礎力の液 その2
母はまた話し始めた。
「お母さんね、実は、礎球からの移民なの。発端は十八年前――」
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自分たちがどこに隠れ住んでいるかということは学校で習って知っていた。まあ、知る手段は幾らでもあった、秘境から出て村に外の知識や物品を還元する人もいたから――地図や書物ではっきり知ることができた。
私たちが住んでいたのはイーヴィストン州の秘境。
空は木の葉で覆われ上空からは見付からず、中は昼と夜で明るさを変える。そんな礎術道具も何度か手入れをされたりした。
知らずに訪れても、『入出の宝石』を持たない者は入れず、村の北端からなら南端に移動するだけ。上からでも入れず、座標をそのままずらした近くの森に転送されるだけ。
一族以外誰もここを知らない。――そのはずだった。
「まだ覚えられんか。まあ焦らなくていいぞ、ネルファ」
幼少の頃は口癖のように言われた。私が一族の礎術を使えるようになるのは、随分先のことだった。
我が家には父と母と姉がいて、三人ともが『数秒で固まる黒い液体』を手から出せた。そもそも村のほぼ全員にそれができた。
村には大きな工房があった。
食器類、棚、釘、杭、刃物……そういったものなら何でも礎力の黒い液体で作っていた。
村の仕事は閉鎖的だった。外とはほぼ関与しない。レンガ造りや土壁作り、家具造り、狩り、調理、肉の加工や採集、田植えや養豚、養鶏、機織り、ガラス加工、教師の仕事なんかをそれぞれがした。私の家系は主に皿作りだった。
皿を作るために、一族の礎術を代々使ってきた。
ただ、細かく壊し尽くせば風化する…そんな黒い液体よ、出ろ――と幾ら念じてもすぐに出るものではなかった。
「やった……! お父さん!」
「おお、やったなぁネルファ!」
十六歳くらいの頃だった。
型に手から黒い液体を流し、数秒待つ。と、固まる。型が皿なら皿に。磨いて使う。ほかの物にだってできるので違う物を作る家もあった。
私がそんな風に作れるようになってから更に少し経った頃、皿工房の外が騒がしくなった。
「何だろ、危ない術持ちでも下りてきた?」
「見てくる。お前はそこにいろよ」
工房の外に出た父がすぐ中に戻ってきて、何かを怖がった顔を見せた。
「逃げろ! 遠くに――」
次の瞬間、父が倒れ、血が舞った。そして声が響いた。
「抵抗したら殺す! 大人しくしろ!」
怖くなって裏から逃げた。道を見てぎょっとした。倒れた村人が多くいる。動かない。視界は血塗れ。
どんな感情よりも恐怖が勝って、とにかく走った。
ある時、疑問に思った。
――あんな人がどうしてここへ!
答えは多分単純。入出の宝石を持つ誰かが、外にいる時、誰かに何かを勘付かれた。追われて遂にはどうやって入るのかを知られた。きっとそうだ。ただ、違ってもどうでもいい、逃げるのが先決だった。
どこもかしこも戦いの跡。血。肉片。
――どこへ行けばいいの。どこへ逃げればいいの。
時は夕方。ふと、小さな子たちが学校に残ってよく遊んでいることがあるのを思い出した。みんなが心配になって向かった。
……靴箱を過ぎて廊下を見た。そこは既に血だらけ。地獄だ。この世の地獄。
つい悲鳴を上げてしまった。
面倒見のいい先生も、弟分も妹分も、みんな……血の中で動かなかった。
どうしてどうしてと嘆きながら、みんなの生死を確かめた。みんな死んでいた。抵抗したから? 辛うじて息があった先生の一人も――
「ネル……ファ……逃げ……」
と、言い残して息絶えた。
怒りが沸々と湧いた。
それでも何もできない。自分が無力だと気付きながら、誰かが近付いてきたことにも気付いた。
息を殺した。死体の中で。
やり過ごしてからは、生き残っている人を無心に探し回った。
腰を低くして道をゆき、生垣の向こうに誰かがいると判ると死体の振りをした。
行く家行く家被害だらけ。
やっと人がいた。兄同然に親しかった隣人。庭から窓を通して見付けた。ただ彼の背後――すぐ近くに、ニヤリと笑う人もいた。
『兄』はそれに気付いていなかった――
「後ろ! 逃げて!」
兄は……戦ってしまった。善戦した。だからか、抵抗と見なされたようで、大きな角材で頭を打たれ、動かなくなった、ぴくりとも。
そして足音と声。
「どこだガキ!」
兄のために叫んで気付かれた。今度は私が。
怖さで混乱したまま走った。
――お兄ちゃんごめん、もっと早く気付いていれば、みんなごめん、もっと早く何かできれば――
そんな想いに駆られながら、隠れながら走った。
結局最後の家まで全部見て回った。そして……死体しか見なかった――
もはや占拠されている、そんな村を出るため――故郷を壊したこの人たちを絶対に許さないと恨みながら――今度はとにかく外へと走った。
でも、イーヴィストンの山の奥深くから、どうやって生きて……どこへ行けばいいのか――と思った時には村の一番端の家の横にいた。
その家にお邪魔し、カセットコンロやナイフ、フライパン、まな板なんかを縛って背負い、家を……そして村を出た。
山道で足を取られ、魚や獣肉、木の実を食べ、川に調理用具を全部落としてしまってからは素手で全て行い――そして歩いた。山道をひたすら。その時になって初めて嗚咽しながら泣いた。
そして町へ出た。
ひたすら歩いた。交番にお世話になることもあった。……拾われはしなかった。拾われることが怖くもあった。
自分の一族が隠れ住んでいるのは固まる液の礎術を悪用されないためという意味もある。そう聞いていた。利用されるかもしれないのなら、もう……――そう思うと、人を怖がらずにはいられなかった。
ある日。
旅行会社の店の前を通った時、あるパンフレットが目に映った。パンフレットにあるのは白いゲートと崖の写真。スピルウッド州のそのリンクゲートというものは、地球という場所に繋がっているらしい。
地球の人間は礎術を知らないと聞いた。
そこなら、私はきっと襲われない。そこなら、私はきっと人を信じられる。
だから向かった。ただ、監視員の目を掻い潜るのは簡単ではない。だから人を頼った。
崖周りは立ち入り禁止区域。且つ、礎術禁止区域でもある。フェンスや透明な壁で覆われていて先の草地や丸太の階段、崖を視認できはするものの、許可されていなければゲートでも移動不可能。
地球の文化を調べたがっていてまだ正式には渡星を許可されていない人物が入口で止められていれば、その人に声を掛けた。
「一緒に行かせてくれませんか」
そのうちの、頷いてくれた男性に許可が出て、ともに地球へ。
解った上で協力してくれた。そう思うと、お別れしたあとの彼の背を、見えなくなるまで見ておきたくなった。見えなくなってから別方向に歩き出した。
地球ではどう仕事をすればいいのか――と迷っていると、補導された。
「名前は」
聞かれてもずっと無言だった。地球での名前もないし、どういった名前であればふさわしいのかも判らない。判らないことばかりだった。
礎球が、地球の文化を参考にしている側面で幾ら日本語で溢れていると言っても、地名なんかは特に判らないし……と何も言えないでいると、孤児として認められ、施設に入れられた。
区長が私に名前をくれた。
佐伯紗羅、それが私の地球での名前。ネルファではなくなった。
苗字のあとに名前だと知ったのは施設に入って勉強を始めてからだった。
同じ施設に灯弥という男の子がいた。歳は彼が二個上だった。
出会ってすぐに彼が施設を出、遅れて割とすぐに私も出た。就職してから再会し、意気投合して好きになった。同居し、プロポーズもされた。
――誰よりも幸せになろう。それが私の幸せ。
通じ合うのにそこまで時間は掛からなかった。
……でも、私には懸念材料があった。
礎術は遺伝してしまう。させたくない。力に振り回されるのはもう見たくない。あんなのはもう……!
そんな『もしも』さえもが怖かった。
どうすればと考え思い出したのが、遺伝を阻害できる礎術道具。
礎術遺伝阻害因子、通称SGIが、とある指輪を装着した者の子供は術魂の器が埋まった状態で生まれる――というのは、まあたとえだけれど――そのため遺伝を阻害する。そうなるように作られた指輪を礎術遺伝阻害装置またはSGIリングと呼ぶ。
――それがあれば。
「待っていてくれますか」
私は詳しく言わずに願い、彼は待つと強く約束してくれた。
リンクゲートに礎力を込め、礎球に戻った。
曲がりくねる階段を下り、崖下へ。
この禁止区域への入口に近付いて声を掛けると、私は捕まった――行き来のための許可証を持っていなかったから。
裁判を掛けられ、それでも過去を話さなかった。私は終始無言。何より『あの賊』が怖かった。狙う者はいないとは限らなかった。
そんな私を気に掛けてくれた者がいた。当時のスピルウッド州知事。
「なぜ戻ってきた。捕まると思わなかったのか?」
「私には……こうなってでも、ある物が必要なんです」
「必要って何がだ。一体何がほしい」
「……安心がほしい、それだけです。力を伝えない安心がほしい……! 子供には、こんな力要らない……!」
私は泣き崩れた。
州知事のタレク・ウォーグンリギスさんは、間を置いて――
「そうか。どうにかできたらいいが」
とだけ言い、その場を去った。
裁判の結果、私――ネルファ・エッカタームは比較的軽い刑を言い渡された。二か月の懲役または数百万リギーの罰金。悪意がなかったことが大きかった。
それもいつの間にか支払われていて、あっと言う間に出された。
訳も判らずとぼとぼと歩き、礎術道具に関する店にでも行こうとした時、刑務所の前に車が停まった。
その車から執事然とした人が出てきて私を招いた。
「ネルファ様。こちらへ」
後部座席には州知事のタレクさんがいた。乗った私に、彼が渡したのは――
「これ、まさか」
礎術遺伝阻害因子リングだった。
タレクさんは地球文化調査団との関わりも深いらしく、許可カードを持っていた。彼の部下がスカーフを結んでゲート化させたその先は、あの崖の上。それを通って振り返った私に、彼らは微笑んで頷きを見せた。
「ただいま」
灯弥に会い、抱き締めた。
エッカタームという家名だけでなく今の家名まで捨てなければならないのは、私にとっては重大だった。私自身を不安定にさせる気がした。
灯弥は自分の苗字に興味がないようで――何か思うところもあるようで――佐伯紗羅としての私を愛し、慮ってくれた。
……そしてある時、身籠った。
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「それが優珠斗だったの」
「そんな事が…」
「あ、あまりにも…」
「幸せに、なったんですね…」とタミラさんが言うと。
「…ええ――」
母は陰りのある笑顔を見せた。
事は解った。ただ、なぜ礎力の液を出せるようになったのか――阻害されていたはずなのに。
――まさかビーズの力の付与が切っ掛けに?
僕があごに手をやり考え込んだ時、ダイアンさんが口にした。
「礎術遺伝阻害因子で遺伝阻止されていても、永久付与の礎術を身に付けた場合、付与の時の強引な『穴開け』の作用が塞がれた穴にも発生して、諸共剥がれ落ちる…という表現をするんですが、つまり、永久付与は阻害因子の完全除去をしてしまうんです。まさかユズト君がそうだったとは。その母親である――……ええと……」
「紗羅です」
「サラさん、あなたがその指輪をしていたとは……思ってもいませんでした」
「驚かせてしまいましたね。それに、結局、継がせてしまった……」
「えぇっと……それってつまり、お兄ちゃんはどういう状態なの?」
恵が眉間にしわを寄せて聞いた。
すると、ウェガスさんが言葉を紡いだ。
「ユズトさんは、今、血族継承の遺伝礎術と永久的な付与礎術の二つを身に付けていて、更に、状況を打開する時などの強い意志から発現する専心礎術を覚えられます。つまり、術魂の器は三つあって、二つが埋まっている、という状態です」
「ほ、ほうぇぇ…?」
「ああ、ええっとですね、術魂の器というのは、まあ、たとえですが――」
……黒い液は遺伝の賜物だった。この事実があったからこそ、ドナさんの礎術に選ばれたのかもしれない。苦戦しても何とかできそうだと――最も救える者だと――
――あれ? まだ手の印が消えてない。てことは……まだ何かあるのか? そういう事だよな。
と考えてすぐ、ダイアンさんから指示を頂いた。
「ユズト君は一週間安静にしていてください。それを条件に退院してこちらに来れるよう許可を頂いていますので。絶対ですよ」
「はい」
「世話にベレスを付けますので」
ということは、ベレスさんが帰ってからは元の生活に戻る。でもいつかは僕が出動してドナさんを助ける……かもしれない。心の問題なだけなら安心することで印が消える……なんて事もあるかもしれないな。とにかく、ようやく一段落ついた。
「よろしくベレスさん、お世話になります」
「どうも。お世話します」ベレスさんが薄く微笑んだ。




