014 幾つかの穴
空手を始めた。漠然と、人を守る職に興味が出たからだった。
学校では相変わらずだ、誰からも話し掛けられない。
仕方なくこちらから話し掛けなければならない時もある。それで――
「あのさ」と女子に話しかけてもスルーされた。
「ねえ剛田君」と言っても、彼は申し訳なさそうにしたあとで振り返ってどこかへ――そんな無視は続いた。
とある昼休み、あの上級生の女が僕のクラスの女子に命令するのを小耳に挟んだ。
「――そういう奴なのよ。だから佐伯優珠斗とは今後一切話しちゃ駄目よ、話したらどうなるか――」
本当にあほらしい。
それから少し経ってから思い出した。このあいだは髪色と塗りたくられた顔料のせいで気付かなかったが、アレは昔近所に住んでいた年上の女、多分。
名前も思い出したくない悪魔。
小学生低学年の頃、変質者からあの女を助けた僕を、あの悪魔はなぜか脅した。「あんたがおかしなことをしたって言いふらすよ」と。そして僕に何でも命じた。
そういうことをしたかったんだろう。
裸でとある橋を渡らされたことも。何か従えば脅しの種が増えた。
本当に忌々しい。
今でも命令が好きらしい。される側になってみろと何度思ったことか。
あの先輩はそんな悪魔……だと思うので、確かめたいと思い、もう一度話してみた。
「セクハラ悪女」
「あら覚えてた?」
――やっぱり。「あんなことをし続けたらバラすよ」
「……あんたにできるかなあ」
「は? できるけど」
セクハラ悪女がバッグから何やらごそごそと取り出した。写真だ。
「なんでそんな写真があるんだよ」
僕が複数の女性と一緒に寝ている写真。そんな覚えはない。経験もない。
――というか僕が笑ってるこの写真、角度が狂ってないみたいに見える。ちょうどよくそんな写真あるか? あるとしたら絶対盗撮してる。何枚盗撮したんだ。恋人だっていたことないのに、ふざけんな。くそっ。
「合成してんじゃねえよ。というか人の顔盗撮してんじゃねえよ。騙そうとすんなよ人を!」
「あたしがしたことバラせる? あんたのこと信じるかな、みぃんな」
それでも、クラスのみんなに話した。
当初は先輩が悪魔だと信じ掛けた人もいた。
それからすぐ嘘写真が出回った。
――よくやるわ。他人からは僕がストーカーに見えるようにしたり、自分は被害者ぶって人を使ったり。僕が社会的に抹殺されて信用されなくなったり引きこもったり自殺したりして学校に来なくなれば、さぞかし嬉しいんだろうな。
クズ。その言葉が浮かんで、クレイズを思い出した。礎術大会に出た犯罪者。
――男同士なら殴り合いをしてもそこまで言われないが、相手が女となると、掴み掛かったりしただけで、表面しか見ないクレーマーがうるさくなる。世の中こういうクズな女が本当はもっといるのかもなあ。
信じ掛けた人を含めてほとんどの人が嘘写真を信じた。こちらから話し掛けても誰も僕とは話さない。
バカげた空間でしかないと思い、学校ではもうほぼ無言だった。
空手に打ち込んだ。
最初は腹の傷を気にしてあまり動けなかった。それも徐々に変わる。少しずつ慣れていく。傷による痛みが減る。塞がり始める穴と、開いたままの穴がある――そんな感じがした。
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私のお父さんは、一緒にいる時いつも遊んでくれる。
本当のお父さんなんだけど、新しい家族。って、何か変なの。面白い。けど、くすぐったくて、何だか嬉しい。
お母さんとのことを聞いたら、空港で知り合ったんだ、って言ってた。
「お父さん、空港で働いてたの?」
「そうだよ」
「どんな仕事?」
「警備だよ。まあ今は違うけどね」
「今は?」
「今は大手企業のガードマン。優秀なんだぞぉ?」
「おおぉ~」
そんなお父さんはゲームも得意。
パズルもテレビゲームもカードゲームも何でもやった。これから何度でもやれる。
「もう少ししたら手続きが終わる。もうすぐこっちで学校に通えるぞ」
「学校……。この近くの学校、どんな所かなぁ」
「今から思いを馳せてるか。存分に楽しみにしとけ?」
「うん!」
施設と離れたことはちょっとだけ寂しいけど、肩を寄せ合って遊ぶのは凄く楽しい。今は向かい合って遊ぶのもそうだし、何よりお父さんの話を聞ける。
――ずっと一人だと思ってた。施設にいてもそんな感じが…やっぱり少ししてた。でも違った。これからはずっとお父さんと一緒なんだ。お母さんとも一緒だったらよかったけど。無理なのは解ってる。解ってるから今この場所を、繋がりを、大事にしたい。
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ある夕方、自分の部屋で勉強している時のことだった。
突然ベランダから音がした。見るとそこにいたのは女性。そばには縁が茶色の八角形のゲートも開いていた。
――あれ? 見覚えある――じゃないわ、ドナさんだ!
思った時には八角形のゲートからもう一人出てきた。少し前に帰っていたベレスさんだ。更にもう一人。見知らぬ若い男性だ。
窓の鍵を開けると、三人が靴を脱いで入ってきた。
三人とも暖かそうな格好だ。且つ動きやすそう。
――男勢は裏ボア革ジャン? みたいな感じだな。ドナさんはロングダウン……コートみたいな? にしても、また会うとは思わなかったなぁ。
「で、どうしたんですか?」と僕が聞くと。
「実は」ドナさんは深刻そうな声で。「罪人が地球に逃げてきたの」
「……は?」
――かなり大変なことを聞いた気が……
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新しい家に来て一週間くらいが経った頃。
「今日はごっこ遊びをするぞ、お父さんが銀行強盗、お前は偶然居合わせて捕まった警察だ!」
「警察? 女警察?」
「そうだぞ。縛ったところから始めるからな? あ、お父さんが一旦部屋を出てからスタートだからな?」
「ん、わかった」
うきうきしながら手と足をそれぞれロープで縛られた。それからお父さんが部屋から出ていった。
――どういう台詞を言おうかな。最初はやっぱり犯人にダメよって言うでしょ? えっと、それから……
思っていると、お父さんが部屋に戻ってきた。
「やめなさい、こんなことしてはダメよ。お父さんお母さんが泣くわよ」
――ドラマでもこんな感じだよね。最近そういうの見たもんね、ふへへ。
「うるさい黙れ! 俺はもうやると決めたんだぁ!」
お父さんの演技は下手だ。思わず笑っちゃう。んふふ、あたしの方が上手なんじゃない?
そんな時、ガムテープで口を封じられた。んむぅ、もう、お父さん? 息し辛いし台詞言えないよぉ。
アクションを待っていると持ち上げられた。
運び出されていく。うん? どうするの? お父さん。
車に乗せられた。後部座席に。
ドアがどれも閉まっている状態でガチャという音もした。
……嫌な予感がした。
車を発進させてから、お父さんがあたしに言った。
「手続きは済んだんだよ、お父さんに必要な手続きが――ね」
どういうこと?――言おうとしても口はテープのせいで動かない。
状況をすぐに理解できはした。
でも理由は解らなかった。……お父さん、どうして。
車はどんどん進んでいく。
そのあいだ抵抗したくて見回した。蹴って動くものはない。だから、あたしの礎術で距離のせいで重さを変えることはできない。礎力の強さだけが頼り。一応やってみた。
――ドアの重さ、変わったと思うけど、車自体がそれを支えられちゃってる。
逃げられない。開かない。逃げられない。
焦る中、車はどんどん走る。誰も来ないような山道を。そして少しだけ開けた場所で停まった。
トランクが開けられた。そこから何かが取り出されたみたいだった。
車の外を見た。そこにいたのは地面を掘るお父さん。
たまに運転席のドアを開けて、椅子に置かれたバッグからペットボトルを取る。水分補給すると、また掘る。
その何度目かに、話してくれた。
「なんで、って思ってるよな。ふ、教えてやるよ。育てる気なんてないからだ。お前は俺にとってただの金だ。お前が俺ん家にいることにして、子供を養うための給付金だけ受け取る。解るか? お前とお前の母親のことは、俺にはどうでもよかったってワケさ」
地獄に叩き落された気がした。
こんなことなら、施設にいた方が全然マシ。
――こんなのお父さんじゃない。悪魔だよ。お金の悪魔だよ。
後ろ手に縛られていた。だからまずはそれをどうにかしたい。
運転席と助手席のあいだに缶のポケットがあって、そこに一つだけ缶があった。
――つまむ所……これを取れれば、ロープを切れそう……?
音を出さないようにと思うと焦った。
十秒くらいかけて缶を手に持つことができて、座り直すのも必死に音をたてないように――
それから取っ手をつまんで後部座席の上で正座をして缶を足で挟んで動かないようにして……何とか礎力を込めようとする。込めようと――込めようと――何度もそうしてようやく指に掛かる力が変わった。重さを少しでも変えられたんだ。
取っ手だけ取れた。それで手を縛るロープを切った。自由になった手で口のガムテープも取った。
それから足のロープも切ったら、運転席のスイッチを押して後部座席のロックを外した。音が出なかった。ほっとしてから穴と逆の後部のドアのロックをつまんで音を出さないように、ゆっくりじっくり上へ引っ張った。
軽めにカチッと鳴った音が、お父さんが地面を掘る音と重なったのか、気付かれてはいないようだった。
そっとドアを開けて、そっと出て、ゆっくり道を戻った。
走った。とにかく走った。骨折した脚にはギプスがある。走り辛い。それでも走った。
整備された山道に出た。
――多分こっちから来た。
そちらへ走り出した。途中で疲れて歩いていると、車がやって来た。
手を振った。
車は一瞬左右に揺れて、加速して通り過ぎていった。待ってみたけど戻ってくる音もない。
――え、なんで?
また歩き出した。もう一度車が来た。別の車。
「お願い! 助けて! 助けて!」
その車も通り過ぎた。
――なんで!
少しの時間、地面に祈るみたいにしていた。そうしたら少し遠くから声が。
「どうしたの!」
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ベッドの前に三人が立っていて、ドナさんが説明する。
「ブルケムス・ハーミット。彼が指名手配されて、礎球ではもう逃亡生活も無理だな、って思ったんだと思うのよ」
途切れさせないために、ほかの二人は何も言わないでいるようだった。
「それでこっちへ」
「うん。でね、監視カメラでは映らなかったんだけど、あの崖の禁止区域に入る扉に直接仕掛けられてる隠しカメラに映ってて、それで判ったのよ、警備員を気絶させて地球に逃げた、って」
「それで地球に来れるって……簡単過ぎないですか? 大丈夫なんですか?」
「仕方ないのよ。証明書を持ってる人は通さなきゃいけないから、鍵を持ってなきゃいけなくて」
「あー……」
「だから警備員の強さで持ってるってところなのよね」
「なるほど、微妙にその……そいつも強かった、と」
「そう。まあ、物凄く強いけど不意を突かれたって話」
「……じゃあ、追っ手は? ほかに誰も追ってないんですか?」
「多分緊急依頼は出てる。でもお父さんが、自分の部下を使ってでも早く解決させたいって言ってて、それで私が――あ、そうそう、私、鏡を使えるようになったのよ、まぁまずはゲート化した状態での捻出だけどね。さっきのがそう」
「やっぱり! ほぁぇぇ、おめでとう! えぇっと……何というか、これから色んなことに使えますね」
「えへへそうなの。えへへ」
どうしてかホッとする。こちらからも笑顔を返せば、笑顔が返ってきて――それだけで。
「あー、で? 僕は何をすれば? というかこれからどうする流れなんです?」
「えっと、そうね。じゃあまずは……あそこの屋上に。地理的には私たち何も知らないから、色々お願い」
ドナさんが指差したのはうちのベランダから見える別のマンションの屋上。
「じゃあちょっと待って」
玄関から靴を持ってきた。それから、ドナさんの八角形の茶縁ゲートを通ってさっき見た屋上へ。
「でもどうやって探すんですか?」と僕が聞くと。
「光を見るのよ、このあいだと同じようにあの螺旋を、ね。二個同時に探せるようになったのよ。最近めちゃくちゃ練習したんだから」
「おお~」
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以前は私自身にマークは付かなかった。今付いているのは複数を探せるようになったからで……
右手首に、今、二つの黒いマークが縦に並んでいる。円の中心を示すようにその円を四等分する矢印。手に近い方は白縁、肘に近い方は赤縁。
――こっちも進化できて本当に嬉しいんだよねえ。
思ってから、赤縁の方に念じた。
すると赤と黒の柱が立ち昇った。
それを後ろ手に辺りを見回す。と、西の方に黒い靄の柱が見えた。赤い方のうねりは夕方の光の中にかなり溶け込んでいる。
「あっちよ」
屋上から屋上へ。ゲートを繋いで四人で向かった。
そこでふとユズト君が。
「当分先まで見えるようにしなくていいよ、念のため節約しよう」
「え、でも方向はどう確認するの?」
「いや普通にこれ使うだけ」
彼は地球で使う通信用の携帯機をいつの間にかその手に持っていた。私が覗き込んだ画面には方位磁針のような絵があって――
「あっちだね」
その向きにある建物の屋上へとゲートで何度か向かう。その都度方位確認。
「よしじゃあそろそろ」
言われてから念じ、前へと目を向けた。赤と黒の柱は……かなり近い。
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地球に来てすぐのことだ、俺は武器を探した。ここに来るまでに幾つか壊してしまったからというのと、やはり予備は欲しい。
ある時あまりにも品物が密集した店を見付け、入ってみた。
――これはいい。
ソレをシャツの中に隠した。
「あ、ちょっとお客さん!」
「あ?」
一つは元々持っていたもの。ソレを放つ。店員など簡単に気絶した。
地球の金などない。当たり前に盗むだけだ。
逃げ切ってしまえばどうということはない。
――くくく、礎球ではもうほぼ無理、だがここでなら。コイツでまずは金を……
「おい、この辺にマフィアとかはないのか」
通りすがりの少年に凄むと、彼がビクリと怯えて。
「ヤーさんとか暴力団とかそういうアレ? 知らないよ、何も知らない」
簡単には見付かりそうにないが、根気よく複数人に問い詰めた。
ようやく見付けて屋敷に入ってまずしたのは、力があると思わせること。
「何だオメェ」
「いやぁ実は、俺なら特別な殺しができるもんで。報酬アリで何かさせる気はないっすかねぇ?」
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「もう近くよ、すぐそこ」
とある屋上で、黒赤の螺旋を見たのであろうドナさんが僕らに言った。
「作戦はどうしますか?」とベレスさんが言うと。
「どこかへゲートで送り込めれば。人に見られないような所へ」
ドナさんの言を受けて、そうだよなと納得。目撃者を出したらまずい。
「だったら……」
辺りを見てみた。確かこの辺には、有名な廃ビルもあったはず。
――あ、あった。
ここから北。結構大きい。
「あそこに運びましょう。あそこ、廃墟なんです。それと、念のため明かりを設置しないと」
二十個ほどのLEDランタンを買い、戦場にする予定の廃ビルの各階に散りばめた。全部で七階。これで相手がどの階に逃げても割と姿を追えるはず。
――あと問題なのは逃亡中の男自身……名前、なんだっけ?
質問したらベレスさんが答えてくれた。
「ターゲットはハーミットです」
「あら韻踏んじゃった」
名前の話になったからか、今だに僕が名を知らない紳士の声が。
「自己紹介しておきましょう。俺はアデル・ハンブル。アデルとお呼び頂ければ。ハンドベルの靭性強化、軟化、巨大化、操作ができます」
「アデルさん……よろしく。ベレスさんは、技、増えた?」
「私は結束バンドの操作、硬化、大きさの変化の三つです、増えてはいません」
「ふむ」
ドナさんがこの辺だと言うので公園で駄弁る人の振りをして、監視していた。
途中、ドナさんから言われた。
「ハーミットって男はね、実は、ケナちゃんのお父さんなのよ」
「え?」
衝撃だった。そんな人がなんで、という想いが沸々と……
「ユズト君はケナちゃんのこと気にしてたんでしょ?」
「は、はい……。でも、なんであの子のお父さん――ハーミットが」
「金目当てよ。扶養手当のね」
胸の中を何かがきつく締め付けるのが解った。感情を凝り固めてしまうベルトにでも縛られているみたいに。
「ケナちゃんと言えばね、もう一つ、ユズト君には言っておいた方がいいことがあるかなって――」
「……? 何です?」
「寄付、したでしょ?」
「ええ、それが?」
「ケナちゃんがいた施設の院長が、逃げたらしいの。大金を持って」
「はあッ?」
――ったく、どこにいても。どいつもこいつも。
怒りは怒りでしかなかった。ただ足される。胸がぎちぎちと音を立てている気がした。
……陽も落ちて真っ暗になった頃。四つ角に男の姿が。
「あ。あれ」
見やる。路地を歩く茶髪の男。あれがハーミットか。
まずは行く先の塀の陰に回り込んだ。そして奴の後ろに、人ひとりが通れそうなほどの穴が開く。ドナさんによる八角形の穴。
そこへ、逃げ場のないほどの勢いでビーズの壁を迫らせ、押し込む。
数秒前に、ドナさんが別のゲートも出現させていた。
それは両開きのホテルのドアくらいの大きさで――自分たちもすぐさまその穴へと入った。




