あと問題なのは時間だけだ。安心して引き延ばしていいぞ」
「……解りました。ありがとうございます、イルークさん」
「いえいえ」
――ありがたい。本当にありがたいよ。まあちょっと気障な感じはするけど、物凄く頼りになる……
思いながら、オレンジ色の艶を持つハンバーグを頬張った。
ある時このテーブルにペーターさんも加わった。そしてペーターさんがこんなことを。
「君の武器ってビーズだよね」
気になるのは、そのあとどんな言葉が続くかだ。
「ええ、そうです……けど……それが?」
「その小ささで結構使ったよな、大分減ってるんじゃないか?」
「まあ、そうですね」瓶をポケットから取り出して見せてみた。「こんな感じです」
「あー大分だなぁこりゃ。なあ、これを増やす方法、知ってるか?『派生技』って聞いたことあるか?」
「あー、えっと、派生技は聞いたことが。どうやって増やすんです? 全然知らなくて」
「ふむ。そうか、なら……ビーズなら……君のそれだとガラスでいいかもな」
と、そこでペーターさんはコップの中身を飲み干して僕の前にドンと置いた。
「こいつを変換して増やせるかもしれない」
「ほあ」変な声が出た。
「念じる時は、手よりもこういう紙や平らな所の上がいい。出現した瞬間手にめり込んだりさせないためだ。そこへ念じて、この一部が欠けて変換されれば成功。まあこれは簡単に増やせそうなものだけだが――」
「やってみる」
少しやると、確かに一個、目の前に出現した。コップの下の方が少し欠ける。
「……は? え?」イルークさんが慌てた。「お、ま……うぇぇ? 飲みこみ早過ぎないか?」
「そうなんですか?」
僕が聞くとペーターさんも声色を迷わせた。
「ありえない。ありえない……けど、もっとやってみたら……どうなる?」
「え? まぁやりますけど」
念じる。一個増えた。もっと念じてみる。五個増えた。慣れてきた。もっと――今度は一気に。かなり念じてみた。一度で……ええっと……四十個くらい増えたかな。そのくらいだよね? 多分そう。ビーズって小さいから、もう、数えるのが難しいよ。
コップ自体はまあまあ大きく欠けた。
「おいおいおいおいおい! 待て待て待て!」
「え? どうしたんですか?」
イルークさんが慌てて喜んでるみたいだ。何だか不思議。
「いやどうしたじゃねえよ、天才じゃねえか! できる派生技そのものが今丸々一個増えたんだぜ、半端なものじゃなくてだよ? 解る?」
「んー?」
僕が首をひねると、今度はペーターさんが。
「ほかの派生技、覚えてみる?」
「あ、はい、覚えてみたいです」
「じゃあ、えっと何がいいかな」
とペーターさんが悩んだところで、思い出した。
「そういえば、透明化っていうのを覚えてはいるんです、戦力を優先しててまだ初歩中の初歩ですけど」
頭を掻く僕に、イルークさんが。「じゃあそれ使いこなしてみようぜ」
頷き、念じてみた。テーブルに今ある四十個くらいのビーズに、透明度よ、変われ、と。
黒やら赤、緑や青、黄色、とにかくカラフルなビーズのうち中央の十個くらいが半透明くらいにはなった。
「一回目……だよな?」イルークさんの問い。
「ああ、はい」
「……嘘じゃなく?」ペーターさんまで聞いてきた。
「嘘じゃないです」
信じてほしくて、胸に水が溜まったみたいな気分になった。
「あ、ああ、ごめん。とにかく、君ならこの大会、もう大丈夫だな」
「……だといいです」
「というか心配なかったんだよ余裕余裕」
イルークさんの言い方が、何だか温かい。さっきのことを思うと嬉し過ぎるほどだ。
何のためか思い出しながら、少しだけ練習を続けた。小さいままなら十個をほぼ透明まで持っていくことができた。クレイズなんかに負けない。